十五話 イアン隠しの妙策
~~~~~~~~~~ 登場人物 ~~~~~~~~~~
●イアン・ソマフ
この小説の主人公。女性の容姿を持つ少年。髪の色は水色。
戦斧を武器とする冒険者。
イライザ本人の依頼を受け、彼女を護衛している。
女性にしか見えない容姿のせいか、同性に言い寄られたり、女性の服を着せられることがある。
そして、紆余曲折あって現在は、セーラードレスというワンピースのような服を着ている。
○セアレウス
青色の長い髪を持つ少女。
血の繋がりはないがイアンの妹。
冒険者であり、アックスエッジと呼ぶ特殊な武器と水魔法を駆使して戦う。
誰に対しても敬語で話し、基本的には真面目であるのだが、
時々突拍子もないことを言い、主にイアンを困惑させることがある。
○イライザ
外見も性格も緩く明るい雰囲気の少女。髪の色は明るい橙色。
フォーン王国の貴族で、今回の観光旅行にイアンを使命した人物。
明るい性格とは裏腹に言動に謎が多く、その存在にも謎が多い。
――ケンウォール。
大陸の中央にある山脈は、レウリニア王国から見れば北東方向に位置する。
その山脈から、西にかけて流れる大河があり、それを境にしてレウリニア王国は北部と南部に分けられていた。
ケンウォールとは王国の南部、大河に接する町のことだ。
王都から離れているにも関わらず、大河を利用した農業や商業により発展している。
住民の数も多く、王都周辺の町と比べても遜色のない栄えた町であった。
また、この町には向こう岸へと繋がる巨大な石橋を有している。
大河を船で渡って来る者もいるが、石橋を利用してこの町を行き来する者が圧倒的に多い。
ある条件を持つ者は、必ずと言っても良いほどこの石橋を利用していた。
その条件とは、ホックスタップ森林地帯から東側の地域におり、目的地が王国の南部から北部へ向かうこと。
泳いで渡るのが容易ではないほど大河の幅は広く、船を借りたり乗せてもらうには、それなりの料金を要することになる。
特別な事情が無い限りは、石橋を渡って行くことが無難であるのだ。
峡谷を抜けたイアン達は、アポットの村へ辿り着いた。
そこで一泊した二日後、彼らの姿はケンウォールの町の中にあった。
彼らがこの町に来た理由は、石橋を渡る必要があるため。
最終目的地であるアニンバが王国の北部に位置するからだ。
この町に石橋を渡るために来たのだが、彼らの姿は茶店にあった。
そこで、野外に設置された丸いテーブルを囲んで座り、呑気に茶を飲んでいた。
今は、まだ日の明るい午後である。
急いでいない茶を飲んでいる彼らは、何らおかしなことをしているわけではない。
しかし、この町には住民の数も人の往来も多く、冒険者ギルドも当然の如く存在している。
そのような町の中で、さらに人目につくような場所で、茶を飲んでゆっくりしている彼らは呑気だと言えよう。
「……こうしてゆっくりしているわけですが、一応は狙われている身。落ち着かないものです」
口を付けたカップをテーブルに置いた後、セアレウスは、そう呟いた。
彼女は綺麗に整った姿勢で椅子に座っていた。
無意識にしていることではあるが、人目につくことを意識した教養のある者の座り方である。
セアレウスは以前、剣術、魔法、一般的な知識を学び舎という施設で学習した経験を持つ。
今、彼女にそのような経験があると紹介されたのなら、誰もが納得することだろう。
「そう? 私は久々にゆっくりできて、すごく気持ちが良いんだけどな~」
姿勢の良いセアレウスに対して、イライザは悪い姿勢だ。
テーブルに突っ伏した体勢で、まさにだらけていた。
「ふへへへ、美味しいなぁ。だらだらしながら飲むお茶~」
イライザは、片方の頬がテーブルにつけたまま、器用にもその体勢で茶を飲んでいた。
こんなのでも、彼女は貴族である。
凝った装飾をしていることから、服装も貴族のものだと言えなくもない。
しかし、今の二人を見て、どちらが貴族かと問われたら、誰もがセアレウスと答えることだろう。
そして、本当の答えがイライザだと知らされた時、誰もが貴族という存在について幻滅することだろう。
「……セラちゃん、今私に対して、失礼なこと思わなかった? 」
