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保健委員会

兄は私から顔を離すと、目を背けることなく見つめ合っていた。   


その沈黙が胸に突き刺さる様で、緊張感に呼吸が浅く繰り返される。


兄はいつもの柔らかな笑みを浮かべ大きな声で笑い出した。


『あはははっ。ごめん、ごめん。つい意地悪しちゃった。』


椅子から立ち上がり私の方に回り込む。跪き私の手を両手で包み込んだ。その手は暖かい。


『僕の周りが煩く騒ぎ立てるんだ。少なからず影響され始めている。周りの批判を避ける為にやっている事が、逆に僕達の距離を広げている様な気がして悲しくて…。』


兄は私の手を見つめたまま、手の甲を摩り始めた。


『僕の前ではいつまで経っても表情が固く強張っているのに、今日は違っているから苛立ってしまった…。』


私はこの場の空気を何とかしたくて、ぎこちなく見えるかもしれないが、口角を上げ笑顔を作る。


『そんなことありません。音耀さんはいつも私達のことを思ってくれていて頼りになります。本当に感謝しているんです。』


兄はその場から立ち上がり、私の頭をぽんぽんと撫でると元の席に戻った。


それから兄は何か言うでもなく、いつもの様に私に勉強を教える傍ら、自分の勉強を進めた。その日は私の疲労度合いが高いのを見て早目の終了となった。


私は入浴を済ませ、部屋に戻ってからも兄の言葉を反芻していた。確かにその通りだ。兄は私達に親切だ。生活上何の問題も無い。


でもどうして兄を信頼出来ないのだろう。


直接的では無いが、兄と出会ってから私の行動は制限されている。特に人との関わりでだ。


全て思い過ごしなのだろうか。


暗い気持ちを癒す様にイヤホンで音楽を聴きながら横になる。いつの間にか眠っていた様で朝になっていた。



その週は翌日から慌ただしかった。午前中はクラス内で自己紹介をし、先生の案内のもと学校内を見学して周った。その間、違うクラスの生徒達と何度もすれ違った。


休み時間や昼食の時間になると相変わらず澄生さんは兄の机の側に寄って来て陣取りあれこれ話をしていく。SNSやサブスクで知った面白かった事などをおかしな手振り身振りで話し私にも話を向けてくれるので自然と会話に混ざれていた。


午後には実力テストが行われ、最後に今季委員を決める事になった。


学級委員である兄と坂本さんが前に立ち進行していく。


坂本さんが黒板に委員会名を書いていく。兄はその下に希望する生徒は名前を書き込むよう促した。


生徒達が次々と席から立ち上がり、黒板へ移動し記名していく。


選挙管理委員会、文化祭実行委員会や体育祭実行委員会、図書委員会、広報委員会、美化委員会の所が次々と埋められていった。


保健委員会の所にはまだ誰の名前も書かれていない。


私は緊張しながら椅子から立ち上がり黒板の前に移動し、保健委員会の所に名前を書いた。


時間が経過しても埋まらない所を兄が指摘していく。生徒達にこのままであれば、ジャンケンかくじ引きで委員を決めていくと声を掛けた。それを皮切りに何名かが立ち上がり記名していく。


その後澄生さんも教壇に上がった。保健委員会の所で立ち止まり名前を記入した。そして教壇から降りる時に私の前を通り、『宜しくな。』と小さく声を掛けていった。


澄生さんが記名するのを私は驚き見ていた。今後の事を考えれば考える程相手が澄生さんで胸を撫で下ろした。


HRが終わると兄と澄生さんと三人で校門近くの学園内の駐車場まで足を進め別れた。楽しく会話をしながらなのでそこまでの道は短く感じた。


帰りの車の中で兄に委員会の事で話を聞かれた。


『保健委員にしたんだね。』


兄の落ち着いた声が車内に響く。


『はい、小学校でも中学校でも保健委員か美化委員を務めることが多くて。美化委員会の所は既に埋まっていたので、保健委員会にしました。』


嘘偽りの無い真実なので、するすると口から言葉が出てくる。


『啓発のポスターを描いたり、構内の手洗い石鹸や消毒薬の補充をしたりと陰ながら活動するんです。たまに具合が悪くなった人を保健室に連れて行くのも仕事で、直接誰かの役に立てる事が嬉しくて。』


