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第16話

 両手両足に包帯を巻き、片眼に眼帯を付けた亜里砂が教室に姿を現すと、HRに備えて準備したり友人同士で雑談していたクラスメイトたちが驚いたように振り向き、席を立つなり一斉に彼女を取り囲んだ。


「鷹見さん、もう登校して大丈夫なの?」

「先生からは『全治一ヶ月』って聞いてたけど……」

「えへへ、心配ないよぉ。父さんったら、大慌てで学校に電話したもんだから、つい大袈裟に伝えちゃったみたい」


 体育の授業と体育祭を除けば日頃教室でも殆ど目立たない自分がいきなりクラスメイトたちの注目を浴び、亜里砂は片眼を細め照れくさそうに笑った。

 あの日の深夜、長谷川の車で病院に運ばれ、応急治療とCTスキャンなどによる精密検査を受けた。

 全身数十カ所に及ぶ打撲や捻挫、肉離れなどの負傷が発見されたものの、幸い骨折や内臓破裂などは見あたらず、脳波にも異常はなし。

 リング上であれだけ亜里砂を痛めつけておきながら、メデューサ伊藤は彼女を殺したり重傷を負わせないよう、しっかり「手加減」していたのだ。

 まさに恐るべき「プロ」の仕事である。

 皮肉なことに、その伊藤の方は亜里砂からただ一度受けた「徹甲」のダメージで肋骨折の重傷を負っていたことが判明し、「ベルト争奪トーナメントの決勝戦は彼女が快復するまで1、2ヶ月延期になるだろう」という話をあとから知らされた。

 父の勲に頼み、学校側には「交通事故」という名目で病欠届けを出している。

 当初は本当に全治一ヶ月の診断が出ていたのだが、その後の亜里砂の回復が驚くほど速かっため、一週間の入院、一週間の自宅療養の後、再度の精密検査を経て登校の許可が下りたのだ。


「でも驚いたわー、鷹見さんほど運動神経いい人が車に撥ねられるなんて」

「『猿も木から滑る』っていうのかな? あははは」

「おまえにそこまで深手を負わせるとは……相手はダンプか? それとも自衛隊の装甲車とか」

「ひどーい。私、怪獣じゃないよぉ」


 ひとしきり級友たちと談笑したあと、2週間ぶりに自分の席に着くと、制服のポケットに入れたスマホがバイブした。

 こっそり画面を確認すると、同じ教室内にいる東貴文あずまたかふみからメールが入っていた。


『ケガの方はもういいのか?』


 会社から仕事用にスマホを支給された時、物珍しさも手伝って「ヴァルハラ」関係者や父親の他にも何人かの友人とメアド交換していたが、その中に貴文も入っていた。

 またクラスメイトの中で亜里砂がプロレスのリングに上がっているのを知っているのは貴文ただ1人。

 だから彼だけには試合で負傷したことを伝えてある。

 貴文の方もそれは分かっているので、他のクラスメイトがいる場では「ヴァルハラ」の件には一切触れないように気を遣っているのだ。

 その代わり、時折こうしてメールで情報交換を行うようになっていた。


『もう平気。心配させてごめんね』


 返信の文章をそこまで打ち込み、少し思案した亜里砂は、続きの文章を打ち始めた。


『今日の放課後、東君の家に寄っていい?』


 すぐに返信が来た。


『俺は構わないけど……そんな身体で大丈夫か?』

『大丈夫。激しい運動とかはまだ止められてるけど』


 実際、亜里砂にとってはケガそのものより、自宅でじっとしている方がよほど苦痛だった。

 身体がうずうずして、つい恒河流の稽古を始めたくなってしまうのだ。

 そして、貴文には別の用件もあった。


『貴文君、格闘技のDVD一杯持ってるって言ってたよね? あれ、見せて欲しいな』

『OK.歓迎するよ』


 ちょうどそこで担任教師が教室に入って来たため、詳しいことは下校時に打ち合わせることにして、亜里砂と貴文は互いのスマホを仕舞い込んだ。



 初めて訪れた貴文の家は、2階建ての建て売り住宅。

 それでも工場敷地内にある亜里砂の自宅と比べると、ずっと立派な建物に見えた。


「東君のお父さんは何の仕事してるの?」

「普通のサラリーマンだよ。この家も、まだ十年くらいローンが残ってるんだってさ」

「ふうん……大変だね」

「大変なのは俺たちだよ。父さんが若い頃は大学さえ出ればそこそこの会社に入社できたっていう話だけど……今は大学に入って一生懸命就活しても、大企業の正社員になるのは難しいからなあ」

