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「時に妹よ。お前はなんでそんなに薄汚れているんだ」
兄が眉を潜めるのも無理はない。今の私は、頭から砂をかけられている上、スカートなんかにも直接砂をかけられているから、端から見ただけでも一目瞭然で分かるくらいには汚れていたからだ。
「!そうだ!エミリちゃん、上着を脱いで」
「え……?」
時間がないので返事を待たずに、私はエミリちゃんの上着を脱がせた。
(……なんか追い剥ぎみたい。でも、あの生き物がエミリちゃんに向かったってことは、エミリちゃんにもリディガー様が言う匂いがついてるかもしれないから……)
「お兄さまも上着を脱いで!」
「お、おい!」
兄の上着も問答無用で脱がせると、私はエミリちゃんの頭から兄の上着を被せて、上着ごと髪をかき回す。ついでに、兄の上着をタオルのようにして、腕やスカートをぬぐった。匂いがエミリちゃんについているなら、兄の上着に移るように。
そしてそのまま、兄の上着とエミリちゃんの上着を持って、生き物の方へ走る。
生き物は喉を鳴らして、何かを探すようにしている。侍女二人についているという匂いを辿ってるんだろうか。
そりゃ、これだけ人がいれば紛れもするだろう。侍女も、見つからないように上手く人混みに隠れているし。
(でも、自分のことしか考えてなさすぎるでしょ!命かかってるし、しょうがないかもしれないけど!でも!)
もし、侍女についている匂いが他に移って、その人が襲われたらどうするつもりなのか。
(……)
私は、生き物に兄の上着を投げつけた。生き物の視線は、そのまま、私が持っているエミリちゃんの上着へ移る。
「っ!リーリア!」
私が何をするつもりなのか分かったらしい兄が怒鳴るように私を呼んだ。
でも、だって、匂いのことを知ってしまったんだから、無視なんて出来ない。
「こっちに来なさい!」
生き物が上着を追いかけるように足を踏み出したところで、私は走った。もう、走ってばっかりだ。
うまい考えなんてない。一先ず、講堂から生き物を出さなければと必死だった。
(うう。また囮……っ、絶対、兄にすごい怒られる……!)
それから、怒った顔の皇太子の顔が思い浮かんだ。ああ、皇太子にも怒られるかもしれない。咄嗟にそう思った。
そのときだった。
「全く。どこの国でも、男どもときたら、なってないわね」
凛とした声が、いやに響いた、その瞬間。
この世の終わりのような断末魔が響いた。
「────!!!」
「?!」
思わず足を止める。
肩で息をしながら、私はその光景を、呆然と見るしかなかった。
「お嬢さん、大丈夫?」
見間違いようもない。
美しいドレスを膝まで裂き、どこから出したのか、ものすごく物騒な武器片手に、頬についた返り血を勇ましくぬぐい、更に、どこぞのイケメンよろしく、力が抜けてしゃがみこんでしまった私の方へ手を差し出したのは──隣国の王女、マリアテル・イーリン・スティアラ、その人だった。
「……」
(えっと……隣国の王女ってあれよね?美しいお顔に可愛らしい声で、初対面なのにお粗末とか言ってくれたあの人でしょ?本当に……?)
姿以外が別人過ぎて困惑するしかない。
このイケメンは一体……?
無視するわけにもいかないので、大人しく手を取る。のと同時に、何かがぶつかってきて、私は再び床にしゃがみこんでしまった。
「えっ、エミリちゃん?!」
「この、ばか!ばかばかばかぁっ!」
ぶつかってきたのは、エミリちゃんだった。令嬢にあるまじきくしゃくしゃの顔で、泣きながら怒っている。
「エミリちゃん……」
「あんた、ノープランだったでしょ!」
「うっ」
図星だった。とにかく生き物を講堂の外に出そうと、それしか考えていなかった。
「あ、あのね、エミリちゃん」
「なに考えてるのよ!へたしたら、し……っ、死んじゃってたかもしれないのよっ!」
「……」
言い訳も出てこなかった。その通りだったからだ。
相手は得体も知れなかった生き物だ。捕まっていたらどうなっていたのかと考えると、ぞっとする。
「ご……ごめんなさい」
素直に出てきた謝罪の言葉だった。
エミリちゃんは、口をひん曲げて更に言い募る。
「もっと反省して」
「うん……」
流石に今回のノープランはまずかったと思ったので、これにも素直に頷いた。
「あははははっ!」
そして、隣国の王女にものすごい勢いで笑われた。
いや、そんな面白いところが、今のやり取りのどこにあったの?