「えっ!? 急になんですか。全然思ってないですよ」
「ん~? おかしいなぁ。なんか失礼なことを思われている気がしたんだよねぇ。じゃあ、イアンさんかなぁ? 」
そう言って、イライザはテーブルの下を覗く。
彼女とセアレウスの足の間には、丸まった分厚い布があった。
何かを包んでいるのか布の上から縄で縛られている。
端の方は特にきつく縛られているため、縄をほどかずには中を確認することはできない。
中身を見られたくないような梱包の仕方と言えた。
「……失礼というか、呆れている。他に方法は無かったのかと……」
その丸まった布から、イアンの声がした。
イライザに対して本当に呆れた気持ちを持っているのだろう。
彼の声は重々しく、僅かに苦し気であった。
「何故、オレはこんななのだ。いつもいつも……」
イアンは訴えかけるように言った。
分厚い布に包まれている何かとは、彼のことであった。
説明するまでもなく、素巻きにされていることに関して不服であった。
「兄さん、あなたをそのような風に扱うのは心苦しいことです。しかし、少しの間の辛抱です。修行だと思って、耐え忍んでください」
「はぁ……頼むから、おまえはこの状況に疑問を持ってくれ。頼むから、イライザの言うことに、はい分かりました……と、二つ返事で答えないでくれ……」
悲痛な面持ちのセアレウスだが、彼女の気持ちはどこかズレたもの。
当然ながら、彼女の言葉はイアンにはちっとも響かないのだった。
「仕方ないじゃない。青い髪の娘がいるなんて、一人でも目立つのに二人もいるんだもん。一人減らして、目立たなくしなきゃ。この町には冒険者ギルドがあるから念入りにしないと」
「結局、セアレウスが露出しているではないか。意味あるのか、これ」
イアンを素巻きにしている理由は、目立たないためであった。
彼を荷物として扱い、この町に入り、石橋を渡ってこの町を出ていくつもりであった。
しかし、イアンの言う通り、狙われている青い髪を隠せてない。
「これでいいと思っているのか、おまえ達は……」
問題が解決していないにも関わらず、上手くやり遂げている風なイライザとセアレウス。
イアンは、そんな二人が信じられなかった。
「セラちゃんの髪は、青の中の青だからね。そう見える黒って言えば、なんとかなるけどイアンさんは青っていうか水色だから、誤魔化しようがないのです! 」
「なんとかなるか? そんなので」
イライザの力説にも納得しないイアン。
そんな時――
「へいへーい、そこの青い髪のお譲ちゃんに、オレンジ色のお嬢ちゃん」
「二人共、可愛いねぇ。へへっ! 」
「茶を飲むもいいけど、俺達もっと楽しいとこ知ってるぜ。ついて来なよ」
三人の青年が現れた。
武器や防具を身に着けていないことから町の住民のようであった。
そして、話の内容からセアレウスとイライザの気を引くために声を掛けてきただけのようだった。
「ほれ見ろ。早速絡まれた」
イアンが青年達に存在がバレないように、小声で言った。
「青い髪……はて? 誰のことでしょうか? 」
「さあ? オレンジ色は私のことだろうね。でも、青い髪の娘なんて、どこにもいないねぇ」
セアレウスとイライザは互いに顔を見合わせて、不思議そうな表情を浮かべる。
勿論、本気で言っているわけではない。
これがイライザの言う誤魔化しであった。
「「「え……」」」
そのような彼女達の反応に、三人の青年は困惑する。
どう見てもセアレウスの髪の色が青い色に見えるからだ。
少しの間、オロオロとした後、横に立ち並ぶ三人の中で真ん中に立つ青年が意を決する。
「えっと、その……君のことを言っているだけど……」
そう言って、青年はセアレウスに指を差した。
「わたしのこと……? 」
セアレウスは、そう呟いて表情を険しくすると――
「どう見ても黒でしょうが! 舐めてんのか、コラアアア!! 」
と怒号を上げ――
「ブチ殺されたいのですか? あと、人に向かって指を差すんじゃありません! へし折りますよ!? 」
バンッと激しい音が鳴るほとテーブルを強く叩いた。
「「「ひっ! すすすいませんでしたーっ! 」」」
セアレウスの豹変ぶりか、その怒号か。
はたまた、彼女が叩いたせいで磨かれた石でできたテーブルに、僅かなヒビが入ったことに気付いたのか。
