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第28話

 ヴァルハラ側からリング借用の打診を受けた当初、「グラディアトル 」は難色を示した。

 近年はインディー団体などで男女のレスラーが同じリングに上がることも珍しくなくなったものの、それらはあくまで娯楽性を重視したエキシビション・マッチ(※)であり「硬派の格闘プロレス」をウリとする同団体のイメージにそぐわないとの判断からだ。

 かつての人気アイドルレスラー・加納エミの事故死、そして前代未聞の現役中学生レスラー・鷹見亜里砂の存在が公になったことで、これまで無名の女子プロレス団体だった「ヴァルハラ」の知名度は瞬く間に高まり話題性としては充分である。

 しかし逆にいえばコアなファン層から「客寄せのためイロモノに走った」と批判されかねない。


※:勝敗を度外視したパフォーマンスとしての試合。


 だがヴァルハラ社長の岡本から「娯楽園ホールの使用料を折半」「現在売れ残りの前売り券は全てこちらが買い上げる」と破格の条件を提示され、 グラディアトル経営陣も考えを変えた。

 現在の日本はプロレスも含め格闘技冬の時代。

 一時は隆盛を極めた総合格闘技ブームも去り、アマレスや柔道なら世界選手権、プロボクシングなら世界タイトルマッチクラスの試合が辛うじてマスメディアに取り上げられるくらいである。

 人気プロレス団体であるグラディアトルでさえ、その経営事情は決して楽ではないのだ。

 ギャラクシー岩城ら選手陣の反対を押し切り、結局「加納エミ追悼の特別試合」としてセミファイナル前の1時間を「ヴァルハラ」に提供することとなった。



「グラディアトル」「ヴァルハラ」両団体のコラボ。

 娯楽園ホールにおけるスペシャルマッチ「FEWA選手権試合・メデューサ伊藤vs鷹見亜里砂」のカードが公式に発表された直後より、反響は予想以上に大きかった。

 加納エミの訃報が一部メディアで報じられ、また動画投稿サイトに流出したヴァルハラの試合(とりわけ相手選手を身体ごと吹き飛ばした亜里砂の必殺技「徹甲」)が話題を呼んでいたこともあり、ヴァルハラ側が新たな販売窓口となった前売り券は即日完売。

 それでも「オカモト金融」オフィス内の一角を借りた「ヴァルハラ事業部」の受付電話はひっきりなしに鳴り続け、担当の女性事務員はチケットを求める客へのお詫びと説明に忙殺されることとなった。


「……はい、はい。誠に申し訳ございません。前売り券は既に完売致しまして……ええ、試合の方はどうぞ当日券を……」

「幸先がいいじゃねえか。こんなことならもっとでかい会場借りて単独興業でも行けたかな? ワハハ」


 そういって満足そうにタバコをふかす岡本が背後を振り返り、ついさっき面会を求めてオフィスを訪れたばかりの亜里砂を見やった。


「……で、今日は何の用だい? 鷹見」

「あの、試合の前売り券って、もう全部売れちゃったんですか?」

「ごらんの通りだ。ただしまだ一部は残してるがな」


 言いながら、デスク上に置かれた一束のチケットを顎で指し示しす。


「それ、売らないんですか?」

「こいつはリングサイドの特等席だよ。宣伝のため知り合いの会社社長やメディア関係者なんかを招待するのさ。うちもこれから団体として独り立ちする以上、スポンサーになってくれる企業が必要だからな」

