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仮入部

三人で4階の音楽室に向かった。これまで放課後直ぐに帰宅していたので新鮮だ。


音楽室は一年生の教室と同じ階にある。遠目からでも音楽室の扉が開放されているのが分かる。複数の楽器の音が聴こえてきていた。


扉を入って直ぐの所に受付が設けられており、案内に添って受付用紙に氏名とクラスを記入した。


中は防音壁になっており窓が無い。室内は広々としており、部員は前の方にパート毎に別れてこちらを向いて座っていた。黒のスラックスに黒のシャツといったシンプルな出立ちだ。


仮入部生を歓迎する演奏を始めるのか、それぞれがチューニングをしていた。


向かい合う様に鑑賞席が設けられており、仮入部生20名程が座っている。損害それでもまだ少し余裕があった。三人で横並びになれる席を探し腰掛けた。


向かって左サイドには打楽器が並び、右サイドには低音楽器であるチューバ、コントラバスが並ぶ。最前列をクラリネット、フルート、その後にサックス、オーボエ、後ろにホルン、ユーフォニアムと並び最後尾にはトランペット、トロンボーンが並んでいた。


知らない人ばかりの中、長身で黒縁メガネの岸上先輩は一際目立った。トロンボーンの3rdを担当しており、向かって一番右端に座っていた。


譜面台の上の楽譜を確認しながらスライドを動かしていた。トロンボーンの演奏者は1stが女子学生が1名、2ndが男女1名ずつ、3rdと並んでいる。


サックスの座席の場所から指揮棒を持った女子学生が立ち上がり中央に進み出て指揮台に上がった。マイクを手に取り室内の学生に呼び掛ける。


『皆さん、こんにちは。言の葉学園吹奏楽部学生指揮を務めております。サックスパート三年の三宅葵です。本日、吹奏楽部仮入部の場にお越し下さり有難うございます。一同心より歓迎しております。皆様に昨年度東北大会に輝いた課題曲と自由曲をお届け致します。どうぞお聴き下さい。』


一斉に拍手が巻き起こる。


それに応える様に三宅さんは丁寧なお辞儀をしてからバンドの方に向直る。課題曲は元気で明るいマーチ調の曲だった。澄んだ伸びやかな音が耳に優しく響く。繰り返されるメロディーは印象的で切なくもあった。


自由曲の方は打って変わった技巧的な早いパッセージの曲だ。現代音楽的な要素も織り交ぜられており、盛り上がりの嵐を思わせる場面ではそれぞれの楽器が絡み合う様に重なり合い複雑な様相であった。息の合った素晴らしい演奏だ。


言の葉学園の吹奏楽部も支部大会に進む常連校とは知っていた。希乃華の通っていた学校も東北大会に行く常連だった。ブロックが違うので県大会までは一緒になることは無かった。実は部員はコンクール時は他の学校の演奏を余り聴くことが無かった。いつも地区大会や県大会、支部大会では演奏の1時間半前まで学校で練習をし、演奏が終われば先ずは楽器の片付けと楽器を会場から学校まで運搬するトラックへの詰め込み作業を行う。全て終えてから会場に戻っていたのだ、演奏順位が近く前の方であれば、舞台裏から演奏を聴くこともあるが、トラックの都合により直ぐに学校で楽器を受け取る場合は楽器を受け取り、音楽室まで運ぶ者が必要となる。担当となった場合早々に帰校していた。


曲が終わると一同立ち上がり深く一礼する。拍手喝采となり、それが次第にアンコールを求める合いの手ニ変わってゆき、いつまでも鳴り止まない。三宅さんはマイクを手に取り再び挨拶する。


『有難うございます。アンコールでお送りする曲はエル・クンバンチェロです。指揮は引き続き三宅がお送り致します。この後は楽器別での体験会を1時間程予定しておりますので、再度のアンコールのお応えは出来ませんが、ご了承下さい。』


拍手喝采と喜びの声があちこちから出る。


ラテン調のパーカッションの響きから始まる。男子トランペットパートにいる男子学生と、ホルンパートにいる男子学生が立ち上がり、「オーッ、クンバチェロ!」「エル・クンバクンバチェロー!」と2回の掛け声が上がる。周囲から歓声が上がる。


