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2.孤独

 婚姻先の国に移動するための馬車は王家の紋章こそあるが質の悪いもので揺れが酷かった。ガタゴトと揺れる馬車の中から見える自国の街並みはとても美しく田畑も良く実っている。だが民の顔は一様に暗く私の心を重たくさせた。これほど豊かな国なのに税が重すぎて民の生活が苦しいのだ。私に力があれば……。せめて私が嫁ぐ事の意味があればいいと願わずにはいられなかった。

 

 国境を越え馬車の窓から外を眺めれば目的の国の大地は酷く荒れていた。土は渇き植物を目にすることが少ない。やせ細った民が道端で横たわっている姿を度々見かけた。自国とは違う意味で悲惨な状況に目を背けたくなる。


 この国の巫女は祈りを捧げていないのだろうか。父はこの国から本当に援助を受けるつもりなのか。この国こそ援助が必要に見えるのに。私はこのような悲惨な状況の民を放置するような王が許せなかった。

 そして暗澹(あんたん)たる思いのまま馬車は王宮に到着した。


 案内された王宮の中はあまりにも煌びやかで、先程馬車の中から見た国と同じ国だとは思えなかった。


「ほう、なかなか美しいではないか。苦しむ顔はより美しいに違いない。どんな悲鳴をあげるのか楽しみだ。そうだな、結婚式は1か月後に行う。それまでその身を磨いておけ」


 腹を突き出した脂ぎった男が下卑た笑いを浮かべ言った。王の両脇には若く美しい女性がもたれかかっている。公の場でこのような振る舞い……これがこの国の王だというのか。民を守り国を導くべき人間には到底みえない。謁見を終えると私は客室へと案内された。


 私はあの男の妃となり生活することに耐えられるのだろうか? 不安とも恐怖ともいえる感情で胸が押し潰されそうだ。


 しばらく部屋で休んでいるとマーサがこの国の侍女から話を仕入れて来てくれた。

 私は身を乗り出した。ずっと初恋のあの方がどうなったのか気になっていたのだ。本来なら彼こそが正当な王位継承者で王となっていたはずだった。それなのに愚王が玉座にいる。頭をよぎる最悪の予想を裏切ってほしいと切望していた。


 マーサの言葉によれば、私の初恋の王太子殿下は数年前に父である国王陛下と共に当時の王弟殿下の反逆により討たれ亡くなっていた。そのときの王弟殿下が現国王だ。国王は彼の命を奪った……私にとっては仇同然だった。国王にはすでに30歳を過ぎた息子がいて王太子となっているが、国王は権力を手放さず譲位はしそうにない。後宮にはたくさんの若い女性を囲い金を湯水のように使い、そして(まつりごと)は宰相に丸投げしているそうだ。私はそのような男の妻にならねばならないのだ。心が絶望に染まっていく。


 「そう、前王太子殿下は亡くなられたのね………」


 彼はもうこの世にいない。そのことが私から気力を奪った。どんな形でも生きて会いたかった。

 もし、もしも母が健在であれば。もしも謀反などなくあの方が生きていれば私の運命は違ったのだろうか……。いや、考えても仕方のないことだ。

 どのような事情で迎えられようとも民にとって私は新たな王妃になる。それならばせめてその民の為にこの国の豊穣を祈りたい。荒れた大地に再び緑を願う。無力な私にできるたった一つのことをしよう。そう気持ちを奮い立たせた。


「マルガレット様。今日はお疲れでしょう? 湯浴みをしてお休みになってください」


「ええ、そうするわ」


「眠る前に飲んでくださいね。このハーブティーを飲めばぐっすり眠れますよ。」


 心を落ち着かせるためのハーブティーをマーサが用意してくれていた。異国に一緒に来た彼女だって不安でいっぱいなはずだ。それでもこうやって気遣ってくれることに心から感謝した。


「ありがとう。あなたもゆっくり休んでね」


 マーサが退がるのを確認すると私はベッドの横の床に膝を突き両手を胸元で組むと目を閉じた。窓から月明かりが私を照らす。


 女神様。明日からはこの国の民のために祈るとお約束します。

 ですが、今夜だけ……今夜だけはお慕いしていた王太子殿下のためだけに祈ることをお許しください。私は今だけは国でも民でもなく一人の女性としてお慕いしていたあの方のためだけに祈りたいのです。


