三話 貴族と行く観光旅行の始まり
フォーン王国の港町ノールド。
海に面した町で漁業が盛んなうえ、他国へ行き来するためこの国の玄関口とも言える。
フォーン王国から出る者の多くは、この町から出発することになるのだ。
今は早朝、この町から見える水平線から日が昇り始めた頃。
外套に身を包んだイアンは、この町に来ている。
イライザの依頼を受けた日から五日経っていた。
そして、この町が集合場所にされていたため、彼はここにいるのだ。
「……どこだ? あと、いつ出発するのだろうか」
イアンは、イライザから具体的な集合場所や時間を聞かされていなかった。
そのため早く来てみたのだが、町の中で何の情報もなく人を探すのは容易なことではない。
とりあえず、イアンはまだイライザが来ていないと想定して、自分が見つかりやすそうな場所で待つことにした。
そこは、他国へ向かう船に乗船する際の手続きを行う場所である。
やってきた船に乗船していた人達の入国審査も行わる場所でもあるため、ロビーと呼ばれていた。
船に乗船するにはこの場所を通らなければいけないため、イアンはここを選んだのだ。
「あ~怪しい人発見~」
ロビーの一角にて立って待っていると、聞き覚えるのある声がイアンの耳に入った。
聞こえてきた方へ顔を向けると、イライザがいた。
以前のものとは変わっているが、凝った装飾が施された服装である。
そして、いつもの力の抜けたような表情で、ゆったりとイアンの元へやってくるのだった。
「自分でさせといて、それはないのではないか? 」
「ごめんごめん。思ったより怪しく見えたから、つい~」
「……別の問題が起きてはいないか? 」
今になって、イアンは今の自分の恰好が不安になった。
顔はおろかほぼ全身が隠れているのだから、怪しく人物に見えるのは当然のことである。
「ちゃんと乗船できるだろうか」
怪しい人物は乗船する際に身元の確認をされるか、最悪乗船が認められない場合がある。
イアンは、それを心配していた。
「大丈夫。そこらへんは、なんとかするから」
「そう……か。手があるのなら問題あるまい」
イアンはイライザを信じ、ひとまず安心した。
「それで、護衛する貴族の者はいつ来るのだろうか? 」
「え? もういるけど」
「どこに……いや、まさか」
イアンは、イライザの顔を注視した。
すると、彼女は微笑みを浮かべてうんうんと頷いた。
「……オレはてっきり、貴族のお付きか何かだと思ってた」
「そんなんじゃないよ。貴族本人だよ」
イアンが護衛する貴族とは、イライザのことであった。
「あれ? ずっと勘違いしてた? 」
「していたから、聞いたのではないか。あと、一言も自分を護衛しろとは言ってなかったぞ」
「そっかそっか、ごめんね。じゃあ、イアンさんが護衛する貴族が私ってことで、改めてよろしくね」
そう言ったイライザは、屈託のない笑顔をしていた。
恐らく、悪気はなかったのだろう。
イアンはそう思い、これ以上追及する気はなくなっていた。
「じゃあ、早速出発しようか」
「……!? もうなのか? ちょっと待ってくれ。オレの仲間がまだ来ていない」
どこかへ行こうとするイライザをイアンは呼び止めた。
この場には、まだミークがいなかった。
よって、イアンの方の都合ではあるが、まだ出発するわけにはいかなかった。
「仲間……ああ、あのツルツル頭の大きな人? あの人なら、大丈夫だよ」
「大丈夫とは? 」
「キキョウちゃんの方で対処してくれたってさ。だから、ここには来ないよ」
「……うむ」
イアンは、おもむろに頷いた。
ここへミークが来ないことには納得した。
それと、イライザの話を聞き、分かったことがあった。
それは、キキョウがフォーン王国のどこかにいることである。
対処というのはミークと会い、何かしらの指示をしたということだろう。
これは推測の域ではあるが、イアンにとってはほぼ確実なことであった。
