脳死判定
この話の登場人物には名前がありません。
なので、勝手に名前を作ったりしてもらって構いません。
あと下手です。
「あれ?」
体に強い痛みが走り、視界が揺らぐ。
「人が轢かれた!」
周りの声が絡まってグチャグチャになる。
「嘘・・・」
一番泣かせなくなかった人の泣き顔がだんだんと消えていく。
あと、もう少し早くか遅くにここに来ていれば。
今日ここに来なければ。
きっと。
しなければ。
やらなければ。
来なければ。
“運命”なんて言葉に轢かれることはなかった。
闇に飲まれることはなかった。
泣き顔は見ずに済んだ。
目が覚めると目の前は真っ暗だった。
上も下も右も左も何も見えない。
見えるのは自分の体だけ。
「これであと、3日後までに目が覚めなければ脳死判定となります」
遠くでそんな声が聞こえた。
聞き覚えのある声が、泣き声がした。
崩れ落ちる音がした。
「やだよ」 「なんで」そんな声が聞こえる。
“俺は生きてる。ちゃんと意識あるよ”
そう伝えたいのに、声が出ない。
指1本動かせない。
声は聞こえるのに目は見えない。
なぜだろう。
これが脳死というヤツなのか。
検査結果的には死んでいるけど自分の中で意識は案外ちゃんとあるんだな。
アニメやドラマで脳死判定されかけた人が目を覚ますみたいな事があるが、この調子じゃあ、俺は目を覚ませそうにない。
なんせ、目を開けているのに真っ暗なのだから。
これ以上どう目を覚ませというのだ。
「ねぇ、目を開けてよ・・・。開けてよ!!寝てるふりでしょ!!?ねぇ!!お願い・・・。目を開けてよ・・・」
ごめん。目を開けたいんだ。
ごめん。開けられないんだ。
寝てるふりだったら自分もどれだけ嬉しいか。
これが夢だったら、どんなに嬉しいか。
すすり泣く声が聞こえる。
一つではないので他にも誰かいるのだろうか。
あぁ、俺はいろんな人を泣かしているのか。
嫌だな。人が泣くのは苦手だ。
今は、自分が悪いとわかっているから尚更。
「あの、事故現場に落ちていた鞄です。ご本人のものか確認していただいてもいいでしょうか」
この声は聞いたことがない。話し方からして看護師さんだろうか。
「これは・・・。はい。本人のです・・・」
泣く声がより一層大きくなる。
だめだよ。泣かないで。
今、目が開けばどれだけ救われるか。
この先どんな悪いことがあってもいい。
お願いだから目を開けて。目を開けたいんだ。
夜になったのだろうか。
昼間はあんなに鳴いていた鳥の声も無くなり、すすり泣く声もいつの間にか消えた。
ただ、本当に今が夜なのか、確かめる術を俺は持っていない。
しばらくの間はこれが続くのか。
目の見えない人は大変だな。
実際になってみると、いつも自分ができている普通だと思っているものがどれだけ大切かがわかる。
あー。俺の人としての命もあと2日か。
ん、でも確か、鞄の中に・・・。
気がつくと再び鳥の鳴き声が響いていた。
でも、昨日と違い泣く声は聞こえない。
代わりに、大好きな声が聞こえる。
「着替え、持ってきたよ。あと、あなたが好きなお菓子もね。一緒に食べよう」
目は見えないがその声の主がどんな顔をしているかはだいたい想像がつく。
きっと、優しい顔をしている。俺の大好きな顔だ。
耳元で、お菓子の袋を開ける音が聞こえた。
「コンソメしかなかったの。あなたはうす塩が好きだったっけ。ごめんね」
なんだか、懐かしい香りが病室に広がる。
少し前までは普通に食べていたのに。
懐かしいだなんて少し可笑しいな。
しばらくして、部屋の扉が開く音がした。
人の気配がなくなった気がする。
誰かが入ってきたのかと思ったら逆だった。
また1人か・・・。
懐かしいコンソメの香りだけを残して大好きな人は帰ってしまった。
1人は別に嫌いではない。
ただ、暗闇の中に1人というのはなかなか寂しい。
少し眠ろう。どうせ起きていても寝ていても見た目は変わらないのだから。
人の話し声が聞こえて目が覚めた。
