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第7話

 試合開始のゴングと共に、両者はリング中央へと進み出た。

 亜里砂は腰を落として半身に構え、凉子は両拳で顔面をガードするボクシングスタイルで、2mほどの距離をおいて対峙する。

 リング上はプロレスというより「異種格闘技戦」を思わせる緊迫した空気に覆われていた。


(構えだけ見れば空手か拳法のように見えるが……あれだけのパワーがあれば、投げ技や組み技も警戒すべきか?)


 これがプロレスの試合であれば予めマッチメイカーから大まかな試合の流れを指示されるのでそれに沿って戦えばよいのだが、今夜は事実上の真剣勝負セメントなので相手の手の内が全く読めない。

 とはいえキックボクサー時代に戻ったような緊張感は、凉子にとってあながち悪いものではなかった。


(何にせよパンチもキックもリーチはこちらの方が長い。下手に寄せ付けず、アウトレンジで仕留めたいな)


 攻撃のタイミングを図るかのように左右にステップを踏み始めた亜里砂に向かい慎重に近づくと、凉子は自分の間合いに入るや牽制のミドルキックを放った。

 ほぼ同時に、凉子の視界から亜里砂の姿がふっと消えた。


「な……!?」


 当惑しながらも正面右側のすぐ傍に迫る「何か」の気配を察し、凉子はなりふり構わず左に逃れる。

 振り返った彼女の目に映ったのは、両手をマットに突いて逆立ちせんばかりの急角度で片足を蹴り上げた亜里砂の姿だった。


(何だ!? この技は)


 驚いたのは凉子だけではない。

 それまで「お遊びのエキシビション・マッチ」と思い、笑いながら観戦していた客席もシンと静まり返っていた。


「おい。今のあの女の子の動き、見たか?」

「何て速さだ……じゃああの子供、本物の格闘家か!」


 そんなひそひそ話が交わされ、それまで試合に目もくれなかった客たちまでグラスを置いてリングを注目し始めた。


「さすがですね。長谷川さんが見切れなかった『滝登り』をかわすなんて」

「あんな図体だけのボクサー崩れと一緒にするな」


 言い返しながらも、凉子は「恒河流」と呼ばれる格闘術の一端を垣間見たような気がした。

 武道であれスポーツ格闘技であれ、上級者ほど試合に精神集中し、対戦相手の一挙手一投足を凝視観察するものだ。

 だが皮肉なことに、それは自身の視野を狭め、その外側の「死角」を広げるリスクを伴う。

 その死角を狙って素早く間合いに飛び込み、至近距離から必殺の一撃を打ち込む。


(……そういうことか)


 言葉で説明すれば簡単だが、ただ身軽なだけで出来る芸当ではない。

 さらに空手やキックではあり得ない奇妙な蹴り技。

 凉子は過去にビデオなどの資料で見た各種格闘技のうち、ブラジルのカポイエラを思い出していた。

 ただし滑り込む様に踏み込んできた身のこなしは、むしろ中国拳法に通じるものを感じたが。


(わけが分からない……ともかく、離れて戦うのは攻め入る隙を与えるからあまり得策ではないか)


 体勢を立て直した凉子は、軽々ととんぼを切って元の構えに戻った亜里砂に対し一気に間合いを詰め、ジャブの連打を浴びせた。

 凉子自身、女子レスラーとしては軽量級の部類に入るものの、さらに軽い亜里砂が相手ならば近接しての殴り合いで力負けすることはないだろう。

 亜里砂がその小さな身体からは想像もつかぬ怪力の持ち主だとしても、打撃戦でものをいうのはやはりウェイト差なのだから。

 奇妙なことに少女は殴り返してこなかった。

 一応ガードを固めるように拳を構えているが、凉子のパンチに対しては上半身を左右に動かすウェービングで回避に徹し、そのフットワークはあたかも熟練ボクサーのようだ。


(得体の知れないヤツ……いや、恒河流とは本当に「拳法」なのか?)


