さよならかいじゅう
これは、懐かしいほどに古い物語です。
前触れもなく、まるで初めからそこにいたように、一体の怪獣が大都会の真ん中に突然現れた。
その怪獣は町も人も何もかもを氷漬けにしながら、やがて一国を難なく制圧した。
怪獣の大きさは、およそ千二百メートル。
どんな兵器も通用しない体を持っている。
故に、誰にも止めることが出来ず、国民はとうとう国を追い出されることになった。
傍ら怪獣は、ある町を住処と決めたようで、現在はそこに落ち着いている。
そして最近になって怪獣は、一部の人間達にとって、異怖の存在から娯楽と仕事の対象になった。
氷漬けにされた町を観光することが権力者達にとっての娯楽となり、怪獣を退治することを目的にする者達にとっては仕事となった。
この私はというと、小説家を目指している身で、小説を書くための取材を目的に、わざわざ怪獣のいる町を目指している。
実を言うと、私は子供の頃から、何よりも怪獣が狂おしいほど大好きなのだ。
怪獣は素晴らしい。
人の心が具現する夢だ。
今や多くの人間が当たり前に平和を夢見ているが、本当はその誰もが心のどこかで何かしらの破壊を夢見ている。
ただ、皆して知らないうちにそれから逃げているので気付く者は少ない。
怪獣はその破壊を代行して実現してくれる。
もちろん物語の中だけでの話だが……長くなるのでこれ以上は止めておこう。
さて、渋々承諾してくれた知り合いのヘリがいよいよ町に近づくと、私は敢えて目を閉じて、到着を今かと心待ちにした。
やがて適当なビルの屋上に到着すると、私は下に見えるコンクリートだけを見つめて、ゆっくりとそこに降り立った。
それからまた目を閉じて、ヘリが起こす風が終わるのを堪えた後、満を持して目を見開いた。
すると、目を奪うような幻想的な世界が一気に広がった。
私はその景色を見て、心も体も震えるような感動で心が満たされるようだった。
町の上にある灰色の空から真っ直ぐに伸びる幾本の淡い光の柱が、めいめい自由に主張する巨大な氷の水晶を複雑に輝かせている。
町の底には銀色にチラチラと瞬く冷気が果てなく続いていて。
風でほんの少し舞い上がったそれは、絶え間なく降り続ける可愛いらしい雪の一つ一つと溶けるように混じり合い、小さな花を咲かせては瞬く間に儚く散らした。
思い描いていたクジラのような姿をした巨大な怪獣は、その中心に、そっと飾られていた。
これはまさに、怪獣の作り出した芸術だ。
私は現実から切り離された心地さえした。
それから数日の後。
私は無精髭を生やした大男と知り合った。
本名は伏せ、名前は仮にラビットとする。
ラビットは意地悪な性格をしているが、私が怪我をした時、彼は手際よく治療してくれた。
きっと根は優しい男に違いない。
そんな彼の目的は、怪獣を退治することで政府から人生を取り返すことだ。
また数日の後。
次にお金持ちのお嬢様と出会った。
仮の名前はグリズリーとしよう。
グリズリーは歳が二十もいかない少女で、しかしながら大人顔負けの気の強さを持っていた。
肝もかなり座っており、怪獣に触れた彼女の勇姿はとても鮮烈で衝撃的で、決して忘れることが出来ないだろう。
そんな彼女の目的は、怪獣を退治することで政府を見返してやることだ。
またまた数日の後。
最後に、この町に一人残り、孤独に戦う軍人の男と出会った。
仮の名前はスパニエル。
スパニエルの端正な顔立ちとクールな性格は、さながら映画に登場するキャラクターのようだと思った。
射撃の腕前が相当な彼だが、怪獣相手では意味をなさない。
彼はそれを、これじゃ仕事じゃなく遊びだ、と嘆いた。
そんな彼の目的は、国の為に尽くすことだ。
彼らと私が出会って早数ヵ月が経った。
いつからか互いに仲間意識が芽生え、私達は、私を含めて四人で行動するようになっていた。
今日も町の様子は変わらず、怪獣にも変化はない。
それを見て、グリズリーは退屈そうに大きなアクビをした。
「あのトカゲみたいな長い尻尾、切り落としたらさぞ気持ちいいでしょうね」
その言葉に、スパニエルは呆れた顔をしてグリズリーに言う。
「グリズリー。君は、もっと女の子らしくいたらどうだ」
対してグリズリーは舌を出し、べっー、と意地悪な態度を返した。
「スパニエル。好きな女の子には優しくしておけ」
ラビットが茶化すようにそうアドバイスすると、スパニエルは呆れたという想いを態度にして見せた。