 マルガレットの頬には瞳から溢れた涙が伝い、止まることなく流れ落ちていく。悲しみの涙がポタポタと床を濡らしていく。ただ輝く月だけがその姿を見ている。


 優しいあの方の魂がどうか心安らかでありますように。

 あの方の魂に与えられる次の世界があの方にとって穏やかで優しいものでありますように。

 そしてもし叶うなら私が死したときに再びあの方の魂と巡り合えますように。


 時間が経つのも忘れマルガレットは心の限り祈り続けた。

 どれほど経ったのだろうか。部屋の扉の前で人の小さな声が聞こえる。マーサが私の様子を心配して見に来たのだろうか? だが低い声が耳に入った。


 何か胸騒ぎがして咄嗟にベッドの下に身を潜めた。扉が開くと大股な足音が近づいてくる。これは侍女ではない。男の歩く音だ。恐怖に身をすくませ体が震えぬように歯を食いしばる。


「王女? 寝ているのか?」


 バサッという音と男の舌打ちが聞こえる。


「いないではないか? おい、侍女」


「はい。王太子殿下」


「王女がいないぞ。どういうことだ? 眠り薬は飲ませたんだろうな?」


「あの……、はい。間違いなくお茶に入れました」


 マーサの狼狽える声が聞こえる。


「ッチ。おい。今すぐ探し出せ。父上の手がつく前に可愛がってやろうと思ったのに予定が狂ったではないか! 見つからなければお前に金は払わぬ」


 私はベッドの下で青ざめていた。たった一人異国へとついて来てくれた信頼を寄せていたマーサに裏切られたのだ。彼女は王太子に私を売ったのだ。二人が私を探して部屋の中を忙しなく動いている。うっかり声を出してしまわないように両手で口を押さえた。心臓がドクドクと荒々しい音を立て耳にもこだまする。もし見つかってしまったらと思うと恐怖と絶望のあまりに死んでしまいたくなる。一体私に何の業があってこんな目に合わねばならないのだ。

 

 そのとき突然老齢の男性の鋭い叱責するような声が聞こえてきた。


「王太子殿下? こちらで何をされているのです? ここはマルガレット王女殿下の部屋です。今すぐに出て下さい。さもなければ陛下にご報告致しますぞ」


「待て! 父上には言うな。すぐに出ていく」


 狼狽える王太子の声が聞こえる。部屋に誰かが来て王太子を追い出してくれたようだ。王太子と侍女の慌てて出ていく足音が聞こえる。追い出してくれた男性にお礼を言いたくもあったがその人が味方かどうか判断できない。いや、この国に自分の味方がいるとは思えない。私はただ息をひそめるしかなかった。暫くするとその人も部屋を出ていった。そして外から鍵をかける音がした。


 恐ろしさのあまりしばらく動けずにいた。ようやくベッドの下からはい出したがショックのあまりに立ち上がる事もできない。悔しくて涙がこぼれる。なぜこのように軽んじられ尊厳を無視するような扱いを受けなければならないのか。そして信じていたマーサの裏切りはとても堪えた。この国に、いやこの世界に私の味方は一人も存在しないのだ。


 その事に気付くと私の心の糸がプツリと切れた。そしてどうしようもなくここから逃げ出したくなった。

 

「ああ、いやいやいや…………もう……耐えられない」


 私は国王の妃となりあの男と夫婦にならなければならないのだ。しかも王太子は夜中に忍んで来るような獣だ。

 あの幼い日から私の心の中で結婚したいと思い描いていたのはお慕いした王太子殿下だけだった。たとえ国のためでも民の為でも他の男性など嫌だ。王女として許されない考えであってもお慕いする殿下以外と触れ合うなど受け入れがたい。王族の務めだと自分に言い聞かせ誤魔化すことももう出来ない。それもよりによってあの方を殺した憎い相手との婚姻など耐えられない。私の運命はなんて残酷なのだろう。

 現実に向き合ったことで嵐のように激しくマルガレットの心は荒れた。


 マルガレットは失意のあまり、これ以上祈ることもできぬまま一夜を明かした。

 分かっている。自分はここから逃げる事はできない。この運命を受け入れるしかないのだ。分かっていても受け入れることは難しい。

 翌朝、自分で身の回りの支度をして気が抜けたようにぼんやりとしていると宰相が訪れた。


「おはようございます。王女殿下には部屋を移って頂きます」


 この声は昨夜の……。宰相だったのか。彼は味方なのかそれとも……。


「昨夜は王太子殿下が大変申し訳ありませんでした」


 宰相は無愛想だが頭を下げ謝罪をしてくれた。私は何と返事をして良いか分からず戸惑い、結局黙ったままだった。お礼を言わなくてはと思ったがまだ心が散り散りに乱れ思うように言葉が出なかった。

 彼はきっと私を助けてくれたのだろう。味方と思ってもいいのかもしれない。安易だと思うがそう思わなければ心細くて狂ってしまいそうだった。


 そして宰相に連れて行かれた場所がこの塔のてっぺんだった。




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