NHK
騒然とした人混みをかき分け、俺はビデオカメラをその先へ向けた。
そこには、青いシートで覆われた『人だったもの』と数人の警察官がいた。予防線ギリギリまで踏み込んで、手ぶれを気にせずカメラを回す。周りにいる同業他社の人間にもみくちゃにされながら、その物々しい様子をレンズに収めようと必死になる。
あまりに騒がしかったのか、警察官が撮影禁止だと怒鳴り始めた。それに対し、混乱した報道陣の中から
「これを報道しないでどうする!これはメディアに対する戦争だ!」
という声が上がった。群衆はそれに続いて「そうだ!」とか、「俺たちにもプライドがある!」などと叫ぶ。
ヒートアップした報道陣と、応援が来て人数が増えた警察官の間でさらにもみくちゃにされている中、俺は風で青いシートがはためいた隙間に、見知った顔を認めた。
「……柳さん……!」
愕然としたのもつかの間、右から左から押されてカメラを取り落としそうになる。着ている服も頭の中もぐちゃぐちゃになりながら、それでもカメラと滲んだ視界を前に向けた。
俺――笹島格が、戦場のような現場から帰社したのは、ちょうど正午になる頃だった。オフィスにあるテレビが正午のニュースを流しはじめ、俺はぼんやりと目をやった。
「正午のニュースです。……今朝8時ころ、東京千代田区で人が血を流して倒れているとの通報があり、警察が駆け付けたところ、男性が胸に短剣を刺され、すでに死亡してるのが発見されました。警察によりますと、死亡したのは東京都の会社員、柳則正さん42歳で、そばには『NHK』と書かれたカードが落ちていたとのことです。警察は、一連の報道関係者殺害事件との関連を調べています。」
と、わが社の先輩である高瀬アナウンサーが伝えた。そのニュースの終わり際、俺が撮った後すぐ会社に送った映像がほんの少し使われていた。普段なら自分の映像が使われるとあからさまに気分が良くなるところ、今日だけは張り合いがなかった。
NHK……『日本放送協会』と言えば、ほかでもない俺が勤務するテレビ局の名前だが、ここ1ヶ月は違う意味で使われることが多い。『夜の重騎士』、その殺人鬼はこう名乗っている。英語でNocturnal Heavy Knightの頭文字を取って『NHK』だそうだ。
約1ヶ月前、一人の男性が殺され、その後主要なテレビ局に犯行声明が届いた。殺されたのは某民放テレビ局の敏腕プロデューサーで、その犯行声明にはこう書かれていた。
「私は夜の重騎士、現代のテレビ報道に異を唱える者だ。今のテレビ局はすべて、日本国民を間違った方向へ導く悪しき組織であり、その報道には価値がない。すべてのテレビ局が娯楽に関係する番組を止め、正しいニュースのみを伝えるようになるまで、今回のような粛清は続くだろう。」
その後、テレビ局の重役をはじめ、記者や人気の芸能人まで、計13名が殺された。警察が厳戒態勢を敷いているにも関わらず、次々にテレビ関係者が殺され、ついには今日、俺の先輩にしてカメラの師匠である柳さんが14人目の被害者となった。
柳さんは、俺が入社した時の指導係で、カメラの使い方だけでなく映像を収める技術や報道に携わる人間としての心得まで、様々なことを教えてくれた。今の俺があるのは、師匠である柳さんのおかげなのだ。柳さんは地震や大雨などの災害現場に赴き、その被害や被災者の様子を映像に記録する仕事に力を入れていた。その技術の高さもさることながら、被災者の真の声を届ける姿勢は業界で大きく評価されていた。
柳さんは人柄もよく、面倒見のいい気さくな先輩だった。カメラのことになると超真剣で、むちゃくちゃ厳しいのだけれど、きついことを言った後で必ずフォローをくれる。人によってはおせっかいに感じるかもしれないが、俺にとっては本当に良き師匠だった。
そんな柳さんがなぜ……と、ニュースを見ながらぼーっとしていたら、部長が、