 そんな疑問が凉子の頭をかすめた。

 既に試合開始後2分を過ぎようとしているが、亜里砂が攻撃に使ったのはあの「滝登り」という蹴り技一発のみ。

 あるいは蹴りやパンチによる攻撃は補助的なものであり、むしろ投げ技や組み技、あるいはグラウンドに持ち込んでの関節技によってとどめを刺す柔術系統の格闘技なのかもしれない。

 いずれにせよ中学生が1人でこんな技を思いつくわけがない。

 誰かは知らないが、リングアナウンサーの言葉通り「未知の格闘技」を編み出し彼女に伝授した者がいるのだろう。


(社長の目も節穴ではなかったということか……だがこちらも負けるわけにはいかない!)


 あえて大振り気味に右ストレートパンチを打つ。

 思った通り、亜里砂は後方に飛び退いてこれをかわした。

 だがこれは凉子の作戦。

 両者の間合いが開いた瞬間を狙い、ガードが空いた亜里砂の右脇腹目がけ渾身の左ミドルキックを叩き込んだ。

 少女の身体が木の葉のごとく吹っ飛び、マットに倒れる。


 客席からざわっとどよめきが上がった。


(終わったな……)


 レフェリーのカウントを聞きながら、自軍コーナーに引き返そうとする凉子。

 だがカウントが途中で止まったのに気付き、慌てて振り返った。

 亜里砂がムクリと起き上がり、再びファイティングポーズを取っている。

 凉子は内心で舌打ちした。

 派手に吹き飛んだのは亜里砂なりの「受け身」だったのだ。

 凉子の左足がヒットする瞬間右手で脇腹をガードし、あえて打撃に身を任せることで身体へのダメージを最小限に抑えたらしい。


 レフェリーの指示で再度両者は対峙する。

 試合が再開したとき、凉子は亜里砂の瞳から大粒の涙が零れていることに気付いた。


「怖くなったか? 別に試合放棄してもいいんだぞ」

「いえ……嬉しいんです。笹崎さんは本当に強いんですね。こんな強い人と試合できるなんて――これで、私も遠慮なく恒河流の奥義を使えます」


 そういいながら、拳を構えたままぐっと腰を落とす。


(何だと? なら今までのファイトは何だったんだ!?)


 凉子の背筋に悪寒が走った。

 もはや理屈ではない。

 彼女の格闘者としての本能が、最大レベルでの警報を打ち鳴らしている。


(やはりグラウンド狙いか?)


 凉子もまた、両腕でガードを固め腰を落とした。

 おそらく亜里砂はタックルにより自分の足を取りにくるだろう。

 そこをカウンターの膝蹴りで迎え撃つために。


 だが次に亜里砂のとった行動は、凉子の予想を裏切るものだった。


 大きく息を吸いながら右拳を腰に引き付け、左足はそのままに、右足で大きく踏み込んでくる。

 短い気合いと共に少女の右拳が突き出され――。


 ダンッ!!