「異常は特にありませんね。明日までに目を覚まさなければ脳死判定となります。それなりの覚悟を」
「・・・はい」
鼻をすする音がする。
泣かないで。死ぬわけじゃないんだから。
お願いだから。泣かないでよ。
「先生!今、涙を・・・」
あぁ、今俺は涙を流したのか。
「脳死状態であっても、涙を流したり髭が伸びたりすることがあります。とにかく、明日までに目を覚ますことを願いましょう」
戸が開く音がする。
医師が出て行ったのか。
「ねぇ、お願いだから・・・。目を開けてよ・・・」
手に触れられている感覚がある。
とても温かい。
「ごめんね・・・。あの時、私がお出かけしようなんて言ったから。あなたの言う通り、家でゴロゴロしておけば、良かったね・・・」
「私の、我儘のせいで・・・ごめんなさい・・・」
泣いているからか、言葉が途切れ途切れになっている。
「また、明日来るね・・・。ずっと一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい。大好きだよ・・・」
頬に柔らかな何かが触れ、すぐにその感覚は俺の記憶を呼び起こした。
前にもこんな事があったな。
俺が風邪をひいて寝ている時に今と同じ事をそっとしてくれた事があった。
その時は起きていたのにも関わらず、咄嗟に寝たふりをしたのだった。
扉の閉まる音がする。
また1人だ。
明日が怖い。
なんだか、体が震えている気がする。
だけど、そんな事あるはずもない。
指1本動かせないのだから。
あぁ、鳥の鳴き声がする。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
「えー・・・。残念ながら脳死判定となります」
寝ている間にどうやら全てが終わったようだった。
「先生、本当にですか!?何かの間違いじゃないですか?!」
「お気持ちはわかりますが、どうか、受け入れて下さい・・・」
「嘘でしょ・・・。嫌よ・・・。ねぇ!目を覚まして!」
今までとは違う、声を上げて泣いている。
「もう我儘言わないから!あなたの言う通りに何でもするから!だからお願い!いつもの笑顔見せてよ・・・」
そのあと暫くは、ずっと叫びながら泣いていた。
俺も1人の空間でずっと泣いた。
脳死判定された事は悲しいしなんだか寂しい。
だけど、一番悲しいのはもう絶対泣かせないと決めた人が今泣いているということだ。
落ち着いたのか、それとも涙が枯れ果てたのか泣く声が聞こえなくなる頃にはもう烏が鳴き始めていた。
それはなんだか今までよりも切なく響いた。
「あぁ、そういえば・・・」
鞄か何かを漁る音がする。
「あった・・・。ドナーカード」
あぁ、そんなのあったな。
確か2人で「とりあえず、書いておくか」と半ばノリで書いたドナーカードを財布に入れていたのだ。
「脳死判定受けても誰かに臓器を移植すればあなたは違う誰かとしてまた生きていけるんだよね」
「あなたはどっちが幸せ?このまま居たい?それともまた体を動かしたい?」
このまま居るのは退屈でつまらない。
だけど、また体を動かすことができたとしても、それは俺ではない。
つまり、もう大好きな笑顔を俺として俺は見ることができない。
でも、そんなことを考えても伝えられる術を持っていないわけで。
「私はあたなに新しい人生送ってほしいな。別にあなたのこと嫌いになったわけじゃないよ」
そんなのわかってるさ。
君はどうせそのあとに「目を覚まして欲しいって思ってる」って言うんだよ。
「私はまだ、あなたに目を覚まして欲しいって思ってるの」
ほら。もう何でもわかるんだよ君の事は。
大好きだから。
そして、君はきっと、僕のことを好いてくれているからこそ「生きて欲しい」と言ってくれるんだろう。
それに、俺には君以外誰もいないから。
すべて君が決めていいんだから。
決めて欲しいんだ。
「少し時間を頂戴。きっとあなたは決めて欲しいなんて思ってるんでしょ?」
「私だってあなたのこと何でもわかるんだからね」
うふふ、と笑いながら頭を軽く小突かれる。
