4.あなたの隣で祈りを込めて
アンヌとのささやかな会話以外はこれといって変化のない生活を送る中その日は突然やって来た。
その日の朝、いつも閉じられている重い扉が開いた。騎士は頭を下げると私にここを出るように言った。驚きつつも促されるままアンヌの手を借り塔の階段を降りていく。カツンカツンと靴音が響く中どこに移動するのかと思案するも手を引くアンヌが嬉しそうな表情であることを思えば不安を感じなかった。
そのまま私は王宮へ連れてこられた。以前来た時と違い趣味の悪いゴテゴテとした調度品が無くなり今は最低限の質素なものが置かれている。王宮らしくないといえるほど物が少ない。
入った部屋ではまず湯浴みをするように促されその後全身を磨かれた。そして差し出されたドレスに着替え念入りに化粧を施される。
「これは……」
私は……一体誰に嫁ぐのだろう。支度を整えて鏡を見ればシンプルだが美しい花嫁衣裳を纏った自分の姿が映っている。私はもともと国王との婚姻のためにここに来た。だが今は事情が違うはずだ。婚姻することなく私は塔へと連れていかれずっとそこで過ごした。だが塔にいてもこの国でなにか大事があった事には気付いていた。そして私は囚われていた訳ではなく守られていたということも知っていた。扉の前の騎士は見張りの為でなく私を守る護衛のためにいてくれたのだ。時折、交代の騎士たちの話が部屋にいても聞こえてくることがあった。
「我が君がとうとう王を弑した。これでこの悪夢が終わる!」
「ああ、これで民が飢えない国になる! 我が君こそ王に相応しい!」
騎士の感情を抑えられない声には苦悩の終わりを喜び未来への希望に溢れていることが察せられた。我が君がどなたなのかは分からないが悪しき王は廃され、慕われている方が王に立たれたようだ。
私はその人に嫁ぐのだろうか。私の利用価値は巫女であることだけで、私の生まれた王家は滅びたのだから祖国からの縁などは役に立たない。それならば自国の美しい令嬢もしくは権力の中枢にいる家の令嬢を迎えるのが一番いいだろう。巫女としての祈りが必要ならば今までのように塔に閉じ込めておけばいい。だから自分がここに迎えられた理由の見当がつかなかった。
それでも逃げることはしない。塔での生活で私は覚悟を持つことが出来た。たとえどんな役割であろうと己の務めとして受け入れよう。そうは思っていても婚姻相手の見当がつかず不安になるのは仕方がないことだ。綺麗に装った慶事の日の花嫁とは思えない沈痛な表情を浮かべる私にアンヌは静かに笑いかけた。
「これから婚姻式になります。マルガレット様、どうか敬愛する我が新国王をよろしくお願いします」
深く腰を折り部屋から退出したアンヌと入れ違いに男性が現われた。
私はその人の顔を一目見て、驚き瞬いた。まさか……と思った。整った顔は私の唯一人お慕いする王太子殿下そのものだ。
あの頃よりも鍛えられた体躯、精悍になった顔には大きな刀傷らしきものがある。記憶の中の彼とは表情や空気が別人のようだ。頬は削げ鋭利な空気を纏っている。それでも私を見つめるその瞳の奥にはあの頃と同じ春の日差しのような温もりがあった。男性は目を細め口元を緩めた。その瞬間、胸の奥が熱くなる。その表情に間違いようのない既視感があった。そうだ。私が彼を間違えるはずがない。初恋の…………。
「ローレンス様? そんな、まさか…………ほんとうに……ローレンス様?」
「マルガレット。遠き昔に会おうと約束していたのに遅くなってすまない」
「い、いきて、ごぶじだったのですか……?」
信じられない。彼は生きていた! もう一度、彼に会えるなんて夢にも思っていなかった。ああ、夢なら覚めないでほしい。
「何とか生き延びたが死んだことにして起死回生の時を待っていた。あなたがこの国に来ることになったと聞かされて焦ったよ。どうにかあなたをあの男の手に渡すまいと必死だった。今は前国王を退けて私が王となった。マルガレット、急な再会で私の言葉を信じられないかもしれないが、私はあなたを愛しく思っている。どうか、私と結婚して欲しい。そして妃として共に国を支えてくれないか?」
