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第13話

 店内の照明が落とされ、スポットライトに照らし出されたリングの上には、既にメデューサ伊藤が姿を見せていた。

 リングネームにちなんだのか、蛇の鱗を思わせる緑ラメスパンコールのガウンをまとい、きつめのメイクに挑発的な微笑を浮かべ客席を見渡している。

 勢いよくガウンを脱ぎ捨てると、その下は黒革のボンデージ風ボディスーツ。

 前の部分を編み上げで止めるタイプのため、いやが上にも胸の谷間が強調される。

 足に履いているのがリングシューズではなくピンヒールのブーツであればまさにSMの女王様だが、黒で統一したレガース、ニーパッド、格闘戦用グローブの存在が辛うじて彼女がプロレスラーであることを無言のうちに主張していた。

 それでも180cm超の長身、そしてスーパーモデルもかくやというプロポーションに、男性の多い客席のあちこちから感嘆の低いため息が聞こえる。



「確かに伊藤マキさんだけど……『バーニング・ギャルズ』の頃と全然違う……」


 控え室のモニターで久し振りに見た伊藤の変わりように、亜里砂は驚きを隠せなかった。


「バーニング・ギャルズ? そういやあの2人も昔、アイドルやってたのよね」


 ポテトチップスをパリっと囓りながら、岬が呟いた。


「でも加納さんはともかく、伊藤さんの方は……昔のイメージで見ない方がいいわよ。何であそこまでイメチェンしたのか、私もよく知らないけど」

「『ヴァルハラ』旗揚げの時は、伊藤さんがエースだったって聞いたんですけど……」

「そのようね。だけど私がこの団体に入った時は、もうエースは加納さん。伊藤さんはヒール軍団のボスって位置づけだったから」

「何で伊藤さん、エースの座をエミさんに譲ったんでしょうか?」

「先輩たちから聞いた話によれば……フロントから強制されたわけじゃなくて、伊藤さんから進んで明け渡したってことだけど」

「それって、やっぱり後から参加したエミさんのために――」

「逆よ。社長は最初2人が揃ったところで『バーニング・ギャルズ』の再結成を考えてたみたいだけど、伊藤さんの方が猛反発して……自分からエースの座を放り出してヒールに転向しちゃったのよね」

「え……?」

「もちろんヒールだのベビーフェイスだのいってもあくまで『演出上の役どころ』だけど、伊藤さんと加納さんの場合は特別……っていうか、ぶっちゃけあの2人犬猿の仲なのよ。仕事で必要な時以外には、お互い殆ど口も聞かないんだってさ」

「……何でそんなことに?」

「さあ、それ以上詳しいことは私にも――あっ、こんな話、他の子たちにしちゃダメよ? 私たち選手の間でもなるべく触れない、いわゆる『タブー』ってやつだから」

「……」


 亜里砂の記憶にある「バーニング・ギャルズ」の2人は、リング上だけでなくプライベートでも固い友情に結ばれた間柄のはずだった。

 昔ブラウン管TVで視ていた彼女たちの試合では、対戦相手の悪役チーム(当時はシリーズ毎に来日する外国人レスラーの場合が多かった)に捕まり集中攻撃を受ける伊藤マキをレフェリーの制止を振り切って加納エミが救出に飛び込み、乱戦の末に2人の合体技で勝利をもぎとるシーンが強く印象に残っている。

 少女雑誌のグラビアには、オフの日に普段着に着替え、まるで姉妹のように遊園地や行楽地で楽しむ2人のピンナップがしばしば掲載されていた。


(プロレスの試合に全て筋書きがあるのなら……あれも全部ファンに向けての演出? 私たち、騙されてたの?)


 大切にしておきたかった幼い頃の憧憬に黒インクを垂らされたような気分で、亜里砂はじっと考え込む。

 ひとつ引っかかるのは、FEWAが倒産する前にエミが動機不明のまま突然引退したという貴文から聞いた話。

 あるいはFEWA時代に「何か」が起こり、それまで続いていた2人の「友情」にヒビが入ったという可能性もある。

 そのあたりをもう少し岬に聞いてみたかったが、今日知り合ったばかりの先輩レスラーにそこまで踏み込んで尋ねるのも憚られたし、岬自身が言うとおり、おそらく岡本が社長になってから入団した彼女はFEWA時代の内情まで知らないのではないか。


