幽霊少女と図書館司書
幻想郷と呼ばれている場所の妖怪の山の麓の湖の中央に浮かぶ小島にその館はあった。
紅魔館と呼ばれるその館は、壁から床まで全体的に赤一色である。
その館の地下には巨大な図書館が存在しており、魔導書をはじめとして多数の書籍がおさめられている。
その図書館に備え付けられている書斎机には大量の本が積まれていて、それに向かうような形で三日月形の髪飾りが付いた紫色のドアノブカバーのようなぼうしをかぶり、紫の髪に白い肌、紫色のゆったりとした服を着た全身紫ずくめの少女が真剣な表情で本を読み漁っている。
この少女、名をパチュリー・ノーレッジといい、見た目は十代の少女なのだが、その実は百年を生きる魔法使いだ。
彼女が読んでいる本には「夢と精神の関係」という題名が付けらえていて、書斎机に積まれている本も似たような系統の本が多数見受けられることから彼女が“夢”について調べているというのは明白だろう。
「小悪魔」
「はい! 何のご用でしょうかパチュリー様!」
本から顔を上げたパチュリーの呼びかけに元気よく返事をするのは、赤毛で頭と背中から黒い羽根を生やした少女だ。
彼女は小悪魔といい、大図書館の司書を務めている。
「小悪魔。この本を片付けて頂戴。それと、この前咲夜が人里の貸本屋で借りてきた例の本も持って着て頂戴」
「あぁわかりました。鈴奈庵に置いてあった日記ですね」
「えぇそうよ。あの記述についてもう一度検討したいの」
小悪魔はパチュリーから数冊の本を受け取ると、彼女が飲んでいる紅茶の残量をさりげなく確認しその場から離れる。
紅魔館の特徴として外観の見た目よりも中が広いという点があげられる。
これは住民の一人であるメイド長十六夜咲夜の能力により内部の空間が拡張されているために起こっている現象だ。それは紅魔館地下にある図書館も例外ではなく、広大な空間に天井まで届くような高さの本棚が並ぶ光景は圧巻の一言に尽きる。
そんな中でたくさんの本を抱えた小悪魔はそれぞれの本を正しい場所へ的確に収納していく。
その一方で小悪魔はまるで誰かに何ともいえない違和感を感じていた。
キョロキョロと周りを見て確認して見るが、その違和感の正体をつかめないでいた。
「誰かいるんでしょうか?」
なんとなく、誰かに見られている気がしてそんなことをつぶやいて見るが、パチュリーは書斎机から動いていないだろうし、いつも押し掛けてくる白黒の泥棒が来ている気配もない。
「気のせい……でしょうか?」
かなり注意深く見たつもりだが、人影を発見することはできない。
「疲れているんでしょうか……今日は早く休むようにしないと……」
これ以上考えても仕方ないと判断した小悪魔は、自分に語りかけるようにそう言って、残りの本を片付け始めた。
*
一通り本を片付けた小悪魔は、今度はパチュリーに取ってくるようにと頼まれた本を探していた。
探していたといっても、図書館の本はしっかりと場所の管理がされていて、どこぞの白黒の泥棒が持っていかない限り、なくなることはない。仮に白黒の泥棒が持って行ったとしてもはっきりと“死ぬまで借りていくぜ!”と宣言してから逃げていくので、どの本が持っていかれたのかはある程度把握できる。なので本がどこにあるかわからないなどという事態は起きないようになっているし、あってはならないことだ。
「あれ? あの日記、ここに置いたはずなのに……どこへ行ってしまったのでしょうか?」
しかし、その起きてはならないことが今まさに起きていた。
書棚へちゃんとしまってあったはずの本が紛失してしまったのだ。
それも、運の悪いことに人里の貸本屋で借りた本である。
「どうしよう……」
真っ先に小悪魔の頭の中をよぎったのは白黒の魔法使いの存在だが、彼女はコソコソと本を盗っていくという真似はしない。だとすると、別の誰かが持ち出した可能性もある?
