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97. 閉ざされていた過去

 夕日に照らされた部屋の中でラトが穏やかに話し始めたのは、あの魔獣戦争よりもさらに昔の話だった。



 ラトがまだ二十歳にも満たない若かりし頃、彼の父と母はその高い能力を生かして護衛の仕事を請け負っていたそうだ。


 当時はまだ護衛を斡旋するような商会は少なく、二人はかなり苦労をしたようだが、それでも各地を転々としながらの生活にはもってこいの仕事だったらしい。


 「母は貴族じゃなかったが、平民の中では高い能力を持っている方だった。しかも能力を発動したわけでもないのに、近くにいる人の能力を少しずつ吸収してしまうっていう特殊な体質を持ってたんだ。それに気付いた父が気になって声をかけたのが、二人の馴れ初めだった。」


 ラトは遠くを見つめながら、懐かしそうにそう話した。


 彼の母はその後、他の人とは違う時間を歩むことに強い孤独感を感じていたようだが、息子であるラトにはできるだけそれを見せないように、努めて明るく振る舞っていた。


 そうして家族は様々な場所へ引っ越しを繰り返しながら、日々を淡々と過ごしていった。


 「俺の年齢が四十を超えた頃から、母はさらに仕事を増やしていった。俺の見た目がようやく少年から青年らしくなってきていて、何かあっても、もうある程度自分で対処できると思ったんだろうな。」


 彼もまた時の流れが他の人とは違っていたため、本来ならば中年と言われる年齢になっても、その見た目は十代後半の少年にしか見えなかったらしい。



 そんなある日、新しい地域に越したばかりのラトがいつものように一人で剣や武術の訓練をしていると、その辺りに住む若い男達数人に突然絡まれてしまった。


 どうやら彼らはその町では有名な大きな商家の息子とその取り巻きだったらしく、力を誇示して好き放題に振る舞っている厄介者として知られていた男達だった。


 もし誰かから喧嘩をふっかけられても決して応えないように、と母から強く厳命されていたラトは、彼らからの理不尽な要求や脅しを無視してその場を離れようとする。


 しかし彼らは相当暇だったのだろうか、わざわざラトを追いかけてきてさらに絡もうとしてきたため、少し人気のない場所まで移動して相手になってやろうと考えた。



 ところが急いで移動したその場所は、まばらに低木が生えた何もない草原地帯で、魔獣出没地域として有名な場所だったらしい。再び男達に囲まれている間に、ラト達は大型の魔獣に襲われてしまう。


 「この頃はまだ、大型の魔獣とはまだ数えるほどしか戦ってなかったからなあ。」


 そんなことを言いながらキュッと手を握る彼に、エステルは微かな笑みを返す。



 元々能力が高く、長く自らを鍛えてきたラトは、当然大型の魔獣に対しても怯むことはなかった。だが周りの男達はそうではない。怯えて地面に這いつくばる彼らを庇いながらの戦いは、経験値の少ない彼にとって思った以上に大変なものだった。


 「自分の身を守るだけなら簡単だったんだ。でも誰かを守る戦いはそれが初めてだった。だからつい能力を使いすぎて、あっという間に限界を超えてしまったんだ。」


 ラトはこの戦いで能力を無駄に発動しすぎて例の強い痛みを発症。しかしこの時魔獣は瀕死ではあったがまだ消滅しておらず、倒れたから大丈夫だろうという浅はかな考えから、男達はもがき苦しむラトを襲い、金品を盗もうとし始めた。


 するとそこで突然、倒れていたはずの魔獣が復活して彼らに襲いかかった。


 取り巻きの男達は火、水、風など、よくある能力しか持ち合わせておらず、防御のために金属の棒や農具のようなものを振り回すことしかできない。リーダー格の男は炎を噴き出したり土の球のようなものを作って投げつけたりはしていたが、当然魔獣には効果が無い。


 そうこうしているうちにリーダー格の男は魔獣に上から押さえつけられ、その口に、あの黒い液体が入りこんでしまったのがわかった。


 「相当気持ち悪かったんだろうな、あの男は大騒ぎしながら液体を吐き出そうともがいていた。だが……」


 数十秒後、男は恐ろしい呻き声をあげて発狂。数分も経つと身体中が黒い何かに覆われてぶくぶくと脹れ始め、明らかに人の形を失っていった。


 そしてリーダー格の男だった何かはむくりと体を起こすと、今度はラトに襲いかかってきた。


 これはまずいと青くなっていると、そこにたまたま仕事帰りに通りかかった母が現れ、ラト達を救出。男らしき物体は母の強烈な攻撃により全く動かなくなったが、彼の仲間達はあっさりと男を見捨てて逃げていった。



 その帰り道、母によって減呪師のところに連れていかれて回復した後、彼の母はこう言ったそうだ。


 「魔獣と戦うようになってから知った。あれが体から滴らせている黒い液体は人をおかしくさせる。一瞬でも口に入ったらできるだけ急いで吐き出しなさい。絶対に飲み込んでは駄目。特に能力が少しでもあると、その能力を暴発させてしまうようになるから。私はこれまで何人も、無謀な護衛達のそんな末路を見てきたから」と。


