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第22話

「えーと最初に当たるのは私と小栗さん。5分くらい戦ってからエミさんにタッチ。10分目に最初の場外乱闘になって……」


 メインイベントのタッグマッチを前にした控え室。

 既にリングコスであるノースリーブの赤いレオタードに黒スパッツ、リングシューズに着替え、ストレッチで入念に身体をほぐしながら、亜里砂はミニサイズのメモ帳にびっしり書き込んだ試合の筋書き(シナリオ)を復唱していた。


「筋書き」といっても、演劇の脚本のように細部まで決められているわけではない。

 マッチメイカーによって事前に指示されるのは試合の大筋の流れと結末くらいのもので、本番のファイトはその多くが対戦選手同士のアドリブや技の駆け引きで占められる。

 いくら白星を上げても、ファイト内容で観客を惹きつけられない選手は決して人気レスラーになれないのだ。

 また本番のリング上ではどんなアクシデントが起きるかも分らず、必ずしも「筋書き通り」とはいかないところもプロレスの醍醐味の一つといえようが。


 ちなみに今夜の試合結果は2回に渡る場外戦の末、両者リングアウトの「引き分け」と決まっている。

 この試合は次週に予定されている「ベルト争奪トーナメント」決勝戦の前哨戦であり、最終的にFEWA認定女子プロレス王座のベルトを巻くのは加納エミかメデューサ伊藤か、社長の岡本もまだ決めかねている様子だった。


 とはいえ、亜里砂にとっては今夜が本格的に「プロレスラー」として戦う初の試合。

 加えて30分1本勝負のタッグマッチということもあり、パートナーであるエミと交代するタイミングなどはしっかり頭に入れておく必要があった。


「ふぇ~、これじゃ真剣勝負セメントの方が楽ですよぉ」


 メモ帳から顔を上げ、情けなくため息をもらす亜里砂。


「まあまあ、学校のテストやないんやから。多少間違うても叱られたりせーへんよ」

「そうよ。もし試合中に忘れちゃったんならこっそり加納さんに聞けばいいじゃない? すぐ側にいるんだし」


 付き人の大橋美鶴、そして今回エミ・亜里砂チームのセコンドを務めるフェアリー岬が笑いながら声をかける。


「そんなこといっても、エミさんのお荷物にはなりたくありませんから――」


 亜里砂は顔を上げ、控え室の一角に目をやった。


 既に加納エミもリングコスの白ワンピ水着に着替えている。

 ウォーミングアップを終え、両手に格闘戦用のオープンフィンガー・グローブを装着しているところだった。

 ふいに片手を口許に当て、コンコンっと咳こんだ。


「どうかされたんですか?」

「何だか風邪ひいちゃったらしくて……」

「だ、大丈夫ですか? 試合、もうすぐ始まっちゃいますけど」

「心配ないわ。もうお薬も飲んだし」


 気を取り直したようにグローブをはめ、装着具合を確かめるように2、3度掌を開閉する。

 亜里砂は床から立ち上がると、背筋を伸ばして彼女の顔を見上げた。


「初めてのタッグマッチでエミさんと組めるなんて光栄です。私、足を引っ張らないよう頑張りますから!」

「ウフフ……こちらこそ、よろしくね。特別トレーニングの成果、楽しみにしてるわ」


 亜里砂の両肩に手を置き、エミはにっこり微笑んだ。



 ほぼ一ヶ月ぶりのプロレス会場、すなわち高級ナイトクラブ「パラスト」店内。

 ガウンを羽織ったエミの後に続いてリングへと続く花道へ踏み込んだ瞬間、亜里砂は一月前とは明らかに異なる「熱気」を感じた。

 会員制を取る「パラスト」はもちろん一見客お断り。

 会員の常連客は大企業役員やベンチャー企業経営者などの富裕層が中心である。

 ただし会員の同伴があれば外部の客も「ゲスト」という形で入店できる。

 そのため会員客からは得意先の経営者や会社役員の接待目的で利用されるケースも多い。

 そしてこれまでは「ヴァルハラ」が行う女子プロレス興行も店内で催される幾つかの「ショー」のひとつに過ぎなかったわけだが、鷹見亜里砂がリングデビューしてから客層に一つの変化が生じていた。


