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多分、追ってきてると思う。数分前振り返った先に、黒い影が見えたから。

今はどこまで距離を詰められてるか分からないけど、私は息も絶え絶えで、それでも走っていた。

今捕まってしまうと、助けも呼べないまま、影はセルシア様を探すだろう。未だに何が起きているのか分かってないけど、それだけは避けなければいけないのは分かる。


「……っ、はぁっ……!」


それにしてもドレスが重い。これさえなければ、もう少し早く走れるのに。そして、皇宮が広すぎるのも、最悪だった。


(私、どっちかというと方向音痴なのよね!こっちのほうに人がいなかったら最悪だわ!)


「だ、だれかっ!だれかいないの!!」


声を出した途端、背後から手が伸びて口を塞がれた。咄嗟に噛みつく。怯んだのか、引かれた手の方を向いて、私は頭突きをかました。

影が倒れこむ。その一連を見届けることなく、私はまた走った。


(こわすぎ……っ!!)


前世でもこんな目に遭ったことはない。日本は平和だったから。でも、ちょっとした護身術はならっている。日本の学校は、そういうのも教えてくれたから。

でも、9歳の身では頭突きが精一杯だ。だから、走るしかない。


「っ!!だれかーーッ!!」


その瞬間、再び背後から手が伸びた。そのまま床に引っ倒され、体重がかかる。

黒ずくめの男だった。目元だけが見えていて、その目が怒気をはらんでいる。


「ちっ、いつまでも手間取らせやがって」


とうとう捕まってしまった。こんなところで、皇女でないとばれるのはまずい。

私は頭から被っていた布が取れないように頭を抱え、もがく。びくともしなかったけど。


「大人しくしろ。痛い目をみたくなければな」

「っく、」


大人の力で押さえ込まれれば、もはや逃げることは出来ない。


(どうすれば……!)


「っ、『離して』!」


咄嗟に、日本語が口から出た。この国の言葉じゃない言葉。それに、背後の男は、怯んだように声を上げる。


「?!なんだ?」

「……!」


まさか、何かの呪文に聞こえたとか?この世界には、日本語は存在しないもんね。前、話しているところを兄に聞かれたけど、怪訝な顔をされたから。

一縷の望みをかけて、私は言葉を重ねる。


「『寿限無寿限無五劫の擦り切れ』」

「っ!!止めろ!何をやってる?!」


やっぱり何かの呪文だと思ってるらしい。手が緩んで、距離をとられた。

私はにやり、と笑って続ける。なるべく怪しく見えるように。ひきつりそうだったけど。


「『ABCDEFG!』」

「ひいっ!」


いや、ただのアルファベットですけど!

この世界には魔法はないはずだから、呪いかなんかと思ってるのかな。

続けていると、怯えてた男がぎっとこちらを睨み付けてきた。あ、やばいかも。


「お前ッ!!」


うわもうやばい!絶体絶命!前世今世含めて最大の危機!ピンチ!


「だれか……っ!!」

「リーアっっ!!」


声と同時に、目の前の男の顔に、何かが飛んできた。そのまま、後ろに倒れていくのを、ぽかんと見送ってしまう。


「へ……?」


振り返ると、ぎゅ、と抱き抱えられた。これは悪意あるものじゃない。というか、知っている体温だ。


「お、おにい、さま……?」

「リーア、リーア!なんだこれは。どういうことだ!」


兄だった。バタバタと走ってくるのは、皇太子だ。その後ろから、屈強な騎士たちが続く。た、助かった?