思わず怪訝な顔で王女を見てしまったけど、王女は特に気にした風もなく笑っている。
「はー、さっきまであんなに勇ましくあのおかしな生き物と対峙していたのに、今は子どもみたいね。ふふ、可愛らしいこと。怪我がなくて、本当によかったわ。ね、そう思いませんこと?皇太子殿下」
「え」
隣国の王女が視線を向けた先に、皇太子がいた。さっきよぎった皇太子の怒った顔は、走馬灯とかじゃなくて、本物だったようだ。
「……」
「……」
あと、その斜め後ろくらいに兄がいる。私の視線に気付くと、肩をすくめた。大方「言いたいことは全部アーデム嬢に言われてしまったよ」といったところだろうか。いやいや、後で絶対説教するくせに。
「……」
皇太子は無表情で隣国の王女へ近づくと、おもむろに頭を垂れた。
ざわっ。生き物が倒された時に静まりかえっていた講堂内が、ざわめく。
「マリアテル・イーリン・スティアラ王女。此度の尽力、感謝する。おかげで、怪我人を出さずに済んだ」
「いいえ。それで?この騒ぎを起こした悪い子は見つかりましたの?」
「……ああ。それと、貴方の侍女も、やはり……」
「そう……残念ね。サラ、エレーナ」
凛とした声が響く。しばらくして、侍女の二人が、おずおずと、人混みから出てきた。そして、隣国の王女の足元にひれ伏す。
「お、お許しください、マリアテル様!」
「私どもは、騙されたのです」
「はいはい。安心して、話はゆっくり聞いてあげる」
「マリアテル様……っ、」
きらきら期待に満ちた顔が上がる。隣国の王女は笑顔で言い放った。
「この国の、騎士たちがね」
ざっ、と侍女二人の顔から血の気が引く。
そして、絶妙なタイミングで、講堂に沢山の人が入ってきた。この国の紋章を掲げる、恐らく皇宮の騎士たちだ。
「……連れて行け」
皇太子の硬い声に合わせて、騒ぐ侍女たちは騎士たちに連れて行かれた。
(なにがどうなってるの?)
混乱したまま、私──と、エミリちゃん──が騎士たちの背中を見送っていると、困った顔の皇太子が近付いてくる。
「リーリア」
「……殿下……あっ!セルシア様が!」
「……そう言うと思って、すでに保護しているよ。君に会いたがってたけど、今日はもう皇宮の騎士たちと共に戻ってもらうことになる」
「……そうですか」
会えないまま別れるのは残念だけど、よかった。よく分からないまま、放置してしまったも同然だったから心配だったのだ。騎士たちと一緒なら、無事に皇宮まで辿り着くだろう。
今日は本当に、思いもかけないことに巻き込まれ過ぎているから、ゆっくり休んで欲しい。
「……あ、の……」
「……」
咄嗟に、名前が出せなかった。
セルシア様と一緒にいてくれたはずのリディガー様は、どうなったのだろうか。
「……とにかく今日は、君たちも休んで」
「……殿下、」
「詳しいことは、また、明日、話すから」
「……」
「医務官を手配したから、腕も、ちゃんと診てもらうんだよ」
そんなの、殿下こそ、と思ったけど言えなかった。
皇太子が、困ったような顔のままでひとつ笑って、隣国の王女の元へ行ってしまったからだ。
「……」
兄を見たけど、兄はさっさと生徒会の面々に指示を出して、講堂にいる生徒を誘導している。文化祭どころではないので、誘導先は各自の寮だろう。
「エミリちゃん」
「なに?」
「疲れたね」
「……そうね」
「文化祭、なくなるのかな……」
「そうかもね」
「……」
「あんただけのせいってわけでもないだろうけど、あえて言うわよ」
「……」
「あんた、本当に、運がないわよね。なんでもかんでも巻き込まれてるし」
ですよねー……。
その言葉は、声にならなかった。




