実行一日前
準備は整った。後は実行する機会を得るだけだ。
父が酒に酔いさらして、階段をどすどす降りる音と「おおー!」と意味不明に叫ぶ声で目が覚めた。
また酔っている―
今日父の会社は休みだったらしく、ここぞとばかりに酒を煽っている様子だ。もう父も50過ぎ。酒はほどほどにすべき年齢だ。
酒に呑まれている父に、みっともないからやめてくれと母がなんども言うが、父は一向に酒を飲むことを止めない。挙句に飲みすぎて、二日酔いと下痢で次の日仕事を無断欠勤する始末だ。
母はもちろん無断欠勤する父を白い目で見、放置しているが、無断欠勤のため無論会社から電話がかかってくる。
「すみません、風邪ひきまして・・・」
父は言い訳するが、上司は父の酒癖の悪さを見抜いていた。
電話越しで説教される父。
母は情けなくて、いらいらしている。
僕はそんなにイライラするなら、妻として、会社を休む時位、電話の一本でもしてやればいいのに、と思うのだが、母は「どうして私がそんなことしなきゃいけない?あんたがしてよ」といっては僕に八つ当たりをし、また台所が散らかっていると理由をつけては、僕を殴りに部屋まで押しかけて来る。
僕は父を恨んだ。
折角、母に殴られないようにと思って、台所や、リビングを綺麗に片付けておいても、酔った父が酔いに任せて散らかすのだ。酒の充てにと使った調理器具や食べた食器を流しに汚く置いておくのだ。
僕がいくら綺麗に台所を洗っても、僕が気づかない間に汚される。そして、母は僕の部屋まで階段をかけあがり、部屋に入ってきては「手伝いも出来ないのか!」と僕を遠慮なく張り飛ばした。
父が自室を出て部屋のドアを開けっ放しにしているせいか、僕の部屋のドアの隙間から異臭が入り込んできた。
僕は眉をしかめた。
異臭の正体は父の匂いである。
タバコの主流煙と副流煙の匂い、アルコールの匂い、父の加齢臭が入り混じって、吐き気がする匂いだ。母が仕事に行ったので、これで安心して眠れると思っていたのに、婉曲に父に妨げられて不愉快になった。
母が仕事に行く時の朝は、僕はおちおち寝ていられなかった。
寝ていたら怒られるからだった。
起きないでいたら、眠っていようがおかまいなしに僕にしゃべりかける。起きろと怒鳴られるならまだましだが、母は違う。
「まだ寝ているのか。家の手伝いもしないで。親が仕事に行くのに起きれないのか。昨日も片付けてなかったのに、今日もしない気か?それだからお前には友達が一人もいないんだ。そういえば・・・・」
と、またあれよこれよと寝ている僕に文句を言い出す。
僕が起きるまで、ずっと言い続ける。
心ない台詞を朝から眠っているときから言われるその不快感。ノイローゼになりそうだった。
だから、僕は母が起きると僕も飛び起きた。母の階段を下りる音で飛び起きる。まるで、目覚ましの音に驚くから、目覚ましが鳴る一分前に飛び起きてしまう人のようだ。
母が階段を下りる音が僕の心臓をえぐる。
どきどきが止まらなくて吐き気を覚える。
母の部屋は僕の部屋の隣だった。
母の扉の音が聞こえ、飛び起きることも、たた、あった。
どうか、僕の部屋を通り過ぎますように―
布団の中で体を丸めた。恐怖だった。
何も言われたくない、何もいわれたくない、なにもいわれたくない―
いや―
僕にはベルトがあるじゃないか―
昨日買ったベルトを思い出し、僕は恐怖心を抑えることが出来た。
そうだ、いざとなったら、あのベルトがあるんだ・・・大丈夫大だいじょうぶダイジョウブ―
母は仕事へ行く準備を終えると、僕の部屋に入ってきた。もちろんノックもなく突然ドアを開ける。
僕は自分の成りに気が付き、しまったと思った。僕は服を着替えていなかった。迂闊だった。
案の定母はそれを指摘した。
「まだ寝巻きの格好してるの?だらしない格好をしてるから、そんなだらしない性格になったんだよ。そう、掃除と洗濯しといて。あと、ご飯も炊いておいて。どうせどこにも出かけないでしょう」
