第11話
駅前の繁華街からやや離れたオフィス街の一角に建つ、古びた雑居ビル。
そのビルの1フロアに「オカモト金融」の看板を掲げた会社のオフィスがある。
普通の銀行や消費者金融の審査に弾かれ、進退窮まった中小企業や個人に法外な高利で金を貸す裏金融業者、いわゆるヤミ金。
もちろん「うちは違法なヤミ金です」などと表だって宣伝するわけもない。
表向きはあくまで合法の消費者金融であり、日中のオフィスにおいてはごく普通の金融業務も行っている。
借金を申し込みにくる来客を受け付けの社員が応対する騒がしいカウンターとは別室の会議室で、社長の岡本はテーブルを挟みジャージ姿の若い女性2人と向かい合っていた。
2人の女は岡本が副業で経営する女子プロレス団体「ヴァルハラ」所属選手であり、現役の女子レスラーであると同時に、岡本と共にプロレス興行の演出や試合ごとの筋書きを決定する「マッチメイカー」でもある。
プロレス団体においては絶対的ともいうべき権限を有するマッチメイカーであるが、実際はそう単純に物事は運ばない。
男女問わずプロレスラーは腕っ節だけでなく自己主張の強い選手が多い。たとえ演出だと分かっていても「今日の試合は負けろ」と命じられて素直に「ハイ」という者は少ないだろう。
ゆえにマッチメイカーは団体経営者だけでなく、実力と人望を併せ持ち、(いざとなれば力ずくでも)他の選手たちを統率できるベテランレスラーを担当に当てるのが望ましい。
「ヴァルハラ」社長・岡本もまた、その慣習に倣い団体内におけるベビーフェイスとヒールのトップ、すなわち加納エミと伊藤真紀(メデューサ伊藤)を自分と同格のマッチメイカーに任命していた。
「ネットで調べてみましたが『恒河流』を称する武道の流派に関する情報は全く得られませんでした。しかしこれまでの鷹見亜里砂の試合を分析することで、ある程度その概容を推測することは可能かと思われます」
テーブルに用意したノートPCのモニターに過去4戦、亜里砂が戦った試合の録画映像を再生しながら、エミが説明する。
「戦いの流れは実にシンプルです。まず相手の死角から懐に飛び込んで『滝登り』といわれる蹴り技で動きを止め、次に『徹甲』でとどめを刺す……もっとも並のレスラーならば最初の『滝登り』を受けた段階で行動不能に陥ってしまうでしょう」
「『二の打ち要らず、一打ちあれば事足りる』……か」
思わず岡本が呟いたのは、伝説的な中国拳法の達人・李書文を当時の人々が評した賛辞だった。
李書文はその神がかった強さゆえ、他の武術家と決闘した際、奥義を使うまでもなく牽制の目的で放った最初の一撃で尽く勝利してしまい、時には相手を殺してしまうことさえあったため、このような言葉で称えられたという。
「それで本人が『徹甲』って呼んだ、例の技については何か分かったか? 俺も今まで色んな格闘技の試合を見てきたが、さすがにあんなのは初めてだぜ」
「鷹見選手が完全な形であの技を使ったのは、今のところデビュー戦となった笹崎凉子との試合だけですね……」
エミはPCを操作し、ちょうど「徹甲」を繰り出した瞬間の亜里砂の姿で動画を静止させた。
「構えと動きは中国形意拳の『崩拳』に似ていますが……おそらく別物です。特に腰の位置が崩拳に比べ極端に低く……引き足の左足と、打ち込んだ右手がほぼ一直線を描いていることにご注目下さい」
「中国拳法っていやあ『発勁』が有名だよな。あれの一種か?」
「無関係とは言い切れませんが、もっと単純で物理的な……そう『梃子の原理』に近い気がします」
「テコ?」
