第27話
「これをご覧下さい」
「オカモト金融」社長室。
デスクに置かれたノートPCを太い指で操作した長谷川が、ディスプレイを社長席に座った岡本の方へ向けた。
液晶画面に映し出されたのは、スポットライトに照らされたリング上でファイトを繰り広げる女子プロレスラーたちの姿。
「……確かにうちの試合だな」
金貸しを営む傍ら、女子プロレス団体「ヴァルハラ」運営も手がける男はうなずいた。
「加納エミの事故が起きた例のタッグマッチを含め、最近の試合が5分くらいのダイジェストに編集され、無料動画サイトに匿名で複数アップロードされています。むろんうちの会社に何の断りもなく」
「どれどれ……ほう、もう十万再生超えてやがる」
「感心してる場合じゃありませんよ」
元プロボクサーの巨漢は半ば鼻の潰れた顔をしかめた。
「ヴァルハラ」の試合は一般プロレス団体の興業と違い、会員制クラブ「パラスト」店内のショウとして行われている。
そして試合の内容はDVD販売はもちろんのことネット配信もされない。
「ここでしか見られない過激な女子プロレス」が店側のウリでもあるのだから。
ただしリングサイドからデジタルビデオカメラで撮影された試合の様子はDVDに記録され「資料」として団体が保管する。
選手たちが今後のファイトやトレーニングの参考にするためだ。
「何者かが無断で画像データを持ち出しネットに流出させたのです。これは重大な規約違反です」
「そりゃ悪いことするヤツがいるもんだなあ。で、データのDVDを持ち出せる可能性があるのは?」
「選手かフロントか……いずれにせよ団体内部の人間に相違ありません。早急に犯人を割り出し厳正な処分を――」
「まあ、ちょいと待て」
「は?」
「確かに違反は違反だが、これでうちが何か損害を被ったか?」
「いえ、損害というほどのものは……ただTV局や新聞社に『この試合は何処で観られるのか?』という問い合わせの電話が殺到しているとか」
「だろ? まさにケガの功名。今のうちの状況を思えば願ってもない『宣伝』じゃねぇか」
「え? あの、まさか、動画を流出させたのは……」
「おいおい、社長の俺を疑うヤツがあるかい」
岡本はニヤリと笑い、スーツの内ポケットから取り出したサングラスをかけた。
「お、もうこんな時間か……車の支度だ。道場に行くぜ」
◇
「よくねえ報せだ。『パラスト』からうちの団体との契約を打ち切るって連絡が来た。今後あの店じゃ試合が出来なくなった」
道場2階の会議室。
選手から練習生まで一同に集めた会議の席上で岡本が告げると、女子レスラーたちは一瞬唖然とし、ついで口々に質問を始めた。
「それじゃ、団体なくなっちゃうんですか!?」
「私たちこれからどうなるんです!?」
騒然とする会議室の一席に座り、亜里砂は久しぶりに姿を見せたメデューサ伊藤の顔に視線を向けた。
伊藤は少しうつむき加減のまま沈黙している。
まだエミが事故死したショックから抜けきっていないように思われた。
「とにかく落ち着け。俺だって『ヴァルハラ』を潰す気はないぜ。おまえらレスラーも気をしっかり持ってくれや」
室内の騒ぎが一段落したところで、岡本は改めて口を開いた。
「確かに加納の事故は災難だったし、彼女には申し訳なく思ってる。だがな、こういう時こそ『ピンチをチャンスに変える』発想が必要だと思わねえか?」
「あの……どういう意味でしょう?」
「予定より少し早いが……こうなりゃやるしかねえ。俺たちは『表』のリングに打って出る!」
会議室の空気が再びざわめいた。
「で、でも、どこで? 自主興業っていったら会場借り切ったり、色々お金もかかるって……」
「会場はもう押さえた。来月最初の日曜、場所は娯楽園ホール」
「そんなに早く!?」
「当日は男子プロレス団体『グラディアトル』が興業を打つが、そのとき『特別試合』として1時間だけうちにリングを貸してもらえることになった」
それを聞いた女子レスラーたちの何人かが眉をひそめた。
「グラディアトル」といえば大小の団体が乱立する現在のプロレス界にあってひときわ抜きん出た存在だ。
アマレス出身、オリンピック96kg級金メダリスト・ギャラクシー岩城をエースに据えて「格闘プロレスの復興」を唱え、事実国内外の総合格闘技イベントにも選手を派遣し優秀な成績を収めている。
また娯楽園ホールは昭和の時代より有名なプロレスファンの「聖地」。
会場の規模こそさほど大きくないものの、集まる観客は目の肥えたプロレスファンが多く、いい加減なファイトをすればたちまちブーイングの嵐を浴びることになるだろう。
1時間だけといえそんなリングに上がることはプロレス団体としての価値を値踏みされ、一歩間違えれば取り返しのつかないイメージダウンを招く諸刃の剣といえる。
「カードは決まってるんですか? まさか男子レスラーと試合するわけじゃないでしょう」
選手の中では最年長に当たる藤原満里奈が尋ねた。