その上でイアンは訊ねることにする。
「キキョウとは、いつ合流する? 」
「私達がアニンバに着く頃の予定だよ」
「そうか。ならば、それまで、あいつは……いや、何でもない」
イアンは、途中で聞くのをやめた。
聞いても、はっきりと答えてくれないと思ったからだ。
それと、キキョウと合流することが知ることができただけで、今は充分であった。
「そう。なら、行こうか。時間が惜しいからね」
イライザは、そう言って早足で歩きだす。
イアンは彼女の後ろをついていくのだった。
「よし! 準備オッケー! 」
イライザが高らかに声を上げる。
そんな彼女がいるのはノールドの港の近く、建物に囲まれた裏路地の突き当りである。
薄暗く人目につかない場所であった。
そこに立つイライザの前には、大きな樽が置かれていた。
木の板を鉄の輪で縛りつけて作られ、円筒の形をした一般的な樽である。
「なにがだ? 」
樽の上面の丸い蓋が開かれ、中からイアンが顔を出した。
無表情に見えるが発した声は不満げであった。
彼は樽の中に入っていたのだが、その状況に納得していなかったのだ。
「あれ? 説明しなかったっけ? 」
「されてない」
無論、イライザから説明を受けていないからである。
「これから乗る船はね、最新のもので足が速いの。その分お金がかかるっていうことで、予算が……ね? 」
「金を浮かせるために、オレを貨物扱いするのだな」
「そうそう。分かった? 」
「動機はな。しかし、犯罪ではないか」
この国には限らず、どの国でも人を貨物扱いにすることはできない。
もし貨物と偽って乗船した場合、見つかれば密入国或いは密出国をする者とみなされる。
つまり、犯罪行為をしたとして罰せられるのだ。
イライザは悪気なく提案しているが、これから犯罪をしようと言っているのも同然のこと。
故に、イアンは乗り気ではなかった。
「大丈夫。見つかっても何とかなるから」
「そうは言うが、いくら貴族でもこれはダメだろう」
これまでイライザの言う大丈夫を信じてきたイアンだが、この時だけは信じられなかった。
「そのために偽装したんだよ」
「偽装……イライザ…殿? 」
「殿はいらないよ。イライザかイライザちゃんって呼んでどうぞ」
「では、イライザ。これは一体なんのための偽装なのだろうか? 」
そう言って、イアンは樽の中から出る。
そして、纏っていた外套を脱いだ。
すると、イアンの姿が顕わになるのだが、彼の服装はいつもと違う。
彼の着る上位は、幅の広い襟が特徴のセーラー服の形状をしていた。
セーラー服とは、国に雇われた正規の水兵が着る服の一種である。
近年になって普及したものの、多くの国の水兵の服として正式に採用されており、軍服の類とされている。
イアンが着ているのは完全なセーラー服ではなく、スカートが付いており、上位と下位が一体化したワンピースの形状を成している。
この服の名称はセーラードレス。
軍服をアレンジしてドレスにするという前衛的な服であり、未だ世に出回っていない代物であった。
名前にドレスが付く割には使用されている布は厚く頑丈、通常の服とは異なった特殊な目的で制作されていた。
「可愛いでしょ。滅多に出回らない貴重な服でね。奮発しちゃった」
「そんなことはどうでもいい。というか、どこに金をかけいるんだ」
服に関してことは、イアンにとってどうでもいいことであった。
「何故、女装をする必要がある? 」
彼は、女性ものの服を着る意味が分からないかった。
加えて、より女性に見えるようになるため、嫌であった。
「もし、中を見られた時に等身大の人形だって誤魔化せるように必要だよ」
「誤魔化せるものか。その時が来たらすぐにバレる」
「大丈夫だよ。だって、イアンさんは現実離れした綺麗さを持っているんだから」
「……はぁ。分かった。ここで駄々をこねても仕方がない」
イアンは折れた。
女装をしなければならない。