 マットを踏みしめる足音が店内に響き渡った。

 激しい衝撃と共に、凉子の視界が目の前の亜里砂から天井のライトへと大きく揺れる。

 それを最後に彼女の意識は途切れた。



 亜里砂が繰り出した右拳の直突きを受けた凉子は、リング中央からロープ間際まで弾き飛ばされ、そのまま仰向けに倒れていた。

 レフェリーが駆け寄りカウントを取り始めるが、彼女が完全に意識を失っていることに気付いた時点で大きく両手を振り、試合終了のゴングを要請。


 2分20秒、鷹見亜里砂のTKO勝ち。


「よかったなぁ。最初の蹴りで倒れてなけりゃ、おまえがアレを食らってたんだぜ?」

「……」


 店の片隅で試合を観戦していた岡本の言葉を聞きながら、部下の長谷川は絶句してリングを見やっていた。


「この目で見ても信じられませんが……確かにあの娘の実力は本物ですね。ですが、あれを果たして『プロレス』と呼んでよいものでしょうか?」

「なあに。鷹見亜里砂はいわばダイヤの原石だ。これからどう磨き、どう光らせるかは俺たちの仕事さ」


 客席のあちこちでも、客同士が今の試合について一斉に話し始めていた。


「今のは一体何だ? トリックじゃないのか?」

「いや、そんな風には見えなかったが……」


『お客様、今の試合は決してトリックでもパフォーマンスでもございません』


 リングに上がったアナウンサーが、マイクを取って声を張り上げる。


『ただいま店内のモニターにKOシーンを再生致します。どうぞ皆様ご自身の目でお確かめ下さい』


 店内の数カ所には大型の液晶TVが置かれ、どの席からも試合をよく観戦できるようリングサイドに設置されたビデオカメラの映像を常時映し出している。

 そのモニター画面に亜里砂のKOシーンが繰り返し再生されるが、そこでは少女の拳が一撃で対戦相手の凉子を吹き飛ばす光景がありありと再現され、トリックが入り込む余地など存在しないことを証明していた。



「おめでとう亜里砂ちゃん! 凄いやないか~」

 セコンドの美鶴が興奮した様子で亜里砂にタオルをかけ、スポーツドリンクの容器を差し出した。

「今の必殺技なに? 気功? 発勁? 恒河流って中国拳法なん?」

「『徹甲』っていう恒河流奥義のひとつです。師匠は中国拳法の崩拳ぽうけんをベースに改良した技だっていってましたけど、私もそれ以上詳しいことは……」


 そう答えつつも、亜里砂の視線は気を失ったまま担架で運び出されていく笹崎凉子を心配そうに追いかけていた。


「じゃあ次の試合始まるから、鷹見さんたちも引き上げて」


 マイクを下ろしたアナウンサーから小声で促され、亜里砂と美鶴はリングを降りる。

 入場の時とは正反対に大きな拍手に迎えられるが、却って気恥ずかしさが増した亜里砂はタオルを頭から被ったまま、逃げるような小走りで試合会場を後にした。



 リングコスチュームを脱いでシャワーを浴び、元の制服姿に着替えて美鶴と共に控え室を出ると、廊下に長谷川の巨体が待っていた。


「ご苦労だったな。社長は仕事で外しているが、車で家まで送ろう。大橋は残って他の仕事だ」

「はい。あ、その前に……他の選手の皆さんはどちらにいらっしゃるんですか?」

「こことは別に大部屋の控え室があって、そちらを使ってるが?」

「出来れば、帰る前に皆さんにご挨拶しておきたいんですけど」

「今は止めた方がいいと思う……」

「え?」

「あ、いや……おまえ、明日も学校だろう? 早めに帰らないと不味いんじゃないか」

「それはそうですけど……」


 長谷川のいうことももっともだ。

 時刻は既に夜の10時過ぎ。

 余り遅くなると父の勲も心配するだろう。

 やむなく美鶴にお礼をいって長谷川と駐車場に向かおうとした、その時。

 男のスーツの内ポケットから着信音が鳴った。


「ああ、あんたか……こっちはこれから帰るところだ」


 スマホを取り出した長谷川が誰かと話し出す。


「何? いやそれはちょっと……そうか……分かった。今から連れて行く」


 誰と話してるんだろう――亜里砂は不思議に思った。

 ため口で話しているからには、社長の岡本ではないだろう。

 だが男の困ったような表情からして、相手は彼と同格か、それ以上の立場の人物らしい。

 考えてみれば岡本と長谷川、そして今夜対戦した凉子、付き人の美鶴を別にすれば、まだ「ヴァルハラ」の社員や所属選手とはまるで面識もなく、団体の内情についても知らないことだらけだ。


「すまんが、やっぱり選手控え室に寄ってくれ」

「いいんですか?」

「加納エミが……おまえと話したいそうだ」

「?」


 どこかで聞き覚えのあるその名前に首を傾げた亜里砂は、すぐはっとして声を上げた。


「加納エミって――あの『バーニング・ギャルズ』のエミさんですか!?」

「あ、ああ……そうだ。一度リングを引退したあとうちに入団して、今は現役選手とチーフトレーナーを兼任してるが」


 なぜか奥歯に物の挟まったような口調で、長谷川が説明した。

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