 モニター画面の中では、既に試合が開始されていた。

 体格こそ伊藤に比べ一回り小柄な藤原だが、ベテランレスラーらしく巧みな動きでタックルを仕掛け、相手を押し倒してグラウンドの攻防に持ち込もうと狙っているようだ。

 だが伊藤はそのアタックを尽く膝蹴りでカットし、逆に肘打ちや頭突きなど荒っぽい打撃技で藤原を痛めつける。

 あからさまな凶器攻撃こそ行わないものの、メデューサ伊藤のラフファイトは彼女が自身を「悪役ヒール」と位置づけている証左だろう。

 時にはレフェリーの目を盗み、藤原の髪を引っ張り額に噛みついたりと、容赦ない反則攻撃も仕掛けていく。

 

 亜里砂の知っている「伊藤マキ」は、体格とパワーこそ優れているが、猪突猛進で相手レスラーに向かっていく一本気な性格が災いして逆にピンチに陥ることが多く、多彩な技と頭脳プレイを身上とする加納エミに比べて常に「二番手」の立場に甘んじていたように思う。


(あれも、エミさんを引き立てるための「演技」だったのかな? だとすれば、今のラフファイトの方が伊藤さん本来のスタイル……?)


 いや、少なくとも「ヴァルハラ」旗揚げ当時は彼女がベビーフェイスで団体のエースを務めていたのだから、現在の悪役ヒールが伊藤の本意であるとも言い切れないが。


 困惑する亜里砂を尻目に、リング上のファイトは急展開を迎えていた。


 両選手が組み合った瞬間、ふいに伊藤が格闘戦用グローブの親指を伸ばし藤原の目を突こうとした。ボクシングでいうサミング(目つぶし)である。

 実際に突いたわけではないが、一瞬ひるんだ藤原にすかさず組み付き、そのまま強引にフロント・スープレックスで後方に投げ捨てたのだ。

 それを合図のように、姑息な反則を重ねていた「蛇女」(メデューサ)は一気に猛攻に転じた。

 起き上がりかけた藤原の首と胴体をクラッチし、高速かつ急角度のブレンバスター。

 畳みかけるように大技を連発していく。


 その光景を見ていた亜里砂の背筋に冷たいものが走った。

 伊藤の投げ技に「演技」や「お芝居」とはほど遠い殺気を感じたからだ。


「あの……これって、本当に手加減してるんですか?」

「プロレスの『手加減』っていうのはね、相手を殺したり大ケガさせない程度に投げる角度や力を調節することをいうの。空手の寸止めとはワケが違うわ」


 ポッキーを口にくわえたまま、世間話のように岬が答えた。


「たとえば空手や柔道の技で本当に人を殺そうと思っても、それが出来るのは余程の達人か、でなけりゃ元々腕力のある大男くらいのもんでしょ? それに引き替えブレンバスター、パイルドライバー、バックドロップ……プロレスの技は子供でも簡単に真似できて、しかも素人が冗談半分に使っても下手すりゃ相手の首をへし折って殺せちゃうものね」


「そんな技をあえて受けるなんて……怖くないですか?」

「そりゃ怖いわよぉ。一瞬とはいえ相手に自分の命を預けるんだもの。まあ少なくとも『向こうもプロだから殺さないよう投げてくれる』って、それさえ信じていられれば、痛みだの小さなケガなんか気にならなくなるから。それでも翌日は足腰立たないくらいのダメージは残るけどね」


 アイドル兼プロレスラーの美女はポッキーをパキンと折って半分だけ食べてから、


「……でも冷静に考えるとおっかないわよね~。芸能界で誰かの恨みを買っても、命まで取られることは滅多にないけど……プロレスの場合はほんの少し角度を変えただけであっさり人が殺せるんだから。そして試合中に人が死んでもそれは『事故』だから決して罪には問われない。まさに完全犯罪――ってもちろんジョークだからね?」

「……」


『おまえらよく見とけっ! これがメデューサの殺人フルコースだ!!』


 客席に向かって吼えながら、既にグロッキー状態になった藤原を強引に引き起こすと、いったん彼女の身体を高々と抱え上げ、次の瞬間には背中から膝へと叩きつけていた。

 大技ペンデュラム・バックブリーカー。

 カウント3を取られた後も藤原は大の字で倒れたまま自力で立ち上がれず、若手が準備した担架でリング上から運び出されていった。



「変ねえ……メインイベンター同士の試合が7分で終わり?」


 腕時計で試合時間を確かめた岬が、訝しげに呟いた。


「え? いつもこんな感じじゃないんですか」

「お客さんに見せるための試合よ? 20分以上は続けるのが普通よ……それに伊藤さんだって、いつもは相手レスラーの見せ場もきちんと作ってるはずなのに」

「それじゃあ、伊藤さんが試合の『筋書き』を破ったんですか?」

「それはないでしょ。筋書き(シナリオ)を作ってるマッチメイカーの1人が他ならぬ伊藤さんだもの」

「じゃあ、どういうことでしょう」

「考えられるとすれば……藤原さんのコンディションが悪くて短時間で試合を終わらせるよう頼まれたか、でなければ何かの理由で今夜は伊藤さんの強さをことさらにアピールする必要があったとか」