青年達はセアレウスに怯えて、一目散に逃げ去って行くのだった。
「おおっ! イライザさんの言った通りにしたら、納得してくれたみたいですね! 流石です! 」
上手くいった?ことが嬉しいのか笑みを浮かべるセアレウス。
「あはははは、もうやだ~この娘。テーブル叩けとは言ってないし、加減ってものを知らないんだも~ん。ヒビ入ってんじゃんこれ~」
対して、イライザは笑顔を浮かべているものの、全然嬉しそうではなかった。
「ま、上手く誤魔化せたけど……これは、ちょっと目立っちゃったね」
茶店にいるのは、彼女達ではない。
他にも客がおり、ここで働く従業員がいた。
一斉にその者達の視線がイライザ達に向けられている。
セアレウスの怒号を聞き、何事かと思い、彼女達の様子を見ているのだ。
少しと言わず、だいぶ目立っていた。
「さっさとズラかる……じゃなかった。バレる前に逃げるよ、この町から」
「あ、はい。よいしょっと! 行きますよ、兄さん」
イライザとセアレウスは椅子から立ち上がると、そさくさと茶店を後にするのだった。
「……誤魔化せていたか? あと……いや、もういい……」
移動する最中、セアレウスに担がれるイアン。
彼は結局、今の自分の状況に納得できないままであった。
ケンウォールの北に石橋がある。
長さは四百五十メートル、幅は十メールの巨大な石橋だ。
この石橋を渡るには門を通らなければならない。
町や城の出入り口に使用される大きな両開きの扉を持つ門だ。
それが石橋と同じく町の中にあるのだが、向こう岸に門は存在しない。
この町には南側にも門が存在しており、石橋に通ずるこの門は北門或いは橋門と呼ばれている。
つまり、ケンウォールには二つの出入り口があった。
そのどちらも、町の入出審査が行われている。
入出審査とは、町を出入りする者の素性や持ち物を確認すること。
人の往来が多い都市や町で見られる治安行為である。
ここで、怪しいと判断された者は、取り締まられることになる。
イアンは、心配だった。
入出審査で行われる持ち物検査で、素巻きの中身を暴かれた時、間違いなく取り締まられるだろう。
そうなれば、イライザの観光旅行は最悪中止となり、護衛依頼どころではなくなってしまうだろう。
報酬も期待できず今までの苦労が水の泡である。
なんとしでも、避けるべきことであった。
しかし、荷物として扱われる今、彼に出来ることは何もない。
故に、これとは別に心配事があった。
それは、イライザとセアレウスである。
茶店での一件を見れば、誰であっても彼の気持ちは嫌でも理解できることだろう。
イアンは、二人がちゃんとやってくれるか心配であった。
見上げるほど高い門の扉は開かれていた。
その下で、二つの人の列が出来ていた。
一方は石橋から町の中へ、もう一方は町の中から石橋へと人の列が流れている。
二つの列の違いは、その点だけだ。
反対にどちらの列にも共通していることは、大きな荷物を背負う者や荷物を載せた馬車が多く見られるということ。
その者達の大半は、商人の者である。
石橋を利用する者、この町を行き来する者の多くが商人であった。
「……よし、通っていいぞ。次」
そして、どちらの列も入出審査が行われていた。
「どうも、お疲れさん。今日も人が多くて大変だね」
幌が付いた馬車に乗る一人の商人が町の役人の前に来る。
「仕事なんでね。大変だがやるしかない。あんたも同じだろ? 」
「ははは、言うね。こんなに長い列が並ぶんなら、旅商人なんてやってないよ」
世間話をしつつ、町の役人が馬車の後ろへ向かい、幌の中を覗き見る。
「またこんな大量に……」
町の役人がうんざりした顔で呟いた。
幌の中には、隙間が見当たらないほどぎっしりと荷物が積まれていた。
その大半は木箱である。
「中は……リンゴか。全部そうなのか? 」
四角い木箱の上面には蓋がない。
一通り見回した結果、目で見える範囲の木箱にはリンゴが入っていた。
リンゴとは赤い色のフルーツで、特に珍しくないものである。
「いえ、フルーツ以外にも様々な商品を取り扱っています。油に服、家具に……」
「奥にあるのか……何か証明書は? 」