様々な可能性がぐるぐると彼女の頭の中を巡るが、本がなくなったという事実は変わらず、それがどこにあるのかという答えにはまったくたどり着けないでいた。
もしかしたら、間違えて変な場所においてしまったのかもしれない。
そう考えて、別の書棚の方へと向かおうと角を曲がったその時だった。
「うわっ! ってなんだ……小悪魔か。びっくりさせんなよ」
そんな言葉とともに小悪魔の前に姿を現したのは、先ほどから何度か小悪魔の思考に登場した白黒の泥棒こと霧雨魔理沙その人だった。
金髪でリボンのついた黒い三角帽子をかぶり、黒い服に白いエプロン、おまけにほうきまで持ったいかにも魔法使いですというような恰好をした彼女は、帽子を深くかぶり直しながら小悪魔の横を通り過ぎようとする。
「あぁちょっと! 魔理沙さん!」
魔理沙がいるのならば、パチュリーが探している本は彼女が所持している可能性が高い。
彼女とて、良心はあるはずなのでもともと図書館所有の本ではないと説明すれば、納得してくれるはずだ。
「安心しろ。今日は本を借りに来たわけじゃないぜ。フランに会いに来たんだ」
「妹様にですか?」
しかし、彼女から帰ってきた答えがあまりにも意外すぎたので小悪魔は思わず聞き返してしまった。
フランというのは、この館の妹主人であるフランドール・スカーレットことだ。別に魔理沙とフランの仲が悪いということはなく、二人で話をしている姿を小悪魔は何度も見てきた。
ただ、それはたいてい魔理沙が図書館でパチュリーと話しているときにフランが加わってくるという形で実現していることであって、魔理沙の方からフランを訪ねることは滅多にない。
一瞬、本を選んでいる途中に邪魔されそうになってごまかそうとしているかもしれないと勘ぐったが、これまで彼女がそのことについてごまかしたことはないので本当なのだろう。
「魔理沙さん。日記見ませんでした? 赤い表紙でボロボロのやつです」
ただ、もしかしたらという可能性を考えて彼女にも話を聞いてみることにした。
「にっ日記か?」
小悪魔に背を向ける彼女の表情をうかがい知ることはできないが、声の調子からしてかなり動揺していることがうかがえた。
彼女は何かを知っている。小悪魔はそんな確信をもって魔理沙を追求する。
「はい。赤い表紙の日記です。もしかして、知っているんですか?」
「……そのだな。ほっほら、図書館の端の……入り口から見て一番左の書棚……あっそこに置いてあったぜ。わっ私は何も知らないからな! ぜっ絶対に何も見てないんだぜ!」
「えっそれってどういう……」
「そうだ! 私はフランに会いに来たんだ! とっとにかく急いでいるから! じゃあな!」
「あっ待ってください!」
さらなる追求は受け付けないといわんばかりに魔理沙は逃げるようにその場から立ち去ってしまい、あっという間に見えなくなる。
「どうしたんでしょうか? 珍しい……」
彼女の行動を不審に思う小悪魔であるが、とりあえず探し物に関する情報は手に入れられたのでそちらの方に集中した方がいいかもしれない。
その程度に考えて、小悪魔は魔理沙が本を見つけたという入り口から向かって一番左の書棚へ向けて飛び立った。
*
幸いにも魔理沙が本を見たという場所のすぐ近くにいたために小悪魔はあまり時間をかけずに目的の本棚にたどり着くことができた。
どうやら、先ほどまで魔理沙がそこにいたことは確実らしく何冊かの本が本棚から飛び出して散乱していた。
おそらく、フランに会いに来るついでに本を盗ろうとして思いとどまったのかもしれない。あるいは、帰りに本を持っていこうとしているのだろうか?
