第1話「悪役令嬢は、生きるために血を吐く」
初投稿です。
「シルヴィア・ル・ブラン! 貴様のような魔力なしとの婚約は、この場をもって破棄する!」
金髪の美青年が、まるで世界の終わりを告げるかのように叫んでいる。
シャンデリアの光が、磨き上げられた大理石の床に散って、白い。
着飾った貴族たちの嘲笑。衛兵たちの鎧がガチャガチャと鳴る音。
そして、目の前で鼻息を荒くしている豪奢な衣装の男――アルフレッド第二王子。
その光景を見た瞬間。
俺の意識は、雷に打たれたように覚醒した。
(……あ、これ知ってるわ)
妹がやってたソシャゲ。『聖女と7人の誓約者』。
課金額がえげつないことで有名な乙女ゲーム。妹が毎月課金しては「推しが尊い」と叫んでいたのを覚えている。メインストーリーの序盤で発生する断罪イベント。
つまり俺――相楽湊、前世は日本のしがないゲーマー――は死んで、このゲームの悪役令嬢「シルヴィア」に転生した。
しかも、よりによってこの場面だ。
ゲームではここで悪役令嬢が捕縛され、地下牢に幽閉され、数年後に処刑されるバッドエンド一直線のイベント。
前世は過労死。今世は処刑。冗談じゃない。せっかく二度目の人生を手に入れたんだ。
思考を一秒たりとも無駄にするな。
俺は視界の隅に浮かぶ半透明のステータスウィンドウを確認する。
【名前:シルヴィア・ル・ブラン】
【HP:50/50(虚弱)】
【MP:0/0(魔力欠乏症)】
【Lv:1】
【特性:魔力欠乏症、病弱】
【ユニークスキル:生命変換】
(HP50の虚弱体質。MPゼロ。レベル1。……欠陥ビルドにも程がある)
この世界では、魔力こそが全てだ。
貴族は須らく魔力を持って生まれ、平民ですら生活魔法程度は使える。
魔力のない人間は、人として数えてもらえない。
だからこそ公爵家に生まれながら魔力ゼロのシルヴィアは「泥人形」と蔑まれ、社交界では常に嘲笑の的だった。そしてこうして衆目の前で婚約破棄されているわけだ。
だが、一つだけ光明がある。
ユニークスキル――生命変換。
自分のHPを燃やして、強制的に魔力を生成する。
このゲームでも屈指のピーキーなスキル。妹が「ロマン砲だけど実用性ゴミ」と評していたのを覚えている。
発動するたびに命を削る。そんなものを常用する馬鹿はいない。
――普通のプレイヤーならな。
(効率厨の俺を舐めるなよ。ゲームのシステムは全部頭に入ってる。抜け道も、裏技も)
俺は脳内で素早く計算する。
今必要なのは、この場からの即時離脱。衛兵の包囲が完成する前に消える手段。
転移テレポート――HP消費40%。残りHP30。致命的だが、死にはしない。
行き先は、王都の北に位置するS級危険地帯『死の森』。
熟練冒険者のパーティですら生還率が低い魔境。まともな人間なら絶対に選ばない逃走先。
だからこそ追手が来ない。ゲーマーなら常識だ――安全な場所は敵も来やすい。
目の前でアルフレッド王子がまだ何か叫んでいる。隣には、おどおどした金髪の美少女が寄り添っている。原作ヒロインのリリィか。
彼女がこの後、「聖女」として覚醒するメインキャラクター。
原作では、リリィに取って代わられるシルヴィアが逆恨みして嫌がらせをする。その結果が断罪と幽閉、そして処刑だ。
だが今、中身が入れ替わっている。恨みも執着も、俺にはない。……俺には関係のない話だ。
「……何か言い残すことはあるか?」
王子が勝ち誇った顔で問いかけてくる。
衛兵たちが、じりじりと距離を詰めてくる。
(言い残すこと? あるわけないだろ。さっさとおさらばだ)
俺は静かに目を閉じた。
そしてスキルを起動する。
(――変換)
心臓が、跳ねた。
全身の血管を沸騰した鉛が流れるような激痛。骨の髄まで焼かれる感覚が一瞬で全身を駆け抜ける。
胃の底から何かが込み上げてきて――
「ッ――」
口から、鮮血が溢れた。
白い頬を伝い、純白のドレスを紅く染める。
舞踏会場が、凍りついた。
笑っていた貴族たちが絶句し、衛兵が足を止め、王子の顔から血の気が引いていく。
その光景を横目に、俺は生成された魔力を行使する。
(――対象、自身。座標、王都北方『死の森』中央部。転移テレポート)
銀色の光が足元から広がり、体が浮遊感に包まれる。
最後に見えたのは、王子の顔だった。
傲慢さが剥がれ落ち、引き攣った恐怖と後悔が滲んだ、みっともない顔。
俺は――シルヴィアの体で、薄く微笑んだ。