久しぶりに泣く声が以外を聞いた気がする。
扉が閉まり夜が来て朝になった。
「おはよう。今日は仕事が休みだったから朝から来ちゃった」
ビニール袋の音がする。
「今日はねチョコレート持ってきたよ。でも、私ビターは苦手だからミルクにしちゃった」
持って来てもらったのはありがたいけど、甘いのは苦手だ。
だから、たとえ今食べられる状況にあったとしても食べなかったと思う。
「あ、おはようございます。今日は朝からいらっしゃるんですね」
看護師さんだろうか。何度か聞いた声がする。
「おはようございます。はい。仕事が休みだったので」
「あ、そう言えばこれ」
「ドナーカード・・・ですか・・・?」
「はい。これ、どうしたらいいですか」
あぁ、決めたのかな。
「臓器移植、できませんか」
「あ、えっと、では担当医の所に行きましょう」
あー。俺死ぬのか。
でもまぁ、あいつらしいな。
きっと、あんな風にアッサリ決めたように言っているが、内心まだ悩んでいるはずだ。
まぁ、違う道を行くのもいいか。
いい加減何もしないのも飽きてきた。
だからといって死にたいという訳でもないが。
「ただいま。ごめんね折角朝から来れたのにここにあまりいられなくて」
パイプ椅子に座る音がする。
「先生とお話、してきたよ。ねぇ、私、どうしたらいいと思う?」
「あなたの内蔵を移植すれば、たくさんの人が助かる。だけど私は、あなただけが生きてくれてればいいなんて少し思ってる・・・」
「私って酷いかなぁ・・・」
酷くなんかない。
きっと、好きな人がいる人はみんなそう思うはずだ。
それでも、移植すると言う選択肢が出てくるなんてすごいと思う。
「とりあえず、血液型とか検査だけしてもらうから・・・。ごめんね」
また泣いてる。
ここ3日、4日で何回泣かせたんだろう。
謝らなくてもいいのに。
泣かなくてもいいのに。
それに、謝らないといけないのはこっちの方だ。
脳死になんてなってしまってごめんなさい。
心配かけてごめんなさい。
たくさん泣かせてしまってごめんなさい。
君はやってくれないだろうけど、もし目が覚めたら全力で殴って欲しい。
気を失うんじゃないかってぐらいに。
もう一度目を開けて、あの大好きな笑顔を見たい。
大好きな人に感謝を伝えたい。
そうしたらもう、二度と目が開かなくたって、命がなくなったって構わない。
なんだかんだで、あまりいいことの無い人生だった。
両親は俺が中学生の時に事故で亡くなってしまうし。
今現在、俺も事故で死にかけだ。
唯一、大好きだと思える1人に出会えた事ぐらいがいいことだった。
はぁ、なんだか眠い。
いつもより寝る時間が早いかもしれないけど寝よう。
「本当にいいんですか?」
「はい・・・。もう決めました・・・」
よく分からないがなんだか全て終わったようだ。
「分かりました・・・。手続きなどいろいろありますのでまた、書類等お渡しします」
扉が開く音がして足音が遠ざかっていく。
「はぁ。ごめんね・・・。私今からあなたを殺すためにいろいろやらなきゃならないんだ・・・」
「でもさ、言い訳みたいだけど、あなたにこのままいて欲しくないの」
わかってるよ。謝らなくていいよ。わかってるから。
「ごめん。今日はもう帰るね。ごめんなさい」
バタバタと慌ただしく部屋を出ていく音がする。
ここにいると、いろんな事を思い出してしまうからかな。
悩ませてしまうぐらいならもういっそのこと、さっさと死んでしまいたい。
でもそうしたら、そうしたで、ずっと泣かれそうだな。
「ちょっと遅いけど、おはよう」
またビニール袋の音がする。
今日は何をもってきてくれたのかな。
「今日は辛いお菓子だよ。さぁ、何でしょう」
パンッと袋を開ける音がして、刺激的な匂いが部屋の中に広がる。
きっと、細いスティック状になったアレだ。
「あーでも、開けたのはいいけど、私辛いの食べられないや。口の中に詰め込んであげようか」
久しぶりに聞いた。
悪戯を企む時の楽しそうな話し声を。