「これは失礼した。町の商人会のものを持っています」
「先に出してくれ。いらん手間がかかった」
町の役人は、馬車に乗る商人の元へ向かい、そこで差し出された一枚の羊皮紙を受け取る。
その羊皮紙には、黒色の文字がずらりと並んでいた。
それは彼が言った通り、商人会という組織の証明書である。
中に積まれた荷物やその商人の身元を保証するものだ。
「……偽物ではないな。よし、通っていいぞ」
その証明書を見た途端、町の役人は入出審査を終了させた。
「ありがとうよ」
商人は頭を下げると、馬車を動かして門の下を通ってゆく。
商人会は、この町の商いを取り仕切る組織のことだ。
そこのお墨付きを貰った者であれば、審査の必要がないほど町から信頼されていた。
証明書は商人にとっても、入出審査を行う町の役人にとっても便利なものである。
しかし、おいそれと渡される粗末なものではない。
商人会にとっても信頼のある一部の者にしか与えられない貴重なものであるのだ。
つまり、今通された人物は、上等な商人だということ。
先ほどのやり取りは、限られた者にしか行えない特別な入出審査だったと言えよう。
「次」
「はーい、お願いしまーす! 」
商人の次に現れたのは、元気で明るい少女であった。
髪の色は橙色で、青い髪の少女を連れている。
その二人組は、イライザとセアレウスであった。
「まず、君はなんだ? 」
「観光旅行をしている者です。北部のアニンバに行きます」
「うん? あんな何もない村に観光か……変わっているな。そっちの女の子は、冒険者か? 」
「はい。私の護衛として雇っています」
「ふむ……まあ、いいだろう。通って良し」
「ありがとうござまーす! 」
イライザはそう声を上げ、セアレウスは会釈をして門の下を通って行った。
先ほどの商人とほぼ同じくらい入出審査がすんなりと済んだのだった。
その理由としては、確認が必要な荷物を持っていないからである。
不思議なことに彼女達は、目につくような荷物を持っていなかった。
要するに、二人のうちどちらも、素巻きにされたイアンを担いでいなかったのだ。
――数十分後。
ケンウォールの町から石橋を渡った先、そこは見晴らしの良い草原地帯であった。
町中よりも少ないものの、石橋から草原の道路へと人々の列ができていた。
人々の列から少し離れた位置、草原の草の上に一台の馬車が止まっていた。
列から外れた人目につかない場所である。
その馬車の傍にイライザとセアレウスの二人の姿があった。
二人は横に並んで、地面に立つ商人と向き合っていた。
イライザは何も持っていないが、セアレウスは丸められた分厚い布を抱えていた。
「いやぁ、ありがとうございます。助かりました」
イライザがジャラリと音が鳴る小袋を商人に渡す。
「いえいえ。こちらも思わぬ収入の機会に、嬉しい限りでございます」
小袋を受け取った商人は、ニコニコと微笑んでいた。
イライザと商人とで、ある取引をしていた。
それは、石橋を渡ろうとする商人の荷物の中に、素巻きのイアンを混ぜてもらうことである。
これが彼女が考えた町の役人に怪しまれずに、イアンを運び出す方法であった。
自分達が無理なら他の誰かに、それも荷物の中身をいちいち確認する必要がないほど信頼されている者に任せればいい。
そのような安直な考えであった。
しかし、実行するにはいくつかの壁がある。
それは、適任の人物を見つけることと、その交渉だ。
(上手くいきましたね。それも、この人を見つけるところから、すんなりと……)
セアレウスは、イライザに感心していた。
そのどちらの壁も彼女が易々と超えてしまったからである。
商人であるかそうではないかは、一目で見分けがつきやすい。
極端に荷物の多いからだ。
しかし、その商人が上等か否かは一目では判断することは難しい。
さらに、そこからリスクの大きな仕事の交渉を承諾させるのは至難の業だと言えよう。
イライザが声を掛けた商人は、目の前の商人ただ一人である。
彼女自身は偶然だとは言っているものの――
(偶然……ですか。まず、色々と知っていなくては、この考えに辿りつかないと思うのですが……)
セアレウスは、彼女のその言葉だけは信じられなかった。