「どちらにしても、見事に散らかしてくれましたね……」
たかが本棚一つ分。されど本棚一つ分だ。
一つ当たりの本棚に収められている本の数など大図書館全体に置かれている本の数からすればそこまで多いものではないのかもしれないが、小悪魔の身長の十倍の高さはあろうかという大きさの書棚には数えるのもうんざりするほどの量の本が収められている。
日記がここにあるかどうかに関わらず、このままではまずいのでとりあえず本を片付け始めた。
一瞬、本の到着を待っているであろうパチュリーの姿が頭をよぎったが、急いでいる様子ではなかったのでしばらくは大丈夫なはずだ。いや、仮に本を持って行ったとしても本が散乱している状態を放置したのがばれたらまずいのでどちらにしても先に片づけをしていたかもしれない。
その辺のことはパチュリーもよくわかっているし、そのことでとがめられたことは一度もない。
落ちていた本自体はその本棚に収められている本の三分の一ぐらいなので小悪魔は近い場所に収める本数冊を持って本を順々に片づけていく。
約三十分をかけてその作業が終わろうかというその時、本の山の一番下からパチュリーから持ってくるように頼まれた本が姿を現した。
「あっあった。よかった……」
まだ、数冊の本が片づけられていないが小悪魔はホッと胸をなでおろす。
おそらく、この本を見つけた魔理沙が何かしらの理由でほかの本と一緒に床に落としてしまったのだろう。
そうならそうとはっきり言ってくれてもよかったのに。今回はよかったが、仮に本の山など気にせずに本棚の法ばかりを探していたらこれは、見つからなかったかもしれない。
探し物は見つかったのでさっさとほかの本を片付けてパチュリーのところに届けようと小悪魔は、探し物を近くの台においてから残りの本を持って本棚の方へと戻って行った。
*
「ねぇねぇ。どうして、これを読んでくれないの?」
最後の一冊を片付け終わった時、小悪魔はそんな声を聴いた。
少なくとも小悪魔は聞いたことのない声だった。
「誰ですか!」
パチュリーがかつて“魔導書は鈍器にもなる”と言っていたのを思い出し、とっさに分厚い本を取り出しながら振り向くが、そこには人影はない。
「空耳?」
最初に感じた人の気配と言い、さっきの声と言いいったい何なのだろうか?
小悪魔は周りを警戒しながら本を元の場所に戻すと、先ほど日記を置いた台に向けて歩き出す。
先ほどのこともあってか、心臓の鼓動は早くなり、生まれたての小鹿のようにぎこちない動きで小悪魔は移動していく。
「あなたはだぁれ? もしかして、読んでくれるの?」
その声は、はっきりと彼女の耳に聞こえてきた。
小悪魔の小さな体は、これ以上ないぐらいに飛び上がる。
恐る恐る振り向いてみると、そこには白いワンピースを着た黒髪の女の子が立っていた。
「あなたは……誰ですか?」
ようやく姿を現した侵入者に小悪魔は警戒の色を隠せないでいた。
普段、寝ているとはいえこの館には門番がいる。彼女はちゃんと仕事はしているし、彼女が見逃したとしても優秀なメイド長がここまで通すわけがない。となると、正式な許可を取ってこの図書館を利用しに来たのだろうか?
しばらくの間をおいて女の子はゆっくりと首を横に振る。
「わからない。なにもおもいだせないの。ここはどこ? あなたはだぁれ? 私のこと、しらない?」
「……残念ながらわかりません」
“幻想入り”その名単語が小悪魔の頭の中をよぎる。
そもそも、ここ幻想郷はかなり特殊な土地だ。外の世界とは二重の結界で遮断され、妖精や妖怪、神と言った外の世界で忘れ去られた者が集まるのがこの幻想郷という土地なのだ。
ただ、その中においても結界のゆるみ等々が原因で一般人が幻想郷に来てしまうことがあり、そのことを含め、外の世界から人、妖怪、道具などが入ってくる現象を総称して幻想入りという。
妖怪や道具はともかくとして、幻想入りした人間は大方妖怪に食べられてしまうので大図書館に入り込んだ彼女はある意味運がいいのかもしれない。
「ねぇあなたはだぁれ?」
「……私は小悪魔です」
「こあくま? なんかへんな名前だね。でも、それこあくまだけの名前じゃないでしょ?」
「まぁ確かにそうでかもしれませんけれど……」
彼女の指摘する通り、小悪魔というのはあくまで種族名だ。
いうなれば、目の前の女の子が“はじめまして、私は人間って言います”と自己紹介しているようなものだ。
それではある意味自己紹介とは言えないのかもしれない。
「ねぇだったら、私もあたなもそれぞれ名前、きめない?」
少女はあどけない笑みを浮かべながら首をかしげる。
「……ダメ?」