僕が出かけないと勝手に決めつける。僕が出かけないのは当然のことのように言い放つ。
以前、僕が「今日はでかけるから出来ない」と言ったことがあった。すると母は「どこへ?友達おったん?」笑いながら言った。そして家事のいっさいを僕に押し付けて仕事へ行った。僕は膨大な言いつけに友達に電話をして「ごめん、風邪ひいて具合悪いから・・・」と会う約束を断った。
それ以来、僕は進んで友達と約束をすることをしなくなったし、友達は友達で「付き合いの悪いやつ」とか「ドタキャンする奴」というレッテルを貼られた。
僕は誰からも誘われることがなくなった。
「分かった」
僕は母の申しつけを素直に受け入れた。
良かった、殴られなかった―
また寝巻きの格好だといって殴られるのかと思った。母が立ち去った後も、心臓がどきどきして止まない。
そんな苦労が朝にあり、母が仕事に行ってから、ひと寝入りしようとした矢先、母が仕事に行った事を良い事に、今度は父が酒に酔い階段をどすどすと下りて叫んで目が覚めた。
僕は、異臭のする自分の部屋にいらだち、体を起こした。
二度寝する気には到底なれなかった。
僕は自分の部屋を出て、
「くせぇんだよ!」
子声で、向かいの父の部屋のドアを閉めた。
体にまとわりついた異臭。
僕は部屋に入るとすぐお香を炊いた。
寝巻きについた異臭が嫌で脱いで私服に着替えた。
髪の毛についた異臭は寝癖直しのヘアウォーターの匂いでなんとか誤魔化した。しかし、僕のイラつきは止まらなかった。
目の前にあった本棚を睨み付けると、勢いよく本を引き摺り下ろした。
バサッバサッツ!
乱暴に引き摺り下ろすせいか、僕の手の甲にも当たり、紙で指先も切った。
でもお構いなしに僕は本棚から本を引き摺り下ろし続けた。
本の背表紙の角が床に当たりゴンゴン音が鳴る。
くそっ!くそっ!くそっ・・・・・・・・・・!―
全部の本を引き摺り下ろすと僕は頭を掻き毟った。
「ああぁ・・あ・あ・ああ・あ」
僕は息を荒立たせてその場に蹲った。
何本も毛が抜けて指にまとわり付いている。
先ほどと一転して散らかった部屋。父は僕には無関心だから、部屋でなにをしてようが僕の部屋に入ってくることはない。今は酔っているから僕がいくら暴れようが気が付かないだろう。
泥酔しているのだから。
僕はそのまま頭を垂れた。頭の頂点の部分の髪の毛がさわりと落ち、襟足の髪の毛があらわになった。
襟足いっぱいの真っ白い、僕の髪の毛。
いやだ・・こんな家―
先ほど紙で切った指先をじっと見た。
鋭利な紙で切った指は血を滴らせていたが、痛みはなかった。
分厚い本の背表紙が手の甲にあたりあざが出来ていた。痛みはやはりなかった。
僕は泣いた。
実際に涙が目から零れることはなかった。
そう、僕はいつの間にか、実際に泣くことが出来なくなっていた。泣きたいのに涙が出なくなっていた。
苦しかった。
心臓に針が刺さったような痛さがあった。食して胸に詰まらせてしまった時のあの圧迫感がここ最近ずっと続いている。
僕は虚しく机の上のPCに目をやった。
散らかした本を書き分けて、ずるずる這いずり近づいて、怒りの余韻が残っているのが震える手をPCに伸ばす。
僕はもう学生最後の年を迎えていた。つまり、大学4年生で卒業と就職活動を控えているということだ。
僕は震える手でパソコンを起動させた。
最近の就職活動は、インターネットでの活動が主流になっている。昔のように、大学の進路部へいって、何百枚とある企業の求人募集の張り紙を一から十まで見て、大学の斡旋を受ける時代は終わっている。今は、大半が自由応募。自分で考え、自分で動かなければ就職できない時代なのだ。自由がゆえ、方法はいくらでもある。
