てんとうむし
朝、お母さんが洗濯物を干している間。
六歳になる啓渡くんは夢中でテレビを見ていました。
テレビでは、愛らしいネズミがお仕事を頑張るお父さんへチーズを届けるという内容のアニメがやっておりました。
啓渡くんはそれを見て思いつきました。
そうだ、僕もお父さんへチーズを届けよう。
そう決意するや啓渡くんはさっそく冷蔵庫に駆けました。
冷蔵庫を開けると、お父さんが大好きな『割けるものなら割いてみろスモークチーズ』がたくさんありました。
それを両手いっぱいに持って、啓渡くんは自分の部屋に急ぎました。
そしていっぱいのチーズをアルギニンドラゴンを模したリュックに詰めると、前にお父さんに貰った名刺を宝箱から取り出して、それを大事にポケットへ入れました。
「啓渡?」
お母さんが洗濯物を干し終えた時、すでに啓渡くんは出掛けた後でした。
「こんにちは!」
啓渡くんは、道行く人に元気に挨拶しながら駅へと向かっていました。
もちろん、方角どころか場所もわかってはいません。
しかし、駅はどこかと尋ねることもなく、啓渡くんはずんずんと前へ進みます。
「駅どこだろう……」
やがて、啓渡くんはすっかり迷子になりました。
するとたちまち不安に襲われました。
さっきまでの上機嫌もどこかへいってしまいました。
「お母さん……お父さん……」
一人で泣きそうになるのをこらえながら歩いていると、何かが啓渡くんの肩に止まりました。
「男が泣くんじゃねえ」
啓渡くんが驚いてきょろきょろと辺りを見回しましたが、声の主は見つかりません。
「人差し指を前に出せ」
言われて、啓渡くんは右手の人差し指を前に出しました。
そしたら、その先に赤くて小さな虫がふいっと飛んできて止まりました。
背中にある点々を見て、啓渡くんは大喜びして叫びました。
「てんとう虫だ!」
「うるせえ。男ならクールでいろ」
「しゃべった!え!うそ!」
「落ち着け。クールでいろ」
「ねえねえ!どうしてしゃべれるの!」
「さっきからうるせえつってんだろ!!」
てんとう虫に怒鳴られて、啓渡くんはしゅんとしてしまいました。
「悪い。怒鳴るつもりはなかった」
「うん。いいよ」
「お互いにクールにいこうぜ」
「クールって何?」
「とにかく静かに落ち着け」
「わかった」
「いい子だ」
そう言って、てんとう虫は啓渡くんの肩に飛んで戻りました。
「お前、名前はなんて言うんだ」
「けいと」
「啓渡。お前は今どこに向かってる」
「駅を探してる」
「そうだろう。でも駅はあっちだ」
「どっち?」
「あっちだって」
「どっち?」
「あっちだつってんだろ!!」
再びてんとう虫に怒鳴られて、啓渡くんはその場に座り込んでしまいました。
「泣くな。てんとう虫的な配慮が足りなかった」
「うぅ……」
「俺が飛んで案内するからついてきな」
そう言っててんとう虫は飛び上がり、垣根に張られた蜘蛛の巣にひっかかりました。
「こんなことってあるかよ」
小さな蜘蛛がてんとう虫にそろりそろりと近づきます。
「お前みたいなチビが俺を食おうってか。笑えないぜ」
蜘蛛はてんとう虫を足でつっつきました。
「俺はクールな男だ。恐れも慌てもしない」
蜘蛛はてんとう虫の触角を味見しました。
「啓渡」
「ん?」
「助けてくれえ!!」
必死に叫ぶてんとう虫を、啓渡くんは指でつまんで助けてやりました。
「なんてことないぜ」
「本当に?どこか食べられてない?」
「ねえよ。それより、どうやら助けられちまったみたいだな」
「助けてって言ったから」
「仕方ねえな。俺がどこまでも連れて行ってやるよ」
「本当!」
「駅に行くってことはどこかに行くってことだ。そうだろ」
「お父さんのところに行くの」
「よし任せろ。まずは駅に行くぜ」
それから啓渡くんは、スズメに食べられそうになったり、トラックが起こす風に飛ばされそうになったり、自転車にぶつかったり、あらゆるトラブルに合うてんとう虫を助けながら、いえ、助け助けられて駅へとやって来ました。
「金とやらはあるんだろうな」
「三百円あるよ」
「人間のルールはよく分からんが。てんとう虫的にヤバイ感じがするぜ」
「次はどうするの」
「まず、あの名刺をそこにいる立派な人に見せて、それから切符を買いな」
「わかった」
啓渡くんは改札にいる駅員さんに話しかけました。
「こんにちは!」
「こんにちは」
「ここ、どうやったら行けますか」
名刺を駅員さんに見せて尋ねます。
駅員さんは少し考えて。
「君、一人で行くの?」
と聞きました。
啓渡くんはすぐに答えました。
「てんとう虫と一緒に行くの!」
駅員さんは啓渡くんの肩に止まるてんとう虫を見つけて、とても不安な表情をしました。
「大丈夫?お家に電話する?」
「番号分からない」
「じゃあ、会社にかけてお父さんと話そう」