「きょうだいは?」

「二つ上の姉貴がひとり。いま高校生だけど、バレー部に入ってるから今日も帰りは遅いんじゃないかな」


 玄関先で貴文の母親に挨拶すると、何やら驚いた様な顔で目を丸くしている。

 自分の包帯姿に驚いてるのか、それとも女の子が遊びに来るのが珍しいのか、それは定かでなかったが。


 階段を昇り2階にある貴文の部屋に案内されると、まず室内の物の多さに驚いた。

 大画面TV、各種AV機器、家庭用ゲーム機、学習机の上にはノートPC。

 床には格闘技関係の雑誌やDVD、格闘ゲームの他、一般の漫画雑誌やコミックなどが所狭しと積み上げてある。


(何これ? トレーニングするスペースが全然ないじゃない)


 2人が座れるよう床の雑誌やソフト類を大慌てで片付ける貴文をよそに、亜里砂が受けた第一印象がこれだった。


(でもこれでいいのかな? 東君は格闘技をやってるわけじゃなくて見るほう専門だから)

「と、ところで格闘技のDVDって何が見たいのかな? 色々あるけど」

「うーんとね、合気道」

「え!? いきなりマニアックなとこから入るな、おまえ」

「ないの?」

「さすがに合気道のDVDは……あ! でもいいものがあるぜ」


 貴文は学習机の前に座ると、ノートPCの電源を入れ起動させた。


「どうするの?」

「インターネットの動画投稿サイトさ。昔の試合やマイナーな格闘技の動画もあって、結構面白いよ」


 動画サイトのトップ画面が立ち上がり、貴文が検索フォームに「合気道」と入力して検索ボタンを押すと、すぐに幾つかの動画サムネイルが表示された。


「『合気道の神様・塩田剛三』……これがいいか」


 貴文が選択した動画を再生すると、昔のフィルムからデータを落としたらしい荒い画像の中で、小柄な袴姿の老人が、自分より遙かに大きな道着姿の男たちを次々と投げ飛ばす演舞風景が映し出されていた。

 しばらくじっと眺めていた亜里砂だったが、老人が相手選手の攻撃をいとも容易くさばくシーンを見つけて目を見張った。


「これよ、この動き! 伊藤さんがあの試合で使った――」

「おまえが対戦したっていうメデューサ伊藤の? 驚いたな、この動画の塩田剛三はもう亡くなってるけど、今の現役レスラーにそんな達人がいたなんて」

「私は全力で突きや蹴りを当てようとしたけど、かすりもしなかった……そしてスタミナが切れたところで、今度はプロレス技を仕掛けられて……」


 座布団代わりに出されたクッションの上で膝を抱え、亜里砂はがっくりうなだれた。


「ダメだぁ……どうやっても伊藤さんに勝てる気がしないよ。私なんかがプロレスラーになろうなんて、やっぱり無理な話だったんだ……」

「……ええと……」


 どうフォローしたものか分からず頬をかく貴文だったが。


「でもさ、他の選手には何度か勝ってるんだろ? それだけでも凄いと思うぜ」

「そうかな……」

「前に言ってたろ?『プロの格闘家になりたい』って。最初にあの言葉を聞いたとき、正直『中学生にもなってなに夢みたいなこと言ってんだ?』と思ったさ。でもそれからすぐにおまえプロレスのリングにデビューして……つまり夢を実現させたじゃないか。俺なんか、将来の夢どころか受験の志望校さえまだ決められなくてテンパってるのに……鷹見は偉いよ。本当にそう思う」