「むろんだ。やるのは加納の事故で棚上げになってたFEWAベルト争奪トーナメントの決勝戦。カードはメデューサ伊藤と……ダイモン小栗、おまえたちのシングルだ」
「じ、自分がですか?」
いきなり指名された小栗が目を丸くする。
「亡くなった加納の代理だ。そして試合は……おまえが勝ってチャンピオンになれ」
「ええっ!? し、しかし……自分と伊藤さんは同じヒール軍団ですけど」
「そこだよ。いわば下克上ってやつだな。だがそれをきっかけにヒール軍団内部での抗争が勃発。次のリターンマッチでベルトを奪取した伊藤が脱ヒールを宣言し、名実ともにうちの新エースに収まるって演出さ。どうだ?」
「あ、なるほど……」
納得したようにうなずいた小栗は、伊藤の方をチラっと見やった。
「伊藤さんさえ良ければ、自分は構いませんが」
選手たちの視線が伊藤に集まる。
「どうだ伊藤? うちとしちゃ加納に代わるエースをおまえに任せたい……引き受けてくれるな?」
半ば懇願に似た岡本の要請にも、伊藤は顔を上げなかった。
「……いや……」
「なに?」
「もういや……あたしはもうリングに上がりたくない……今日は辞表を出すために来たのよ」
亜里砂も含め、その場にいた全員が息を呑んだ。
「おい待て! 辞表ってどういうことだ!?」
「……エミが、あたしを許さない……」
「加納の件を気にしてんのか? あれは不慮の事故だ。警察だって認めたろうが」
「だって……今もそこにいるわ!」
たまりかねたように両手で頭を抱え、伊藤は悲鳴のように叫んだ。
「みんなには見えないの? エミが……血まみれになって社長のすぐ横に立ってるのを!!」
岡本は驚いて左右を見回したが、すぐ向き直った。
「いねえぞ? そんなもん」
だがその時には会議室内は殆どパニック状態に陥っていた。
腕っ節にかけては大の男にもひけを取らない彼女たちだが、相手が「幽霊」となれば話は別だ。
若い練習生の中には顔を覆って泣き出す者までいる。
その騒ぎのさなか――。
「幽霊? そんな子供じみた言い訳して逃げ出すつもりですか? 伊藤さん」
室内が水を打ったように静まりかえった。
一同の視線が、今度はその言葉を発した亜里砂に向けられる。
少女は長テーブルの上で両手を組んだまま、伊藤の方を見ようともせず続けた。
「あなたエミさんのこと『人殺し』っていってましたよね? いざご自分が同じ立場になったら『もうプロレスはいや』? いくら何でも虫が良すぎるんじゃないですか」
「……!」
「プロレスを辞めたいっていうならお好きにどうぞ。でもその前に、私ともう一度セメントで闘ってくれませんか? お望みどおり、もう二度とプロレスなんか出来ない身体にしてあげますから!」
「……て……めぇっ」
それまで虚ろに宙を泳いでいた伊藤の目が亜里砂を睨み、みるみる憤怒の形相へと変わる。
「ざけんな! ブッ殺してやる!!」
「馬鹿、落ち着け!」
パイプ椅子をはね飛ばして立ち上がった伊藤を、慌てて背後から長谷川が羽交い締めにした。
「そいつを外に出せ! 頭を冷やさせろ!」
岡本の号令一下、長谷川の腕を払おうと暴れる伊藤を選手や練習生たちが束になって取り押さえ、強引に会議室の外へと連れ出していった。
「ったく……どいつもこいつも」
ネクタイを緩め大きくため息をついた岡本が、その場に残った亜里砂をサングラス越しに睨んだ。
「おい鷹見。おまえ、本気で伊藤が加納を殺したって思ってんのか?」
「……思ってません」
「なら何であんな挑発した?」
「ああでも言わないと、伊藤さんホントにプロレスを引退しちゃうと思ったから……」
「ふむ……」
岡本は椅子に座り直して腕組みした。
「気持ちは分かるが……こればっかりはあいつ自身の問題だ。気持ちの折れちまったヤツを無理矢理リングに上げたってしょうがねえだろ?」
「私、お化けや幽霊なんか信じませんけど……今の伊藤さんには本当にエミさんの姿が『見えて』るんだと思います。その、口じゃうまく説明できませんけど」
「罪の意識が作り出した幻覚ってトコか?」
「はい。だから今逃げ出したら、伊藤さんはこれから先一生エミさんの『幽霊』につきまとわれます」
いいながら、少女の瞳から涙が溢れ出して頬を伝った。
「そんなことになったら……誰も救われないじゃないですか? 伊藤さんも、本物のエミさんも……伊藤さんには死んだエミさんの分までリングで頑張って欲しいんです。そのためなら私、かませ犬でも何でも引き受けます……!」
岡本はしばし無言のまま考え込んでいた。
ややあってケースから一本タバコを取り出すが、すぐ握り潰して灰皿に捨てた。
「……カード変更だ。娯楽園ではおまえが伊藤とやれ」
ぐっと人差し指を亜里砂に突きつける。
「え? それじゃ」
「筋書きはいらねえ。あと一度だけ真剣勝負を許す……おまえらリングの上で思う存分やり合って見せろ!」