「もし売ったら幾らです?」

「1枚8千3百円だが……何でそんなこと訊くんだ?」

「あの……折り入ってご相談があるんです」


 亜里砂の思い詰めた表情に気づくと、岡本もタバコをもみ消し真顔で少女の顔を見上げた。



 月末の日曜は昼過ぎから雨となった。


「貴文ーっ、お友だちよーっ!」


 二階自室のベッドに寝転がって格闘技漫画を読みふけっていた東貴文あずまたかふみは、階下から呼ぶ姉・郁美いくみの声に顔を上げた。


「(あれ? 今日は誰とも約束はなかったはずだけど)誰だよ?」


 訝しみながらもドアを開けると、階段を昇って来る郁美が妙に戸惑ったような顔を見せた。


「ほら、この前遊びに来てた女の子……鷹見さんだっけ?」

「鷹見が?」


 ますますおかしい。

 来週の日曜、亜里砂がリングデビュー以来初めて娯楽園ホールでタイトルマッチを行うことは貴文も知っている。

 大一番を控え、てっきり彼女は道場でトレーニングに明け暮れていると思っていたのだ。


「それが、何だか様子が変なのよ。雨なのに傘も差さないで……」

「えっ!? 分かった、すぐ行く」


 慌てて階段を降り土間に向かうと、そこに亜里砂が立っていた。

 いつもの制服姿に通学用のスポーツバッグを提げている。

 だが姉の言葉通り、少女は頭からずぶ濡れのままじっと俯いていた。


「鷹見!? いったいどうしたんだよ、そんな格好で!」

「いきなり押しかけてごめん……東くん、今ちょっといいかな?」

「いや俺は構わないけど――って、とにかく上がって身体拭け! 今タオル持って来るから!」



 10分ほど後、東家のバスルームを借りて郁美のスウェット上下に着替えた亜里砂は、貴文の部屋でしょんぼりと座り込んでいた。

 サイズが大きくてダブダブだが、これは致し方ない。


「ええ……っと」


 部屋に入ってからも「ごめんなさい」と小声でつぶやいたきり、俯いて黙り込んだ亜里砂を前に、貴文は内心どぎまぎしつつ頭を掻いた。

 プロレスラーに限らず、大きな試合を直前に控えた選手が精神面で何かと不安定になるという話は知っている。

 ただしそれもあくまで雑誌やネットを通じて得た知識。

 貴文自身が何か格闘技を嗜んでいるわけでも、専門のコーチでもないので、こんな時にどう声をかけていいの見当もつかない。


「どう? 少しは落ち着いた?」


 ドアが開き、トレーの上にホットココアを載せた郁美が姿を見せた。


「さ、これ飲んで……暖まるわよ」

「あ……ありがとうございます」

「制服の方はいま乾燥機で乾かしてるから。ゆっくりしていってね♪」

「……すみません」

「遠慮しなくていいのよー。何か悩みがあるなら、誰でもいいからいっそぶちまけちゃった方がスッキリするわよ? うちの弟、バカだけど口は堅い方だから」

「もういいだろ姉ちゃん! さっさと出てけよ」

「貴文ぃ~。責任持って鷹見さんの相談に乗るのよ?」

「いや責任って……俺なんもしてねーし」

「問答無用! 下手打ったらもう宿題教えてやんないからねっ」

「分かった、分かったから!」


 半ば強引に郁美を廊下に押し出すと、貴文は部屋の中に引き返した。


「ったくもう……」

「いいお姉さんだね」


 湯気を立てるマグカップを両手で抱えた亜里砂が、少し笑った。


「そうかあ? 女のくせにガサツだし、口うるさいし……まあ勉強は俺より出来るけど」

「二つ上っていってたから、再来年は高校卒業するんだ?」

「そっ。本人は『看護学校に行きたい』っていってるけど……アレじゃ看護される患者さんに同情するね。今から」

「もう自分の進路をはっきり決めてるんだ……尊敬しちゃうなぁ」

「何いってんだよ? おまえこそ、『プロ格闘家になる』って夢を実現させたばっかりじゃん」


 それを聞いた亜里砂が再び黙り込んでしまったため、貴文は内心で「しまった!」と悔いた。


「あっ……そうそう、ネットで見たぜ。来週、娯楽園ホールで試合するんだろ?」

「……うん」

「トレーニングも大変だろ? でも根を詰めすぎるのもNGだぞ。プロは試合当日にコンディション100%で臨めるよう、事前のトレーニングではコンディション70%くらいに抑えるものだって――」