「ひょっとして、例の『重大発表』と関係あるんやろか?」


 傍で聞いていた美鶴も興味津々で話に加わって来る。


「さあ……でも次がメインイベントだから、そろそろ何か分かるんじゃないの?」


 彼女たちの疑問に答えるようなタイミングで、メインイベントに先立ちリング上に社長の岡本がマイクを持って上がって来た。


『かつて日本最大の女子プロレス団体として一世を風靡した極東女子プロレス……当時プロレスをご覧にならなかった皆様も、名前くらいは耳にしたことがおありかと思います』


 岡本に続き、巨漢の長谷川が1本のチャンピオンベルトを携えて現れ、高々と掲げて客席に示す。


『その遺産ともいうべきFEWA認定女子プロレスチャンピオンベルト――我どもは懸命の捜索の末、先日ついにその発見に成功致しました』


「えっ! 昔エミさんが巻いてた、あのベルト?」

「あら懐かしい。あのベルト、まだ残ってたのね」


「懸命の捜索」と大仰な言い方だが、実際は倉庫の隅で埃を被せていたものを引っ張りだし、業者に依頼して補修してもらっただけのことだが。

 しかしそんな事情はつゆも知らない亜里砂は、昔TVでお馴染みだったベルトを目にしてすっかりテンションを上げている。


『私どもはこの由緒あるベルトを現代に復活させるべく、当団体所属選手のうち選ばれた4名によるトーナメント戦を開催。その勝者を新たなチャンピオンとして認定するものであります』


 次いで今夜のメインイベントである加納エミvsダイモン小栗の試合がトーナメント第1戦。一週間後に第2戦が行われるとの告知。


『第2戦は先程リングでその実力をいかんなくお見せしたメデューサ伊藤と、そしてデビュー戦以来連戦連勝を続ける鷹見亜里砂、両名の対戦を予定しております』


 それまであまり興味なさそうに聞いていた客席から、にわかにざわっと反応が現れた。

 セレブ御用達の高級ナイトクラブ「パラスト」会員。一般のプロレスファンと違い、リング上の試合など酒の肴程度にしか思ってない彼らでさえ、実力的には団体エースのエミに勝るとも劣らぬトップヒールの伊藤と彗星のごとく現れた天才少女格闘家との一戦には注目せざるを得ないのだろう。


 そしてまた、控え室では岬と美鶴、そして当の亜里砂自身が呆気に取られて液晶TVの画面を見つめていた。


「うわーっやったで亜里砂ちゃん! プロ入り5戦目でいきなりメインイベント出場やん! しかもチャンピオン決定トーナメントやで!?」


 美鶴が興奮した様子で亜里砂の手を取り、ぶんぶん上下に振って喜ぶ。


「で、でも……いいのかな? 私なんかが、先輩方を差し置いて……」


 亜里砂は隣にいる岬に気を遣い、どうリアクションしたら良いものか途方に暮れた。


「ウフフ、おめでとう。私ならいいのよ、とてもチャンピオンなんてガラじゃないし。確かに早いけど、亜里砂ちゃん選抜されるだけの実績を上げてるんだから……あ、でもあまり舞い上がってもダメよ? おそらくこの流れだと、決勝戦は加納さんと伊藤さんの一騎打ちって演出アングルになってると思うわ」