「この技を考案した人間の意図は、あらゆる格闘技につきまとう『体格差から生じるハンデ』を克服することにあったのではないでしょうか?」
エミの指先がマウスを動かすと、「徹甲」を決めた亜里砂の右拳・右足・左足を結ぶ三角型が赤いラインで表示された。
「梃子の原理でいえば、この場合左足が力点、踏み出した右足が支点、そして突き出した右拳が作用点――つまりマットを支点とし、右足の踏み込みと左足のばねを効かせることで力を増幅、最終的に右拳が相手のボディにインパクトする瞬間に全身のパワーを集中しそのまま打ち込む……その際の衝撃は鷹見選手自身のウェイトを遙かに超えて数百kgに達すると予想されます。笹崎さん自身も軽量級の選手だったため、吹き飛ばされたことで却って軽傷で済んだのは不幸中の幸いでしょう」
ちなみに直突きを使っているのは、下手に捻りを加えると亜里砂自身の腕の骨がインパクトの負荷に耐えきれず折れてしまうからだろう――というのがエミの見解だった。
「えらくご大層な必殺技だが……普通の女の子が、5年や6年修行したくらいで身につけられるものかね?」
「常識的に考えれば不可能です。あり得るとすれば……」
言葉を濁し、サングラスに隠された岡本の目を意味ありげに見据える。
「――おっと、そいつは心配ない。念のため健康診断の名目で鷹見の血液検査と検尿までやったが、その手のクスリは一切出て来なかった。あの子は完全な『天然もの』だぜ」
「そうですか。ドーピングでないとすれば……鷹見さん個人が、常人離れした身体能力の持ち主ということになりますね。ここまで個人の資質に依存する格闘術を『流派』と呼んでいいのか分かりませんが」
過去の記録が残されていない以上、「恒河流」は亜里砂にこの技を伝授したという赤月源次が個人で編み出した格闘術だろう。
その赤月本人は、現在のところ所在不明。
亜里砂の他に「恒河流」を伝授された人物がいるかも一切不明だ。
「一撃必殺、謎の拳法を操る天才格闘少女か。ワハハ、こりゃいい! 脚色なしでも売り込みにゃもってこいだ」
「笑い事ではありませんよ」
少し怒ったような顔でいうと、エミは岡本をきっと睨み付けた。
「相手の技を全て受けることが原則の私たちプロレスラーにとって、恒河流の技は危険すぎます。剣道の試合にいきなり真剣を持ち込まれるようなもので――いつリング上で事故が起きても不思議はないのですよ?」
「そいつは鷹見の経験不足ってもんだろ。あのお嬢ちゃんだっておいおい分かって来るだろうさ、この業界の『お約束』ってやつをな」
「ならばなぜ、プロレスに関して知識のない鷹見さんをいきなりリングに上げたのですか? せめて笹崎さんのように練習生としてある程度の期間プロレス流のトレーニングを受けさせていれば」
「まあ黙ってデビューさせたことは謝るが、ビジネスにはタイミングってもんがあってな。鷹見の場合はとにかく急いでデビューさせておく必要があったんだよ」
「『ヴァルハラ』は確かに小さな団体ですが、それでもリングデビュー目指して毎日厳しいトレーニングに励んでいる練習生の子たちが何人もいるんですよ? 彼女らの気持ちも察してあげてください!」
「甘いわねぇ、加納」
それまで黙って話を聞いていた伊藤が、冷ややかに口を挟んだ。
「毎日真面目にトレーニングしてりゃ必ずデビューできて、エスカレーター式にメインイベンターになれるのかい? はっ! そんな甘っちょろい世界じゃないことくらい、お互いよく知ってるだろうに」
「それは……」
