二話 依頼交渉
イアンが冒険者ギルド出た少し前。
応接室にて、今回彼が受けた依頼について、依頼人と話した時のことである。
まずはイアンは、受付から自分を指名する者がいると聞き、話を聞くために応接室に入った。
応接室の中には、二つのソファーがあり、向かい合うように置かれていた。
二つのソファーの間には広いテーブルがある。
壁には、額縁にはめ込まれた絵が飾られている。
応接室としては、何の変哲もない部屋であった。
入って目に入るのは、そのような家具や飾りであり、人の姿は見られない。
まだ、イアンを使命した人物はいなかった。
しかし、彼がここへ案内された時、待つように言われていたため、特に不思議なことではなかった。
イアンはソファーに座り、待つことにする。
数分の時間が経った後、入口の扉が開かれた。
応接室に入ってきたのは、少女一人だけである。
その少女は、イアンと同じくらいの歳の見た目であった。
(貴族か……? )
少女の服は、長袖の上衣に膝を隠すまでの丈のスカートだ。
それらの衣類には皺が見られず、派手ではないものの花を象った刺繍やレースなどといった装飾が施されている。
服にこだわりのある者ならば、誰だって彼女のような服装をすることだろう。
その上で、服装からイアンは高貴な雰囲気を感じ取り、貴族であると思ったのだ。
肩にはショルダーバッグがかけられており、バッグの部分の大きさは、一人の赤子が入りそうなくらいである。
大きい物なのか、小さい物を大量に詰めているのかは定かではないが、何かしらの物を持ち込んできたのは確かであろう。
「ん、先にいた。悪いね、待たせちゃって」
イアンを見る少女の口から、そのような言葉が出てきた。
丁寧な喋り方とは呼べなかった。
よく言えば友好的であり、悪く言えば軽々しく、初対面の人に対しては失礼であった。
(これは……分からないぞ……)
彼女が貴族であるか、イアンは自信が無くなっていた。
そのようなことを思われているとは知らず、少女は歩きだす。
待たせていたことをイアンに詫びていた少女であるが、急ぐ素振りはなく、ゆったりとした足取りであった。
やがて、少女はイアンとは反対側のソファーに座った。
互いに向かい合うかたちとなった。
この時、イアンは目は少女の頭部に向けられていた。
髪は明るい橙色で、後ろ髪は肩にちょうどかかるくらいの長さであった。
くせ毛の持ち主であるのか、毛の先は緩く曲線を描いていた。
顔は整っており、綺麗な顔立ちである。
(なんか、ゆるいやつだな……)
そんな少女の顔を見たイアンの感想は、ゆるいであった。
少女は綺麗な顔立ちで微笑んでいた。
目に力はなく、口は半月のような形をしている。
力の抜けた表情をしていた。
(いや、外見で判断するのは失礼か)
ここに来る時の疲れが出ているのかもしれない。
そういった理由で、力の抜けた表情をしているのではないか。
イアンはそう思い、自分の考えを改めた。
「じゃあ、まずは……」
満を持して、少女の口が開かれる。
「…………ん? 」
イアンは思わず、首を傾げた。
少女が口を開けたまま、動かないのである。
何かあったのか、自分が何かをしたのか。
イアンが動かなくなった理由を考えていると――
「ふわぁ~~~」
少女は欠伸をした。
聞いた者も気の抜けるような声も出しながらである。
遠慮というものが一切感じられなかった。
「ああ、ごめんね。私、イライザ」
「……イアン・ソマフだ」
「聞いていたより、ずっと美人さんだね。じゃあ、依頼の話を始めようか」
「う、うむ」
戸惑いながら、イアンは頷いた。
ここまでの少女――イライザの態度について文句を言う間もなく、話が進められようというのだ。
彼女のマイペースな振る舞いに、イアンは圧倒されていた。
「あなたに依頼したいのは、ある貴族の護衛だよ」
「貴族……というのは、この国の? 」
「うん。この国の貴族だね」