少しの沈黙の後兄は穏やかに静かに話し出した。


『そうだったんだね。知らなかった。僕は自分で決めるというより、気が付くと先生に指名されている事が多いんだ。今回は学級委員に指名されていたし…。』


兄は私の方に向き直り私の目を真っ直ぐに見つめて話を続ける。


『僕もそんな風に目的を持って活動してみたいな。その時は一緒に活動しても良いかな?』


私は兄の目を見つめ返し頷いた。


その後は徐々に授業時間が増え、その間に健康診断や体力測定が行われた。


週明けには通常通りの時間割となった。対面式が行われ、委員会や部活動、生徒会の活動が紹介された。


その日のうちに部活動の仮入部が始まり、翌日の午後には第一回の委員会が開催された。


委員会に澄生さんと出掛ける際に兄に声を掛けられた。


『委員会が終わったら図書室で待ってるから。』


『はい。』


委員会が開催される3階の教室に二人で移動する。入室すると長身の男性が後ろの方に着席していた。よく見ると入学式で親切にしてくれた先輩だ。


この委員会を選んだ理由は兄に言った通りだが、本当はもう一つある。先輩にもう一度会いたかった。直接あの時のお礼を言いたかった。


私は勇気を振り絞って先輩に近付き声を掛ける。


『その節は本当にご親切にして頂き有難うございました。藍田希乃華と言います。今期の保健委員を務める事になりました。宜しくお願い致します。』


先輩は私の方を振り返る。烏の濡れた羽根の様な艶やかな黒髪に、フレームの太い黒縁の眼鏡を掛けている。眼鏡の奥には切長の大きな二重の瞳が輝いていた。薄茶色で綺麗だ。よく見ると目鼻立ちが整っている。


先輩は私の言葉に一瞬考え込んだが、直ぐに思い出した様だった。


『あぁ、あの時の…。あれから体調は変わりない?』


彼は穏やかな様子で私に話し掛ける。


『はい、お陰様で元気にしています。』


私は軽くお辞儀をし答えた。


先輩は安心した様にニコッと微笑み返した。


『それは良かった。あの後どうしただろうと気になっていたから。』


すると後ろから澄生さんが元気に声を上げた。


『昨日はお疲れ様でした。同じ委員会になりました。田丸です。』


先輩は一瞬呆けた様に目を見開き、私の後ろの方に視線を移した。


『あぁ、昨日の仮入部の…。』


澄生さんと先輩は顔見知りだった。先輩は私達が立ったままでいるのを見て着席を勧めた。


『立ちっぱなしもなんだし、良ければ隣に座ったら?』


委員会が始まるまでの間二人は部活について話していた。私は二人の話に耳を傾けた。先輩は吹奏楽部に所属しており、名前は岸上律という。トロンボーンを担当しているらしい。