「あたしはねぇ、社長が素人のガキをリングに上げたことより、そのガキにプロの看板背負ったうちの選手が真剣勝負でコロコロ負けてることの方がよっぽど腹立たしいね。チーフトレーナーのあんたがそうやって甘やかすから、連中ぶったるんでんじゃねーか?」
「マキ、そんな言い方――」
「気安く名前で呼ぶんじゃねーよ」
伊藤の目がギラリと光り、伝説の蛇女のごとくエミを睨めつけた。
「あたしはもう『バーニング・ギャルズ』のタッグパートナーでもなけりゃ、テメーの引き立て役でもねえんだ!」
「……ごめんなさい」
気まずそうに詫びると、エミはそのまま俯いた。
「いい加減にしろ伊藤。仕事の席だぞ」
「で、これからどうするのさ社長? まさかあたしたちを差し置いて、あのガキを団体のエースに据えるつもりじゃないだろうね?」
「おいおい、ちったあ俺を信用してくれって。鷹見の売り出しが一通り成功したことで、この演出は次の段階に移る。いっとくが、今回の演出はあくまでおまえら2人のために組んだんだぜ?」
「あたしたちの?」
伊藤、そしてエミも怪訝そうに岡本を見やった。
岡本は卓上の電話を取り上げ、社内にいる部下・長谷川に何事かを命じる。
間もなく、スーツ姿の大男が長方形のかなり大きなケースを抱えて会議室に現れた。
「それは?」
「まさか……」
かなり年季が入っているものの、黒革張りのいかにも高級そうなケースだ。
「そろそろこいつにも出番を作ってやろうと思ってな」
長谷川がケースをテーブルに置くと、岡本はノートPCを横にどかし、2人によく見えるような位置でその蓋を開けた。
「FEWA認定、女子プロレスチャンピオンベルト……懐かしいだろ? 昔、おまえら2人も腰に巻いたあのベルトだよ」
◇
(あいたたぁ~)
亜里砂は全身の痛みを堪えつつ、ため息をついて弁当の箸を置いた。
昨夜の試合直後からしばらく気が張っていたためか自覚症状もなかったが、今朝になってダイモン小栗に投げまくられた影響が全身の筋肉痛となって現れて来たのだ。
それでも「プロレスを理由に学校は休まない」という信念の元、バッグからトレーニング用の鉄板を外し這うような思いで登校。
何とか午前中の授業を済ませ、今はこうして屋上で弁当を食べている。
(小栗さんの投げ技、やっぱり効いてたなぁ……でもプロレスラーの人たちって凄い。昨夜の試合はたった3分くらいだったけど、普通の試合ならあんな凄い投げ技を20分も30分も掛け合ってるんだから)
「どうした? 鷹見がそんな疲れた顔するの珍しいぞ」
隣でランチを広げる東貴文が呑気な顔で尋ねてきた。
(「疲れた」なんてレベルじゃないよぉ……)
昼休み、教室を抜けだし2人でこっそり昼食を食べるのも既に日課と化している。
「でもさ、私たちがこうやって屋上でご飯食べてるの、もうみんなにバレバレじゃないかな?」
「かもなぁ。でも、別に冷やかされるワケでもないからいいじゃん。来年はもう受験だし、今はみんなもそれどころじゃないんだろ」
「そういや、もう来年かあ……」
まだ夏休み前であるが、うかうかしているとあっという間に時が過ぎ、気付けば受験シーズンが到来しているに違いない。
(私はどうしよう……進学しないでこのまま「ヴァルハラ」でプロレスラー続けられるのかな?)
だがそこで、「若手選手が亜里砂を恐れて試合を拒んでいる」という岡本の言葉を思い出した。
そして昨夜は団体でも五本の指に入るというメインイベンターのダイモン小栗に真剣勝負で勝ってしまったのだ。
この先、自分と対戦してくれるレスラーがあと何人残っているのか?
いるとすれば団体のエース、加納エミ。
(リングで戦う……エミさんと?)
