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青葉祭

居場所を奪われていく。気付いた時にはもう手遅れだった。希乃華(ののか)が漸く築いた立場を簡単に入れ替えていく。


音耀(とあ)は人好きのする笑顔を浮かべ、相手が望む言葉を口にする。誰もが音耀の持つ容姿に感嘆し、その人柄の良さを褒め称える。


中学に進学した秋に母から気になる人がいると告げられた。その事実に愕然とした。母は今でも父を愛していると信じていたので、酷く裏切られた気分だった。


だが、そんな事はおくびにも出さず、口から歓迎の言葉を紡ぎ出した。


それに気を良くした母は1枚の写真を見せてくれた。


母の年の頃の男性が笑顔を浮かべたものだ。思わず凝視してしまった。テレビや雑誌で見る様な美しさだったからだ。


私は母が騙されているのではと心配になった。あれこれ話を聞き出すと。それは杞憂で、その人とは古くからの知人だった。


大学は違えどサークルの先輩と後輩で偶然街中で再会し、思い出話に花が咲き、そこから近況やら、仕事の愚痴やら、食べ歩きで見つけた店の話やらで意気投合したそうだ。


それからは時々会ってはお茶を飲んだり、評判のお店に出掛けて近況報告をし合う仲だったらしい。

 

『本当に良い人なの。そのうち希乃にも紹介するね。』


母が希乃華から離れていく様で不安を覚えた。希乃華は追いかけてくる暗い思いを振り払う様に、小さい頃から続けている吹奏楽やピアノに情熱を傾け、友人との日々を謳歌した。


その間母からは、順調に交際が続いている事。しっかりしている様で抜けている相手の微笑ましいエピソードを伝えられた。


中学二年に上がる頃に、母からある提案をされた。母の交際相手に会ってみないかと。


丁度春のお祭りがあるので、その時はどうかと。


迷いが生じた希乃華は言葉に詰まった。母はその沈黙を否定と捉えたのか、悲しみを隠す様に明るく振る舞った。


『そうよね、突然でびっくりしたわよね。話だけでしか知らない人に会うのは怖いわよね。』


威勢よく、明るく取り繕う母はやけに弱々しく見えた。


いつまでもこのままでいられる訳は無いのだ。


大人にならなきゃ、何れ進学したり、社会に出たり、結婚をすればここを出て行くかもしれない。それ以前に、これから好きな人が出来たら、きっと私も同じ様に言うだろう。自分が寂しいからという理由で母を縛るのは間違いだ。母には私がいなくなっても誰かと幸せでいて欲しい。 


気を引き締め笑顔を作り、努めて明るい声を出した。


『違うの、違うの、驚いただけ。楽しみだな、何てたってイケメンだもんね〜。お母さん、羨ましい〜。幸せ者〜。』


母は弾かれた様に体を強張らせ、困った様な顔をした。


『やだっ、ちょっと、照れるじゃない。もう。ふふふっ、有難う。…うん、幸せ。』


母の様子にこれで良かったと思った。自分が少し我慢すれば、母が幸せでいられるんだ。



4月の良く晴れた桜が咲く暖かい日に、私達は会う事になった。


普段着慣れない上質な柔らかな生地のワンピースに、それに合わせたかの様な花をモチーフにした髪飾りを着けた。靴も可愛らしい大小の飾りの付いた他所行きだ。


平凡な自分でも孫にも衣装で気分が上がる。


どれも滅多にお目にかかれない代物だ。良いお値段がするんじゃ無いかと冷や冷やする。


『お母さん、奮発し過ぎだよ。確かに凄く可愛いけど、我が家の家計大丈夫?』


思わず口を尖らせ抗議する。


『大丈夫、大丈夫。ふふふっ、お母さんのコーディネートも良いでしょう、上品だけど大人っぽくって素敵。』


確かに母も控えめだが、優しい色合いで柔らかな雰囲気のワンピースを身に纏っている。それに合ったネックレスとブレスレットも着け、靴も少しヒールの入った女性らしいデザインだ。鞄はそれでいて愛らしい。


