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92. 久々の四人

 《聖道暦1112年7月25日》


 メルナが貴族会に招集されたあの衝撃の日から、数日が経過した。


 彼女からの報告を心配しながら待っていると、この日の夜遅くにようやく、「返り討ちにしてやったわ!」と嬉しそうに言いながらメルナが帰ってきた。エステルは心底ほっとして、思わず彼女に飛びついた。


 「もう!心配したのよ!?よかった、何もなくて…本当によかった……」


 無事帰ってきたことを涙目で喜んでいると、疲れた顔のメルナが苦笑しながら言った。


 「ごめんなさい、心配かけて。そうだわ!ここ数日、私も後片付けでかなり頑張ってきたし、明日は全力で遊ぶ日にしない?仕事の話も嫌な話も全部無しで、どうかしら?」

 「いいわね!ぜひ!」


 忙しい彼女のことだ。本来なら休むことは難しいのだろう。それでもこうして友人のことまで気にかけてくれるその優しさに、エステルは心が温かくなるのを感じていた。




 《聖道暦1112年7月26日》


 翌日はよく晴れて、朝から暑い一日となった。


 どこかへ行く、とは聞いていたが、どこに行くのか聞かされていなかったエステルは、何を準備したらいいかわからず部屋で途方に暮れていた。


 まあ一泊するだけだしと割り切って、結局着替えなどの無難な持ち物を鞄に詰め込むと、部屋を出て玄関ホールに向かった。



 「あら、やっと降りてきたわね!」

 「エステル、おはよう。」

 「アラン!久しぶり!」


 メルナと二人っきりだと思っていたエステルは、思わぬ人物の参加を大いに喜んだ。そして、もう一人…


 「悪い、遅くなった。」

 「ちっ…」

 「ラトさん?え、アラン!?今、舌打ち…?」

 「ふふふ」


 おろおろするエステルを楽しそうに見守るメルナの顔には、もうすっかりいつもの元気な笑顔が戻っていた。


 「さて、今日は暑いから、ちょっと涼しいところに行きましょうか?」

 「涼しいところ?」


 エステルの問いかけに、メルナは悪戯っぽく微笑みを返す。気付くと彼女の背後には、穏やかな表情でメルナを見守っているマテウスの姿があった。



 そして十五分後。


 エステル達は、涼しいどころか体が凍りつくような銀世界の真っ只中に降り立っていた。


 「行ったことがない場所に行ってみたいと言ったら、マテウスがね、ぜひここに行ってみて欲しいって言うのよ!」

 「……」

 「メルナ!?お、温度差を考えてくださいよ!」

 「さ、ささささ寒いいい……」


 メルナは震える三人をまあまあと言って無理やり引っ張っていき、一分もしないうちにとある大きな屋敷に辿り着いた。



 凍える手でノックをすると、中からメイドが二人ほど現れ、奥に案内してくれた。ふわっと体を覆う暖かな空気が、エステルの凍りかけた頬を過剰に温めていく。


 どうやらここは、マテウスが懇意にしている貴族所有の別荘らしく、夏の暑い時期になると彼は涼むためだけに、時々ここに遊びに来るのだそうだ。


 (あんな能力を持っていたら、好き放題移動したくもなるわよね…)


 歯をガチガチ言わせながら暖かな室内に入った四人は、夏の格好をしているせいでメイド達に奇異の目で見られながら、各々の部屋へと案内された。



 部屋の中には現地用の服が用意されており、エステルは早速その温かそうな服装に着替えると、応接室に向かった。


 「エステル、待っていたわ!」

 「メルナ!もう!まさかこんな大雪が降るような場所に来るだなんて、思ってもみなかったわ!」

 「ふふっ!」


 楽しそうに笑うメルナ、そしてそこにアランタリアもやってくる。


 「はあ、大変な目に遭いましたよ。全くあなたと言う人は、やることがいつも豪快過ぎるんです!」


 そう言いながらメルナをチラッと睨むと、彼はわざとらしく大きなため息をついてソファーに沈みこんだ。


 そして最後に、ラトがやってきた。


 「まさかこの時期にセーターを着る羽目になるとはな…」


 ぶつぶつと文句を言いながら部屋に入ってきたラトだったが、エステルはその少し大きいセーターを上手に着こなす彼に、一瞬で目を奪われていた。


 (すごく似合ってる。ああ、あのセーターの中に包まれたらどんなに…)


 そこまで考えてハッと周りの視線に気付いたエステルは、ラトに見惚れていたのを誤魔化すように窓の外に目をやった。


 「すごい雪ね。帝国にも雪は降るけれど、ここまで積りはしないから感動してしまうわ!」


 メルナのその一言が、気まずいエステルを助けてくれる。


 「そう、そうね!でも、この建物の中はとても暖かくて安心した。暖炉も大きいのね!」


 応接室の奥には大きくしっかりとした造りの暖炉がある。パチパチと眠気を誘うような火の音が、四人を暖かく包み込んでいく。


 「そうだわ!ねえ、せっかく四人で集まったのだし、食事の後は向こうでゲームでもしましょうよ!今日はたくさん遊んで、たくさん食べて、暑さも嫌なことも全部忘れてのんびりしましょ!」