感情論でいえば戦いたくはない。
だがその一方で、1人の格闘家としてかつて憧れの的だった女子プロレスラーと勝負してみたいという強い想いも否定できなかった。
「何ボンヤリしてんだよ? ほら」
「……え?」
貴文の言葉で我に返ると、目の前にミニサイズのタッパーが差し出されていた。
「母さんに頼んで少し余分に作って貰ったんだ。昼間授業に出て夜中にプロレスなんて大変なんだろ? これ食ってスタミナつけろよ」
蓋を開くと、可愛いタッパーの中にミートボールと亜里砂の好物、タコ型ウィンナーが詰められていた。
「あ、ありがと……わぁ、美味しい!」
「そうそう。ネットで『ヴァルハラ』のこと調べてきたぜ」
差し入れのおかずを頬ぼる亜里砂に、貴文はPCからプリントアウトしてきたと思しき資料を渡した。
「昔『極東女子プロレス』、通称FEWAってメジャーな女子プロレス団体があったろ? 鷹見が好きな『バーニング・ギャルズ』も所属してた」
「うん」
「FEWA自体は今から8年前に倒産したけど、そのあと一部の社員とレスラーが独立して旗揚げしたのが『ヴァルハラ』だよ。もっとも経営難に陥ってここ何年かは活動の記録がないけど」
かつてFEWAは日本最大の女子プロレス団体として、毎週日曜のゴールデンタイムには試合と共にアイドルレスラー「バーニング・ギャルズ」のステージまでTV中継していた。
当時小学生だった亜里砂もまたその時間はTVの前に釘付けとなっていたものだが、ある日を境にプロレス中継は突然打ち切られ、全く関係ないバラエティ番組に替わってしまった。
幼い亜里砂はがっかりしたが、大人の事情までは知る術もなく、お気に入りのアニメ番組が最終回を迎えるのと同じようなものと思って諦めた。
だがその後間もなく父の工場で働いていた拳法家の赤月源次に弟子入りしたのも、女子プロレスに夢中になった体験が少なからず影響していたのかもしれない。
「多分その『ヴァルハラ』と同じ団体だと思う。今はあの会員制クラブの中だけで試合して、外部には一切公開してないって社長さんがいってたから」
「旗揚げ時のエースは伊藤マキ。加納エミが所持してたFEWA認定のチャンピオンベルトを受け継いで新規まき直しを図ったんだろうけど……」
(マキさんが……?)
その当時、既に男女問わずプロレス業界全体が衰退しつつあった。
昭和の黄金時代を築いてきた大物レスラーたちが相次いで引退したこと、従来のキックボクシングに投げ技や関節技などをミックスしたいわゆる「総合格闘技」が新興勢力としてファンの人気を奪っていったことなど様々な事情もあるが、「ヴァルハラ」もまた時代の流れには逆らえず結局は往事の人気を取り戻すことはできなかった。
「おまえ、前に『会場で大物レスラーに会った』っていってたろ。それって伊藤マキじゃないか?」
「違うよ……私があったのはエミさん……加納エミだよ?」
「あれ?」
貴文は不思議そうに首を傾げた。
「加納エミはFEWAが倒産する前に引退してるよ。いや、正確にいえばエミの引退でバーニング・ギャルズが解散、それをきっかけに団体の経営も傾いていったんだぜ?」
今度は亜里砂の方がきょとんとする番だった。
「引退の原因はよく分からない。当時は『身体の故障』とか『一般人の男性と駆け落ちした』とか色んな噂が流れたけど、どれも根拠がなくて未だにはっきりしてないくらいだよ」
「でも私は選手控え室で確かにエミさんに会った。団体のエースで、身体を壊してるようには全然見えなかったけどなぁ」
「まあ一度引退したプロレスラーがリングに復帰するなんて珍しいことでもないけど……それじゃ元々のエースだったマキは?」
「伊藤さんも同じ団体にいる……って聞いたけど」
「変だなあ。もし加納エミが『ヴァルハラ』のレスラーとしてカムバックしたとしても、別に伊藤マキがエースの座を譲る必要まではないだろ? 改めてバーニング・ギャルズを再結成したってんならまだ分かるけど」
(そういえば、何でエミさんはマキさんとのタッグを解消したんだろう)
2人がプロレスラー兼アイドルとして芸能界で活動していたのが二十歳前後の頃としても、現在はまだ二十代後半。プロレスラーとしてはまだまだ上り坂の時期だ。
アイドルを引退したからといって、タッグチームとしての「バーニング・ギャルズ」まで解散させる必要はないはずである。
加納エミの突然の引退には、単なるケガや結婚以外の深刻な事情があったのだろうか?
亜里砂は控え室で伊藤マキのことを尋ねた時、エミの顔に一瞬だけ暗い影が差したように見えたことをふと思い出した。
(2人の間に何があったんだろう……もしかして私、触れちゃいけない質問をしちゃったのかな……?)