「護衛は、ジオーダン大陸のレウリニア王国にあるアニンバっていう村まで。そこまで、観光旅行に行くんだ」
「ううむ……」
イアンは、彼なりに険しい表情をした。
それでも、他人の目には普段と変わらない無表情に見える。
「けっこう長い旅になるけど、その分報酬は弾むと思うよ。身分は高い方だからね」
初対面のイライザには、彼の表情の変化に気付くはずもない。
「待ってくれ」
故に、イアンは声を出し、彼女の口の動きを止める。
まだ、話の途中ではあるのだろうが、この時点で彼には決まったことがある。
「申し訳ないが、オレはこの依頼を受けることはできない」
それは、イライザの依頼を受けられないことである。
イアンにはしばらくの間、ここフォーン王国にいる必要があるからだ。
カジアル以外の町や村に行くのならまだしも、他の大陸へ向かうことは、今の彼にはやりたくないことであった。
「……そう? 残念だなぁ」
イライザはそう言うのだが、依然として彼女は力の抜いたような表情をしていた。
そんな彼女をイアンは不審に思う。
確証はないがイライザは、まだ話を終わらせるつもりはない。
イアンは、そんな気がしていた。
「この依頼は、君に頼みたかったのになぁ。だから、指名したんだよ」
「それはありがたいことだが……」
イアンは、途中で言葉を詰まらせた。
その先に続く言葉を言うか言わないか迷ったのだ。
どうするべきか考える中、彼の好奇心とそれを抑える自制心が対立する。
「……何故、オレを指名した? 」
結果、彼の好奇心が勝った。
イアンは、自分のことを強いとも優秀とも思っていない。
さらに、彼の冒険者ランクは[E-]である。
冒険者にはランクがあり、基本的には強さを示すものだが全体的な優秀さも評価したものである。
[E-]は、ランクの中でも最下位だ。
このランクを定められることが恥ともされ、大半の者が辞めてしまうほどである。
最低の評価であり、受けることができる依頼の数も極端に少なく、目立った活躍する機会は皆無である。
イアンは、そんな自分が指名されたことを疑問に思っていた。
ましてや、貴族の護衛などという大役を任せられることは考えられないことであった。
(二年以上経ってもランクは変わらず……か)
そして、未だにランクが上がらない状況に落ち込んでいた。
「え? [E-]ランクっていう破格の安さで雇えるから」
「……ああ。やはり、そういう理由か」
イアンは、ため息交じりに呟いた。
イライザの言ったのは、彼が依頼人から指名された時によく聞く理由である。
冒険者はランクが高くなればなるほど、依頼人が用意する報酬も高くなるというもの。
よって依頼人には冒険者を雇う際、質を選ぶか報酬の安さを選ぶかの駆け引きがある。
今回のイライザの場合、優先したのは報酬の安さであった。
しかし、イアンがため息とついた要因はそこではない。
[E-]というランクの低さを目当てにされたことだ。
彼は、今の最低ランクに満足はしていない。
不名誉であるとも思い、一刻も早くランクを上げたいというが彼の気持ちである。
そんなイアンが[E-]ランクだからという理由で選ばれて、喜ぶはずがない。
複雑な気持ちになるだけであった。
「あはは、半分冗談だよ。君を指名した理由は、一番は私の友人に勧められたからだよ」
「友人……貴族か? オレを知る貴族などいるものか? 」
イアンは、腕を組んで首を傾げる。
自分の記憶の中で、貴族の知り合いを探すことができなかった。
ひょっとしたら自分が忘れているだけかもしれない。
とりあえず、イアンはそう思うことにした。
「それに、気になって君の冒険者の活動を調べてね。面白いと思ったんだよ」
「面白い? というか調べられるのか……」
「うん。君は、この大陸だけではなくザータイレン、ウルドバランといった大陸、ミッヒル島、ネアッタン島へ行っているんだ」
「それがどうした? 」
「[E-]でたった二年ちょっとの間に、これだけ色んな所に依頼のために行った君の境遇が面白くてね! この情報だけで、私は君を気に入ったよ! 」