その一つとして、インターネットの新卒応援サイトなるものに名前、住所、大学、学部、志望職種を登録してIDを作る。そのIDを使ってサイトにログインすると、本日の新着企業情報や、企業へのエントリー、企業からの返信、会社訪問の日時、選考会の経過などなど、個人情報が管理できる。
クリック一つで個人情報管理。そんな時代だ。
しかし、その自由で誰からの管理も受けないが為に、就職活動のスタートから出遅れる人もいる。
就職活動をしないからといって大学側があれこれ言ってはこない。今は就職方法も自由というけれど、本当を言えば、只の放任なのだ。
僕がそのことに気がついたのは、もう夏が過ぎていたころだった。
完全な出遅れ。
僕は母の言う「いい大学に入ればいい就職が出来る」という言葉をそのまま鵜呑みにし、大学の求人でも見れば、就職なんてどうにでもなると思っていた。
甘かった。
でも、敢えて言い訳すると、本当は大学院に行きたかった。
僕は絵描きになることを諦めて以来、何か夢を作らねばという固定観念に捕らわれて、慌てて自分の夢を作った。その夢が、大学院に行って、言語研究者になるという夢だった。もちろん、慌てて作ったからといって、まったく言語に興味がないわけではない。むしろ非常に興味があった。だから、絵描きを諦めてもいいと思えるほど興味があった。だからちゃんとした、「第二の夢」といっていい。その夢の経路はちゃんと大学受験の時から練り上げていた。
まず、僕は日本文学部のある大学に進学した。そして二年間日本語の勉強をした。日本語教師になりたいわけではないにもかかわらず、日本語教師コースを取り、日本語教師になるための講義を全て受講した。日本語コースを取っていないと日本語関係の講義を受講することが出来なかったからだ。
必死に勉強した。
休み時間はあってないようなもの。休み時間はすべて図書室で勉強し、昼休みになろうものなら、終わった講義室から図書室までの間、歩きながら菓子パンにかじりついていた。変な目で見られようがなんだろうかお構いなしだった。僕の成績には優、良、可、のうち全て優がつけられた。
そして二年間みっちり勉強して、大学の推薦で念願の中国留学をした。漢字のルーツを辿って漢字という概念を研究したかったからだ。
僕は日本文学部だったので、中国語はただの第二言語だった。けれど、留学希望者の選考で日本語でも可能だった留学計画論文を自己アピールの為、僕は敢えて中国語で書いて提出した。留学希望者は6人いた。しかし、留学は大学から一人しか行くことが出来ない為、激戦となった。しかも、留学にかかる費用、学費、寮費、生活費は全て国から出るので、みな血眼だったはずだ。そして、留学希望者の中で論文を中国語で書いたのは唯一僕だけだったおかげで、優秀とみなされ一度の選考で僕に留学許可が可決された。
僕は喜び、三年生を休学して春から渡中した。
さぁ、研究するぞ―
意気込んでいた。しかし、その意気込みは虚しく打ち砕かれた。酷いカルチャーショックを受けたのだ。
留学する前までは、
「これからは中国ですから―」
と、よくニュースで言われている言葉に僕は「新しさ」を感じていた。大国の大学への留学にも「新しさ」をどこか感じていた。
留学前に見ていた、綺麗な大学。僕が住む予定の綺麗な寮。
なのに、実際は違った。そもそも空港に着いた時点から「え?」と自分の目を疑った。外国人を迎えた綺麗な空港を出た瞬間、空がなかった。いや、空気が土煙で汚れて空の青さを僕の目に届けてくれなかった。そして、違法タクシー運転手のしつこい勧誘。
僕は違法タクシーの勧誘をなんとかすり抜け、バス停に着いた。
バスは壊れそうなおもちゃのようだった。椅子が木で出来ていて、座るのも躊躇われるほど汚く汚れており、いざ座ると硬くひんやりとして、なんとも座り心地が悪かった。辺りを見渡すと、春のまだ冷たい風を凌ぐために、今時、綿入れを着ている人もいれば、埃まみれの上下を着ている人、ボロボロで破けていても平気でその靴を履いている人がいた。