「お前、柳にいろいろ世話になったんだよな。今日はショックだろうから、有給使って午後休んでいいぞ。」
と言ってくれた。確か部長は柳さんと同期で、よく行きつけの居酒屋で二人で飲むような間柄だったはずだ。部長も相当ショックだろうに、そう言ってもらえることにただただ感謝し、俺は会社を後にした。
休みをもらったはいいが、何もすることがなく、俺は会社近くのカフェで途方に暮れていた。仕事柄、平日・休日の区別があまりなく、休みの日も疲れて家で寝ているのが関の山である俺に、突然の休みというのは扱いづらいものだった。かといって、今の精神状態じゃ仕事にならないのは明白し……。
そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいたら、となりの若いカップルが例のNHKについて話しているのが聞こえた。
「また殺されたんだってー。怖いよねー。」
「俺テレビ嫌いだから、むしろやれやれ!って感じだけど。」
俺は思わずカチンときて、それに反論しようと思ったが、
「でもさ、NHKが殺してる人間ってパターンあるよねー。」
という女の会話を聞いて、俺はとっさに思いとどまった。
「今回殺されたのが『のりまさ』さんでしょ。前回は『まさし』さんでー。ほら、イニシャルがM、N、って続いてる!」
確かに。前回殺されたのは民放の人気キャスター、宮間昌司さん。ということは、次に殺されるのは……。
そこまで考えて、俺はカフェを飛び出した。
さっきの女の推理が当たっているなら、次に殺されるのは名前のイニシャルが『O』の人物。報道関係で名前が『お』から始まる人間で、柳さんの次に殺されそうなのは、ほかでもない、部長の乾意人さんだ。その可能性に思い至った俺は、一刻も早く部長に危険を知らせないと、と思い会社に戻った。
しかし、部長は既に退社されていた。慌てて部長の携帯に電話するも、出ない。最悪の事態を想像して青ざめた俺だったが、同僚から
「部長なら、今日は歯医者さんに行くから早退するって言ってましたよー。」
と言われ、ホッとした。それなら電話に出ない理由もわかる。
しかし、よく考えればNHKは夜に殺人を行うのが特徴だ。俺は部長が帰宅時に襲われると予想し、部長の家に向かうことにした。
部長の家には何度かお邪魔したことがあったので、場所は知っていた。二子玉川駅の近くにあるマンションだ。
マンションの8階にある部長のお宅に着いたのは、午後6時。ちょうど夕焼けがきれいに見える時間だった。ドアのベルを鳴らすと、奥さんが出てきた。
「あら、笹島さん。どうされたの?」
どうやら部長はまだ帰ってきていないようだった。奥さんに部長が殺されるかもしれない、などと言うこともできず、
「いえ、部長にどうしてもお伝えしたいことがあったので……。」
とお茶を濁した。
「それなら中でお待ちになる?主人は今日歯医者で、さっき混んでるってメールがあったから遅くなるかも。ごめんなさいね。」
と言ってくれたので、おとなしく待たせていただくことにした。
部長のお宅で待たせていただいている間、奥さんから柳さんの話を聞いた。奥さんは部長の社の後輩で、もちろん柳さんのこともよく知っていた。
「まさか則正さんが亡くなるなんて……。私もずいぶんお世話になったものだわ。」
奥さんにとっても柳さんの死はかなりショックなことだったようだ。
「あんないい方が……。昔からうっとおしいくらいの世話焼きでね。」
「昔から変わってないんですね……。」
と、俺も柳さんにお世話になったことを思い出し、また涙がこみ上げてくる。
「主人もショックだと思います。……もしかして、今日いらしたのもその関係?」
と言われて、なんとも言葉に詰まってしまった。それを見た奥さんんは、
「あの事件が起き始めてから、主人もいつ自分が狙われてもおかしくないって言ってました。私も本当に怖いわ。とうとう知り合いが殺されたし……。」
とひどく悲しい顔をされたので、俺は慌てて