ローレンス様の声は昔よりも低くそして力強く頼もしかった。きっと彼は私の想像もできないほどの苦難や絶望を味わったに違いない。それでも国と民を守るために生き続け立ち上がったのだ。自分は強く優しい彼の隣に立つに相応しい人間だろうか。否、不足があったとしても彼の隣に立ちたい。もう二度と会うことが出来ないと思っていた人が目の前にいる。諦める事など出来るはずもなかった。彼に相応しくある為なら何でもできると思えた。
胸から熱い塊が喉に迫り思うように言葉が出ない。私の返事を待っているローレンス様に手を伸ばした。彼はそっと私の手を掴み指先に恭しく口づけた。指先から全身に恋という名の熱が駆け巡る。知らず私の瞳からは涙が溢れ出す。
「マルガレット?」
甘く私の名前を呼ぶローレンス様を見つめ勇気を出し震える声で返事をする。今の自分は顔や耳どころか全身が赤く染まっているだろう。人に自分の想いを伝えるのは初めてだ。
「……はい。どうか私をお側においてくださいませ。私もローレンス様をずっとお慕いしておりました」
「ありがとう。苦労をかけると思うが、それでも私はあなたを必ず幸せにすると誓おう」
ローレンス様は蕩けるような笑みを浮かべると私を壊れものを扱うように優しく抱きしめた。背を撫でる手は大きく、慈しんでいるように感じた。私は人は喜びのあまりに涙を流すことを知った。せっかくアンヌが施してくれた化粧が台無しになってしまうことも失念し彼の胸に頭を預け、思わぬ僥倖に心を震わせ幸せを噛みしめる。
幾ほどの時間が経ったのか、ようやく落ち着きを取り戻すとアンヌが苦笑いをしながら化粧を直してくれた。その瞳は涙が滲んでいた。
私が身なりを整えている間、ローレンス様は隣で今までの話をして下さった。正直、化粧を直している姿を見られるのは恥ずかしいが、それ以上に彼の側にいて彼の声を聞いていたかった。
当初は、先の国王を討ったら私を祖国に帰すつもりでいたらしい。酷く荒廃してしまった国を建て直すことは大変だ。それに私を付き合わせることは出来ないと思って下さったようだ。ところが祖国の状況も芳しくなく帰せそうもない。とにかく国内の安全が確保できるまではと塔に閉じ込めていたそうだ。その後私の世話をするアンヌから私が一心に祈りを捧げているという話を聞き、心を打たれたと照れながらおっしゃった。アンヌは私の初恋の話もしてしまったらしい。どうにも恥ずかしくて困ってしまう。
「幼く愛らしかったマルガレットが美しく優しく聡明な女性になってこの国に来てくれた。そして民の為、健気に祈りを捧げるあなたを愛しく思うのは当然だろう? なによりその祈りでこの国の大地に息吹を取り戻してくれた。あなたには心から感謝をしている。苦難の中、あなたの存在がどれほど心の支えになったのか言葉では言い表せないほどだよ」
無力だと思っていた私の祈りがローレンス様のお役に立てたことが嬉しくてたまらない。
宰相が顔を出し婚姻式の時間だと私たちを促す。宰相は私の顔を見るとニコリと笑んで頷いてくれた。彼は最初から味方だったのだ。あの時も私を守ってくれていたのだろう。今は感謝を込めて私も頷き返した。いずれ改めてお礼を言いたい。
ローレンス様と私は厳かな教会の大聖堂で永遠の愛を誓った。死が二人を分かつその時まで彼の隣にいられるのだ。なんて幸せなのだろう。ローレンス様が生きていて私は彼の花嫁になれた。私は幸せにも果てがないことを知った。
これから私はこの国をローレンス様と共に導いていく。まだまだ復興間もないこの国を立て直していくことは困難が多いだろう。それでも二人一緒ならばきっと乗り越えられる。私はこの国に来てからずっと塔の中で祈りを捧げてきた。だけどこれからはローレンス様の隣で祈り続けるだろう。
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その後、新に即位した王と王妃の治世は驚くほどの速さで安定し穏やかな暮らしを民に与えた。豊かな大地で民は幸せの歌を口ずさむ。それを叶えたのは巫女である王妃が真摯な祈りを捧げ女神様より多大な加護を得たからだと言われている。女神様に愛された巫女のいる国は安寧が約束され豊かな御代となる。
仲睦まじい国王夫妻は3人の子宝に恵まれ次代となった王子も父に倣い善政を敷いたと言い伝えられている。
お読みくださりありがとうございました。
誤字脱字報告にも心から感謝申し上げます。