駅員さんは啓渡くんから名刺を借りて一度奥に戻ると、しばらくして電話を片手に戻って来ました。
「お父さんだよ」
駅員さんは優しい笑顔で啓渡くんに電話を渡してあげました。
「もしもし!お父さん!」
「ああ。啓渡、平気か?」
「なにが?」
「いや、とにかく一人でこっちに来るつもりなのか」
「てんとう虫と一緒だよ」
「てんとう虫と?」
「それがねすごいんだ!しゃべれるんだよ!」
「ははっ、それ本当か」
「本当だよ!だから駅まで来られたんだ!」
お父さんは、ふむぅと唸って何か考えている様子です。
「もしもし?お父さん?」
「一人で電車に乗って来られるか?」
「てんとう虫と一緒だから大丈夫!」
「そうだな。てんとう虫と一緒なら大丈夫だな」
「うん!」
「じゃあ、お父さん駅で待ってるから。電話を駅員さんに渡してくれ」
「はい!駅員さん!」
駅員さんは電話を代わると、お父さんと何やら話してから電話を切りました。
「私の仲間に君を見守るようにお願いするから、頑張って行っておいで」
「うん!」
「そうだ。切符の買い方を教えてあげるよ。おいで」
啓渡くんは駅員さんから親切丁寧に切符の買い方を教わると、改札を越えてホームに案内されました。
「子牛町という駅で降りるんだよ。いいね」
「うん」
「もし分からなくなったら、誰でもいいからこの紙を渡しなさい」
啓渡くんが駅員さんに貰ったメモ用紙には事情と子牛町という文字が並んでいましたが、啓渡くんにはまだそれが読めませんでした。
「さ、電車が来るから下がって」
電車が訪れる案内のメロディが流れると、啓渡くんはとてもわくわくしました。
そして遠くから電車がこっちに向かって来ると、啓渡くんはとてもどきどきしました。
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
「ありがとうございました!」
「どういたしまして。てんとう虫くん、後は頼んだよ」
駅員さんはてんとう虫にもしっかり挨拶して、啓渡くんを電車に乗せてあげました。
電車の扉が閉まると、啓渡くんは駅員さんに大きくバイバイして、それから空いている適当な席に座りました。
流れる外の景色を見て、啓渡くんはとてもうきうきしました。
「お前中々やるじゃねえか」
「でしょ!」
「おっと、声が大きいぜ」
「しっー」
「それでいい」
「ねえ。電車ってすごいね」
「そうだな」
「どうやって動いてるのかな」
「てんとう虫的には、電車は生きてるんだと思うぜ」
「違う」
「啓渡、それ最高にクールだ」
「そう」
「おい見てみろよ」
「あ!虹だ!」
「クールに」
「虹だぜ」
「俺はな、あの虹の彼方から来たんだぜ」
「かなた?」
「向こう」
「嘘だー」
「信じなくても構わねえ。だが、夢は見ろよ」
「寝るの?」
「違う。あの向こうから来たかも知れないってワクワクドキドキウキウキしろってことだよ」
「虹の彼方には何があるの」
「てんとう虫がいっぱいる」
「どうして?」
「どうしてって。まあ、神様と一緒に暮らしてるんだよ」
「嘘つき」
「夢を見ろって言ったよな」
「神様と何して遊ぶの」
「は?遊ばねえよ。俺達は神様に言われて仕事するんだ」
「どんなお仕事するの?パン屋さん?」
「てんとう虫を丸焼きにするつもりか。俺達の仕事は道案内だよ」
「そっか。だからか」
「そういうこったよ」
啓渡くんはてんとう虫と楽しくおしゃべりしながら、ようやく子牛駅に到着しました。
「着いた!」
「おめでとう」
「うん!」
そこへ駅員さんがやって来て。
「君が啓渡くんだね」
と、肩に止まるてんとう虫を見て啓渡くんに確認しました。
「そうだよ」
「お父さんが待ってるからおいで」
「お父さん!」
啓渡くんは駅員さんについて足音高らかに改札へ向かいます。
ここで突然、てんとう虫が言いました。
「俺の道案内はここまでだ」
「え?」
「お前は勇気ある、かっこいい、てんとう虫的に超クールな男だ。それを忘れるな」
「うん」
最後に、てんとう虫は一呼吸置いて別れを告げます。
「じゃ、あばよ。元気でな」
そしてふいっと飛び立ちました。
「待って!てんとう虫さん!」
「楽しかったぜ」
啓渡くんはてんとう虫が見えなくなる前に、大きな声で叫びました。
「ありがとー!またねー!」
てんとう虫はそれを聞いてクスリと笑いました。
「ふっ。あいつにクールは似合わねえな」
こうして、啓渡くんはてんとう虫のおかげで、大事もなくお父さんに会うことが出来ました。
「啓渡。よく頑張った」
お父さんに撫でられて、啓渡くんはとっても嬉しそうです。
「腹が減ったろう。お父さんと何か食べに行こう」
「やった!」
「何が食べたい?」
「けいと的にはステーキ!」
「はは、それは参ったな」
「駄目?」
お父さんは首を振ると、啓渡くんを天高く抱き上げて言いました。
「今日は特別だ!」
「今日は特別だー!」