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無能な転生者はフィンブライト家令嬢専属の魔導調律士として雇われる

作者: 沢城侑

 瑞々しいシルク――そんな表現が頭に浮かんだ。

 

 今俺は女の子の肌に触れている。

 もっと柔らかいと思っていたが、想像以上にハリと弾力がある。

 

 眼の前のメイド姿の女の子は艶のある目でこちらを見ながらわずかに口を開く。


「う、うぅん」

 甘い声を出されて俺は思わず下を向く。


「駄目ですよ。下を向いては」

 そんな俺に隣で立っている執事のレジナルドが声を掛けてきた。


「それに、ロレッタも変な声を出さないで、真面目にやりなさい」

「はーい。でも面白いんだもん。まだ腕しか触っていないのに、手汗がひどいのよ」


 笑うロレッタの後ろでは、もう一人少女が顔を赤らめながらこちらを見つめていた。なんでこんなことに……。


 俺はここへ至る前の事を思い出した。


◆◇◆◇◆◇


 数時間前――。


 王国の城の敷地内にある舞踏場。

 その高校の体育館程の大きさの広間が、大勢の人でごった返している。


 そこでは同じ制服姿の格好をした若者たちが、身なりの良い貴族達とあちこちで立ち話をしている。


 今ここでは、異世界から召喚した転生者を、雇う側が品定めをするスカウトイベントが行われていた。ちなみに俺は召喚された転生者側だ。

 

 高校生の時に事故で死にかけた所をよくわからない光に包まれて、異世界に連れて行かれるという、物語でよく見るアレだ。


「――キミ、何か特殊な能力はあるかね?」

 壁際の椅子でぼーっとしていた俺に、太った貴族が話しかけてきた。


「……いえ、別に」


「では、剣や魔法の腕前が良いとか?」

「いいえ」


 端的にNOの返事をする俺に貴族は怪訝な表情を見せる。そこへお付きの男が俺の胸元のプレートを指差しながら貴族に耳打ちをした。

 すると貴族は納得した顔でそそくさと居なくなった。


 前世では何をやらせてもパッとしなかった俺は、異世界では心機一転頑張ろうと思った。しかしそれも長続きしなかった。なんとかは死ななきゃ治らないと言うが、俺の根っこにあるヘタレの部分は死んでも治ってくれなかったらしい。

 Fランク魔法剣士。


 それが俺に与えられた称号だった。剣も魔法も人並み以下、チートの様な特殊能力も無い。そんな俺に買い手がつくはずもなかった。

 そしてこのランクを甘受している意気地の無さ。そこも買手側には見透かされているのだろうと思った。




 この世界ではダンジョンや未開の地の探索は貴族の役目となっていた。要は新発見の栄誉を浴するのは貴族にこそふさわしいという思想だ。

 しかし自分たちだけで危険な場所へ行きたくない。だったら、使えそうな奴を一緒に連れて行こうというのが彼らの考えだった。


 そして、転生者は戦う能力に優れているらしく、中には特殊能力を授かってくる奴もいる。そして家族も無くしがらみも無いことから重宝されているのだ。


 しかし、Fランクの俺は……ってのは説明するまでも無いだろう。



 目の前を貴族風の少女が通り過ぎた。

 スカートの裾からは細くて白い脚が見えていて、胸の膨らみの主張が強めのスタイルをしている。

 ショートボブの栗色の髪を揺らして同じ色の大きな瞳できょろきょろと周りを見渡している。


 俺はその綺麗な顔立ちを見ながらも違和感を覚えた。


 何か変だ、魔力が漏れ出ている?