「お、にいさま、あの、」

「どうした?」

「あ、あの、皇女さま、が、衣装部屋の、ケースの中に、かくれてて」

「……ああ」

「あの、なんか、このくろい、ひとが、追ってくるから、二人で、にげて、でも、二人で走れないと思ったから、皇女さまに、かくれてもらって、わ、わたしは、人を呼んでこようと、それで、」

「分かった。とりあえず分かったから、落ち着いて息をしろ。大丈夫だ。皇女殿下は皇太子殿下が探して下さる。殿下、衣装部屋のケースだそうです」


最後の言葉は皇太子に言ったらしい。皇太子はこくり、と頷いてから、厳しい声で騎士数人を呼びつけると、黒ずくめの男を拘束してどこかへ連れていくよう指示する。

そして、衣装部屋の方へ向かうようだ。私はそれに声をかけた。


「で、殿下、あ、あの、」

「うん」


皇太子は、兄に抱き抱えられたままの私と目を合わせるように片膝をつく。そして優しい声で言った。


「どうしたの?」

「……せ、せるしあ、さま、は、中から開かないようにかくれて、ますから。こえ、声を、かけて、ください」


混乱したままだったのに、そのまま一人置いてきてしまった。さぞ心細い思いをしているだろう。


「……分かった」


皇太子は片膝をついたそのまま、私へ頭を下げた。


「エルディ嬢。妹を守ってくれたんだね。ありがとう。心から感謝する」


皇女のドレスを着て、頭には布を被っている私が襲われている状況で察したのだろう。

最上級の感謝の意だった。皇太子は「礼は改めて」と言い置いて、騎士を数人連れて今度こそ衣装部屋に向かった。

私がぼんやり皇太子を見送っていると、いつの間に脱いだのか兄の上着を肩にかけられる。そして、おもむろに抱き上げられた。


「へ?!」

「帰るぞ」

「……お兄さま」

「なんだ」

「重くないんですか……?」

「重くない。というか、お前は今、この状況で気になるのはそれなのか」


皇宮をすたすた進む。兄は別に人より身体が大きいわけでもがたいがいいわけでもないし、私もそんなに小さいわけじゃないので、こんな風に軽々と運ばれると不思議な感覚だ。

でも今は離して欲しくなかったから、いつもなら恥ずかしくて下ろしてと言うところで、その言葉が出てこなかった。しばらくは、このままでいたい。


「……お兄さま」

「なんだ」

「さっき、なに投げたんですか」

「さぁ?適当に掴んだから分からなかった」

「はあ……」


そういえば、私も分からなかった。なんだろう。何を投げたんだろう。

高価だったり、貴重だったりするやつだったらやばくない?いや、でも、緊急事態だったわけだから見逃して欲しいと思う。切実に。


「……リーア」

「はい?」

「お前が前に、聞いたこともない言葉で喋っていたのを、聞いていてよかったと、お兄さまは心底思った」

「……」

「全く、肝が冷えたぞ」

「……」

「お前が無事でよかった」


あ、だめだ。


「う、うぅううう"っ~!」


堪えていたつもりはない。絶体絶命のピンチから思いもかけず助かって、放心していただけで。

でも、あくまでも優しい口調の兄の言葉で、色々なものが決壊してしまった。


「うわぁああん!」


私は兄にしがみつく。怖かった。ものすごく怖かったのだ。だから、よかった、助かって!本当に、助かった!

いい年をした令嬢が大きな口を開けて大泣きしているのだから恥ずかしいだろうに、兄は私を力強く抱き締めてくれた。普段意地悪なくせに。


「頑張った。お前は頑張った」

「ひ、に、あぶら、を、そそがないで、ぐだざいまぜぇ~っ!」

「知らん。頑張った妹に、頑張ったと言うのの、なにが悪い」

「ぅうううっ、お、に"いざま」

「なんだ」

「せるしあ、さまの、ところに、い"ぎだぃでず、」

「……じゃあ、そうしよう」


うわぁ。兄がものすごく優しい。ここまで歩いてくれてたのに、文句も言わずまた引き返してくれるのだから。しかも、ぴいぴい泣きわめく妹を抱き抱えながら。


「お、に"、さま、」

「なんだ」

「きてくれて、あ"りがとぅ……っ」

「……当然だ、馬鹿者」

「ふふ……っ、」


やっぱりこうじゃないと、兄じゃないかも。私は思い切り泣きわめいて、思い切り吹き出した。





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