手拍子が入り、全体での冒頭の部分を終え演奏するパートが立ち上がる。吹いてないパートのメンバー座って合いの手を打つ。立ち上がったメンバー曲が進むにつれスタンドプレイを始める。右に左、下に上に皆同じ方向に動かしたり、上下に互い違いで動いたり、ドミノが倒れる様に順番で向きを変えたりと楽器を動かしていく。波の様に大きなうねりを描きながら動いたりもしていた。途中軽妙な掛け声も入る。


希乃華も側で聴いていて心が躍り、楽しくて自然と手拍子が出て笑顔になっていた。演奏が終わっても興奮は冷めやらずいつまでも拍手をしていた。


こんな風にこの中で過ごしたい。けれど本当に体調を崩さずやっていけるのだろうか…。


中学での吹奏楽の活動はかけがえのない日々だった。生涯を通じての友人達も出来た。


悔やむべきは体調を崩しがちだった事だ。動機、息切れ、貧血、胃腸の不調と朝から昼にかけその症状は強く出た。朝、放課後、夜、土日、長期休みの練習に明け暮れる日々に身体が悲鳴を上げる様になった。


一度周囲の勧めもあり退部をしたが、喪失感や後悔から泣き暮らしてばかりいた。母から相談を受けた顧問や役員の先輩方の尽力で部活に戻り、希望を待ち過ごせる様になった。


周囲の理解があり三年間最後までやり遂げることが出来た。迷惑を掛けながらの活動で母や祖父母は肩身の狭い思いをした事だろう。


中学の思い出を胸に高校では、友人と緩やかな活動の漫画研究部に所属する事を決めていた。


長い演奏者方の一礼を後に拍手は小さくなっていく。三宅さんがマイクを手に仮入部生に声掛けをする。


『会場設営の為5分程休憩の後、16時35分には音楽室で楽器別体験会を始めます。どうぞご協力お願い致します。』


先程の余韻から動けず着席したままでいた。隣に腰掛けている兄から声が掛かかる。


随分時間が経っていたのだろうか兄の方を見ると仕方がないという様な顔で微笑んでいる。


『希乃華ちゃん、僕達も廊下に移動しようか。』


ぼんやりと辺りを見回せば、仮入部の生徒が室内から移動していた。


澄生さんも椅子から立ち上がりこちらに笑い掛ける。


『良い演奏だったもんなぁ。希乃華ちゃんは本当に吹奏楽が好きなんだな。』


そんな風に見えていた事に心の内を暴かれてしまった様で恥ずかしく顔が火照る。それを悟られない様にそそくさと立ち上がり音楽室を後にした。

 

限られた体験会の時間でトイレに行かないで済む様、休憩時間に済ませることにする。


トイレに入ると少女達の間で兄の事が話題に上がっていた。身の置き所がなく急足で個室に入り込む。


『音耀君って本当カッコ良い〜。吹奏楽部に入るのかな?』


『顔小さくて手足が長くて、肌も凄い綺麗だった。下手な芸能人より整ってるよー。』


『木管だからアンコンとかパート練とか一緒かな。』


『ねぇ、一緒にいた子再婚して出来た妹らしいよ。』


『えー、羨ましい〜。同い年なんだ。』


『でも、兄妹は嫌だなぁ。絶対恋愛対象にならないよ。』


『確かに。』


少女達は声を立てて笑い合う。


楽しかった気持ちが急速に萎んでいく。


兄の容姿は人目を惹き側にいる者の関心の対象となる。要らぬ詮索をされ嫉妬から悪意を放たれるかもしれない。その考えにゾッとする。もう沢山だ。中学での同級生とのやり取りを思い出し苦しくなった。


兄が苦手になっていったのには色々と理由がある。その一つが兄の容姿の良さだ。


何度も顔合わせをする内に、兄がテリトリー内に遠慮なく侵入して来る様になった。


中学校の文化祭や吹奏楽のコンクールにアンサンブルコンテスト、果ては毎年受けていたピアノのコンクールやピアノ教室の発表会にも現れる様になった。


次第に見聞きした同級生が騒ぎ立てる様になり、兄との関係や情報を問われる様になった。写真が欲しいとか、友達として紹介して欲しいとか。


母の交際相手の子でそこまで親しく無いこと、名前以外はよく知らないことを繰り返し伝えてもなかなか理解してもらえなかった。


終いには、顔合わせの日時と場所を教えて欲しいという子まで出て来た。


流石の事態に青褪め、母の心象が悪くなるので辞めてくれと断ったが、教えていない筈なのに、待ち伏せしたかの様にその場で出会すことや、部活動のコンクールや演奏会に交流が無い同級生が現れて友達だと嘯き兄に接触する様になっていった。