 魔法を使う方はからっきしだけど、見る方なら自信がある。その俺の眼が彼女の魔力の流れがおかしいと感じさせた。


 彼女の後ろには執事とメイドが付いていた。執事は彼女に声を掛けた後に、彼女の肩に手を置いた。すると漏れ出ていた魔力の流れが落ち着いていった。


 それに見とれていた俺は、執事と眼が合った。

 執事はにっこりと微笑むと俺に近づいてきた。


「貴方、今のが見えていましたね?」

「え?」

「わずかに魔力が揺れました。今の光景に少し驚いたのでしょう?」

 何言っているんだこの人、訝る俺に執事は説明を付け加えた。


 執事の主であるさっきの少女は保有魔力量は大きいが、操作が不得意なので精神が揺れると魔力が漏れ出るとのことだった。


 そして執事は肩に手を触れて魔力を安定させたのだと。更にそれを感知できる俺の感覚は珍しいとも言った。


「――というか、他人が人の魔力の安定させるとかできるんですね」

「おや、案外魔法に詳しいのですね」


「これでも、二年間、雇われ浪人しているんで、勉強だけはね……」

 執事は「ほぅ」と言って、おもむろに俺の手を掴んだ。腕に電気が走ったような感覚。


「これを、跳ね返すことできますかな?」

「ちょ、ちょっと」

 俺は腕を振りほどこうとするが、力強い手に掴まれて逃げ出せない。


「跳ね返さないとどんどん強くなりますよ。流れを意識してください」

 俺は力ではなく、魔力を腕に集中させた。そして、魔力の流れをイメージする――そうすると、電気のような痛みがするすると無くなっていった。


「素晴らしい。()()しましたか」

 執事はにっこりと微笑んだ。


「レジナルド? 何をしているの? どこに行っちゃったかと思ったわ」

 おとなしそうな口調で言いながら先程の彼女が来た。


「ホントよ。てか、なんで男の手を握っているの? しかもFランクの生徒なんて」

 後ろのメイドがからかうような口調で言った。


「ここに来たのですから、スカウトに決まっているでしょう」

 執事は二人に答えた。


「スカウト?」


 この俺を? 一番驚いたのは俺だった。


「ええ、そうです。ロレッタ、担当官を呼んできて下さい。この人を正式にスカウトします」


◆◇◆◇◆◇


 そして、冒頭の状況に至る――。


 俺は屋敷に到着するなり、メイドのロレッタの前に座らされて、腕を触れと言われたのだ。

 手汗がひどいと言われたが、女の子の手も握ったことも無い俺がそうなるのも仕方がない。


「そんなに、緊張してたら、胸を触るまえに倒れちゃうよ」

 ロレッタがささやく。


「む、胸?」

 反応したのは後にいた少女だった。

 彼女はロレッタと執事のレジナルドの主であり、名をフィオナという。


 フィオナは自身の胸を手でガードするようにしながら、怪訝な表情を見せている。


「ああ、大丈夫ですよ。フィオナ様。私で練習させますから、痛くないように――――てか、痛ったーい!」

 レジナルドのげんこつがロレッタに振り落とされた。


「真面目にしなさい」

 レジナルドは微笑みながらも殺気を放ちながら言う。


「それで、タクト君。どうですか、できそうですか?」

 俺は手の平に意識を集中させた。手触りではなく魔力の集中だ。


 ロレッタの腕の魔力の流れを必死に感じ取る。わずかだが彼女の腕の中で脈打つ感覚を感じ取った。

 そしてその脈動に自身の意識を溶け込ませる。次第にロレッタの呼吸と俺の呼吸がシンクロし始めて――。


「よろしい」


 レジナルドの声で俺は意識を自分に戻した。


「初めてでここまでできるとは、やはり私の眼に狂いはありませんでした」


 調律士――正確には魔導調律士というらしい。魔法の術式を魔導士に合わせてカスタムするのが主な仕事らしいが、体に触れながら魔力の調整を行う――直接調律ということも仕事の内らしく、直接調律によって魔導士に正しい魔力の流れを教えることができるのだ。


 そして、それは触れる箇所が心臓に近いほど良いとされており、ロレッタが胸を触ると言ったのはそれをさしてのことだった。

 