「俺が部長を守りますよ!」
と言ってみたりした。あまり説得力がないのは自分でもわかっていたが。
「そういえば、もう7時半ね。遅いわね、主人……。」
確かに、もう日が暮れてしばらく経つが、部長はまだ帰ってきてなかった。心配になった俺は、
「ちょっと外見てきます!」
と言って部長の家を出た。
あたりはもう暗くなっていた。部長の帰宅路であるこのあたりの路地は、街灯も少なくこの時間になると少し薄気味悪い。外に出て駅の方向に少し行くと、部長の姿が見えた。思わず手を振ると、向こうも気づいたようだ。
「おう、笹島。どうした、こんなところで?」
と、自分が殺されるかもしれないとは微塵も思っていないような口ぶりでだったので、
「部長、次に狙われるのは部長ですよ!」
と思わず言ってしまった。
「ほう、何でまた?」
というので、部長にNHKが殺した人物のイニシャルの話をした。
「確かにな……。柳が殺されたわけだし、俺が狙われてもおかしくない。」
なんとも呑気な反応なので、逆に俺は安心して、
「あーもう、心配して損しましたよ。」
と笑顔を見せた。
と、その時背後から、
「……ガシャン……。……ガシャン……。」
という重い金属がぶつかる音がした。
慌てて振り返るが、そこには何もなかった。しかし、カメラマンとして鍛えてきた俺の視覚は、その変化を見逃さなかった。
「ゴミ箱がない……!?」
さっきまで路地に置いてあったゴミ箱がなくなっていた。俺は頭をフル回転させて、ある可能性を導き出した。
ゴミ箱があった位置と、俺たちがいる場所の間に『何かがいる』。
小学生のころ、小説『怪人二十面相』シリーズで読んだトリックの一つを思い出したのだ。ブラックアウトと呼ばれる、暗いところに真っ黒なものがあっても人間はそれを視認できない、という性質を利用して、あたかも透明人間がいるかのように思わせた、というトリック。それと同じなら、ゴミ箱があった、というよりゴミ箱が「ある」方向に真っ黒な物体、おそらく鎧を着た人間が、いる。
俺は、金属音がした方向に向かって、部長が持っていた液体歯磨きのボトルを投げつけた。
「ガン!」
真っ黒な鎧の顔当てが飛び、近くの街灯に照らし出された。ゴミ箱との間にいた殺人鬼NHKは、その姿を現した。ただし、首から上だけが宙に浮いているかのように。
俺は、その宙に浮いた顔に見覚えがあった。
「オマエは、……死んだはずじゃ……!」
そう、その人物は、一連のNHKによる殺人事件で最初に殺された民放テレビ局の若手プロヂューサー、飯塚一。よく考えたら、彼のイニシャルは『H』、殺された1人目なのにイニシャルが『A』ではない。じゃあ何で部長が狙われたんだ?そもそも死んだはずの人間がなぜ生きて……?
思慮を巡らせていたのもつかの間、相手がナイフを持っているのに気付く。これまでの殺人で決まって使われていた、中世の西洋をイメージさせる洒落たナイフだ。
部長をかばおうと一歩前へ出る。そんな俺を見て、NHKこと飯塚は
「確か、日本放送協会の笹島……。」
とつぶやく。驚いたことに、俺の名前を知っていた。しかし俺は気にせず、
「どんな法則で次に部長を狙うのか知らないが、ちょうどいい!柳さんの敵を討ってやる!」
と唸る。その様子を素知らぬ顔で飯塚が
「……法則があることには気付いたか、ほめてやろう。そして、偶然にも乾を狙うと予想し、私の鎧を見破ったこともだ。」
「しかし、ここまでだ。冥土の土産に私が狙う人間の法則を教えてやろう。」
俺はその『法則』が気になり、殴ろうと握った拳を緩める。
「一つは、粛清される順番。これは名前の画数だ。」
確かに、1人目は『一』、2人目は『力』、3人目は『久』ときて……13人目が『昌司』、14人目が柳さんで『則正』、15人目が部長で『意人』……。
「そしてもう一つは、全員、東日本大震災にまつわる報道を行っていた人間だ。」
「……どういうことだ?」