「それでも……嬉しいです。こんなすごいトーナメントに参加できるなんて」


 先輩レスラーの言葉を聞いてようやく実感の湧いた亜里砂は、こみ上げてきた嬉し涙を拳で拭った。


 さすがに今回ばかりはマッチメイカーの岡本たちから「負けてくれ」との指示が来るだろう。

 残念ではあるが、これまでの自分のファイトが彼らに評価された――それだけでも今は満足すべきだろうと思った。



 岡本たちがリングから降りた後、引き続きメインイベントのベルト争奪トーナメント第1戦、加納エミとダイモン小栗の対戦が始まる。

 まずは重低音のデスメタルをBGMに、黒いワンピース水着の上に黒革の鋲付き革ジャンを着た小栗が子分格の悪役レスラーたちを率いて入場した。

 いつものパンクルックに加え、今夜は太い金属製のチェーンを身体に巻き付け、端っこをブンブン振り回している。


「オラオラおまえたち! 今夜こそ加納のヤツをブッ潰すからなぁ!!」


 続いてFEWA時代のオリジナルテーマを交響曲風にアレンジしたBGMが流れる中、白い水着の上にフェニックスをイメージした赤と黄色のガウンをまとったエミがリングに上がる。

 リングアナウンサーが両選手の紹介をしているさなか、小栗は突如雄叫びを上げ、チェーンを振り上げてエミに殴りかかった。

 その勢いでリング下に引きずり降ろし、鎖の束を凶器に幾度となく殴りつける。

 エミのセコンドについていた若手選手が止めに入るも、小栗サイドのレスラーたちに妨害され近づくこともできない。

 それでもレフェリーが両者の間に割って入って警告し、数分後、まず凶器を捨てた小栗が、続いて早くも額から流血したエミがリング上に戻った。



「エミさん、大丈夫かなあ……」


 控え室のモニター画面の前で、亜里砂はハラハラしながら試合を見守っていた。

 エミが血を流しているのは、以前に亜里砂自身が体験した「ジュース」による演出だろう。

 そうだと分かって見ても、美しい顔を鮮血で塗らし、純白のリングコスまで真っ赤に染まったエミの姿は痛々しい。

 しかも鎖で殴打されたダメージは本物なのか、ふらつく足取りはこれからの試合をこなせるかどうかも怪しいほどだ。

 にも拘わらず、非情にも試合開始のゴングが打ち鳴らされた。



 リングに上がると同時に革ジャンを脱ぎ捨てた小栗は、ゴングと共にエミに襲いかかり、亜里砂との真剣勝負セメントで見せた正統派の柔道技など忘れたかのように殴る蹴るの喧嘩ファイトを仕掛けてきた。