「でもさー。レジナルドでも難しいのに、この人でフィオナ様の調律できるの?」

 ロレッタがレジナルドを見上げて言った。


「私は調律が本職ではありませんから」


「この人も、本職じゃないでしょ? 一応は魔法剣士みたいだし」


「私の予想が正しければ、フィオナ様とタクト君の相性は抜群のはずです」

「にゃは、体の相性ってこと?」


 ロレッタが口に手を当てていたずらっぽく言う。無言で拳を振り上げるレジナルドだったが、ロレッタはささっと椅子から逃げてフィオナの後に隠れた。フィオナはまたしても顔を赤らめている。


 レジナルドは拳を静かに降ろしてコホンと咳払いを一つ。


「さて、フィオナ様、こちらへどうぞ、早速始めましょう」


 フィオナはおずおずといった様子で俺の前に座る。

 視線を彷徨わせていて時折上目遣いの彼女と眼が合うのだが、すぐに逸らされてしまう。


「では、タクト君。フィオナ様の胸に手を触れてください」


 俺は言われたように、フィオナの腕へと手を伸ばす――――え、胸って言った?


「む、む、む、胸ぇ!」

 フィオナが顔を真っ赤にして立ち上がった。


「ど、どうして、胸なの! ロレッタの時は手だったのに!」

 会った時のおとなしい口調とは打って変わって、叫ぶようにフィオナは言う。


「それはお試しだったからです。彼の現時点の力量は分かりました。ですので今からは本番をします」


「本番……」

 愕然としながら呟くフィオナ。


 淡々と語る執事と俺達の温度差がすごい。


「でも、いきなり、胸と言うのは」

 俺もフィオナに賛同する形で抗言するのだったが。


「貴方には拒否権はありませんよ」

 取り付く島もなかった。


「さぁ、フィオナ様、このまま我がフィンブライト家が落ちぶれていくの座して待つのか、それとも再び栄光をつかむのか、今がその分水嶺です」


 執事は大げさなことを言い出した。

 俺には事情は分からないが、栄光を掴む為に見ず知らずの男に胸を掴ませろと、主に言っているのだ。

 紳士然としながら、結構鬼だこの人。


 フィオナはうぅぅと言いながら、観念したように俺の前に座った。


「い、痛くしないで、下さい……」


 涙目で彼女が言う。


 俺も覚悟を決めて手を彼女の胸へと伸ばす。情けないくらいに手が震えている。


 彼女は注射を打たれるときのように、横を向いて唇を噛み締めている。


 触れるか触れないかのところで俺の手が止まる。


 再び彼女の顔を見た。眼を閉じて何かを必死に我慢している顔だ。

 それを見るとなんだかすごく可哀想に思えてきた。


 やっぱりやめよう。そう思った時。


「さっさとやる」

 ロレッタが俺の手を掴んでフィオナの胸に押し付けた。

 手の平に伝わるのは予想を遥かに超えた神の感触――。


「ギャー」

 魔力を纏ったフィオナの平手打ちで俺は吹き飛ばされた。


◆◇◆◇◆◇


 フィンブライト家は探索者の家系として由緒正しき家柄だったらしい。フィオナの祖父が当主だったころは、何人もの従者を従えて、未開の森の踏破を成し遂げたとか。


 しかし、フィオナの父の代に変わると状況が一変する。

 病弱な父は探索に出るどころか家の外に出ることすら出来なかった。


 それでも祖父が蓄えた資産を元手に、他家の探索者への投資をしていたのだが、頼りにしていた他家の探索者がダンジョンで帰らぬ人となってなってしまい、資産は泡と消えたのだ。