◇
ケースの内側は天鵞絨張りで、凹みの中にぴったり収まる形で黄金に輝く豪華なベルトが収まっていた。
もちろん飾り部分に金メッキをかけているだけで、それ自体は錫合金製だが。
「『ヴァルハラ』の先代経営者どもにはまんまと夜逃げされちまったが、団体の資産は借金の抵当としてしっかり回収した。このベルトもその1つさ。まあ売ったところで大した金にもならねえだろうから、そのうちプロレスマニア相手のオークションにでも出そうかと倉庫に仕舞っておいたんだがなあ」
驚くエミと伊藤を前に、岡本はニヤリと笑った。
「自分で団体を経営するうちに気が変わった。やっぱりプロレスにゃチャンピオンベルトが付きものだとは思わねぇか?」
「それでわざわざ引っ張り出してきたのかい?」
まず伊藤が顔を上げ、呆れたように肩を竦めた。
「第一これを認定してたFEWAはとうに潰れたんだし、こんなもの今じゃただのガラクタだろ?」
ちなみに同団体では女子タッグチャンピオンも認定され、そのベルトは「バーニング・ギャルズ」の2人が所持していたが、そちらはFEWA倒産の際にヴァルハラ同様独立した別団体に持って行かれたため、岡本の手許にあるのはこのシングルのベルト1本だけだ。
「そこはそれ、今このベルトに権威がないってんなら、俺たちでハクを付ければ済む話じゃねぇか」
「ふうん……で、今度は誰がこのベルトを巻くわけさ?」
「当然、おまえたちのうちどちらかに巻いてもらうが……それだけじゃ当たり前過ぎて面白味がない。できればこう、イベントとして盛り上げたいと思ってな」
チャンピオンベルト争奪戦。
「ヴァルハラ」所属レスラーのうちから最強の4名を選び、チャンピオンを決定するトーナメント戦を開催するというのが岡本の構想だった。
「まず加納は小栗とやってもらう。典型的なベビーフェイスとヒールの対戦だから、これは筋書きも作りやすいだろ?」
「……はい」
「で、あたしは誰と?」
「そこだよ。うちはヒールに比べてベビーフェイス勢の層がいまいち薄い。加納を別にすると、他に誰を選んでもメデューサ伊藤に貫禄負けしちまうんだよなぁ」
「まさか、そのためにあの小娘を?」
「その通り。彗星のごとく現れた天才美少女格闘家と、『ヴァルハラ』最強ヒールの一騎打ち――ゾクゾクするような好カードだろうが?」
「なるほどねぇ……で、筋書きの方は?」
「もちろんおまえに勝ってもらうさ。まあ鷹見には俺の方から事情を説明して――」
「ちょっと待った。小栗や若手の連中はあの娘と真剣勝負でやったんだろ? ならあたしとも同じ条件でやらしておくれよ」
「はあ? 何いってんだおまえ、これはただの試合じゃ」
「まさか『ガチでやったらあたしが負ける』なんて思ってないだろうね?」
「いやそれは……」
「そもそも鷹見はまだプロレスのイロハも知らないんだろ? そんな小娘にいきなり『筋書き通りの試合をしろ』なんていったって、リング上の動きがぎこちなくなってすぐお客にバレちまうよ」
「……100%勝つ自信はあるんだろうな?」
「ああ。――加納、あんたももう気付いてるんじゃないかい? 恒河流が完全な真剣勝負のために編み出された格闘術なら……それが致命的な弱点でもあるってことを、さ」
「……ええ」
それだけ答え、エミは頷いた。
「じゃあ決まり。楽しみだねぇ、ウフフ……」
「試合内容はおまえに任せるが……いいか、くれぐれもやり過ぎるんじゃねえぞ? 鷹見にはこれから稼いで貰わなくちゃならないんだからな」
「心配いらないよ。15分程度でやんわり眠らせてやるからさ」
真紅のルージュを引いた唇に妖しい笑いを浮かべ、伊藤はソバージュの長い髪をかき上げる。
「……」
何か言いたげに同僚の横顔を見つめるエミだが、すぐ口をつぐみ、悄然とした様子で再び俯いた。