つり
風がのびのびと朗らかに歌い、それに合わせて花を着飾った森が踊る、とても陽気な春のこと。
村にある小さな酒場に集まった仲の良い四人の男たちが、朝から酒をたらふく飲んで、春に負けず劣らず陽気に盛り上がっていた。
「森に咲いたお月様って知ってらな?」
顔を真っ赤にした小柄な男が、舌をこんがらかして皆に向けて言った。
「そら森の奥にある、ギンギラギンギラ美しい池のこって」
木のように大きく、枝のように細い体をした男が答えた。
「あそこにゃええ魚がおる」
言って、尖った髭と円らな瞳をした男が竹筒に入った酒をグビルリと飲み干した。
「けどだ。あそこにゃ主もおる」
「主?それはいったいどんな奴だ」
この中でも特に若い小太りの男が興味をもって聞いた。
「奴あ、毎度釣りの邪魔をする」
竹筒を壁に叩きつけて男は怒鳴った。
「んだ。オラも今朝方邪魔されてな」
こんがらがった舌をほどいて男は唸った。
「奴がいなきゃ、たらふく旨い魚が食えるってのによ」
枝のような体を折って、男は机に伏した。
三人はいっせいに溜め息をついた。
「したら、俺がそいつを釣ってみせるよ」
若い男が言うと、皆これまたいっせいに笑った。
「なして笑うんだよ」
笑われて男は不機嫌な顔をした。
「そら無理だ」
「んだ。奴は頭がいい」
「それにどんな餌にも食いつかん」
若い男は残った酒を豪快に飲み干すと、竹筒をドンと叩きつけて叫んだ。
「よし待ってろ。この俺が篭いっぱいに旨い魚を釣ってきてやる」
そして戸口に向かってドタドタと歩くと、乱暴に戸を開けて外に飛び出した。
そこで一度転んで、ムッとなって立ち上がって、またドタドタと歩き出した。
「うーいさこーらさ」
若い男はフラフラした足取りで、昼になってやっと池に来た。
「お、ええ切り株があって助かる」
見つけた切り株にドシンと構えると、若い男は竿を振るってさっそく釣りを始めた。
「うまいうまい手製の餅だぞ。ほら食い付けよ」
すると、間もなく竿がかくんと頭を垂れた。
「はは、こらいい当たりだ」
若い男は、見事に立派な魚を一匹釣り上げた。
「おい主。どうした餅は嫌いかよ」
若い男が池に向けて調子良く言うと、ぷくぷくと小さな泡が水面で弾けて、それからちっこい頭が、ちろっとだけ出てきた。
「お前さんが主かい」
若い男が尋ねると、まるで頷くように頭を水の中に引っ込めて、すぐにまた出した。
「お前さんは亀だな」
亀は頭を水の中に引っ込めて、すぐにまた出した。
「改めて聞くよ。餅は嫌いかい」
亀は頭を左右にぴろぴろ動かした。
「なら、何が好きかい。虫かな」
亀は頭を左右にぴろぴろ動かした。
「果物かな」
亀は頭を左右にぴろぴろ動かした。
「そうだ肉が欲しいんだな」
亀は頭を左右にぴろぴろ動かした。
「えらくムカつく奴だ」
亀は水の中に頭を引っ込めて、すぐにまた出した。
「お前は、俺を見下してやがるのか」
亀は水の中に頭を引っ込めて、すぐにまた出した。
「ようし。こうなったら何がなんでも釣ってやる」
若い男は顔にあるもの全てを中心に集めてそう言うと、釣り針に美味しそうなタケノコを引っかけた。
そしてそれを、うまく亀の目の前に投げ入れた。
「旬だぞ。よっぽど旨いぞ」
しかし亀はジッとして動かない。
そうしてしばらく、間抜けな時間が過ぎた。
「……そうか。さてはお前女だな」
閃いて若い男は、その辺に咲いていた菜の花をむしって針に適当に結ぶと、それを池に投げ入れた。
菜の花は、ぽちょんと水面に落ちると、いつまでも沈むことなく浮いて留まった。
「遠慮するな。受けとれ」
亀は水の中に頭を引っ込めて、すぐにまた顔を出すと、左右にぴろぴろ動かした。
「こんちくしょう」
男は地団駄を踏んで怒鳴った。
そして次に何を思ったのか、持っていた金貨を糸に直接結んで、それを亀に向けて思いっきり投げ放った。
金貨は亀の後ろまで飛んで、それから池に沈んだ。
「さあ、どうだ」
とは言われても、亀にとって金貨など価値も興味もないもの。
ところが、いきなり亀が水の中に頭を引っ込めたかと思うと、しばらくして竿がグイッと引かれた。
「ははっ。水に溺れなくても欲には溺れるか」
若い男はあざけ笑いながら、竿を力いっぱい引き上げた。
すると、拳ほどの石が池から飛び出して、まさかと驚く若い男の鼻をガツンと直撃した。
若い男は鼻から血を垂らして、目から火花を散らして、くらくらふらふらと小躍りしてから池に落ちた。
それを見ていた亀は、水の中に頭を何度も素早く引っ込めては出して、続けて頭を面白おかしく左右にぴろぴろ動かした。
「俺はまったく何をやっているんだろう」
池に落ちた若い男は酔いがすっかり覚めたようで、陸に上がってからずいぶんと呆れた。
「亀……」
池からまだ顔を出してこちらを見る亀を見つめて、男はふと思い出した。
「鶴は千年、亀は万年」
と例えられるように亀は長生きするもので。
つまり、元来亀は人間なんかよりも利口で、小さい体をして池の主であることは当然なのだ。
納得して驕りを反省した男は、さっき釣った魚を池に返してやった。
「じゃあな主。もう会うこともないだろうよ」
言って立ち去る若い男を、亀は水の中に頭を引っ込めることなくしっかりと見送った。