 そして間も無く病死した父に代わって、母が家を切り盛りしていたが、その母も辛労がたたり、昨年亡くなったとのことだった。


「――じゃあ、あの子のもとには」

「はい、私とロレッタしか残っておりません」


 そして、フィオナは若くしてフィンブライト家の当主となり、探索者としての道を進みだしたのだったのだが。


「魔導士としての素質において、魔力量は申し分無いのですが、技術があまりにも未熟なのです。本人はその技術を磨く為に努力はしているのですが……このまま努力だけに任せておける状況ではありません。かといって高額な転生者を雇うお金もフィンブライト家にはありません」


「それで、売れ残りの俺を調律士に」


「本来の魔法剣士ではなく調律士として雇われたことは不本意だとは思いますが。ですが、我がフィンブライト家の為に助けて頂きたい」


 レジナルドはそう言って頭を下げてきた。


 俺には向いていない。そう思った。


 調律士とかいう職業にという話では無い。むしろ調律士みたいな裏方仕事が俺には性にあっているとも思う。というか、そういうことしかできないだろう。


 向いてないというのは、こんなに人に期待されて責任があることが向いていないということだ。


 転生する前も何となく生きていて、この世界に来てからも大した努力もしてきていない。そんな俺にとって誰かに期待されることなんて今まで無かった。


 俺自身が俺に期待していないのだから、他人の期待になんてどう応えればいいのかわからない。


 俺はこの先のことを思って深い溜め息をついた。



◆◇◆◇◆◇



 それから俺のフィンブライト家での生活が始まった。


 初日に思いきり胸を触るという事件があってから、フィオナの身体には指一本触れていない。

 レジナルドはしきりに調律を薦めるのだが、フィオナに頑なに拒否されていたのだ。


 仕方が無く俺はレジナルドやロレッタを相手に調律のスキルを磨く日々を送ることになる。


「――もっと、感じ取る方に比重を置きましょう」

 腕を差し出して、瞑目しているレジナルドが言った。


「感じ取る方、ですか?」

 俺はレジナルドの肘下あたりに手を添えた状態で答えた。


「そうです。調律しようと己の魔力を流し込むばかりではいけません。まずは相手の魔力の流れを感じ取ること。これが大事です」

「はぁ……」


 最初のうちはこんな感じで、慣れない、というかやったことの無い調律という作業に俺は四苦八苦していた。

 感じ取る――これがどうにも上手くいかない。レジナルドは相手の心理さえも感じ取るように、むしろそれができなければ、魔力も感じ取れないとも言っていた。


 心理を感じ取る。ひょっと俺は剣や魔法を使いこなすよりも難しいことをしているのかもしれない。

 こんな難しいことは辞めるという手もあったのだが、どうにもフィンブライト家の窮状を見てしまうと、逃げることに後ろめたさが沸いてくる。


 そんな思いを抱きながら数日が過ぎた。


「――あ、今のいい感じ」

 ロレッタが嬉しそうに言った。


「ふむ、そうですね」

 隣でレジナルドも頷いている。


 今のは俺もうまく調律できた感触があった。ロレッタの魔力の流れの乱れを、少しばかりの魔力を加えることでスムーズに流すことができた。


「にゃは! 私とも身体の相性いいのかも」

 小悪魔っぽい表情を浮かべてロレッタが言う。


「いえ、ロレッタの心理と感情が読みやすいからでしょう。この娘は単純ですから」

「あ、レジナルド、ひっどーい」

 レジナルドの言葉にロレッタは頬を膨らます。


 久しく感じたことの無い暖かな感触が俺の胸に広がる。

 俺は自分の掌を見つめて、無意識に微笑んだ。



◆◇◆◇◆◇



 調律の訓練以外にも俺には訓練が待っていた。

 フィオナのダンジョン探索訓練の手伝いである。