でも、一気に食べるとだいぶ辛いだろうから詰め込むのは止めて欲しい。
「そういえばね、居たよ。あなたの血液型一致する人が。名前とかは教えてもらえなかったけど」
「今、手術の日程とか決めてるみたい」
もうじき俺は死ぬのか。
でもまあ、ほかの人のためにまた生きられるんだからいいか。
このまま生きて命を無駄にするよりかはまだましかな。
「規則だからって相手には会えないし名前教えてもらえないんだって」
「あなたの内蔵を渡していいかどうか、見てみたいだけなのに」
俺の内蔵なんてそう大したものじゃないのに。
「どうせ、大したものじゃないとかそんな事しなくていいのにとか思ってるんでしょ?」
「そんなことないんだからね。あなたが生きるために動いていてくれていた。私と出会い一緒にいられるように動いてくれた」
「そして何より、これから死ぬかもしれない人を助けられる。あなたは死んでしまうけど」
「ほら、とっても素敵でしょ?あなたの内蔵」
確かにそうかもしれないな。
この内臓がなければ大好きな笑顔も見られなかったわけだし。
残りの時間まだ、付き合ってもらわなければならない。
ふと、どこからか音楽が流れた。
俺の大好きな曲だ。
この曲は確かメールの着信音にしていたはず。
「あ、メールだ。この曲最近、私もハマってさ、着信音にしたんだ」
「ごめんね、少し用事が出来ちゃった。また明日ね」
翌日、病室には話し声も、お菓子の匂いも何も無かった。
それはその次の日も、またその次の日も。
久しぶりに病室に話し声とお菓子の匂いが戻ったのは最後に来てもらった時から4日後だった。
「久しぶり。来れなくてごめんなさい」
「病院には内緒でね、移植する相手の人と会ってきたの。とってもいい人だったよ」
なら、安心して内蔵を渡すことができる。
「だけどね、会ったらさ、この人が大好きな人の命を奪って生きるのかって少し思っちゃった」
「奪うんじゃなくて、渡すのにね」
そう思うのは仕方ないと思う。
誰かを救うには、誰かが犠牲にならなければならないし。
誰かが嬉しい思いをすれば、誰かが悲しい思いをする。
救われたり、嬉しい思いをした方はいいことばかりだ。
だけど、犠牲になったり悲しい思いをした方からすればいい事なんて何一つとしてないはずだ。
「だけどさ、覚悟決めなきゃね。こっちが悩んでたら、あなたも不安でしょ?」
確かに。
命がなくなるとかそんな不安は自分でも驚くほどない。
だけど、好きな人が不安そうにしていると、何にもないのにこちらまで不安になる。
「あとね、手術の日が決まったよ」
「明後日だって。相手の人の体調が危ないからって」
とても急な気もしないでもないけど相手の人が死んでしまっては移植する意味が無いので仕方ない。
「でも早く決まってよかったかも。ウジウジ考えずに済むし」
「あーあ」と言って俺の体に覆いかぶさってくる。
人の温度を感じるのは久しぶりな感じがする。
それから、時間なんてあっという間にすぎてすぐに手術の日が来た。
普通の人なら麻酔をするが脳死状態の俺はしないらしい。
あぁ、もう死ぬのか。
本当に死ぬのか。
次にもしあの大好きな笑顔を見れるとしたらそれは俺じゃない人が見る事になる。
あまりそういう事を考えるのはよそう。
気がついたら俺は違う人の体の中にいた。
その人にはどうやら奥さんがいるようだった。
それに女の子と男の子。二人の子供だろう。
規則で臓器提供する方とされる方は会ってはいけないらしい。
だけど、どうにかして知り合ったお互いは今もまだ会っているらしい。
移植されてもまだ、大好きな笑顔と声を聞くことができた。
これからは今の俺の体の人のために精一杯働こうと思う。
脳死状態になっていい事なんてないと思っていたけれど、人のために働くのも悪くない。
“移植”という選択肢を選んでくれた大好きな笑顔に感謝しなければ。
ここまでお読み頂き本当にありがとうございます。
アドバイス等あれば言ってもらえたら嬉しいです。
本当にありがとうございます。