 彼の母もまた長寿となり、長い時間の中で多くの戦いと失敗をその目で見てきたのだろう。まだ実戦経験の少なかったその頃のラトとは違い、魔獣の本当の恐ろしさを彼女は身を持って知っていた。


 ラトはこの事件がきっかけとなり、その後両親にお願いして、彼らが戦う様子や仕事ぶりを時々見せてもらうようになったそうだ。


 「あれから魔獣の液体を飲んだ人を見たことはない。あれ以来護衛達の間ではなぜか『あの液体を口に入れるな』という約束事が徹底された。おそらく父か母が誰かしらにそうするよう働きかけたんだろうな。」

 「そうなのね。でもそんな話、私は一度も聞いたことがなかったわ。兵士達には伝わってこなかったということかしら?」


 ラトはゆっくりと首を振った。


 「わからない。だがこの話自体を内密にするようにと、後から母に言われたことは覚えている。誰かに意図的に漏らさないようにさせられていたのかもな。兵士達も知ってはいるが、『契約』で話せなかっただけかもしれない。ましてやエステルは一応部外者だったわけだから、知らされなかったとしても無理はない。」

 「……」


 エステルはそこで深く考えこんでしまった。カイザー様ですら自分には言えないほど、『契約』で縛られるほどの秘密……


 するとラトはぼんやりしかけたエステルを現実に引き戻すように、再び語り始めた。


 「通常の人間が魔獣の体液を飲んだら、あの奇怪な動く物体に変化した。それなら魔人化しかけた人間がそれを飲んだら、一体どうなるんだろうな。」


 二人は目を見合わせて暫し考える。そしてエステルは眉を顰めてそれに答えた。


 「それが、私達が見たあの存在、ということね。」

 「可能性はある。だとしたら、相当まずい存在だが。」


 ラトもまた真剣な表情でエステルを見つめていた。


 「魔獣関連の情報は、特に魔獣と対峙することの多い兵士や護衛達からどんな些細なことでもそれぞれの国に報告することが義務付けられているんだ。さらに全員が『契約』によって指定されたいくつかの種類の情報に関して、その漏洩を禁止されている。」


 そして彼はさらに驚くべきことをエステルに告げた。


 それは、どの国にもそうした特殊な情報だけを集めた禁書庫が存在し、そこを管理するのは必ず強力な『契約』能力を持った人間だ、ということだった。


 「おそらくだが、あの会議に参加していた女性がそうなんだろう。」


 彼の言葉でエステルは目を丸くして「そうだったんだ!」と呟いた。



 そしてエステルは最後に、ラトが頼まれたことは何だったのかと尋ねた。すると彼は苦々しげな顔でこう答えた。


 「あれは……俺が集めた兵士達に『印』を入れろって意味だ。確かに『印』を体に刻めば強くはなる。だが能力が過剰に放出されることにもなるわけだから、当然その反動も大きくなる。つまり、俺ほどではなくても、彼らの苦しむ期間や強さは当然大きくなるってことなんだ。」


 だからラトは乗り気ではなかったのか、とエステルは納得する。


 こうして全てを話し終えると、彼は握り合った手をじっと見つめながら言った。


 「それでも、ここからの戦いに『印』がどうしても必要だというなら、彼らの意思に委ねる。……エステル、俺は今まで何かを本当の意味で背負うことを避けて生きてきた。だから今回の決断を委ねられた時、本気で悩んだんだ。」

 「うん。」


 暗くなり始めた部屋の中で、彼の青緑色の目がいつになく澄んで見える。


 「でも、俺はエステルと生きていきたい。この世界で、この時代を君と生きていきたいんだ。だから俺の背中で背負えるものは全部背負って、君と笑って生きる未来を掴み取ってみせる。」

 「ラトさん…」


 彼の強い決意と覚悟を前に、エステルはただひたすら彼を見つめることしかできなかった。だが暗くなっていく部屋の中で、彼の大きく乾いた手の感触と温もりだけはしっかりと感じ取っていた。


 「そんな大事な話を私にしてくれてありがとう。私はこれからあなたがどんな決断をしても、あなたを信じて必ず隣にいる。だから……」


 エステルにはまだ、その先の言葉がうまく口に出せなかった。ラトはそんなエステルを優しく見つめると、その日一番の優しい笑みを浮かべて言った。


 「エステル、今度は抱きしめてもいい?」


 抱きしめて欲しい、抱きしめてあげたい。エステルの中で、もうそれを拒む理由がなくなっていた。


 「もう……今日だけ、一回だけですよ?」

 「やった!粘り勝ちだな!」


 彼のその言葉に思わず笑ってしまったエステルを、ラトは大きく腕を広げてその胸の中に包み込んだ。


 「温かい…」

 「だろう?だからずっとここにいればいいのに。」

 「ふふ!もう少し、もう少し頑張りたい。」

 「そうか……わかった。」


 夕闇に包まれた小さなこの部屋の中で、何ものにも代えがたい幸せが今ここにあることを、そしてこの時間のかけがえのなさをエステルはしみじみと感じながら、ラトの胸にそっと頬を寄せていた。


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