 「そうですね。せっかくのお休みですから、ゆっくりしましょう。…エステルも。」

 「えっ?あっ、そ、そうね。」


 アランタリアの視線が熱く刺さってくる。久しぶりに感じる彼からの強い想いに、そしてそれを隠そうともしない強気な姿勢に戸惑ってしまう。


 だがエステルの気持ちをさらに大きく揺さぶったのは、結局ラトの方だった。


 「エステル、そこ、詰めて。」

 「え、あ、うん。」


 他にも座る場所はあるのに、二人掛けのソファーを大きく使っていたエステルを動かしてまで隣に座るラト。


 触れることはないのに彼の体温を感じるその絶妙な距離が、エステルの心臓の鼓動を徐々に早めていく。


 「嬉しいわ。色々あったけれど、またこうして四人で集まれただなんて。」


 メルナの言葉で少し緊張が緩んだエステルは、そうねと言って頷いた。ラトは隣でその長い足を組んでいく。


 「そうだな。俺も…割と悪くないと思ってるよ。今は。」


 ラトのその意外な言葉に、三人は一瞬動きを止めた。


 「何だよ、俺がこういうことを言うのはそんなに変か!?」 

 「ぷっ、ふふふふっ!」


 変な空気になったことで焦り始めたラトが面白くて、エステルはつい笑ってしまう。


 「良かったわ。二人がまたこうして楽しそうに話しているのを見られて。」

 「まあ、不本意ではありますが、エステルが楽しそうなら、私も嬉しいです。」


 顔はちっとも嬉しそうじゃないわよ、とメルナにつっこまれているアランタリアを見ながら、エステルは改めて、四人で仲良く過ごせるこの時間を心からありがたいと感じていた。



 その日の夜。


 散々遊んでたらふく食べて飲んだ四人は、応接室のソファーの上でそれぞれのブランケットに包まりながら、夜の暖かくて静かな時間をゆったりと過ごしていた。


 メルナは読書に集中し、アランタリアは酒に酔ったのかぐっすり眠っている。エステルはちびちびと果実酒を飲みながら、少しだけ開けてあるカーテンの向こうに積もる雪を眺めていた。


 するとメルナが本を閉じてブランケットを片付け始める。


 「さて、そろそろ寝ようかしら。そうだわラトさん、悪いけれどアランを部屋に連れていってくれないかしら?お姫様のようにお連れしてもいいから。ね?」

 「勘弁してくれ!起こせば自分で歩くだろ?」

 「一度深く寝てしまうと起きないのよ!前も落ち込んだ時に…とにかくお願い!」

 「はあ、わかりましたよ!」


 ラトは軽く額に手を当てると、ブランケットごと浮き上がったアランタリアの体を手で引っ張りながら、応接室を出ていった。


 「ふふ!文句は言うくせに結局面倒見が良いのよねえ、あの人。さ、私は先に休むわね。エステリーナはどうするの?」

 「私はこれを飲み切ったら休むわ。…メルナ、今日はありがとう。」


 メルナは本を小脇に抱えると、少しだけ眠そうな目をさらに細めて微笑んだ。


 「いいのよ。これからまた厳しい日々が続くわ。だから今日だけは何も考えず楽しんでちょうだい。それと…ルーク兄様のこと、助けてくれてありがとう。あなたの守りの祈りが、彼の命を救ってくれたわ。」

 「え?」


 エステルはその言葉に驚いて、グラスをテーブルに置くとメルナをじっと見つめた。


 「本当よ?あなたの祈りの効果が完璧だったからこそ、彼の命を狙っていた人間に『呪詛』を返すことができたの。……仕事の話はしない約束だったのに、ごめんなさい。この話はまたいずれ。おやすみなさい、エステリーナ。」

 「うん、おやすみなさい、メルナ。」


 一人残された応接室で、エステルは暖炉の火をぼんやりと見つめながら、ルークとの十日間を思い返していた。


 彼の優しさに返せるものは何もないと思っていたけれど、彼の命を守れたのなら、少しは役に立てたということだろう。


 エステルは再び果実酒の入ったグラスを手に取ると、それをゆっくりと飲み干した。


 眠気が徐々にエステルに忍び寄り、暖炉で薪が爆ぜる音が子守唄のように夢の世界へと導いていく。


 「良かった…私にも、できることが…あって……」


 柔らかな肌触りのブランケットに頬を擦り付けながら、エステルはむにゃむにゃと口を動かして眠りについた。



 ― ― ―



 「エステル、おーい、こんな所で寝たら風邪をひくぞ?」

 「うー…ん」

 「何だこれ、何だこの可愛い生き物は!?」


 ラトはすっかり夢の世界の住人となった愛しい女性の姿を見つめながら、その可愛さに悶絶していた。


 毛足の長いベージュのブランケットに包まれて、可愛らしい寝顔だけがちょこんと見えている。


 長いまつ毛は微動だにせず、少しだけ開いた口元からはスウスウと小さな寝息が聞こえている。


 「はあ…。友達、ねえ。どうしたって君のことを『友達』なんて思えないけどな。まあでも、大好きなエステルの頼みだから仕方なく受け入れるよ。」


 ラトは彼女の顔に掛かっていた黒く艶のある髪を指でそっと動かしその小さな耳に掛けると、彼女の耳元に顔を近付けて優しく囁いた。


 「愛してるよ、エステル。『友達』の君には面と向かって言えないけど、いつかその時が来たら嫌というほど伝えるから。」

 「ん…っ」


 一瞬目を覚ましたのかと焦ったが、どうやらただの寝言だったらしい。エステルは幸せそうにむにゃむにゃと何かを言いながら、僅かに微笑んでいる。


 「可愛いな。いや、可愛い過ぎだな。そうだ、あいつに見られないうちに、早く部屋に隠そう!」


 ラトはブランケットごとエステルを持ち上げて抱きかかえると、その寝顔をうっとりと見つめながら、彼女の部屋へと運んでいった。


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