とても美しく見える。


『うん、とっても素敵!』


『希乃も可愛くてしょうがないわ。』


お互いがお互いを見合って褒め合う。


それから家を出て、電車と地下鉄を乗り継ぎ中心地に辿り着く。


車沿いの通りには出店がいくつも並んでいる。それらを眺めながら、後でりんご飴を買おうか、それともハッカパイプを買おうか等と話して歩いた。


待ち合わせ場所のアーケード街に差し掛かる。そこは人で溢れ賑やかだった。


確か百貨店入り口前で待ち合わせだ。


その方向に少しずつ足を進める。


近付いて行くと、何やら人集りが出来ている。芸能人だとか、格好良いだとか、黄色い声が上がっている。


『希乃、急ごうか。』


母は急に急ぎ足になり、私の手を取り人混みの中を進んで行く。


私は手を取られるまま、前に前に身体を持って行かれた。足が縺れない様に忙しく動かした。


『ごめんなさい、理さん。お待たせしました。』


人垣を掻き分けて進んだ先には、あの写真の男性がいた。その人が佇むだけで一枚の絵の様で、その場に目が釘付けになる。


『いや、今来たばかりだから。』


優しげに、爽やかに、その人はこちらに笑顔を見せた。そしてその隣には、その人とはまた違う雰囲気の綺麗な少年が立っていた。


希乃華達を見るとその人は軽く会釈をした。


希乃華もそれに釣られる様にぎこちなく会釈をする。


希乃華は美しいその人に一瞬目を奪われた。それと同時に場にそぐわない様な、身の置きどころの無さを感じ恐れ慄いた。


その場で急ぎそれぞれ紹介を受ける。


合流するとその場の喧騒を後にする。アーケードの人の流れに身を任せた。


煌びやかな山車が通りのあちこちに配置されている。中央を笛や太鼓の祭囃子を響かせながら、法被を着、捻り鉢巻を巻いた集団が踊り練り歩いて行く。


いつの間にか母は理さんと、希乃華は年の頃が同じ少年と並んで歩いていた。


『先程もご挨拶しましたが、初めまして、藍田音耀です。』


『初めまして、佐々木希乃華です。』


希乃華に優しく微笑むその姿は、まるで絵本の王子様の様だった。栗色の髪は曲線を描き艶があり、瞳は薄茶色で輝いていた。


洋服は上質な生地で仕立てられた優しい色合いのものだ。だが癖のあるデザインでそれを難なく着こなしている。


『こんなに素敵な方が妹になるなんて嬉しいです。是非仲良くして下さい。』


その言葉に冷水を浴びせ掛けられた様に固まる。寝耳に水だ。


『あの、それはどうゆう。』


恐る恐る口を開く。残念ながら待ってもその返答は無く、代わりに音耀はこちらに視線を向け微笑んだ。そして髪飾りを見つめ話し出す。

 

『似合ってますね、受け取って頂けて何よりです。』


『えっ?』


聞き間違えではない。確かに音耀はそう言った。希乃華にこの髪飾りを贈ったと。


『これを藍田さんが…。すいません、母から伺っていなかったもので…。素敵な髪飾りですね。こんな高価な物を頂いていたなんて…。てっきり母からだと思っていました。お礼も申し上げないままに大変失礼ことを…。』


希乃華は彼に申し訳ない気持ちになった。お礼も言わず我が物顔で付けていたことが恥ずかしい。


音耀は眉を下げ、困った様に微笑んだ。


『いえいえ、お気になさらず。こちらこそ驚かせてしまって申し訳ないです。』


希乃華の戸惑う様子を見ながら、場を繋ぐように口をひらく。


『ただ、僕一人で選んだ訳では無いんです。父がお二人に贈り物をするってきかなくて…。ああ見えて父はあちこち仕事で飛び回っているんです。多忙なものだから、言い出しっぺにも関わらず、僕が全てを任せられて…。本当は言わずにおこうかと思ったんですが、自分が選んだ物を身に付けてくれているのを見て話したくなってしまって。』


音耀は嬉しそうに満面の笑みをつくった。


『白状しますね。僕の家には母もおらず、祖母も今は人の手が必要な状態なんです。婦人売り場に一人で行くには心許ないし、気軽に相談出来る相手がいなかったんです。贈る相手に頼ってしまい本末転倒なんですが、容子さんにお願いをして、買い物に付き合って頂き一緒に選んだんですよ。』


照れた様なバツが悪そうな顔をし話をする。


『でも、希乃華さんを驚かせたかったので、当日まで秘密にしていたんです。サプライズになりましたか?』


胸が重苦しい。今この人は何と言った?