 Fランクとはいえ、俺は魔法剣士の冒険者だ。

 なので探索訓練の際はパーティにFランクの魔法剣士として加わるようになった。


 そして、今日も森への探索へ付いてきていた。

 鬱蒼と茂る森の中、下生えをかき分けながら、一行は奥へと進む。


「ねえ、レジナルド? 今日は深いとこまで来すぎてないかしら?」

 おどおどと周りを見渡しながら、フィオナはレジナルドに言う。


「タクト君も慣れてきたようですから、探索範囲を広げようと思いまして」


「とはいっても、Fランク剣士ですよねー」


 メイドのロレッタが言う。

 人手不足のフィンブライト家においては、探索は一家総出である。


「まぁ、そうですが、フィオナ様の露払いくらいはできるでしょう」


 俺はフィオナの方を見た。


 フィオナも俺の方を見ていたらしく眼が合う。彼女は恥ずかしげに眼を伏せた。初日の胸触り事件以降、あまりフィオナとは話をしていない。


 最低限の挨拶はするが、調律の訓練を一緒にしないのだから、あまり生活において接点が無かったのだ。しかし、今の反応を見る限り、嫌われてはいないらしい。


 

◆◇◆◇◆◇



「さ、どーぞ、フィオナ様」

 ロレッタが皮の水筒を手渡して来た。私はそれを受け取って水を一口飲んだ。


「ありがとう、ロレッタ」

 森に入ってから、幾度かのモンスターとの戦闘があった。

 そして、今は安全な木陰で休憩を取っている。休憩といってもレジナルドとタクトは見張りをしてくれている。


「ねえ、フィオナ様、やっぱり調律受けた方がいいですよ。さっきも火球魔法が暴発しかけてましたよね」

 ロレッタの言葉に私は俯いてしまう。

 彼女の言う通り、火球魔法は暴発して制御を失い、あさっての方向へと飛んでいったのだ。


「……うん。でも、怖くて」


「やっぱり、あのアホ貴族たちのせいですか?」


「え? う、うん」


 ロレッタの言うアホ貴族とは、名門貴族の次男や三男坊の子息たちのことだ。

 没落貴族である私の家に婿養子として入り、フィンブライト家の当主になろうとしつこく婚姻を迫って来るのだ。

 

 そして何より、私を舐るように見るあの眼が、たまらなく嫌だ。


「男がみんな、あんな感じじゃないですけどねー」


 確かにタクトは貴族の子息に比べると嫌な感じはしない。ずかずかと人の間合いに土足で入ってくるようなことはせずに、距離を測りながら、しっかりと私の周りに気を配っていてくれている。

 それはこうやって探索を繰り返すうちに分かってきた。


「少なくとも彼は私たちに対して一所懸命ですよ。フィオナ様は彼が嫌いですか?」


「そ、そんなことは、ないわ!」


 その私の反応を見て、ロレッタはにっこりと微笑む。


「ま、少なくとも彼の方からは来ないでしょうから、フィオナ様次第ですね」

 

 ロレットはそう言ってまた微笑んだ。私ははにかみながら微笑み返すしかできなかった。



◆◇◆◇◆◇



 レジナルドの剣がサソリ型モンスターの外殻を叩き割った。

 Fランクの俺が見てもわかる、凄まじい太刀筋だった。


 そして返す刀で周りのモンスターたちも斬り伏せていく。


 俺はただそれを見守るだけで戦闘は終わってしまった。



 パーティの編成は前衛をレジナルドが務めて、後衛に攻撃魔法の魔道士のフィオナと、補助魔法と回復魔法が使えるロレッタ。そして俺が前衛と後衛との間を守る位置に居る。


 しかし襲いかかってくる敵のほとんどをレジナルドが斬り伏せてしまうので、俺にはあまり出番がない。というか、そういう風にレジナルドが気を使っているのだ。


 たまにフィオナの魔法の練習にと弱いモンスターを寄越してくるので、俺は手出しをせずに後衛に譲るのだが、フィオナの魔法は常に暴発ギリギリの威力でぶっぱなされるので、それを避けるのが命がけだ。

 