「新しさ」なんてどこにもなかった。微塵もなかったのだ。
人は「トランク片手にしたやつ」と、物珍しそうに体に穴が空く程僕を見つめ続けた。僕がバスから降りるまでずっと僕と見続けるのをやめなかった。まるで監視するかのごとく、バス中全員が僕に釘付けになっていた。前に座っている人なんて、座りにくいだろうに、わざわざ体を後ろに向けた状態で僕を見ていた。
僕はトランクにぎゅっとしがみついた。トランクだけは守らなければと思った。
中国に僕の銀行口座は当然ないので、現時点では日本からの送金は無理。したがって僕はトランクに現ナマを入れて移動していた。一年分の学費、寮費、生活費を入れたトランクを持っていたのだ。
バスの中の注目は、まるで全員が僕の現ナマトランクを狙っているように思えた。後にある中国人に聞かされたが、中国人は日本人の顔は浮ついた表情をしているから、すぐ日本人だと分かるらしかった。僕はどうやら、「トランクを持った日本人」ではなく「トランクを持った中国人」と思われ、余計変な目で見られていたのだろう。
それを聞かされたときは居心地悪く下を向いてしまったが、その中国人は
「君は日本人に見えない。中国人に見えるよ。香港の人に見える。」
僕の顔にはどうやら浮つきがないようだった。
「貧苦顔でもしてるからか?」
僕は苦笑した。
今まで経験したこともない居心地の悪いバスを降り、やっと寮についた。中国らしく「熱烈歓迎」と書かれた寮だった。春だからきっと僕以外の大学からも一斉にこの大学に留学するのだろう。と思った。
僕は入寮するべく、ロビーへと向かった。
入学証明書をだし、パスポート、ビザ、学生証を見せた。
「寮費を先払いでもらいます」
寮管理の小姐は言った。
小姐は赤い口紅に髪をきっちりシオンに入れていて、少しインテリに見えた。
「一年分払う?それとも半年分払う?」
「半年分払います」
小姐は電卓を持ち出して、寮費半年分の計算を打ち出すが、なかなか金額を言わない。
あれ?と思い彼女の手元をよくみると電卓に対して同じことを何回もしている。
もしかして・・・計算できないのか―
僕は彼女の名札をみた。『会計師』と書かれてある。
会計師なのに、電卓を使っても計算できないってなんだ・・・?―
彼女は困った様子で顔をあげ、たまたま僕の近くにたっていた中国人の学生に電卓を渡して、計算を頼んだ。
頼まれた中国人学生は一年分の学費割ることの2をして会計師に電卓を返した。
「謝謝」
割り算も出来ない人が留学生の金を弄くり一手に責任を担っている―
僕は一年間の生活が不安になった。いや、それが全ての不幸の始まりだったかもしれない。
計算が出来ない会計師のおかげで手続きに1時間もかかった。
出だしから躓いている・・・―
そう思いながらもなんとか手続きを終了させ、やっと、これから一年間住む部屋を訪れた。1312号室の扉を開けると・・・
「はじめましてぇ」
ホストがいた。きらびやかな格好をしている二十代後半の男が部屋にいたのだ。
僕はその場でパタンとドアを閉めて見なかったことにしたかったが、なんとか理性を保ち部屋に入ることが出来た。
「こんにちは」
「二人部屋だから、今日からよろしくー」
ホストは僕に会釈した。
ここは中国。皆学生。中国語を勉強するために留学してくる。
なのにホスト?―
僕は嫌な予感がした。
彼はホスト、いや、元会社員。僕は一瞬元ホストと思ったが、ホストみたいな格好をしているだけで、別にホストではなかった。
彼は、急に中国留学したいとただそれだけで目的なしに会社を辞め、中国に留学を決めたらしい。
辞めて何になるの?何をするの?それで食べていけるのかよ―
僕はそう思ったが、他人の人生を心配している余裕はないのでその愚問は止めた。
そうして僕の初日は終わった。
やっとこさベットに横になった。安堵が体じゅう一杯に広がる。
幸せだった。