「一つお聞きしたいのが、あなたが何者かということ。ぜひとも、仲良くさせていただきたいのですが? 」
彼女をただ者ではないと感じたのは、商人も同じことのようであった。
「申し訳ありませんが、今はお忍びでして。名前だけで、お許しください」
「分かりました。イライザ様でしたね? 何かあれば、ぜひ私めに……では、ご機嫌よう」
商人はそう言うと、馬車に乗る。
そして、ガラガラと車輪の音を立てながら、彼が乗った馬車はこの場を去ってゆくのだった。
「上手くいったぁ! 最近の私に対する扱いがお粗末だった気がするけど、見直したんじゃないの~」
セアレウスに担がれるイアンに向かって、イライザが言った。
にやにやと笑みを浮かべており、得意げであった。
(くくく、イライザは天才だな……とか言っちゃうでしょ)
きっと褒めるだろうと、彼の返事に期待する。
「……おや? ばかに静かだねぇ。ひょっとして、寝ちゃってる? 」
しかし、イアンは返事をしなかった。
「ずっと、布にくるまったままですからね。寝ちゃっても仕方ありませんよ」
「ちぇ! せっかく久々に決めたのになぁ」
寝てるのだと思い、イライザは舌打ちをして悔しがる。
「兄さんには、つらい思いをさせました。しばらくは、このまま運ばせてください」
「孝行ってやつかな。羨ましいねぇ」
「羨ましい……? あ……」
セアレウスは、イライザの言葉に反応してしまったことを後悔した。
明るい声音で言っていたものの、彼女の顔がいつもとは違って、憂いを帯びた顔をしていたからだ。
「いや、気にしなくていいよ。孝行をする相手がいないってわけじゃないからね」
「そう……ですか…では、いつかはしないといけませんね」
「そうだね~そういうのって、いつかはやらないと手遅れになるからね~」
セアレウスの言葉に、イライザは微笑みながら返した。
(いるっちゃいるけど、したいとは思わない人が大半……ってのは、言う必要ないか~)
そんな彼女は、心の中では口にしたこととは別のことを思っていた。
その後、イアンを素巻きの状態から解放しないまま、二人は北へと続く道路を進んだ。
ここから、次の目的地はアニンバとなる
つまり、アニンバの途中には村や町は無いのだ。
石橋から歩くこと数時間、日が沈みだし、もう少しで空が赤く染まりだす頃に二人は足を止めた。
まだアニンバに到着していない。
これから道路の途中で、野宿をする準備をするのだ。
その前に夕食をとることになり、今まで静かに寝ていたイアンを起こす時が来た。
「イアンさーん、夕方だよ。ご飯食べるよ~」
イライザが素巻きにされているイアンに呼びかける。
「……まだ寝てる? そんなにお疲れだった? なんかごめん……」
彼を疲れさせている自覚があるのか、謝りだしたイライザであった。
「……でも、ご飯は食べないと。とりあえず、布を広げましょう」
セアレウスは素巻きを地面に下ろすと、縛っていた縄をほどきにかかる。
ほどなくして、すべての縄が解かれ、丸められた布が広げられた。
「「……? 」」
その時、イライザとセアレウスは、ほぼ同時に首を傾げた。
「なにこれ? 」
「……壺のようですね」
二人が見下ろす先、広げられた布の上にはセアレウスの言う通り壺があった。
体を丸めたイアンとほぼ同じ大きさで、重さも似たものであった。
「あー……うん。分かった。何が起きたか理解したよ」
イライザは神妙な顔つきで空を仰ぐと、指で眉間を押さえた。
それをやめ、セアレウスに顔を向けると、彼女は――
「やーちゃった。間違えちゃったね、どうしよう……」
と、眉をハの字に曲げた情けない顔をするのだった。
商人の馬車には、似たような荷物があった。
中身を確認しなかったため、それとイアンを間違えてしまったのだ。
「あ……た、大変です」
青ざめた表情で、セアレウスが掠れた声を発する。
「きょ、今日の夕食もどうしましょう……か」
「……そうだね。それもあったね。どうしようもないね、もう……」
ちなみにイアンと共に、今日の夕食も布の中に包んでいた。
行方不明になったイアンとこの日の夕食。
二人は、二重の絶望を味わい、しばらくの間途方に暮れるのだった。
2019年5月4日 前書き追加




