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第24話

 既に客が帰り、急にガランとした「パラスト」店内中央では10名ほどの若手レスラーや練習生たちが黙々と仮設リングの撤去作業にかかっていた。


 一方、同じ店内の一角には「ヴァルハラ」社員・長谷川の巨体を囲むようにして何名かの女子レスラーが集められていた。

 すなわち今夜のメインイベントに出場したメデューサ伊藤、ダイモン小栗、そして鷹見亜里砂。

 さらに両チームのセコンドを務めたフェアリー岬、スパイダー黒木。

 リングサイドから直に試合を目撃していた大橋美鶴をはじめとした数名の若手と練習生。


「わざわざ残ってもらってすまんが……朝一番で今夜の事故についての報告書をまとめて提出しろって社長命令なんでな」


 長身をかがめ、頭ひとつ以上小さな女子レスラーたちに目線を合わせるようにして、長谷川が切り出した。


 FEWA認定女子プロレス・チャンピオンベルト争奪トーナメント決勝戦の「前哨戦」となるはずだったタッグマッチは、試合中の場外乱闘において加納エミの昏倒・意識喪失というアクシデントにより中断され、ドクターストップという意外な結末を迎えた。


 演出アングルではない正真正銘の「事故」である。


「直ちに救急車を呼んで欲しい」というリングドクターの進言に対し、「パラスト」支配人は当初難色を示した。

 以前行われた亜里砂と伊藤のファイトでも両者が負傷したが、あの時は試合終了後にビルの裏口から車で密かに病院へと運ばれた。

「パラスト」は会員制高級クラブであり、その客層は企業経営者、高級官僚、政治家などそれなりに知名度を持つ者も少なくない。

 店に直接救急隊を入れるということは、場合によっては警察沙汰となる可能性もあり、セレブ客の心証を悪くする事態を憂慮したのだろう。


「グダグダ言ってんじゃねえ! うちの選手に万一のことがあったらてめぇどう責任とってくれんだよ!?」


「ヴァルハラ」社長の岡本が強引に押し切ったことで結局救急車が呼ばれ、店の方も「臨時休業」という形で慇懃に客たちを帰らせた。


 その岡本はいま搬送先の病院でエミの付き添いを勤めている。

 託児所に預けられたエミの娘・陽菜ひなはとりあえず「オカモト金融」の女子社員が迎えに行き、エミの親族と連絡が取れるまで一時的に会社が面倒を見ることになった。


 ひとしきりの喧噪が落ち着き、いつも通り仮設リングの撤収作業が行われるさなか、あの事故の際にエミの間近にいた選手たちはこうして長谷川の「事情聴取」を受けていた。


「まさかとは思うが……」


 長谷川の鋭い視線が伊藤に向けられる。

 あの事故からおよそ2時間、彼女は着替えやシャワーを浴びることもなくリングコスチュームの上からジャージを羽織った姿だ。

 その顔色は青ざめ、日頃のふてぶてしさもすっかり影をひそめて殆ど口さえ利かない。


「おまえ、加納にシュート(※)を仕掛けたわけじゃないだろうな?」


※:プロレスの試合中、相手レスラーに対し一方的な不意打ちで本気の攻撃を仕掛ける行為。


 伊藤はビクっと肩を震わせた。


「……あたしは……」

「ちょ!? 何てこと言うんですか長谷川さん!」


 大声を張り上げたのは小栗だった。

「ヴァルハラ」旗揚げ時からの古参レスラーである彼女は、当然エミと伊藤の間に存在していた確執についても知っている。


「そりゃお二人の間に色々あったのは確かですが……加納さんも伊藤さんも一流のプロです! リングの上に私情を持ち込むなんてことは――」

「そうはいうがな、ついこの間の試合じゃ実際に鷹見を潰そうとしたろうが」


 その話を出され、小栗はフェイスペイントを歪めて口ごもった。


「あ、あのぉ……」


 自分の名前を出された亜里砂がおずおずと挙手した。


「私、場外乱闘になるまでお二人の戦いを見てました。確かにいつもより激しいファイトだったけど……それはあくまでプロレスとしてで……伊藤さんが特に危険な裏技を使ったとか、そういうことはなかったと思います」