普通であれば、この事態は真っ先に図書館の主であるパチュリーに知らせなければならない案件だ。
しかし、少しぐらい彼女の相手をしていてもいいだろうと思った小悪魔は彼女の話に応じることにした。
小悪魔がそうした理由は他にもある。あまりにも唐突に彼女が出現したため気づいていなかったのだが、彼女の手の中にはしっかりとあの日記が抱えられていた。
力づくで取り戻すという手もあるのだが、それをして紅魔館を飛び出した彼女が妖怪にでも……いや、紅魔館も妖怪の館だ。人間の住民はメイド長だけなので下手をすれば彼女が今夜の食卓に並ぶ恐れすらある。
そうなれば、後味が悪いなんてものではない。小悪魔も確かに悪魔なのだが、人並みの良心は持ち合わせている。
それに、彼女には素直に従った方がいいと小悪魔の中の何かがそう告げているのだ。
「わかりました」
「よかった。それじゃ、お話がおわったらこの本をかえしてあげるね」
今、自分が持っている本を小悪魔が探していることを知ってから知らずか、少女は話に応じなかった場合、本を返さないつもりだったらしい。
「それじゃ、まずは私がこあくまの名前かんがえてあげる!」
「えっはい。お願いします!」
「まかせて! えっと……」
女の子は左手の指を頭に当てる。
「えっと……そうだ! こあくまはあくまだから、“サタン”なんてどう?」
「さっさっサタン様ですか! いや! いやいやいや! そんな! 私なんぞが名乗っていい名前じゃないですよ!」
小悪魔が恐縮しきっている姿を見て、女の子はつまらなそうな表情を浮かべる。
「えーそれじゃ、こあくまだからこぁ? それともここぁ? でも、それはいやかな……」
「いえ、その……私はこぁでも、ここぁでも……」
「そうだ! みるくなんてどう?」
「みるく……ですか?」
あまりにも自分の印象と遠ざかった名前にたじろいでしまう。
「そう! ほら、ココアにミルクは必要でしょ?」
「あぁそういうことですか……」
「どう? 気に入った?」
「はい……まぁそうですね」
彼女に押されるように小悪魔は答える。
本来なら名前というのは、主であるパチュリーが決めるべきものだ。しかし、召喚されたその日に彼女の口から“あなたの名前? 小悪魔は小悪魔でしょ?”という回答をもらってしまっているため、これからも小悪魔と呼ばれ続けることは明白だ。
だから、彼女が自分を呼ぶときにだけ使うニックネームのようなモノという意識で小悪魔改めみるくは納得する。
「だったらさ! つぎは私の名前をきめて!」
ただ、問題はここからだ。
記憶喪失の彼女に名前を与えれば彼女は最低でも記憶を取り戻すまでそれを名乗り続けるだろう。だから、名前は慎重に決めないといけない。
「そうですね……“あやめ”なんてどうでしょうか?」
「あやめ?」
「そうです。あやめの花言葉は“良い便り”です。あなたが、記憶を取り戻して自分を探している人たちに良い便りが送れるように……失礼ながら、そんな意味を込めてみました」
「ありがとう! みるくお姉ちゃん!」
あやめは満面の笑みを浮かべてみるくに抱き着く。
「いえいえ、でもよかったんですか? 悪魔何かがつけた名前で?」
「うん! だって、私が知っているなかでいちばんやさしくしてくれたのがみるくお姉ちゃんだもん!」
「そうですか……」
みるくはゆっくりとあやめの頭をなでる。
しばらく、気持ちよさそうにみるくの胸に顔をうずめていたあやめであったが、ふと思い出したように体を離した。
「どうしたんですか?」
みるくが尋ねると、あやめは抱えていた日記をスッと差し出す。
「これ、みるくお姉ちゃん本を片づけていたんでしょ? じゃましてごめんなさい」
「あぁそのことですか。ありがとうございます。ところでなんで読まないのなんて聞いたんですか?」
みるくは本を受け取りながら気になっていた疑問をぶつける。
でも、彼女はふるふると首を横に振った。
「私、知らないよ? 私はつくえの上にあった本をこうやってもってただけ」
「……そうですか……」
結局、あの声はなんだったのだろうか?
「お話してくれてありがとう」
「いえ。こちらこそありがとうございました。それでは……」
そう言って、みるくは日記を持って歩き出す。
そして、何かを思い出したように足を止めた。
「そうだ。あやめさん。あなたにあってほしい人が……」
なんにせよ。彼女をパチュリーに会わせないといけない。
そう思い、あやめを呼ぼうと振り返ったが、振り返った先に彼女の姿はなかった。
「あやめさん?」
手に持った日記から一枚の紙が落ちる。
そこには一言だけ“ありがとう”と書かれていた。