 身長こそほぼ同じ両選手だが、ウェイト90kgの小栗に比べエミは60kgそこそこ。

 傍目から見れば、凶器など使わずとも小栗の方が圧倒的有利に見える。

 それでもリングサイドの悪役仲間から再びチェーンを受け取った小栗はそれをエミの首に巻き付け、振り回すようにして投げ飛ばした。

 見かねたレフェリーが何とか凶器を没収するが、マット上に仰向けに倒れたエミはそのままピクリとも動けない。

 そんな彼女に小栗は容赦なくエルボードロップ3連発、さらには太い両足でジャンプしてのギロチンドロップ。

 そのままフォールの体勢に入るが、レフェリーのカウント2.5で辛うじてエミが片方の肩を上げた。


「しぶてー女だ! そんなら徹底的にやってやるよ!」


 ロープに振って、跳ね返ってきたところを小栗のウェスタンラリアット。

 倒れたエミの両足を取り、身体を裏返してボストンクラブ(逆えび固め)を決めた。

 エミの身体が大きく反り上がり、殆ど限界まで背骨と腰が撓められていく。


「ギブアップ?」


 マットに両膝をついたレフェリーがエミに尋ねるが、彼女は答えの代わりに両手をマットに当て、その細身からは信じがたい力で小栗ごと自らの上半身を持ち上げた。

 焦った小栗がすかさずエミの片足を放し、片えび固めの体勢に移行する。

 半ば捻られた美女の身体がさらに大きくのけ反り、シュールで残酷なオブジェを形作った。


「……くぅっ」

「オラァ! さっさとギブアップしねーと背骨が折れるぜ!」

「ギブアップ?」

「ノーッ!」


 それでもエミは降参しない。

 額から流れる血でマットを染め、苦痛に顔を歪めながらも、両手だけの力で少しずつリングサイドに這いずり、ついには片手でロープをつかんだ。


「ロープブレイク! 小栗選手、離れなさい!」

「ちっ」


 悔しげに舌打ちした小栗が、ロープにもたれかかるようにして立ち上がるエミへとつかみかかった時、「それ」は起こった。

 故意か偶然か、エミが着用していたワンピース水着型コスの左肩紐に小栗の手がかかり、そのまま力任せに引きちぎってしまったのだ。

 白い布地がはだけ、豊満なエミの乳房の片方が露わになる。


 瞬間、客席から声にならないどよめきが上がった。



「何よこれ!?」


 TV画面の前で、亜里砂はこれが「プロレス」だということも忘れて叫んでいた。


「酷い!『ヴァルハラ』っていつもこんな試合やってるんですか!?」

「お、おかしいなぁ……こんなの、うちも初めて見たわ」


 おろおろしたように言いつつ、美鶴は岬の方へ振り向く。


「社長の趣味じゃないわね……」


 眉をひそめつつも、岬は指を顎に当てて考え込んだ。


「あの人、確かに一癖も二癖もある狸オヤジだけど……ことプロレスに関しては個人的なこだわりがあるらしくて、ナイトクラブの支配人から服剥ぎマッチや泥レスのリクエストがあった時はきっぱり断ったそうだし。それに小栗さんもああ見えて根は生真面目な性格だから、彼女個人の仕業とも思えない……」