「せっかくだから聞くがいい。私の名を知っているようなら、あの番組も見ただろう?」
あの番組、おそらく飯塚が殺された(とされる)直前に指揮を執っていた、東日本大震災から10年を追悼する番組。先月の11日に放送され、俺も見たが……。
「10年経っても被災者を見下すように哀れみ、悲しいと思うことで自分たちを正当化する、ただの自己満足。そんな番組を実際に被災した私に無理やり作らせたあの会社、ひいてはテレビ業界全体を私は憎んだ。」
確かに演出過剰だとは俺も感じていた。どうやらそれは、上からの圧力で仕方なくやらされたものだったらしい。
飯塚は続ける。
「私は粛清を決意した。すべては目的のため、はじめに双子の弟を手にかけた。そして殺されたのが弟ではなく私自身であるかのように偽装し、私をこの世界に存在しえない『死者』にしたのだ。」
だから警察がいくら捜査しても犯人が特定できなかったのか。一卵性双生児ならDNA鑑定をしても同じ結果が出る。
「でも、どうして柳さんを殺した!?あの人はずっと被災者の真の声を届けようと……!」
「あの震災を報道する限り同じだ。常に彼らをただの哀れな被害者としか見ない。」
「そんなことは……!」
反論しようとした俺を制し、後ろにいた部長が口を開いた。
「そうだな、少なくとも俺はそうかもしれん。」
「部長!」
まるで殺されてもかまわないかのようなその言葉に俺は焦るが、
「でもな、柳はそうじゃない。アイツは兄貴が震災で亡くなってる。」
それは知らなかった。もちろん飯塚も知らなかったようで、こちらに向けていたナイフの先がわずかに下がった。
「アイツはそれを必死で隠してたさ。震災の報道に携わりたいと思って入社したが、悲劇のヒーロー扱いされるのが嫌だったんだろうな。実際アンタの言う通り、今のテレビ業界じゃあ『家族を喪ってもなお、震災と向き合う』みたいに脚色される可能性の方が高い。」
「柳は本当に志の高いやつだったよ。アイツなら、今の腐ったテレビ業界を変えてくれるかもしれない、俺はそう思ってた。」
これには飯塚も黙るしかなかったようだ。そのスキを見て俺は、
「このっ!」
飯塚の腕に蹴りを見舞った。重い鎧にほとんどはじかれたが、ナイフを取り落とさせるには十分だった。
「ぐっ……。」
そのナイフを拾って、俺は飯塚の首に突きつける。
「動くな……!」
後ろでは、部長が携帯で警察に通報していた。
「すぐに警官が来るそうだよ。……なあ『夜の重騎士』さんよ。アンタも震災に取りつかれていた一人じゃないか?もう10年経った。いい加減、過去じゃなくて未来に目を向けようぜ。」
飯塚はうつろな目で部長を見ていた。俺は、さすがにもう飯塚が部長を殺すことはないと思い、気を緩めた。しかし、その一瞬の気のゆるみが甘かった。
飯塚が俺からナイフを奪った。
「部長!」
慌てて部長の方に駆け寄るが、
「俺じゃない!」
部長が叫ぶ。飯塚が自分の首に向けてナイフを突き立てようとして……。
その後、パトカーだけでなく救急車も来て、閑静なマンション街の一角は闇に赤いランプが瞬く騒然とした風景に一変した。
飯塚はナイフで首を切ろうとしたものの、その重い鎧のせいで手元が狂い、大した出血にはならなかった。救急救命士の人も、命に別状はないと話していたので、おそらくすぐに警察が取り調べを始めるだろう。
部長と俺は、重要参考人として警察に話を聞かれることになった。パトカーに乗せられて警察署に行く途中、部長がボソッと、
「柳、やっぱオマエはすげえや。」
と言ったのが強く耳に残った。よく考えたら、柳さんの死が分かったのは今朝のことだった。まるで信じられない。
改めて柳さんの死をかみしめ、またも視界が滲む。それを知ってか知らずか、部長が
「笹島、オマエは未来に向かって映像を撮れ。柳がそうしたように。」
部長の視界も滲んでいることを確信しながら、俺は静かに決意した。
「……はい。」