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ざっ、と血の気が引く。
そうだ、これがいるから、私たちだけでもと脱出することになったんだった。
私は積み上がった壁の残骸を見つめる。
(狭いからこいつは入って来れないって言ってたのにー!)
ソフィレ様も、まさかこの生き物が壁を壊してまでここへ来るとは、流石に予想も出来なかっただろうから、これは私の責任転嫁だ。でも、言いたくもなるというものだろう。
生き物はぐるぐると喉を鳴らしている。これは、威嚇されているんだろうか。
「っ、どうして、こいつがここに!」
侍女の一人が叫んだ。
あまり刺激してほしくないんだけど……!そう思った時には遅く、侍女は二人して、騒がしく喚きながらこちらに背を向けて逃げ出してしまった。
「───!」
それによってか均衡が破れ、生き物が私たちの方へ向かってくる。
「こちらへ!」
気付いたときには、リディガー様に引っ張られていた。
そのまま手を引かれ、侍女が逃げ出した方へ走る。
「セルシア様!」
「大丈夫、ついてきてます!」
リディガー様が叫ぶ。その言葉通り、リディガー様の反対の手は、セルシア様の手を握っていた。
「奴は壁へ突進しました。今のうちに走りますよ!」
先程までの様子はなんだったんだ、と思うくらい、リディガー様はリディガー様だった。兄に怒ってた、そのままのリディガー様だ。
(やっぱり、潜入してるとかだったのかも……)
手を引かれたまま走っていると、階段のようなものがあって、それを駆け上がる。
そうして、ようやく地上へ出た。
「はぁ、はあ……っ!」
座り込んで、息を整える。よく見ると、先に逃げ出していた侍女二人も、座り込んで息を整えていた。
「もう!なにが、どうなってるの……っ?!」
混乱が、そのまま口をついて出たのと、ぐいっ、と手を引かれたのが同時だった。
リディガー様の顔が見えて、手を引いたのはリディガー様だと分かった瞬間、頭から砂をかけられた。
「……?!」
その、あんまりな行動に、言葉を失っていると、更に肩に、スカートに、と砂をかけられる。
「……ソフィレ嬢に、触られたところはありますか?」
「……?」
どうしてここで、ソフィレ様の名前が?
そう思った瞬間、不穏な鳴き声とともに、地面を押し上げて、生き物が出てきた。
咄嗟に立ち上がろうとした足が縺れる。
まずい、と思ったとき、リディガー様が私の肩を押して、地面へ伏せさせた。
「皇女殿下も、伏せてください!」
これまでのリディガー様の行動に、私と同じく言葉を失っていたセルシア様は、その言葉に、なんの反応も出来ず、座り込んだまま、身体を強張らせる。
その頭上を、生き物が通った。
「っ!?」
生き物は、そのまま私たちを通り過ぎて、侍女二人の前へ降り立つ。
「いやぁあ!!」
そして、再び逃げ出したその背を、追いかけて行った。
「……な、なんで……?」
「……恐らく、奴が好む匂いを、つけられているんです。貴方についていた匂いは、砂で誤魔化したので、あの二人を追っていったのでしょう」
「……」
淡々と話すリディガー様を、信じられない思いで見つめる。言いたいことは山ほどあったが、考えるより先に、身体が動いていた。
「なら、あの二人にも教えないと!」
言葉と同時に走っていた。色々なことを考えている暇がない。とにかく、今知ったことを、侍女二人に伝えなくては。
「セルシア様はリディガー様とそこにいてください!リディガー様!もし、セルシア様になにかあれば、お兄さまと一緒に、貴方を殴りますからね!」
リディガー様とセルシア様を二人残して行っていいものかとも思ったけど、助けてくれたからには、とりあえず危害を加えるつもりはないのだとみなした。今は、侍女たちだ。
生き物に追われた侍女二人が向かう先に講堂が見えた時には、生き物は壁を破っていた。二人は講堂に逃げ込んだんだろう。
そして、多くの悲鳴が飛び交うのが聞こえて、生徒たちがそこに集まっているのを知る。
「知らなかったとはいえ、よりによって、皆が集まっているところに逃げ込むなんて!」
必死だったのは分かるが、なんてことをしてくれたのだ、と思う。これでは、怪我人が出るのを防ぐなんて、断然難しくなってしまった。
「いやぁっ!なんなの!こんなの聞いてないわ!」
侍女が喚く。そして、講堂中に、叫び声が響いて、なんというか阿鼻叫喚だ。
そんな中で、生き物はぐるぐる喉を鳴らし、ゆっくりと視線を巡らせている。その視線が止まり、その先が分かった時、私は講堂に入ったばかりだった。
「ま、さか……?」
生き物が鳴き声を上げて、飛びかかる先。そこにいたのは、身体を膠着させて目を見開いていた、エミリちゃんだった。
「っ、逃げて、エミリちゃんっ!!」
私の声が届いたのか、エミリちゃんがびくりと身体を揺らす。生き物は目前に迫っている。今から動きだしても、間に合わな──。
(エミリちゃん──!!)
大きな音がして、生き物が壁に突っ込んだのだと知る。
「……!!」
だが、エミリちゃんは、そこにいた。いつの間に現れたのか、兄に抱えられて。
(兄、ナイス!)
「エミリちゃん!お兄さま!!」
「いやぁ、なんなんだ全く……アーデム嬢、大丈夫か?」
「あ、えっと、はい……」
エミリちゃんは、抱えられていたのをゆっくり降ろされると、へなへなと座り込んでしまった。咄嗟に手が出るけど、兄の方が早い。
つい、憎らしげに見てしまった。兄が助けてくれなければ、エミリちゃんは大変なことになっていたとは理解しているけど、それとこれとは別である。
「……お兄さま、どうしてここに?」
「ん?落ちたお前たちを探しに地下通路に向かう途中で変な声がしたもんでな。嫌な予感がして戻ったんだよ」
「……」
「こういう場合、我が妹は大抵おかしなことに巻き込まれているからな。そうしたら、あの生き物が講堂に向かってるじゃないか。それで、慌ててここに来たというわけだ。いやあ、間に合ってよかったよ」
兄が、にやりと笑う。
「いやぁ、お前の運のなさも、たまには役に立つもんだな」
「……色々と失礼極まりないですけれど、今回はエミリちゃんを助けて下さったので水に流しますわ、お兄さま」
足を踏みたいのも山々だけど、我慢する。
兄は私に見せつけるようにわざとらしく笑っていたけど、す、と笑みを消した。
「……まぁ、あれをどうにかしない限り、どのみち完全に助かったとは言えないけどな」
視線の先には、未だぐるぐる喉を鳴らす生き物がいる。
もう、本当に、あれ、どうしたらいいの?!