 俺は前方のモンスターよりも後方の仲間に怯えながら森を進むのだった。



◆◇◆◇◆◇



 順調に森の探索を進める中、ふとレジナルドが立ち止まった。

「妙な気配がしますね」



「そうですか?」

 俺は周りを見渡しながら言った。



「何か来ます!」


 珍しくレジナルドが焦りながら叫んだ。


 そして、それは突然現れた。


 レジナルドが警戒していた前方からでは無く真下から。

 突如として、足元の地面が盛り上がって土が爆ぜた。

 土煙を巻き上げながら現れたのは、人の胴体程の太さの巨大なヘビのモンスターだった。


 巨大ヘビの眼が怪しく光って襲いかかってきた。俺は突然の出来事に脚がすくんで動けない。


「動きなさい!」

 レジナルドが俺に体当たりしてきた。俺はなんとかヘビの顎から免れたが、その身代わりにレジナルドに襲いかかる。


「レジナルドさん!」

 彼は巨大な牙を剣で受け止めていた。しかし巨大ヘビがその身体を捻った。

 すると尻尾が真横から飛んできた。それをまともに喰らったレジナルドは木に叩きつけられた。


「逃げるよ! レジナルドを担いで!」

 後衛のロレッタがすばやく反応して、前に出ながら言った。


 そして彼女は手元から取り出した薬瓶を巨大ヘビへ投げつけた。

 頭に命中したそれはジュッという音とともにヘビの頭部を微かに焼き、そいつはわずかに怯んだ。


 ロレッタがフィオナも促して先導して退却をする。俺もそれに続いてレジナルドを担いで駆け出した。



◆◇◆◇◆◇



「――不覚を取りました」

「動かないで、今、治癒魔法かけるから」

 苦悶の表情のレジナルドにロレッタが告げた。彼女の手がほのかに光っている。


 なんとか洞穴に逃げ込んだ俺達は、巨大ヘビの追跡をなんとかかわせたようだった。しかし、再び森に出れば見つかって襲われかねない。それにここも今は安全だがいつ見つかってしまうかも分からない。


「私を置いていきなさい。そしてロレッタ、貴方が囮となって、フィオナ様とタクト君を逃がしなさい」

 苦悶の表情でレジナルドが言う。しかしそれにフィオナが反応する。


「そ、そんなこと、駄目です!」

「フィオナ様に生きてもらわなければ、私は先代に顔向けできません。どうか分かってください」


 フィオナは涙を浮かべて歯を食いしばっている。泣き出しそうな顔で理屈と感情の間で葛藤しているのがうかがわれた。

 俺と大して年も違わないこの娘は、当主としての使命の重圧の中で、家の存続の為か従者の命かの選択をしようとしている。


 それに対して俺はさっきまで自分の身の危機ばかり考えていた。そしてフィオナの高潔さを垣間見て、恥ずかしくなった。

 魔法剣士としては相変わらずのFランクぶり。そして調律に関してもまだまだ使い物にならない。俺の存在価値は――。


「俺が行きます。部外者の俺が囮になります。ロレッタさん、レジナルドさんを歩ける程度までに回復させて下さい。俺がアイツを遠くへ引き連れていくので、フィオナ様を連れて逃げて下さい」