たった一年間でもいい。あの家から出られたのだから。
今まで学費、学費といって、寝るのも惜しんでバイトを3つも4つも掛け持ちして金を捻出してきたんだ。今年一年は国費で食べていける。これは天からの恵みだ。僕はそう思うことにした。
だが、毎日毎日カルチャーショックを受けるばかりの日々が続いた。中国人は気性が激しく、飲食店で客の僕がクレームを出しても、お前が悪いんだろう!と逆ギレされて店から追い出される始末。
裏路地を通ればごみだらけ。そしてなによりも、子供がそのごみをあさって食事していた。
これにはショックだった。
あんな子供が飢えているなんて―
またあるとき、タクシーに乗ろうとしたところ、3人くらいの子供がタクシーのドアを無理やりあけようとして、僕から金銭をひったくろうとした。そのときはタクシーの運転手が「遠慮なくけりなさい」と言ったので、流石に蹴るのは躊躇われたので手で突き飛ばし車を走らせてもらった。
毎日が毎日、カルチャーショッツクだった。
なんて貧富の差。
色々な中国経済の本に載っていたが都市部でもこれだけ貧富の差があるのか、と落胆した。
毎日がサバイバルだった。
おまけに、夏になると、飲食店の衛生管理がずさんで、何人もの日本人が急性胃腸炎になって日本に急遽帰国した。
僕はなんとか急性胃腸炎は免れたが、中国に来た当初は流石に腹具合がしばらく悪かった。しかし、一週間もすれば俺の腹は菌に慣れてくれた。
そして、一番いやだったことはやはりあの同質のホストめいた人だった。
何日過ごしてもしっくり来ない。
挙句に女を連れ込むので嫌気がさし、僕はロビーの寮管理の人に頼んで、部屋を替わりたいとお願いをした。
すると、ちょうど前期が終わり、後期になるとまた新しい人が留学に来るので別の同室者を探してあげようといってくれた。
僕はついでに、もうひとつお願いを付け加えた。
「同室者は韓国人にしてもらえないですか?お願いします」
「いいよ」
小祖はすんなり了解してくれた。
そして僕はすぐさま1312号室を後に1026号室に移った。
数日後。
部屋に知らないトランクがあった。
「ゴミ・・・?」
僕はいぶかしげにそのトランクを物色した。
すると1026号室の扉が開いた。
知らない男が入ってくる。
外見の成りで分かった。
韓国人だ―
僕は喜んだ。念段の韓国人。僕は以前から噂で日本人は韓国人と同室になると巧くいくよと聞いていた。
前期は、あのホスト野郎のせいで僕の私生活まで乱れてしまったのだ。後期こそは幸せな留学生活を送りたいと切に願った。しかし、その韓国人はとてつもなく大変なやつだった。
「なつかしい、ソンジュ、どうしてる・・?」
僕はPCの彼の画像を見た。相変わらずの笑顔。最初はこんなに仲良くなるなんて思っても見なかった。
留学生活はとにかく自炊。二人部屋だったので効率よく、担当日を決めて夕飯を作ることにしていた。が、彼の作る料理は最悪だった。一番最低だったのは、湯を沸かし、煮干を入れ、沸騰させた上にバターを入れてもやしを大量に入れたスープだった。
僕は開いた口が塞がらなかった。
煮干は出しを取ったあと、煮干のかすを取らなければだんだん苦味が出てくる。ソンジェはかすを取りださずしてそのまま炊き続づけた。そして、最後の隠し味としてバターを大量に入れた。
炊き過ぎて煮干の灰汁も浮き、かすをそのまましているから苦味が出て白っぽく、表面は油がべっとり浮いている奇妙なスープが出来た。
「どう?」
心配そうに聞く彼に、僕は苦笑いを隠して「おいしいよ」といった。
劇的に不味かった。
口に含んだ瞬間、脳天を殴られた衝撃を受けて吐き気がくる。
まるで、灰を煮込んだ液体だった。
次の日、僕は案の定、吐いて下痢をし続けた。ソンジェは必死にごめんと僕に謝った。
その日以来、僕が料理担当になった。
僕は中国にきてまで家事を一切任される羽目になったのだ。