周りは勝手に兄を褒め称し、側にいる私を蔑んでいく。時には兄に冷たく当たられたのか鬱憤を晴らす様に冷たく悪様に言われたり、すれ違い様に強くぶつかられる事もあった。


何とか兄が訪れない様にしたかったが、母から演奏会やコンクールの情報を引き出す様で止めようが無かった。家族以外には恥ずかしくて聴かせられないと何度断っても母には通じず、上手だから大丈夫、家族になるのだから大丈夫としか返って来なかった。


学校生活にも多大な変化が現れ始めた。靴や傘、筆入といった私物を隠されたり、壊されることが出てきた。仲が良い友人が一緒に探してくれたり、悪意から守ろうと側にいてくれたお陰で心が折れずに済んだ。


貯めていた小遣いで買い足したりと何とかやりくりしたが、家族にすらなっていないのに、何故こんな理不尽な目に遭わなければならないのか納得がいかなかった。


日々をやり過ごし中学三年に上がる頃、母から信じられない一言が飛び出した。今でもあの日の事は忘れない。


『音耀君から希乃ともメッセをやり取りしたいって来てるんだけど紹介して良い?』


二の句を告げられず固まってしまった。そんなに親しくなっていたのかと。


『やっぱり恥ずかしいかな…。一応グループも作ってて。無理に発言しなくても大丈夫な雰囲気だし、招待するから気楽に入ってみない?』


『メッセでやり取りしてるんだね…。』


母の浮かれた様子に心に何かが重くのし掛かっていく。これ以上巻き込まれないように踏ん張るしかない。


『うん、待ち合わせした時にね電話で連絡取るより、メッセでやり取りした方が早いし確実で良いねってなったの。それ以来かな。便利だよ。』


母の前で上手く笑えているだろうか。


『私はまだ良いよ、まだ二人結婚前でしょ?正式な家族という訳じゃないから…。そうだね、そのうちね。私人見知りだから追々お願いするね。』


精一杯の言葉を紡ぐ。


『希乃あのね、理さんも、音耀君も、希乃を大切な家族だって思ってるよ。…実はね、秋に式を挙げないかって話になってるの。そうしたら理さん家で暮らそうかって…。』


もうそんなところまで話が進んでいたと。


『お母さん、それ本当なの?』


『………本当よ、希乃も来てくれるでしょう?』


『うん、勿論だよ。本当に良かったね。』


あれ以外何と言えば良かったんだろう。本当は関わり合いになんてなりたく無い。でも母を一人には出来ない。でも音耀の事で迷惑を被るのは御免だ。支えてくれる友人も今はいないというのに。


静かに静かに暮らしたい。


少女達がいなくなるのを確認してから音耀達の元に戻った。

  

音耀達をすっかり待たせてしまっていた様で詫びてから音楽室に再び移動した。


中に入ると、それぞれの楽器のパートが中央を取り囲む様に分かれている。


トロンボーンのパートは向かって左後方に位置していた。そこには1stを担当していた長い髪のやや背が高い女性が立っている。涼しげな目元で綺麗な人だ。


その側には2ndを担当していた女生徒がいた。髪を左側に流して下の方で結っている。小柄で可愛らしい。慣れた調子で楽器を吹いていた。


澄生さんは私の視線の先を追い声を掛けて来た。


『希乃華ちゃんはトロンボーンのとこだよな。俺は今日もユーフォのとこに行ってくるわ。』


澄生は音耀と希乃華を交互に見て告げる。


『途中で帰る時は挨拶は不要だから。最後までいるなら一緒に帰ろうぜ。』


手を振り前へ移動して行った。


希乃華は隣にいる音耀の方を見てからこの後どうするかを話す。


『音耀さん、私、ずっとトロンボーンをやっていたのでそっちを今日は体験しようと思います。』


音耀は希乃華に目を合わせながら話し出す。


『僕も希乃華ちゃんと同じとこにしようかな。』


意外な返答に驚く。


『え、オーボエは?』


音耀は微笑んだ後、トロンボーンを吹いている女生徒の方に顔を向ける。


『折角体験するならやったことが無い楽器を触りたいから。』


『そうですか…。』


何と返して良いものか分からなかった。音耀がそういうのであれば反対する理由は無い。


『時間も限られてるし、じゃ、行こう。』

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