意識的に笑ったわけじゃない。「やっと逃げられる」という安堵が、反射的に唇の形を変えただけだ。
痛みと安堵が混じった、ひどく曖昧な表情。
だが見る者によっては、それは――
だが。
✝ side change
「シルヴィア……ッ!」
王子の叫びは、転移の光に飲み込まれて途切れた。
――その場に残されたのは、静寂と、大理石の床に散った紅い血痕だけだった。
最初に動いたのは、リリィだった。
震える足で血痕に近づき、膝をつく。
「血を……こんなに……」
次に動いたのは、アルフレッドだった。
「止め、ろ……今の魔法を止めろ! シルヴィアを追え! 今すぐ――!」
だが宮廷魔導師は首を横に振った。
「殿下、あれは転移テレポートです。我々でも詠唱に一分を要する高等魔法。それを、MPを持たないはずの彼女が……自身の命を、燃やして……」
宮廷魔導師の声が震えている。何十年と魔法を研究してきた老人が、初めて見る現象に打ちのめされたような顔だった。
MPを経由しない魔法行使。理論上は不可能とされている領域。それを、魔力欠乏症と蔑まれた少女が、目の前でやってのけた。
沈黙が落ちる。
リリィが、ぽつりと呟いた。
「笑って、いました」
全員が振り返る。
「最後に……シルヴィア様は、笑っていました。あれだけの血を吐いて、命を削って……それでも、誰も恨んでいないような、穏やかな顔で」
彼女は知らない。
あの笑みが「やっと逃げられる」という安堵だったことを。
アルフレッドが、壁に拳を叩きつけた。
「俺は……何を、した……」
この日。
王宮では、一つの伝説が生まれた。
命を削りながら、誰も恨まず微笑んで消えた悲劇の令嬢。
――後に『血染めの聖女ブラッディ・セイント』と呼ばれることになる少女の、最初の物語。
一方、その当人はというと。
✝ side change
「――ぐっ、はっ……」
草と土の匂い。
目を開けると、鬱蒼とした暗い森の中だった。
転移は成功。座標もほぼ正確。さすが俺。
あの舞踏会場から、直線距離にして数百キロ。一瞬での空間跳躍。
……が、体がきつい。
ステータスを確認する。
【HP:30/50】
(40%消費で残り30。計算通り。でも体感はもっとキツいな……この体、虚弱の補正がかかってるのか。数字上は生きてるが、全身が鉛のように重い)
口元を拭うと、袖が真っ赤に染まった。
(うわ。派手に吐いたな。……まあいい)
インベントリを開く。HPを0.1%ほど消費して維持している亜空間収納。
中には、前の持ち主――転生前のシルヴィアが作り溜めていたアイテムが入っている。
(ポーション、ポーション……あった)
ドブのような色をした液体が入った小瓶を取り出す。
転生前のシルヴィアが、魔力なしでも作れる薬学・錬金術を独学で習得して製造したものだ。
(前の持ち主、やるじゃん。魔力がないなりに必死に足掻いてたんだな。……まあ、その努力の結晶をありがたく使わせてもらうとしよう)
蓋を開けた瞬間、凄まじい悪臭が鼻を直撃した。
「っ……くっさ……」
鼻をつまみながら一気に流し込む。
味は、泥と雑巾を煮込んで三日放置したような何か。
「…………まっず」
だが効果は本物だった。
【HP:50/50(全回復)】
体から痛みが引いていく。さっきまでの吐血がなかったかのように、全身に力が戻る。
(よし。HP全回復。問題なし)
俺はドブ色のポーションの空き瓶をインベントリに放り込み、周囲を見渡した。
巨大な木々が空を覆い、地面には見たことのないキノコが光を放っている。
遠くから、低い唸り声が聞こえる。
S級危険地帯『死の森』。
熟練冒険者ですら立ち入りを避ける魔境。
(……最悪の環境だが、裏を返せば最高のレベリングスポットだ)
俺は、ミスリル製のサバイバルナイフをインベントリから取り出した。
これも転生前のシルヴィアの自作品。錬金術で仕上げた、なかなかの業物だ。
暗い森の奥から、赤い目が複数こちらを見ている。
普通なら恐怖で動けなくなる光景だろう。だが俺は、ゲーマーだ。敵の配置と数は、すでに読んでいる。
(さて。生き延びるために、まずはレベルを上げるか)
口の端に残った血の味を舌で拭い、俺は死の森の闇に踏み出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白いと感じたら反応していただけると大変励みになります。
一言でもコメントいただけると嬉しいです。
次回「効率厨は死の森を攻略する」――毎日投稿です。




