初心者専用宿屋 その1
その道は何処までも真っ直ぐ続いていた。
周囲は霧が深く立ち込め、道以外のものを覆い隠している。
この中を一人の若者が緊張した面持ちで歩き続けていた。
なんとなく正しい方向に進んでないような気がしていたのだ。
だが、引き返すタイミングは既に失っている。
彼は覚悟を決めて歩き続けた。
しばらくして、先程まで道だけしか分からない状態だった霧が急に薄くなる。
「あれ……かな?」
前方に一軒の民家が見えた。
間違っていたとしても道くらいは聞けるだろうと考え、若き旅人は歩調を早める。
そして段々と近付くにつれ、彼は民家が目的の場所だと確信した。
看板に書かれている『初心者専用宿屋』の文字はとても大きく、読み間違えることはあり得なかったからである。
「いりゃっしゃい」
癖のある発音で若者を迎えたのは、とても体格の良い男だった。
「初心者専用宿屋・“霧の中でビックリ亭"によく辿り着いたな」
さすがに身につけているエプロンに『宿屋の主人』と書かれているのは、胡散臭い気がしないでもない。
若者は戸惑いながら、身につけていた腕輪を外した。
それはあまり飾りがなく、中心に光る石がはめられている。
「お前さんは“外"から来たのか」
宿屋の主人は腕輪を受け取りながら尋ねる。
「友人を探しに来ました。
この世界は初めてなので、色々と教えてください」
彼の様子に、相手はにやりと笑った 。
「兄ちゃん。この世界で情報を得る場合は代価を払わないとならない。
タダでもらった情報は、嘘が混じっていても仕方がないという事だ」
若者は困ったように服のポケットなどを調べてみた。
しかし、何も持っていない。
彼の行動に宿屋の主人は可笑しくなったのか、笑いながら足元から二つのバケツを取り出した。
「ここは初心者用の宿屋だ。情報料は安くしておいてやる。
裏に井戸があるから、外の大瓶を全部洗って水を入れていおいてくれ」
この労働条件を彼に拒否する権利はない。
「わかりました」
若者はバケツを受け取る。
「それから汲んだ水の中に魚が入っている事がある。
初心者専用宿屋で一回は行える“運試しの魚"だ。兄ちゃんの旅を占ってくれるぞ」
そして宿屋の主人は
「噛みつかれるなよ」
と言って裏口への扉を開けたのだった。
結局、若者が与えられた仕事を終えた頃には、夕暮れに近い状態だった。
「こんな状態でアイツを探せるのか?」
彼はそう呟きながら、魚の入ったバケツを持った。
宿屋の主人が運試しと言ったが、この魚は最初に水を汲んだ時に入っていたのだ。
お蔭で二つのバケツのうち一つは、魚に占拠されてしまう。
効率よく井戸と大瓶の間を往復出来なくなったのは辛い。
宿屋の主人を呼んだが、占いは魚の有無や種類では判断しないと言われてしまう。
「魚を得た事で事態が動く。それが占いの結果だ」
そう言って、宿屋の主人は宿に戻ってしまう。
今もそれは与えられた狭い世界を窮屈そうに泳いでいた。
グロテスクな姿と派手な色合い、そして大きな目をギョロギョロと動かしている。
かなりインパクトの強い魚だった。
掃除を終えたと報告する為に宿屋のドアを開ける。
すると、とても美味しそうな匂いが漂ってきた。
彼は自分が空腹であることを思い出す。
「ご苦労さん」
宿屋の主人は若者から二つのバケツを受け取ると、そのまま若き初心者を食堂に案内する。
「スミノエ コウイチ殿。食事を終えたら幾つか確認をする。
正直に答えてくれ」
若者は自分の名を突然言われて、驚きのあまり硬直してしまった。
「なぜ名前を……」
「なぜも何も、ここは初心者専用宿屋だ」
意味不明の返事に、墨江晃一はますます首を傾げてしまったのだった。