「東くん、あの試合見に来てくれるの?」

「もちろんそのつもりだったんだけど……」


 がっくり肩を落とし、


「俺が電話した時には、もう前売り券が売り切れで……あとは当日券になるけど、この調子じゃ前日から徹夜の行列ができそうだから、会場に行っても入れるかどうか……」

「そう……」


 何を思ったか、亜里砂は傍らのスポーツバッグを開けて中から一枚のチケットを取りだした。


「もしよかったら……これ使って」

「へ?」


 受け取ったチケットをよくよく眺め、貴文は思わず息を呑んだ。


「これは来週の……と、特別リングサイド席!? あの試合、一般の指定席もプレミアがついてネットオークションじゃ3万円くらいの値がついてるんだぜ?」

「社長に無理言って、2枚だけ売ってもらったの」


 それをきっかけのようにして、亜里砂はポツポツ喋り出した。


「父さんと母さんの分……久しぶりに二人一緒に来て欲しくって」

「鷹見の両親って……」

「離婚した。5年前に」

「……」


 噂でそれとなく聞いてはいたが、これまであえて尋ねなかった事実を告げられ、今度は貴文が黙り込む番だった。


「今日、母さんの実家に行ったんだけど……母さんもういなかった。別の男の人と結婚して、もう新しい子供も出来てるって」


 5年ぶりに訪れた孫娘の亜里砂を、母方の祖母と祖父は快く歓迎してくれた。

 だが母の理砂子が既に再婚して実家を出たと聞いた彼女は、最後まで祖母たちに試合の件を切り出すことが出来なかったのだ。


「母さんはもう新しい人生を歩み始めてる。それが母さんにとっての幸せなら……迷惑だよね。今更私なんかが押しかけたって困らせるだけだよね。あはっ」


 マグカップをトレイに置いた亜里砂は、瞳に浮かんだ涙を手の甲で拭った。

 貴文はどう答えて良いやら分からず手にしたチケットを見つめていたが、やがて顔を上げ亜里砂を見つめた。


「……分かった。このチケット、ありがたく譲ってもらうよ。当日は鷹見のお父さんと一緒にリングサイドから応援させてもらうぜ!」

「ありがと……東くん」


 そういって立ち上がろうとした亜里砂を、貴文が引き留めた。


「おっと。服が乾くまでの間、プロレスのDVDでも視ていかないか? この間、面白いのが手に入ったんだ」


 TVとDVDデッキのスイッチを入れ、本棚から取り出したDVDをデッキに挿入する。


「長いプロレスの歴史の中じゃ、後になって『あれは真剣勝負セメントだった』と分かってる試合もあるんだ。関係者の証言や何かで」


 やがてTV画面は青いリング上で対峙する二人の男を映し出した。

 一方は黒のショートタイツを履いた日本人レスラーである。


「あ! あの顎の長い人、TVで見たことある」

「まあプロレスラー引退後も議員になったり、何かと世間を騒がせてるからね」


 対戦相手は両手に赤いグローブをはめたアフロヘアの黒人ボクサー。


「1976年6月26日、日本武道館で行われた格闘技世界一決定戦。プロレスラーのアントニオ猪木と当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリの異種格闘技戦さ」

「プロレスとボクシングの?」


 亜里砂は少し考え、


「でも……それってボクサーの方が不利でしょ? ルールも全然違うし」

「そう。だからそのルール問題で双方最後まで揉めて……結果的に、当日の試合は投げ技・関節技・寝技なんかが禁止されたほぼボクシングルールでの対戦になったんだ」

「え? それじゃあプロレスラーの方が……」

「仕方ないさ。いくら日本の人気レスラーでも、当時のプロボクシングヘビー級チャンプとじゃ国際的な知名度が段違いだし」


 TVの中のリング上では、アリに対して滑り込むようにローキックを浴びせた猪木が、マットに仰向けになったまま両手でしきりに挑発している。

 対するアリも英語で何事か喚きつつ、猪木が起き上がるタイミングを狙い両の拳を構えていた。


「どうだ? この試合、筋書きがあるように見える?」

「……違う。二人とも本気だよ。顔つきが違うもの」


 亜里砂は息を呑み、膠着状態のまま罵り合う二人の男を凝視した。


「でもさ、この試合……当時のマスコミや評論家からは『世紀の凡戦』って散々酷評されて、長い間ビデオにもならないでお蔵入りにされてたんだよなあ」

「どうして? 二人ともこんな真剣に闘ってるのに」

「猪木はアリのパンチを避けるためああやってスライディングしてのキックを続ける。アリはアリでプロレス技を恐れてもう一歩踏み込めず、ああやって挑発する……そのまま15ラウンド過ぎて引き分けで終わり。観客やTVの視聴者からすれば『退屈な試合』に映ったんだろうね」

「そうなんだ……」


 世紀の凡戦と評された「格闘技世界一決定戦」。

 だが試合後、太腿に猪木のキックを受け続けたアリは膝の裏に血栓症を患い、僅か5年後に現役から引退することになったという。


「これ視たらさ、俺みたいな『格闘技ファン』って一体何だろうって思っちゃったよ」


 少し寂しげな顔でため息をつき、貴文は膝を抱えた。


「たとえば野球ファンとサッカーファンが『最強の球技は何か?』なんて言い争ったりしないだろ? でも格闘技ファンだけは『世界一強い格闘技は何か?』をいつも考えてる。どんな一流選手同士が真剣勝負で闘っても、結局はルール次第であんな風に膠着状態のまま終わるのは分かってるのに。何て言うか……漫画や小説の中でしかあり得ないような『理想のファイト』を現実のリングに夢見てないものねだりしてるんじゃないのかってさ」

「……」

「最近のプロレスファンはもう『プロレスは八百長か?』なんて議論はしないよ。演出アングルだろうが筋書きだろうがありのままのプロレスを受け止めて、それぞれのファンが自分を一番熱くさせてくれるレスラーを応援してる……案外それが正解なのかもな」

「東くんの言うとおりかもしれない……でもね」


 マットに寝転がったままのプロレスラー。

 しきりに舌を出して悪態をつくボクシング王者。

 端から見れば滑稽に思えても、その実相手を一瞬で仕留めるチャンスを窺いながら睨み合う男たちから視線を離さぬまま、亜里砂は答えた。


「来週の試合……私、伊藤さんともう一度真剣勝負(セメント)で闘うんだ」


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