弾んだ声で、イライザは言った。
その様子から嘘偽りの無い言葉であろう。
(色んな所へ行っただけで、人を気に入るものか? )
そう思うイアンだが彼女の素直な言葉に、こそばゆい気持ちになっていた。
「他にも、君によく似た人物の絵が出回っていたり、騎士達じゃあ手が付けられなかった蜥蜴獣人の子の保護者になってたり、面白いことばかりだけど……」
「あ…………ん? どうした? 」
「ウルドバランのゾンケット王国に行ってから、君の冒険者の記録は途切れている。ここへ帰ってくるまで、一体何をしていたの? 」
「……冒険者としての活動は、その記録が示す通りだ。だが、同じようなことはしていた」
このイアンの出した返答は、彼なりに精一杯考えた結果だ。
イライザが知りたがったことは、一年以上の期間の話である。
その間、イアンは様々な経験をした。
彼の言った通り冒険者と同じく、そのほとんどが戦いであった。
経験したことを上手く伝えることはできない。
それでも、イアンは冒険者としてではなくても、戦っていたことは伝えるべきだと思ったのだ。
「ふーん……」
イアンの返答を聞き、イライザの反応はそれだけであった。
目を細めて、イアンを見つめるだけである。
そして、この応接室に沈黙が訪れる。
しかし、その沈黙はほんの僅かな時間のもので――
「なるほど。それは良かった」
イライザによって破られたのだった。
短い言葉であったが、イアンにとっては印象的で不可解な言葉であった。
イアンは、怪訝な表情を浮かべていた。
その表情を向ける相手は、相変わらず力の抜けた表情をこちらに向けている。
イアンにとって、イライザは計り知れない存在であった。
彼は長らく他人との接触が少ない環境で暮らしており、俗に言う世間知らずであった。
冒険者として外の世界を知り、考え方や人との接し方には慣れてきたことを彼は実感していた。
しかし、目の前のイライザに対しては、その経験が全く活かされていない気がしているのだ。
「さっき言ったのは、その……どういう気持ちなのか。聞いてもいいだろうか? 」
故に、イアンは彼女が発した言葉に何の意味があるのかを訊ねることにした。
「おまけの報酬を気に入ってくれると思っただけだよ」
「おまけ……だと? 」
「そう、おまけだよ。でも、依頼受けないんでしょ? なら、もう関係ないよね? 」
「う……うむ」
ここで、イアンは自分が依頼を受けないと決めたことを思い出した。
そして、完全にイライザのペースに乗せられていたことに気付く。
「話は以上か? ならば、もうここにいる必要はあるまい」
おまけの内容が気になるものの、彼女の言う通り関係のないことだ。
これ以上は話す必要はないと、話を切り上げることにしたのだ。
「そうだね。せっかく、キキョウちゃんが色々と準備してくれたけど、仕方ないよね」
「そうか……んんっ!? 」
ソファーから腰を上げようとしていたイアンの動きがピタリと静止する。
まるで彫刻にでもなったかのように、彼は止まっていた。
その後、恐る恐るといった様子で、ゆっくりとイライザへ顔を向ける。
「キキョウ……だと? 今、キキョウと言ったか? 」
「うん、キキョウちゃんだよ。銀色の髪で、大きい耳の獣人さんだよ。あの娘も美人さんだよね」
イライザが両手を頭に付けて答えた。
彼女の頭の上で、両の手首がカクカクと折り曲げる動作を繰り返している。
頭から耳を生やす獣人の真似をしているのだろう。
それはキキョウという名の少女の特徴の一つであった。
「ねぇ、イアンさんも……イアンさんもそう思わない? 」
「……」
思わずイアンは黙り込んでしまう。
イライザは、キキョウという少女の外見的特徴、その少女がイアンを何と呼ぶかを知っていた。
イアンにとって、キキョウという少女は特別な存在である。
何故なら、彼が約束をした少女達の一人だからだ。
「……一つ聞きたいことがある」