 そうだ、この案が一番良い。俺が囮になるのが一番しっくりくる。


「じゃあ、そういうことですから」


 俺は皆の反応を見ることも無く、洞穴を飛び出した。



◆◇◆◇◆◇



 森の中を走り回る。ヘビは確か振動に敏感だったはず。それを考えてできる限り大きな音を出しながら走り回った。


 横の藪ががさりと音を立てた。アイツが来たかと思って身構える。しかしそこに現れたのは意外な人物だった。


「フィオナ様! どうしてここに!」

 藪から出てきたフィオナは足を震わせながらも、俺の方を見つめている。その目には強い決意の光が宿っていた。


「部外者ではありません」


「え?」


「あ、貴方はもう部外者ではありません。私の、フィンブライト家の大事な家族なのです」


 そのフィオナの真っ直ぐな瞳は俺の胸を衝く。

 意外だった、そんな家族みたいに思われているなんて、そんな素振りは見えなかったからだ。だが、今はそんなことを言っている場合ではない。


「そんなことを言う為にわざわざここに? 早く逃げて下さい!」


「と、当主として貴方を見捨てることはできません!」


「そんなことを言っても……」

 かなり弱った。フィオナは責任感が強い方だと思っていたけど、まさかこんな行動に出るなんて。


「策ならあります」


「策?」


 フィオナは自身の胸に手を当てる。


「わ、私を、私を調律して下さい。私の魔法さえ上手く発動できれば、あの程度のモンスターなら敵ではありません。だ、だから、私の胸を……」


 顔を羞恥に染めながらフィオナは言う。彼女の意図を理解した俺は逡巡して答える。

「ぶっつけ本番で上手くいくか判りませんよ?」


「そ、それでも、この策以外に、皆で帰る方法を私は思いつきません。私はもう家族を失いたくない!」



 その時だった。遠くの藪からあの巨大ヘビが姿を現した。遠目でこちらを認識したそいつは、大きな身体をうねらせながら牙を剥く。ヘビに表情なんてあるわけが無い。でもそいつは微かに嗤っているように見えた。



「こっちです!」


 俺はフィオナを抱きかかえて木の陰へ身を隠した。しかし奴が木々の間をのたうちながら、地面を這う音が確実にこちらに近づいてくる。


 俺の腕の中でフィオナが手を握ってきた。


「や、優しくしてください」


 そのままフィオナは自分の胸に俺の手を沈めた。

 手の平が柔らかいものに押し付けられる。


 突如として手を伝って俺の中に魔力が流れ込んできた。


 戦場で、しかも頼れる従者もいない状況。彼女の感情はいつもより荒れているはず。それが如実に魔力の奔流として伝わってきた。それはまるで荒れ狂う嵐のような激しさだった。


 だが動揺している暇は無い。奴はもうそこまで迫ってきている。


「呪文の詠唱を!」

 俺が叫ぶとフィオナは眼を閉じた。そして意識を集中させる。


 彼女の魔力はいっそう荒れ狂う。俺はそれを宥め抑えようとする。しかし一向に魔力の嵐は収まる気配はない。


 ――もっと、感じ取る方に比重を置きましょう。


 いつかのレジナルドの言葉を思い出す。だが、何を感じ取ればいいのか。

 ふと、彼女の手の震えに気づいた。いや手だけじゃない、唇も小刻みに震えている。


 この魔力を荒れ狂わせている最大の感情は、ひょっとして――。



 次の瞬間、俺は自分の魔力を止めた。


 荒れ狂う魔力が俺の身体を駆け巡る。だが、彼女が感じているのが()()ならば、抑えつけることは逆効果だ。俺は全てをありのままに受け止める。


 すると不思議な感覚が訪れた。

 バラバラに吹き荒れていた魔力が集束して大きなうねりへと変わっていくのだ。


 俺は微かな魔力で、そのうねりをほんの少しだけ整えてやった。


 巨大ヘビが大きな顎を開けて目の前に現れた。


 その時――フィオナの手がかざされて光り輝く。


煉獄炎(ヘルファイア)

 目の前が地獄の業火で燃え上がる。暴発も無く見事な紅蓮の炎が顕現したのだ。


 炎に包まれた巨大ヘビは身体を大きくうねらせながらのたうち回る。


「や、やりました!」

 フィオナが歓喜の声をあげる。俺も思わず拳を握った。


 しかし目の前であり得ないことが起こった。


 巨大ヘビが炎を脱ぎ捨てて、中身が飛び出してきたのだ。


 迫るヘビの牙を俺は腕で受け止めた。牙は腕を貫いて肩にまで食い込んだ。

 ヘビの後ろでは奴が脱ぎ捨てた外皮が燃えている。

 奴は身を焼き尽くされる寸前で脱皮したのだった。


「タクト!」

 悲痛な声でフィオナが叫んだ。

 