「じゃあ場外に出てからは?」


 その質問はリングサイドにいたセコンドや他の選手たちに向けられたものだった。


「あの、私、伊藤先輩が加納先輩をフェンスに叩きつけるところを見てました」


 場外乱闘の際、伊藤側セコンドとして共にエミを攻めた黒木が緊張した声で証言する。


「加納先輩はいったん倒れたあと、起き上がってリングに戻ろうとして……急に倒れちゃったんです」

「あっ、それあたしも見ました!」


 黒木の言葉をきっかけに細かい記憶が蘇ったのか、他の若手や練習生たちも口々に同様の証言を始めた。


「だとすれば……フェンスに叩きつけられた時点じゃ加納も受け身を取って、まだ試合を続けられる状態だったわけか」


 僅かに考え込んだ後、長谷川は亜里砂の方に顔を向けた。


「なら加納の方はどうだ? 試合前、何か身体の不調でも訴えてなかったか?」

「別にそういうことは……あっ、そういえば咳してました。風邪をひいたみたいだって」

「……咳?」

「それは私も聞いてます」


 試合前の控え室でも一緒だった岬が口添えした。


「でも熱があるわけじゃないし、試合の方は全然問題ないって加納さんも……」

「ふうむ……」


 彼女たちの言葉を信じる限り、伊藤がエミに対し何かを仕掛けた可能性は薄い。

 加納エミが倒れた具体的な原因は病院での所見を待つしかないだろう。


 選手たちの証言を細々と手帳に記していた長谷川がため息をついて手帳を閉じた。


「……分かった。ご苦労だったな、今日の所はもうみんな上がって休め」


 再び亜里砂に視線を向けると、


「おまえ明日も学校だろ? 俺はここで社長の連絡を待たなきゃならん。みんなと一緒に帰れ」


 選手寮に住んでいる「ヴァルハラ」所属レスラーはフロントが手配したマイクロバスで寮と試合会場となる「パラスト」を往復している。

 今夜は亜里砂も同じバスでここまで来たのだが。


「あ、はい。でも……伊藤さんは……」


 亜里砂が顔を上げると、伊藤は客席のひとつに座り込んだまま、片手で顔を押さえて独り言のようにぶつぶつ呟いていた。


「確かに……ぎりぎりでセメント同然のファイトだったよ……こんちくしょうって気持ちもあった……でもそれはエミの方も同じだったはず……」

(あれ? 伊藤さん、エミさんのこと名前で呼んでる)

「事故ですよ事故! プロレスの試合にゃ付きものじゃないっスか!? 伊藤さんだけの責任じゃないっスよ!」

「そうですよ! 加納先輩だってすぐ元気になって戻ってきますって!」


 後輩レスラーたちが必死に励ますものの、伊藤の目は虚ろに宙をさまよっていた。


「疑って悪かったな伊藤。おまえももう帰って休め。何か分かったら連絡するから」


 そこまで言いかけたとき、長谷川の背広の内ポケットからスマホのコールが響き、男はすかさず取り出して耳に当てた。


「はい、お疲れ様です。はい、はい……えっ?」


 長谷川の眉がひそめられる。

 周囲で聞いていた女子レスラーたちも、時間が止まったかのごとくその場に立ちすくんだ。


「……はい……畏まりました。こちらの方はお任せ下さい」


 スマホを切り、暗い面持ちで沈黙すること数秒。

 長谷川は重い口を開いた。


「病院の社長からだ……ついさっき、加納エミが息を引き取った」


 古参から練習生まで、女子レスラーたちが一様に凍り付く。

 その中で、亜里砂もまた言葉を失い、目の前が真っ暗になるような思いを感じていた。


「……嘘よ……」


 掠れた声を上げながら、伊藤が両手で頭を抱えテーブルに突っ伏した。


「嘘だ! 嘘だ! エミのヤツがあれくらいのファイトで逝っちまうなんて……!」


『私たちプロレスラーにとって本当に恐ろしいのは、試合で命を落とすことじゃなく、自分のミスから相手の命を奪ってしまうこと……』


 いつかエミが運転する車の中で聞いた言葉が亜里砂の脳裏を過ぎる。

 かつて伊藤の妹・真由をトレーニング中に死なせてしまったエミ。

 そのエミが、今度は伊藤との試合中に死んでしまった。

 これが偶然の事故とすれば、何という皮肉な巡り合わせだろうか?


 最悪の報せは作業中の若手や練習生たちにもすぐ伝わり、間もなく店内のあちこちから女子レスラーたちのすすり泣く声が上がった。


 長谷川のスマホが再び着信音を奏でた。


「誰だ? ああそうだが、今夜の営業はもう終わって……むっ、そうか……分かった。部屋の場所は警備室で聞いてくれ」


 5分ほど後、店のドアが開き、地味なダークスーツ姿の男が2人店内に踏み込んできた。


「お取り込み中失礼します。警察の者ですが……ここに伊藤真紀さんはおられますか?」


 本名を呼ばれた伊藤が、放心した表情でおずおずと顔を上げる。


「ああ、貴方ですね。誠に申し訳ありませんが亡くなった加納エミさんの件について、少しお話を伺いたいのですが?」


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