でも嫌じゃなかった。
ソンジュは手間のかかるやつだったから、仕方ないな、と思ってあれこれしてやった。まるで兄貴の気分だった。
ソンジェはソンジェで甘えたな性格をしていたため、僕の存在にはとても喜んでくれいてた。
僕たち二人はお互いを必要とした。
月日が経つにつれ僕たちは更に仲を深めていった。
そしてある日、僕が学校から帰ると、僕とソンジュのベッドがぴったりくっつけられていた。
「ソンジュ・・・?」
これはいったい・・・
質問する間もなくソンジュはこう言った。
「これで一緒に眠れる!」
良いアイディアだと嬉しそうにはしゃぐソンジュ。どうやらソンジュは僕と一緒に寝たいらしくって、勝手に僕のベッドと自分のベッドをくっつけていた。
僕は君のお母さんか・・・?―
僕は飽きれて笑ったのだが、ソンジュは僕も喜んでくれたのだろうと思ったのか満足そうな顔をして笑った。
二人で笑った。
でも楽しい日々は長くは続かなかった。僕たち二人にお別れの日が来たのだ。
ソンジュは僕を抱きしめてくれた。
また会えるようにと、対になった、中国伝統の結びを片方くれた。
悲しかった。
楽しい生活は終わり、ソンジュとは離れた。
悲しかった。
僕は泣いた。
僕は涙を流していた。
僕は帰国し、さらに中国語を勉強したいと思い、貯金をはたいて他大学の中国学科に編入した。
中国語のレベルを上げて、言語研究者になるのだと誓っていた。
しかし、実際大学に入ってみると、少人数制のクラスですでに仲の良いグループはすでに出来上がっており、編入してきた見ず知らずの僕が入り込める余地などなかった。僕は友達を作ることができなくなった。
大学の授業も面白くなかった。先生は贔屓が酷く、編入生の僕には一向に良い成績などつけてくれなかった。挙句に、成績表は前の大学でとった優の成績はただの認定表示。僕は優秀な生徒から再会まで成り下がった。自分の力ではなく、大学の力で成り下がってしまった。
僕が前の大学で頑張った努力はどこへ?
留学で辛い思いをしても頑張った努力はどこへ?
僕の作れるはずだった友達はどこへ・・・?
自問自答する日々が続いた。
そして、僕はだんだん大学をサボるようになった。
いつにもまして笑わなくなった。
自分の意思とは関係なく落ち込むようになった。
朝が起きれなくなった。
当然、朝起きれないで眠っている僕を母は、怒鳴るでのはなく、やはり心ない小言をうだうだと並べて厭らしく興しにかかった。「なまっくら」「能無し」「だから友達が一人もいない」「ださい格好」言うことはいつも似た様な内容だ。
僕は寝たふりを決め込むときがあったが、母が立ち去ると飛び起き、布団の中で丸くなっては頭を激しく掻き毟った。
僕のせいじゃない。ぼくのせいじゃない、ぼくのせいじゃないんだ!―
つぶやくようになった。襟足にだけあった白髪が頭のてっぺんにまで出るようになった。
母が怒るので学校にはなんとか行くのだが、人が沢山いる教室に入れず、一日じゅう一人、図書館のDVDを観ては時間をつぶして帰宅する、そんな日々が1年近く続いた。
そしてそれは今も続いている。
僕は心を落ち着けるとPCの就職斡旋サイトにログインした。
『今日の企業メール136通あります』
僕はぼぅっとそれに目を通していた。
いつだったろうか・・・
夜中、父と母が一階のリビングでこそこそ話ししているのを僕は聞いた。
「あいつ、あんなんじゃ就職できないぞ」
父がいった。
母も
「家出て行かせたら・・・・・」
などといっていた。
僕は後ずさった。
二人に気づかれないように二階の自室へ篭って布団を被った。
『あんなん』
『出て行ってもらったら』
僕は胸を詰まらせた。
圧迫されて呼吸が出来ない。
ぜいぜいと息があがる。
心臓がどきどき言って止まらなかった。
『あんなん』
僕は物ですか?酒に呑まれて家じゅう引っかきまわすお前に『あんなん』呼ばわりですか?