 前代未聞の女子中学生レスラー。しかも敗れたとはいえ元「バーニング・ギャルズ」メデューサ伊藤(伊藤真紀)との壮絶な喧嘩マッチの噂が口コミで広がり、格闘技ファンの金持ちたちが知り合いの「パラスト」会員に頼み込み、リングに復帰する亜里砂を一目見ようと会場に詰めかけていたのだ。


「うわぁ……何だか本物のプロレス会場みたい」


 驚いたように左右を見回し、セコンドとして同行する岬が呟く。


「確かに今夜は空気が違うわね。おそらく今日のお客さんの3割は私たちの『試合』を目当てにお店に来てる……これも鷹見さん復帰の効果かしら?」


 エミは背後の小さな「タッグパートナー」へ半分振り向いた。


「ひょっとしたら、貴方の存在が『ヴァルハラ』の未来を変えてしまうかもしれないわよ」

「え!? そんな、私なんか――」


 思わず謙遜するものの「空気の違い」は亜里砂にとっても分かっていた。

 かつて「ヴァルハラ」のリングにデビュー戦で上がった時、客席から浴びた視線はまるで見世物の珍獣でも見るかのような好奇心と、「どうせヤラセだろう」と疑う気持ちの入り交じった冷ややかなものだった。

 だが今夜、同じ店内で感じる視線は、まるで学校の体育祭でトラックに立った亜里砂を見守るクラスメイトたちにも似た期待感に満ちている。


(そうか……ただリングの上で試合だけしてればいいんじゃない。私たち、お客さんから見られてるんだ)


 今まではリング上の対戦相手しか眼中になかった亜里砂にとって、突然視界が開けたような気分だった。



 リングに上がると、対角線上の敵コーナーには既にメデューサ伊藤・ダイモン小栗チームも姿を見せていた。

 ヒール軍団のトップ2人、いわば「ヴァルハラ」における最強ヒールタッグであるが、「ベルト争奪トーナメント」決勝の前哨戦という特別な試合を意識してか、いつものようなゴング前の襲撃はない。

 リング下にはやはりヒール軍団の若手、覆面レスラーのスパイダー黒木がセコンドとして控えていた。

 身長180cm超の伊藤、体重およそ90kgのヘビー級小栗。

 女子レスラーとしては体格に恵まれた2人が、こちらの方をみやりながらヒソヒソ言葉を交わしている。

 最後の作戦会議といったところだろう。


 亜里砂には、2人の会話内容におおよその見当がついた。

 なぜならおよそ一ヶ月ぶりにリング上で相まみえる伊藤は自分の顔など見ようともしない。

 彼女の鋭い視線は、元「バーニング・ギャルズ」のタッグパートナーにしてトーナメント最終戦でぶつかるライバルの加納エミ一人に注がれていたからだ。


『加納のヤツはあたしが徹底的にマークする。あんたは鷹見を相手に適当に遊んでな』


 タッグを組む小栗に対し、そんな指示を下していることは容易に想像がついた。


 一方、味方であるエミの視線も、小栗をスルーし伊藤一人を厳しく睨み据えている。


 形の上ではタッグマッチだが、今夜の試合は事実上エミと伊藤のファイトがメイン。

 これはマッチメイカーである社長の岡本からも事前に言い渡されていた。


(でも、手を抜くつもりなんかない。たとえ脇役であっても、今夜は私が「プロレスラー」としてヴァルハラのリングで戦っていく第一歩だから)


 自分の相手となる小栗からは、皮肉なことにこの一ヶ月間「鬼の受け身稽古」でたっぷり可愛がられていた。

 おかげでプロレス流の投げ技に対する受け身と「相手の技を受ける」覚悟はだいぶ身についた気がする。


(最初に戦った試合は真剣勝負セメントだったけど……今夜は同じプロレスラーとして「恩返し」させてもらいますよ、小栗先輩)



