兄、げんなり
──帰っていいだろうか。
ここが寮の自室であることは十分分かっているが、それでも、アヴェル・エルディは切実にそう思った。
「……えー、それで……話をまとめると、我が妹が、皇太子殿下を避けているんではないか、と?」
「……そこまではっきりとは、言えないが」
皇太子は言い淀んだが、長々と話を聞いているかぎり、そうとしかまとめられなかった。全く。最初からそう言えばいいものを。
それにしても、どいつもこいつもどうして自分に話をしに来るのか。アヴェルは溜め息を押し殺す。
可愛い妹の話ならいくらでもなんでも聞いてやるが、可愛くもなんともない野郎の話を聞いても、こちらには得にもなんにもならないというのに。
「それはそれは、我が妹がご無礼を……」
「……アヴェル。分かって言っているだろう」
はあ、真面目に聞きますとも。
「そもそも、妹と殿下は学年が違うでしょう。避けるもなにもありますか?」
「……学園を案内すると、誘ったんだ」
「あー……」
そういえばロイから聞いたような。
何度か妹に連れられずに一人で生徒会室へ来ていた時だ。基本的に妹の護衛みたいな役割を宛がっているつもりだったので、どうして一人なんだと問い詰めた。
『……邪魔者はいないほうがいいと思って……しかも、最後は寮まで送ってくださると言うんで。俺は必要ないでしょう』
ロイは哀愁を漂わせて言ったのだった。
あと、妹がちょっと文句を言っていたんだった。皇太子が迎えにきて目立っていると。
「……何日かかけてご案内いただけたようで」
「……」
「まぁ、妹は基本的に方向感覚が皆無なので、どれだけ案内しようが迷いますがね」
「アヴェル……だから、分かって言っているだろう?」
「……」
まぁそうですよね。案内が第一の目的ではないのだから、そこはどうでもいいですよね。
「……問題は、案内を始めてすぐの頃だ」
ある女子生徒が、妹について回るようになったのだという。それも、皇太子が声をかける絶妙なタイミングで。おかげで、毎度毎度三人で学園を回る羽目になるのだと。
「……なにが問題なんです?言わせていただければ、妹と二人きりだった頃の方が、兄としては問題なんですが」
「……そこはすまない。配慮が足りなかったと思っている」
「……まぁ、うちの愚弟が毎度よく分からない気を回すせいなのでいいんですが。それで?なにが問題なんです?」
「……」
問題は、妹が気を回してなのか、途中途中、もしくは女子生徒が合流するタイミングで、身を引くことなんだという。
「……」
「……毎度毎度、ぎこちない顔で、用事を思い出したと、言うんだ」
そりゃ、その女子生徒は、多分妹をだしに皇太子へ近付こうとしている輩だろうから、嬉々として妹を送り出すだろう。結局、皇太子はその女子生徒と二人で学園を回る羽目になる、と。
「はぁ。それは……」
妹よ。その振る舞いは、同じ男として同情を禁じ得ないぞ。毎度毎度思うが。
「……ついでに言うが、この間は手紙をもらったよ」
わざわざ呼び止められてなにかと思っていれば、嬉々として手紙を渡されたのだという。
「……それから、その手紙の相手がどういうご令嬢で、どういう風に渡してきたかをそりゃもう丁寧に話してくれるんだ」
「……」
「断ったけど、」
『うん、分かった。取り敢えずそれは、当人にきちんと返してきてよ。で、君は二度と、僕への恋文をもらってこないでくれるかな?』
『……あっ。そうですよね、本人からもらったほうがいいですもんね』
そうじゃないだろう。
アヴェルは、一瞬開いた口が塞がらなかった。それは、なんともまぁ。
「……おい。笑うところではないよな?」
皇太子に睥睨されたが、肩の震えは止まらない。これが笑わずにいられようか。
「安心してください。リーアは、殿下を避たいがためにそんなことをしているわけではありません。素でやっているんです」
「それはそれで、全く安心出来ないな」
そりゃまぁ。素で他人の恋文を渡すということは、相手に、全くもって興味がないということになるわけだから。
皇太子は息をついた。
「……はぁ……情けないな」
「……」
否定も肯定も出来ない、なんとも言えない表情になった。ただただ妹が厄介なだけである気もするので。
「……こうして避けられているんじゃないかと気にして……そのくせ、お前の義弟を牽制したりするんだから……」
牽制は自覚あってのことらしい。まぁあれだけあからさまなら当然か。背景が全く分からないロイが分かるくらいだから。
「……せっかく部屋まで来ていただいたのでお教えしますけどね。逆にそのくらいはっきりしないと、リーアにはずっと気付かれないかと思いますよ」
まずは、自分が恋愛に絡むような歳になったと自覚してもらわないと、話にならない。このままじゃ「もしかして、殿下は私のこと……」なんて、一生かかっても、思いもしないだろうから。
「まぁ、あまり急激にぐいぐいいって、嫌われないようにはしないといけないでしょうけどね」
「……」
皇太子は少々遠い目をした。まぁ、精々、扱い憎さ最高難度をどうにかしてほしい。遅くとも学園卒業までには。
「それにしても」
「なんだ?」
「……殿下がこんなに人間味のある方だとは思っていませんでした。子どもの頃は特に……」
皇太子という立場からか、本心が見えない貴族どもの腹のうちを、子どもながらに忌々しく思っていたんじゃないかと、思っていた時期があった。今はそんなに思わないが。むしろ、妹のせいでずっと同情している。
「……」
「……俺としては、いい変化だと思いますけどね」
それが我が妹によっての変化なのだから、なかなか愉快でもある。
だから。
「……少しだけ、俺からあれに、なにか口添えしましょうか?」
あれで兄には素直な一面を見せる可愛い妹である。だから、口添えというかたちで協力出来ないことはなかった。あくまで少しだけだが。
皇太子は一瞬悩むそぶりを見せたが、すぐに口を開く。
「……お前の弟に、変に牽制して悪かったとだけ、伝えてくれ」
「……承知いたしました」
アヴェルはにやりと笑った。そうこなくては。
万が一、妹が皇太子にころっといってしまったとき、応援が出来なくなるだろうから。