イアンはソファーに座りなおした。
彼女が関与しているとなれば、話は違った。
「あいつは、オレがこの依頼を受けること、バイリア大陸から出ることを勧めているのか? 」
イアンはイライザがキキョウと会っていると想定して、そう訊ねた。
彼がこの依頼を受けるかどうかは、イライザの返答次第であった。
「……うーん、どうだったかなぁ」
イライザは口に手を当てて、首を横へと傾ける。
考えるような、思い出すような仕草であった。
それがもったいぶった態度に見え、イアンは若干イラッとした気持ちになる。
「ああ、そうだ! イアンさんがどうしようと、問題ないようにするってさ」
「……そうか。ならば、その依頼受けることにしよう」
イアンは、そう言ったものの――
(正直、まだ分からないことだらけではあるがな)
今回受ける依頼に関して、腑に落ちない点は多々あった。
それでも受けようと思ったのは、キキョウが関与していることが大きい。
(キキョウの考えは分からんが、あいつのことだ。悪い方向にはいかないだろう)
胡散臭い部分はあるが頭が良く頼りになる。
イアンのキキョウに対する印象がそれである。
故に、腑に落ちない点の大半は気にならなかった。
(あいつがああ言ったのならば、他のやつのことも問題あるまい)
そして、何よりは自分が気にしていることをキキョウが何とかしてくれる安心感であった。
「依頼を受けてくれる? やったね! 」
イライザは両手を上げて、喜びを表現する。
「いやぁでも、一時はどうなるかと……はあ~ヒヤヒヤしたよ~」
その後、安堵したようにそっと息を吐くと、そのような言葉を発した。
(断らせるつもりなどなかったくせに……)
イライザの態度は、イアンにとって白々しく見えた。
しかし、彼が依頼を受けようと決めたきっかけは、キキョウの名が出たからだ。
いくらイアンとの関係があると知ってはいても、こうも有効に使えるものだろうか。
(……いや、半分くらいはキキョウの仕業か)
今の一連の流れは、キキョウの入れ智慧のよるもの。
そう考えれば、イライザが安堵する姿は、嘘偽りのない彼女の本当の気持ちの表れであろう。
「依頼を受けてくれるっていうことで、話は終わりかな。詳しいことは後日ってことで」
イライザはそう言うと、椅子から立ち上がり、イアンの元へ向かう。
「よろしくお願いね、イアンさん」
「ああ、しっかりこなしてみせよう」
彼女は手を差し出し、握手を求めてきた。
よって、イアンも立ち上がり、彼女と握手を交わす。
「……あ! そうだ、忘れてた。危ない危ない」
「ん、どうした? 」
「はいこれ」
握手を終えると、イライザは肩にかけたショルダーバッグから折りたたまれた布をイアンへ渡す。
「……なんだこれは? 」
イアンは説明を求めた。
それが何で何のためなのか、それを言われていないのだから当然のことである。
「頭巾の付いたマントだよ」
「外套か。それで、何故これをオレに渡す? 」
「まず、五日後にノールドに集合ね。あと、その間イアンさんは、誰にも姿を見せないようにしてほしいの」
「姿を……身を隠せというのか。何のために……」
「うーん……今回の依頼のためだよ。あと、イアンさんのためにもなるのかな」
「ん……? 」
依頼のために身を隠す。
その必要性を理解することもできなければ、自分のためになる理由も不明。
イアンは、イライザの言うことが全く理解できなかった。
「まあ追々話していくよ。とにかく、誰にも姿を見せないこと。自分がイアンさんだってことを言っちゃうのも禁止ね」
「う、うむ」
「じゃあ、話はおしまい。もう行っていいよ」
「ああ、分かった……」
イアンは、渡された外套を手にしたまま、応接室を出た。
こうして、彼は今回の依頼を受けることになったのだった。
2019年3月24日 文章一部変更
「ねぇ、イアンさんも……兄様もそう思わない? 」 → 「ねぇ、イアンさんも……イアンさんもそう思わない? 」