『出て行かせる』
僕は邪魔ですか?あんなに貴女を助けているじゃないですか?貴女の言うがままにし、貴女のうっぷん晴らしの暴力にも黙って耐えてきたじゃないですか?
僕は布団を強く握りしめた。
いつもは言い合っている夫婦のくせに、僕のこととなると団結して邪魔者扱い。
「あ・・・あ・・あ・あ・あ・あ・あ・ああ・あああああ・あ・・あ!!」
あまりの怒りと悲しみに声を荒げた。
でも荒げたつもりだっただけで、実際は出ていなかった。
僕はなにもいえない奴になったから。僕は泣くことも出来ない奴になったから。僕は邪魔者扱いになるような奴だったから。
僕はただの邪魔者に成り下がっていると改めて思い知らされた瞬間だった。
・・・・・・・・・。
いやなことを思い出して、PCの手がまた震えた。
我を戻して、斡旋サイトでよさそうな企業にエントリーしまくった。
「今日はもうこれでいい」
就職活動なんてさらさらする気がないのは自分で分かっている。
ただ、していないと母に叱られるので念のためしているだけに過ぎない。
僕にしたい亊などないのだ。
僕はPCの中の日記ファイルを開いた。
父宛、母宛、兄宛、叔母宛、そして鎌倉のおばさん宛のメモが保存されている。
僕は鎌倉のおばさん宛のメモをクリックして開いた。2日前に書いた文章が露わになった。そこには、僕と鎌倉のおばさんとの会話が書かれていた。僕はそれに目を通すと、一週間前のこの人とのやり取りが鮮明に思い出され、心に暗黒が一気に全土を占めた。
「あ・・あんなこと・・・あんなこと・・・」
僕は息を荒げた。
背中と胸に激しい鈍痛が走る。
僕は蹲り、胸を押さえた。
「あ、痛い、痛い痛いぃぃッ・・・・・・」
また発作だ。
僕は胸を押さえながら机の引き出しを開けた。びっしり詰まっている多種多様の薬。その数は僕自身も、もう把握出来ない程の数だ。
痛み止めだ―
僕はその中で白い小指の先ほどの大きさの薬を鷲掴み、パリパリと鳴るアルミから五つ六つ取り出し飲み込んだ。
くそ・・・・・くそっ・・・くそ・・・!あの女めッ!
僕は痛みを我慢しながらまた文章を付け加え、消えてしまわないように慌てて上書き保存した。
「これを誰かが見たら、この人は終わりだ・・・」
僕の心の夜叉がにやりと笑ったのを感じた。
いや、この人だけじゃない、この日記を読めば、お互いがお互いを罵り合うだろう。
僕はじわじわ効いてきた薬を体に感じながら、
家事をしなきゃ―
僕はPCを切った。
ふと、足元のベッドに目をやる。
そういえば、昨日は母の邪魔が入ったせいで買ってきたベルトを開けてなかったな。
僕はベッド下を覗き込んで包みを取り出した。
これが最後の要なんだ―
僕はラッピングを綺麗に取り、箱から中身のベルトを取り出し、皮の感触を確かめた。
柔軟性のある、けれどしっかりした留め具。
僕は満足した。そして、ベルトを持ったまま、押入れを開けた。
押入れを開け、上段へ登ると天井の端を持ち上げた。埃がぶわっと舞ったが、僕はお構いなしに作業を続けた。
天井を開けると、何本もの屋根裏の柱が見える。太い柱。
「この太さなら十分だ・・・」
僕は思って一本の柱にベルトを引っ掛けた。
輪にして留め具でしっかり固定する。これで出来た。
ここなら誰にも見つからない。
これでいつでも僕は―
僕は安心して、押入れから出た。
母に殴られないように、家事をしなければならなかった。