そういう流れになっており、不満を訴え続けても話は進まないと思ったからだ。
しかし、彼は決して納得はしていなかった。
「いいだろう。もしかしたら、見られることはないのだからな。意味は分からんが我慢してやる。意味は分からんが。あと、向こうに着いたらすぐに着替えるからな。上着とズボンは……よし、ちゃんと中に入っているな」
外套を再び身に纏うと、イアンはブツブツと呟きながら樽の中に入っていく。
まさに、嫌々ながらといった様子であった。
「ごめんね、嫌なことやらせちゃって。この埋め合わせは、ちゃんとするよ。約束する」
イライザが樽の中をイアンを覗きながら言った。
「……もういい。あと、すまないが蓋を閉めてくれ」
「あ、うん」
イライザは樽の蓋を持つ。
そして、蓋を閉めようとした時――
「……ああ、ちょっと待った」
「うん? 」
イアンに呼び止められ、手を止めた。
「確か観光旅行とか言ったな。本当にそうか? 」
金が無いという理由で、人を貨物扱いにして安く済ませる。
人によっては考える者もいるのだろう。
しかし、貴族という身分の者が取る手段として普通だろうか。
この疑問に対して、イアンは否定的である。
世間体を重視する身分の者が、犯罪行為という危険を冒すことなど考えられないからだ。
何か理由があって、この手段を取っているのだと思わずにはいられなった。
そういった考えから、イアンはこれから始まる旅がただの観光旅行ではないと疑っていた。
「貴族が身分を隠して旅行してるって話、聞かない? お忍びの観光旅行だよ。アニンバまでのね」
「……分かった。蓋を閉めてくれ」
イライザによって蓋が閉められ、イアンは暗闇の包まれる。
彼女の話は、理解できないことはなかった。
そう感じても、イアンは素直に納得をしたわけではなかった。
(やはり、何かを隠しているような……)
言葉を選んで、上手く何かを隠している。
そのような印象をイアンは持っていた。
それでも、依頼を引き受けた以上は、最後までやり遂げる。
利用されていようと、その冒険者としての信条は守り抜く。
(まあ、もうどうとでもなれ)
イアンには、そういった気持ちはあまりなかった。
何も考えておらず、その時の状況に合わせて動くだけである。
それは、彼が冒険者になる前から変わらないこと。
これまで、自分を主体にして動くことは限りなく少なかった。
端的に言えば、彼にはやりたいことがないのだ。
故に、他人の行動を見て、それを自分の行動の指針にすることが多い。
冒険者になったのも、誰がやりたいと言っていたのを真似しただけである。
彼自信意識していないことであり、気にしていないことだ。
しかし、それは今までの話である。
最近のイアンは、変わらない今の自分をどうすれば変えられるのかと悩んでいた。
それを口に出すことはなく表情にも出ないため、彼以外には誰も知らないことであった。
その後、イアンが入った樽はイライザに運ばれ、無事目的地へと向かう船に乗船することが出来た。
彼らが乗る船は朝の陽ざしを受けながら、フォーン王国からアニンバがあるレウリニア王国へ向かってゆく。
観光旅行へ向かう貴族の護衛を行う。
この依頼には隠された何かがあると睨むイアン。
隠された何かに自分が大きく関わっているものがある。
それが自分が思っている以上のことだとは、予想だにもしないだろう。
そして、この依頼の中でイアンは、約束をした少女達と思いがけない形で再会することになる。
こうして、イアン・ソマフの普段通りでいつも通りではない冒険が始まるのだった。
2019年3月20日 サブタイトル行間変更
2019年3月21日 誤字と文章修正
その後、イアンはイライザと運ばれ、 → その後、イアンが入った樽はイライザに運ばれ、
樽の中に入っていたが、その状況に納得していないのだ。 → 彼は樽の中に入っていたのだが、その状況に納得していなかったのだ。