母とこの人が希乃華の物を一緒に選んだとそう言った。


自分の為とはいえ、母と二人で仲良く買い物をしたとそう言った。

喜ぶ訳が無い。寧ろ不快感しかない。


自分の知らない母の事を口にされるのがこんなに悲しいなんて思わなかった。


『そうですか…。有難うございます。』


言葉だけが虚しく響く。悲しい思いを曝け出しても良い様に今直ぐ家に帰りたい。このワンピースも靴も今まで輝いて見えていたのに酷く汚らしく感じた。浮かれていた心が落ちていくのが分かる。


希乃華の胸の内を知るでも無く、藍田さんはにこやかに話し続けた。


『本当に楽しみですね、来年には皆で一緒に暮らせるんですね。僕ずっと一人で過ごす事が多かったので、希乃華さんや容子さんと家族になり過ごせるんだと思うと本当に嬉しくて。』


楽しそうに声を挙げて笑っている。


また一つ秘密を知ってしまった。


『何と仰いました?』


『来年には一緒に暮らすんですよね。もう希乃華さんの部屋も決めてあるんですよ。』


どうして知りたくなかったことばかり、この人は言うのだろう。


これもサプライズだとでも言うのだろうか。


希乃華は自分の生活を守りたい。母への信頼が揺らいでく。

好きな人が関わると変わってしまうものなの?

私はその人と比べて軽い存在なの?


希乃華は母を信じたかった。胸の中を感情の嵐が吹き抜けていく。


(どうか打ち明けて欲しい。大事な話があるのよって。)


(他人からこんな大事な話を聞きたくなかった。)


(お母さん、あなたはこの人達と家族になるの?私よりも愛おしいと思うの?)


(血を分けた家族なのに、長年一緒に暮らしてきたのに。)


(お母さんには幸せになって欲しい。)


(でも)


(でも)


(どうか、どうか、私をこの人達の側に置かないで。この人の側にいたくない。)


(私に存在の軽さを悟らせないで。)


心が今にも張り裂けそうだった。


母が不在の時は多い。週に1回、多い時には2回程夜勤がある。その日は朝から翌日まで帰宅しない。その間、希乃華は一人でこの人達に向き合わなければならないのだろうか。少ない気心の知れた人となら付き合える。こんな自分が何も知らない環境で赤の他人と暮らしていくなんて無理だ。


母は希乃華に背を向けたまま、理と肩を並べ歩いている。時折笑い合う様子が見えた。


希乃華を振り返ることは無い。 


希乃華は勇気を振り絞り、音耀に話し掛けた。


『あの、私…。母からそんな話を聞いた事は無くて…。贈り物の件も、藍田さんのお父さんと結婚を考えていることも、藍田さんが家族として私の受け入れを考えてくれていることも今初めて知りました。』


余りの事に声が震える。手も足も震えてきている気がする。でも、ここからが本題だ。伝えなければならない。


『大変有難い申し出ですが、私の件はお断りさせて下さい。』

 

その言葉に音耀は歩く足を止めた。


『私は今の慣れ親しんだ環境にいたいんです。祖父母とこのまま暮らしていきたいんです。母とは帰宅してから話し合います。ですから、藍田さんからもどうぞ宜しくお父さんにお伝え下さい。』


そう告げた途端藍田さんの顔から笑顔が消え去り、低い声で囁いた。


『容子さんを残して逃げるの?』


希乃華は余りの変わり様に声が出なかった。さっきの人好きする様子とは打って変わった醒めた目をしている。冷たい声色に驚愕する。


『僕はそれはやめた方が良いと思うな。確かに君はそれでいいだろうね。容子さんはいないが、変わらず暮らしていけるんだから。でも僕の家は複雑でね。古くからある分色々と煩わしい事も多いんだよ…。君がいない環境で容子さんは一人で耐えられるかな‥。』


音耀は無表情のまま告げる。不穏な様子に希乃華は訊ねる。


『それはどういう事ですか?』


目線を下に落としたまま、音耀は話し始めた。


『僕も一人で耐えてきたんだ…。でもこうして僕にも家族が出来ると思ったからこそ、父と容子さんの結婚について周りを説得したんだよ。また一人で頑張っていくなんて…。これ以上は無理かもしれない。』

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