 ゴングが鳴ると同時に、亜里砂はリング中央に向かって飛び出した。

 相手コーナーの先発は、思ったとおりダイモン小栗。

 威嚇するように両手を広げる小栗に対し、右に回りこんで「滝登り」を仕掛ける。

 マットに両手を突き、殆ど逆立ち状態となった少女の片足が小栗の脇腹あたりを蹴り上げる。

 観客席から大きなどよめきが上がった。

 小栗の巨体がグラリと揺れるが辛うじて踏みとどまる。


 見た目のスピードはいつもの「滝登り」と変わらない。

 ただしインパクトの瞬間に全身のバネをきかせて打撃力を増幅するところで、亜里砂は微妙な手加減を加えていた。


 今夜の試合、彼女の役割は対戦相手をKOすることではない。

 小栗と共に序盤戦を盛り上げ、後に続く真打ち・エミと伊藤の対決へとつなげることなのだから。


「うぉおおおお!!」


 すかさず起き上がり「徹甲」の構えをとった亜里砂めがけ、雄叫びを上げ小栗のラリアートが襲いかかった。

 少女の小柄な身体はひとたまりもなく吹き飛ばされ、立ち上がる暇もなく抱え上げられたかと思うと、今度はボディスラムでマットに叩きつけられられる。

 五体がバラバラになるかと思うほどの衝撃と痛み。

 ――だが、それは一ヶ月前の初対決で受けた一本背負いに比べると明らかにダメージが少なかった。


『あたしの投げに耐えられるようになりゃ、本番の試合でどんな技を受けたって屁でもなくなるさ』


 道場の受け身稽古で小栗はただ力任せに投げ飛ばしていたわけではない。

 元々拳法家の亜里砂が短期間でプロレス流の受け身を身体で覚えられるよう、しっかり計算した上でのトレーニングだったのだ。


 小栗がカバーでフォールを取りに行くも、亜里砂はカウント2.5で返した。

 そのまま寝技に持ち込もうとする小栗の手から逃れ、立ち上がりざま助走なしのジャンピング・スピンキックを放つ。

 これは恒河流の技ではない。

 先輩レスラーの岬から教わった空中殺法の一つである。

 しかし恒河流について詳しいことなど知らない観客席からは再び大きな歓声が上がった。


(あ……れ? 何だろう……この感じ)


 スピードはあるが重さにかける亜里砂のキックを、小栗はまともに受けた。


 ――よっしゃ。おまえも中々分かってきたじゃねーか


 フェイスペイントの顔がニヤリと笑うも、次の瞬間には


「舐めんじゃねーっ! このクソガキ!!」


 悪鬼の形相で体当たりをぶちかまし亜里砂をコーナーまで追い詰め、グローブ越しの拳とヤクザキックの嵐が少女を見舞った。

 追い込まれた亜里砂は両腕を上げ必死でガードを取りつつ、肘打ちや膝蹴りで反撃の機会をうかがう。

 二回りは体格の違う両選手の、互いに一歩も譲らぬ攻防に対し、亜里砂目当てでやってきた店の客たちが応援の声を張り上げた。


(なぜだろう……こんなに痛くて気絶しそうなのに……何だか楽しい)


 自分が今やっているのはプロレスの試合。

 これまで「恒河流の使い手」として戦ってきた真剣勝負とは似て非なるものだ。

 にも拘わらず――。


 観客席の熱気が感染したかのごとく、亜里砂自身の胸の裡にもかつて覚えたことのない高揚感が湧き上がってきた。


(前に大橋さんが言ってた『プロレスの何たるか』って、こういうことなのかなあ)


 それは分からない。

 だが自分は今確かに「プロレスラー」として全力でファイトしている。

 相手の小栗もそうだろう。


(こんなの初めて……できれば、このままずっと小栗さんと戦っていたい……)


 そんな考えが少女の脳裏をよぎった。

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