「人間てのは結局は愛を求めるもんだ。その時のチャンスを逃すぞ」
ラビットは声を潜めて、わざとらしくゆっくりとスパニエルに耳打ちした。
スパニエルはそれに答えることなく、怪獣に鉄砲を向けて引き金を引いた。
放たれた弾は、コンッ、という間抜けな音を町に響かせた。
それを聞いて、グリズリーはたまらず大笑いした。
「お馬鹿さん。いい加減、学習なさったらどうですか?」
「わかってはいるが、これが私の仕事だ」
「あの昆虫みたいな硬い殻は、ミサイルだって効かんぞ」
思えば確かに。
あの怪獣に対して世界中の国が本気を出して戦ったのに、怪獣は無傷でこの国を制圧した。
鉄砲など効かなくて当たり前だ。
それでも、彼らは今日も戦っている。
「俺は政府が死ぬほど嫌いだ」
ラビットが突然そう言った。
「財産も家も自由も、全部あいつらに奪われたからな。でも今は、それを怪獣に奪われた政府を、俺は必死に助けようとしている。馬鹿な話だぜ」
「馬鹿なものか」
スパニエルがすかさず言った。
「理由は何であれ、誰に尽くすことは人として立派なことだ」
「あら、それはどうかしら?」
グリズリーは続けて言う。
「政府は人の為を建前に、わたくし達家族をバラバラにしましたのよ。それが立派な事と、あなたはもう一度、確かに言えますか?」
スパニエルはうつ向いて黙った。
さすがにそう言われて、もう一度同じことは言えないのだろう。
それに彼は私と違って愛国心溢れる男だ。
二人の話を聞いて落ち込んでも仕方ない。
ふと、ラビットが煙草に火を着けた。
その煙はユラユラと立ち昇り、降る雪を焦がした。
「ここはまるで地獄ですわ」
誰かが言った。
現実こそ真の地獄だと。
しかし私は、グリズリーのその言葉を聞いて、それは違うと心の中で否定した。
「でもね、前向きなあなたがいるからそれでもいいの」
さっきのことを申し訳なく思ったのか、グリズリーはスパニエルを横目で見てそう言った。
「怪獣よ。どうかその鳥のような翼で、空を越えて立ち去ってはくれないものか」
スパニエルは空を見上げると悲しそうに笑った。
「そうしたら……」
終わりの言葉は、誰の耳にも届かないほど小さく、風の音に混じって消えた。
「もういっそ、全部壊してくれ」
ラビットは煙草をビルの上から投げ捨て、怪獣に向けて呟いた。
落ちる煙草は氷の水晶に当たると、それに張り付くように凍り付いた。
「何でお前は、凍らすだけ凍らして壊さねえんだ」
彼の言う通り、怪獣は今まで凍らせたものを一つたりとも壊さなかった。
また、その氷は何があっても壊れることも溶けることもなかった。
「お前のせいでな。幸せになれない人間達がいるんだぞ」
ラビットがついに叫ぶと、怪獣はそれに反応して視線をこちらに向けた。
「俺は決めたぜ」
その目を睨み付け、ラビットはスパニエルの鉄砲を一つ借りた。
「待て、何をする気だ」
スパニエルが真剣な表情をして制止する。
「俺は、お前の言葉で目が覚めた。そんで思い出した」
「何?」
「誰かに尽くす奴は立派だとか、さっき言ったな」
「だからと言って」
「俺達は負けねえ」
ラビットはスパニエルの肩を強く掴んだ。
「な、グリズリー」
グリズリーは歯を見せて笑い、二本立てた指を二人にビシッと向けた。
「スパニエル。お前には援護を頼む」
「だから、何をするか言え」
「何って、いつも通り戦うんだよ」
策もなく怪獣へと立ち向かおうとする彼を、私とスパニエルは必死に止めた。
それでも彼は怪獣に立ち向かい、それから二度と帰らなかった。
「スパニエル、近くに来てください」
こうして、あの日からすっかり元気を無くした私達は、いつか愛を求めていた。
どうしてか、たまらなくて仕方なかった。
「グリズリー」
「はい」
「私は君に言うことを決めたよ」
「何をですか?」
グリズリーはスパニエルに体を預けた。
スパニエルは彼女を優しく抱き締めた。
「愛している」
私はその言葉を聞いて、その場を静かに離れた。
二人に気を使っただけではない。
私はビルから出ると、チラチラと瞬く銀世界を、氷の水晶に触れないように気を付けながら慎重に進んだ。
けれど一歩進むごとに私の足は速くなり、いつの間にかその足は駆け出していた。
しばらくして、激しく肩を上下しながら私は立ち止まった。
まともに呼吸を出来ぬまま見上げたそこには、私の求めるものがあった。
睦まじい目をしていた。
私はくれる愛を一心にその身で受け止めた。
私の心はやっと満たされた。