 腕と肩が燃えるように痛い。


 なんとかフィオナだけでも逃がそうと考える。だがフィオナの言葉が脳裏に蘇る。彼女はもう家族を失いたくないと言った。こんな俺に向かって。


 朦朧とする意識の中で、俺の頭がそれに辿り着いた。諦めていたら終わっていた。


 俺は笑う。この最大のチャンスに。


()()()調()()()()()()()

 牙に貫かれている腕に意識を集中させた。奴の魔力の流れを感じる。


 そして、牙を伝ってヘビの中にありったけの魔力を注入してやった。


 魔法を術として使えないモンスターであってもその内部には魔力の流れがある。その流れをぐちゃぐちゃにしてやった。


 いわば、()調()()だ。


 その効果はてきめんで、魔力の流れを混乱させられた巨大ヘビは一瞬硬直した。


 その大きく開いた口の中を目掛けて、フィオナは再び手をかざす。


豪火球(ブレイジングスフィア)

 ヘビの内部で特大の火球が弾けた。体内で発生した爆発の衝撃で奴の身体は千切れ飛んだ。

 そしてその熱波で俺たち二人の身体も吹き飛ばされた。


 でも俺はそんな中でも彼女の身体は決して離さなかった。



「――フィオナ様、大丈夫ですか?」

 俺は起きあがる気力も無かったので、寝転がってフィオナ様を腕に抱いたまま尋ねた。


「は、はい……なんとか」

 フィオナも俺の腕の中から動こうとしない。

 ただ顔だけ俺の方へ向けた。俺も彼女の顔を覗き込み視線が合う。


「こ、怖かったです」

 そう言いながら口元に笑みを浮かべるフィオナ。俺も苦笑いで言う。


「俺もです」



◆◇◆◇◆◇



 いつも通りの荒れた流れの魔力が手に伝わってくる。


 俺はそれを宥めるように優しく整える。

 そして、なだらかになった魔力を彼女へ返してあげる。


 俺とフィオナは両手を繋いでいた。


 本来ならば心臓に近い箇所の方が調律はしやすいのだが、胸はさすがに抵抗があり、腕や肩もくすぐったいとのことなので、繋ぎやすい手の平を合わせて調律をしていたのだ。


 魔力の流れが安定したフィオナはすぅっと息を吐いて眼を開けた。

 そして上目遣いで俺を見る。


 彼女は俺の手を離そうとしない。


「あの、フィオナ様? 終わりましたよ?」

 フィオナはそれでも手を離そうとしない。

 そして手から伝わる魔力の拍動がより強くなった。彼女の感情が高ぶっている証拠だ。


「わ、わたしはフィンブライト家の当主として何事にも最善を尽くさなければなりません。ですから、タクトも私の調律に最善を尽くして下さい」


「あ、はい」

 突然、話始めた彼女の言葉がいまいち理解できずに、俺は気の抜けた返事をする。


「で、ですから、手の平では調律が不完全であるならば、そ、その、心臓の近くで……」

 フィオナは湯気が出そうな程に顔を赤らめている。


「それは……」


「…………」


 俺の言葉にフィオナは答えない。


 手を繋いだままで、二人共黙ったままの沈黙の時間が流れる。

 だが、それは気まずい沈黙ではなくて、いつまでもこうしていたい、そう思わせるような優しい時間だった。

 

 俺はもう一度自分を信じられるだろうか。


 誰かの期待に応えるとはどうするのだろう。


 今はまだ分からないけれど、その答えは彼女と歩けば見えてくるのかもしれない。


 俺はそう思って、彼女の手を優しく握り返した。



 ◆~◇ 完 ◇~◆


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