「確かにプロレスのリングには上がれたけど……私、まだよく分からない。自分がプロレスラーとしてやっていけるのかどうか」

「それは俺よりも……その『ヴァルハラ』って団体に誰かいないのか? 将来のこと相談できるような先輩レスラーとか」

「ん……考えてみる」


 亜里砂は顔を上げ、貴文の机に置かれた目覚まし時計に目をやった。


「あ、もうこんな時間……そろそろ帰らないと、父さんが心配するから」


 そういってクッションから立ち上がろうとしたとき。

 まだ負傷のダメージが残っているのか、足元がふらついてグラリとバランスを崩した。


「わっ!?」

「危ない!」


 咄嗟に支えようとした貴文と共に、雑誌とコミックの山の中へ倒れ込んでしまった。

 結果、貴文が亜里砂の身体を抱きしめたまま2人して寝転がる格好となる。


「ええと、その……ケガはないか?」

「全身ケガだらけだけど」

「……それもそうか」


 ダダダッ、と誰かが階段を駆け上ってくる足音。


「貴文の彼女が遊びに来たんだって!?」


 唐突に部屋のドアが開き、貴文によく似た顔つきの女子高生がひょっこり顔を出した。


 抱き合って倒れた亜里砂と貴文、そして貴文の姉はそのまま硬直する。


「ねーちゃん! 人の部屋に入るときはノックくらいしろよ!」


 真っ赤になって亜里砂から身体を離し、貴文が上擦った声で怒鳴った。


「早っ! もうそんなところまで」

「違うって! これは偶然の事故で……」

「偶然……つまりラキスケ?」

「自分の弟を何だと思ってるんだーっ!?」

「あの、私もう帰ります。お邪魔しましたっ」


 よく分からないが、自分がこの場にいるとますます事態がややこしくなりそうだ。

 亜里砂は自分のバッグを持つと姉弟の間をするりと通り抜け、修羅場と化した貴文の部屋を後にして玄関の方へ降りていった。


 家を出て10mほど歩いたところでふと立ち止まり、貴文の部屋の辺りを眺めやる。


(お姉ちゃん、弟か……いいなあ。私にも誰かきょうだいがいればよかった)



 脇腹にギプスを当て、病室のベッドに寝転がったメデューサ伊藤、すなわち伊藤真紀は、廊下から入室した人影に気付き、慎重に上体を起こした。


「へえ……アンタが見舞いに来るなんてね。どういう風の吹き回し?」

「同じ団体の先輩レスラーが入院したんだ。別におかしくはないだろう」


 トレーナーにジーンズという普段着に、花束を抱えた笹崎凉子がぶっきらぼうな口調で答えた。


「見舞客の名簿に署名したとき目についたが、加納さんも来てたんだな」

「ああ、社長の伝言を届けに来ただけよ。鷹見の一件については月給1割カットで済ますってさ」

「それはよかった。あなたは『ヴァルハラ』にとって必要な人間だ」

「アンタにとってはどうなのかしら? あたしが無様に入院してる姿を見て、溜飲を下げにきたとか?」


 凉子は枕元に歩み寄り、伊藤の顔に視線を落とした。

 

「……あなたのことを恨んでなかったといえば、嘘になる」

「でしょうねぇ」

「だが先日の鷹見亜里砂との試合――あれを見て、目から鱗が落ちたよ。キックボクサーがキックのリングに命を張ってるように、プロレスラーもまたリングに命を張ってることがよく分かった。ただそのやり方が違うだけで」

「あの試合は特別よ。真剣勝負セメントなんて、本来のプロレスから見れば邪道なのよ?」

「たとえ演出アングル筋書き(シナリオ)があろうと、命がけであることに変わりはない……他の格闘技で真剣勝負が許されているのは、選手が厳密なルールに『保護』されているからだ」

「……」

「昔、キックボクシングがプロレスと並ぶエンターテインメントとして国民の人気を集めていた時代もあったが、今はすっかり廃れてしまった。なぜだと思う?」

「有名な話ね。キックの技術……特にディフェンス面のテクニックが向上し、派手なKOシーンが減ったため一般客から見て試合がつまらなくなった。そうでしょ?」

「そう。プロレスはその『見た目の面白さ』を維持するため、試合そのものを演出するマッチメイクシステムと、そしてレスラーたちに『相手の技を全て受ける』という十字架を背負わせることで生き残った。何かを守ろうとすれば、結局別の何かを犠牲にしなければならない……そういうことさ」


 凉子は伊藤に向かい、腰を折って深々と頭を下げた。


「上っ面の知識だけでプロレスをバカにしていた私が浅はかだった……申し訳ない」

「わざわざそんなこと謝るために来たの? アンタも律儀なひとね」

「それともうひとつ。鷹見はあなたのことを恨んでないよ。社長があなたをクビにすると息巻いたとき、真っ先に庇ったのがあの子だ……それだけは知っておいて欲しい」

「……」


 病室を出る凉子の背中を見送ったあと、伊藤は枕に頭を戻し、何事か考えながらじっと天井を見つめていた。

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