二人はこれまでも同じ学園で音楽に身を投じて来たが岸上先輩は吹奏楽部に籍を置き、澄生さんは管弦楽部に籍を置いていたので接点は無かった。


澄生さんは大好きな高校の吹奏楽部を舞台にした小説やアニメの影響で、高校では絶対に吹奏楽部に鞍替えすると決めていたらしい。


委員会が終わってからも澄生さんは私を挟んで岸上先輩と話し込んでいた。


『俺ずっとチューバをやって来たんですけど。でもこの際だからユーフォニアムが良いなと思ってるんです。管弦楽では滅多に使われないですし。』


岸上先輩は満面の笑みで笑い出した。


『あははっ、かなり影響されてるねぇ。まぁ、運指も同じ様なもんだろうし変更しても馴染むのも早いだろうね。』


私はポンポンと会話が繰り広げられるのを交互に見ながら会話に釣られて笑ったり、ついつい澄生さんにつっこんだり話に混ざってしまっていた。


二人の気易い様子に心が和んだ。こんな風に私も誰かと過ごしたい。


その心の内を読んだかの様に澄生さんが私に声を掛けた。


『希乃華ちゃんもこれから仮入部に一緒に来ない?』


私はその言葉にドキドキしていた。嬉しくて仕方がない。それを気取られない様に必死に平静を装った。


『え、良いんですか。』


澄生さんはやれやれといったポーズで話し出す。


『いやぁ、音耀には中学の頃から何度も俺の熱意を伝えてるのにさぁ、振られっぱなしでさぁ。昨日も空振り。そろそろ諦めて、次なる仲間を確保しようかなって。』


すると岸上先輩も笑顔で私に声を掛ける。


『勿論歓迎するよ。初心者でも大丈夫だよ。高校から始めたって子もいるし、トロンボーンで良ければ俺も含め教えたがりが大勢いるから。』


澄生さんもトンっと胸を叩きドヤ顔を作る。


『俺もチューバやユーフォならいけると思うぜー。伊達に小学生からやってないからな。』


胸が熱くなる。嬉しくて涙がこぼれそうだ。目頭が熱くなってくる。それを振り払う様に明るい声を喉から絞り出す。


『それには及びません。残念ですが、私も小学校から中学校までトロンボーンをやってたんです!』


今度は私が岸上先輩と澄生さんに向け胸に手を当てドヤ顔を作る。


そんな私の様子を見て二人して吹き出す。


『偉く威勢が良いね、希乃華ちゃんって意外に元気な子なんだね。』


『いや、俺も一週間位一緒にいますけど…。こんな調子なの初めて見ましたよ…。』


私はムッと頬を膨らまし答える。


『私はこういう人間です、人見知りで内気なだけなんです。』


またその場が笑いに包まれた。



『よし、じゃあこのまま仮入部に行こうぜ。』


澄生さんは決定だと言わんばかりに声を張り上げる。


『あ、でも音耀には言っといた方が良いかもな。あいつ図書室で待ってるだろ。』


その言葉に私は気不味さから俯く。折角幸せな気持ちだったのに…。果たして許されるのだろうか。私から兄に告げても止める方向に丸め込まれそうな気がする。でも無断では行けない。余計に兄の不興を買うだけだ。自然と私の声はさっきまでの調子を失い小さくなった。


『そうですね…、確かに。』


澄生さんは私の様子を知ってか知らずか慰める様に話を続ける。 


『俺も一緒に行ってやるよ。まぁ、任せとけって。あいつとはガキの頃から一緒だから何とかなるって。良い様に進めてやるからさ。』


私達は岸上先輩と別れ、兄の待つ図書室に向かった。


兄は図書室で静かに勉強をしていた。入室の音に気付き私達の方を振り返った。


私達は兄の側に歩み寄る。澄生さんは兄に話を切り出した。


『待たせてごめんな。俺達この後吹奏楽部の仮入部に行こうと思うんだわ。』


澄生さんのその言葉に兄は怪訝な顔になる。


『はっ?何言ってるの??』


声が低くなり不機嫌なのを隠そうともしない。私と澄生さんを交互に見比べる。


『話が見えないんだけど、どういう事?』


澄生さんは兄の様子を気にするでも無く話を続ける。


『何だよ、冷たいな〜。ずっと誘ってただろ。吹奏楽部だよ、吹奏楽部。俺達高校生なんだぜ。』


兄は小首を傾げて呆れた様な顔になる。


『はっ?』


それをものともせず、芝居じみた素振りで澄生さんは語り出す。


『やっぱさ、どうせなら一回位「ゴールド金賞ですっ!」とかって言われみたいじゃん。』


澄生さんは天上を見つめ手を組み、身体をくねらせる。


『…………。』


兄は無言でジト目になり澄生さんをじっと見ている。


『それにさぁ、小中とは違う出会いが広がってるぜぇ〜。すんげぇ可愛い子が待ってるかも〜。』


兄は澄生さんの言動にすっかり毒気を抜かれた様子で表情から険しさが消えていく。


『はぁ、何言ってんの。よく分かんないだけど。』


言葉からも先程の棘々しさは見当たらなかった。


兄は広げていた荷物の方に向き直りそそくさと荷物をまとめ始める。


澄生さんは兄に近付き肩を組み始める。


『まぁ、そう言うなよ。お前も来いよ。お前が居ないと俺寂しがり屋だから、うさぎみたいになっちゃうかもよ。』


兄の目を覗き込み、瞬きを繰り返し可憐なポーズをする。


『それにさ、ずっと一緒に管弦楽をやって来たんだからさぁ、今更高校で辞めなくても良いじゃん。』


兄は暫く黙り込み澄生さんを見つめると一瞬目を閉じ、少しして目を開き俯いたまま答えた。


『分かったよ、お前も希乃華ちゃんも行くって言うなら僕も付き合うよ。』


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