「じゃあ、誰があんな演出を?」

「おそらく伊藤さんの差し金ね。うちじゃ社長を別にすれば、エースの加納さんにあんな真似をさせられるのは彼女だけよ」



「ギャハハハ! 加納エミのストリップだ! どーだ、こんな試合よそじゃ滅多に見られねーぜ!!」


 両腕を広げベロを出すお得意のポーズで、小栗は客席に向けて見得を切った。

 男性客たちも表向き平静を装い飲食を続けているが、その実リング上から目が離せない。

 中にはこっそりスマホで写メを撮ろうとする客もいたが、


「誠に恐れ入ります。当店内は撮影禁止でございますので」


 屈強の体格を黒スーツに包んだ店側の用心棒バウンサーたちが慇懃な、しかし一切の反論を許さぬ態度でやんわりスマホを取り上げ、撮影された画像データを消去して回った。


 一方、リングの上では右手で胸を隠したエミが、小栗をきっと睨み付けていた。


「オラ、加納! そんなカッコで試合が出来んのかよっ!!」


 小栗は間合いを詰めると、思うように身動き出来ないエミに対しパンチとヤクザキックを雨あられと浴びせた。

 強引に引き起こしたエミをボディスラムでリング中央に投げつける。


「これでトドメだ!」


 マットに這いつくばったエミの頭を両腿で挟み込み、背中に両腕を回して逆立ちさせるように担ぎ上げる。

 ダイモン小栗のフィニッシュ・ホールド、パワーボム。

 エミの上半身が大きく振り上げられ、次の瞬間には後頭部と肩口から激しくマットに打ち付けられた。


「うぐっ……!」


 反動で彼女の両足が前方に投げ出され、客席に向かって大股開きで両膝頭が両肩につくまで丸め込まれた屈辱的な姿勢となる。

 小栗は逆さになったエミの上半身を抱え込み、両足で彼女の両肩をロックしそのままフォールを取りに行った。


「ワン! ツー! スリ……」


 リングに両膝と左手をついたレフェリーの右手が3度目にマットを叩こうとした、その時。

 唐突にエミの両足が跳ね上がり、カウント2.9の土壇場で小栗の身体を弾き飛ばす。

 両手をマットに当て、胸がはだけるのもお構いなしに倒立前転で素早く立ち上がったエミは、驚く小栗の横っ面に鋭い回し蹴りを打ち込んだ。

 よろめきつつも何とか立ち上がろうとする小栗の懐へタックルで飛び込むや、肥った胴体に両手を回し――。


「てぇああああっ!!」


 エミは90kgの巨体を肩に担ぎ上げ、水車落としで後方へ投げ捨てた。

 その際、左手と右足をクラッチして投げたため、元柔道家の小栗も受け身をとれぬまま己の体重で大ダメージを被る。

 小栗の左手首をとったまま半円を描くように素早く背後に回ったエミは、横倒しになった相手の胴をまたぐようにしてがっちりと肩の関節を極めた。


「ぎゃぁあーっ!?」


 リングサイドにいた悪役レスラーたちが慌てて乱入を計るも、その前に小栗は悲鳴のごとくギブアップを叫んでいた。



「やったぁー!!」


 控え室で試合の結末を見届けた亜里砂は、美鶴と抱き合って歓声を上げた。


「エミさんの必殺技、スペシャル・アームロック……バーニング・ギャルズの頃も、あの技で身体の大きな外人レスラーからギブアップを奪ってたんですよ!」

「ホンマやな~。相手の攻撃を9まで受けて10ではね返す……やっぱり加納さんはヴァルハラのエースや!」


 しきりに感心する美鶴の言葉通り、セコンドが急いで差し出したジャージを着込み、笑顔を浮かべレフェリーに右手を挙げられるエミの姿は「エース」の貫禄に溢れている。


 試合そのものに筋書き(シナリオ)があったとしても、小栗が決して手を抜いていたわけではないことは、つい先日彼女と真剣勝負セメントで対戦した亜里砂にはよく分かる。

 見た目は悪役ヒールらしくふてぶてしく振る舞っていた小栗だが、試合中の彼女の目はあたかもライオンに勝負を挑むシマウマのように悲壮な色が浮かんでいたことも。


(これが、エースの戦い……)


 ふと喜びの一方で、亜里砂は自分がエミに勝てるだろうかと考えた。

 たとえ男性のプロレスラーやプロボクサーであっても、恒河流の「徹甲」を以てすれば一撃で倒す自信はある。

 それなのに、今の亜里砂には何故か自分が加納エミと戦って勝利を収める姿がどうしてもイメージできなかった。

(戦いたい……真剣勝負で戦って……「あの人」を乗り越えたい……)


 そんな熱い想いが、自分の意志とは関係なく胸の底から湧き上がってくる。

 もちろん、そんなことは社長の岡本が許すはずもないだろうが。


 制服のポケットに入れたスマホ(会社から支給してもらったものだ)がバイブした。


「はい、鷹見です……あ、岡本さん? お疲れ様です」

『メインイベント前の発表は見たな? 来週、メデューサ伊藤とやってもらう。ベルト争奪トーナメントの第2戦だ』

「分かりました。それで、私は――」

『今までと同じだ。真剣勝負セメントで構わねぇ。ただし伊藤は加納と並ぶうちの看板選手だ。おまえも腹括ってリングに上がれよ』

「……!?」


 それだけ言うと岡本からの電話は切れた。


「どないしてん、亜里砂ちゃん?」

「今の電話、社長から? 何か言われたの?」


(伊藤さんに勝てば……あの人と戦える……エミさんと……!)


 亜里砂の耳に、美鶴や岬の声は聞こえていなかった。



 団体エースとマッチメイカー、さらにチーフトレーナーと三つの役職を兼ねる加納エミは、普段は一般選手たちの様子を見守るため大部屋の控え室に詰めていることも多いが、自らの試合の前後は専用の個室を控え室として使用している。

 その部屋に、つい先程対戦したダイモン小栗がフェイスペイントを落とし、緊張した面持ちで来訪していた。


「あ、あの……本当に申し訳ありませんでした。さっきの試合は……」

「……ああ、そんなこと?」


 流血戦の血と汗をシャワーで洗い流し、上下のジャージ姿に着替えたエミがにっこりと笑った。

 やや丸顔に柔和な顔つきは、普段着で街を歩けばプロレスラーというより若い教師か保母さんに間違われるかも知れない。


「気にしなくていいのよ。試合に偶然・・の事故は付きもの。むしろあのアクシデントをアドリブで試合の演出につなげたあなたの機転は百点満点よ」


 むろんエミとてあの「行為」が誰の指示によるものかは概ね見当がついている。

 だが、あえてそれを問題にするつもりはなかった。


「は? はあ……どうも」

「――ただし、試合そのものは70点ね」


 優しげな表情が一変し、鬼コーチの険しい視線が小栗を射すくめる。


「まだまだ技をかける時に躊躇いを感じます。あなたは悪役ヒールなんだから、もっと容赦なく攻めていいのよ?」

「す、すんません! 以後気をつけますっ」

「いつも言っているように、私が相手の時は真剣勝負セメントの……いえ、いっそ殺すつもりでかかって来なさい。どんな技でも反則攻撃でも、私はそれを受けきって見せますから」

「あの……たとえば、鷹見亜里砂の『徹甲』……あんな技でも?」

「当然です」


 きっぱりと答えてから、「ヴァルハラ」のエースは再び穏やかに微笑んだ。


「今夜はどうもお疲れさま」

※お詫びと訂正

第12話まで大橋美鶴の肩書きを「訓練生」と表記しておりましたが、実際のプロレス団体においては入門テストに合格した後リングデビューまでの期間を過ごす所属選手を「練習生」と呼ぶケースが多いことに鑑み、今後は「練習生」との表記に改めました。過去のテキストも同様に修正致しました。何卒ご容赦下さい。

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