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90. 悪意と欲望の果てに

 《聖道暦1112年7月15日》


 「…カイザー様、本気ですか?」

 「エステルちゃん、目が死んでる…」

 「ほっほっほ!エステリーナ、さてはあれからかなり怠けておったな?以前ならこのくらいの特訓、朝飯前だっただろう?」

 「えっ!?でも、さすがにこれは…」


 この日エステルは、久々に剣の師匠の特訓を受けていた。



 以前は帝国に向かうためだけに、最低限身を守れるようカイザーに鍛えてもらっていたエステルだったが、今回は魔人に命を狙われていること、そして自分で自分の身を守るための力をつけたいことを相談すると、彼はこう言った。


 「そうかそうか!わしはその言葉を待っておったぞ!さあ、今回はお互いに本気を出せるなあ、エステリーナ?」

 「…え」


 エステルが青くなったのは言うまでもない。


 カイザーの本気の訓練の様子は、これまで何度も目撃している。体力に自信のある屈強な男性達も、力は多少弱くても能力と組み合わせて多彩な攻撃ができる女性達も、カイザーと同じように動けという単純な訓練ですら過酷を極めていたのをエステルは知っている。


 (でも、せっかくカイザー様が来てくれているのに挑戦しないなんて勿体無いわ。倒れる覚悟でやる!私だって、あの訓練を乗り越えられるはずよ!)


 悲壮な覚悟、改め、前向きな決意を胸に、エステルはこの会話をした二日後の今日、この荒地に立っている。



 マテウスの『空間移動』で魔獣出没地帯に移動したエステル、ラト、カイザー、そして数人のラトが選んだ精鋭達は、別々に訓練内容を説明されてそれぞれの場所へと移動していった。


 ちなみに今少し離れた場所では、その精鋭兵士達数人が中型の魔獣を相手に奮闘しているようだ。



 だがエステルが今相対しているのは、以前ラトが一撃で倒したあの高地の巨大魔獣だった。


 「身を守るためにもう一段階上を目指したい、と言ったのはエステリーナだろう?さあ、今日はあの剣を使っていいから、思う存分暴れてきなさい。ただし!」


 精霊道具入れから取り出した大剣を構え始めていたエステルは、カイザーのその大きな声にビクッとして振り返る。


 「ただ闇雲に剣を振るのではない。己の中にある恐れに立ち向かい、自分の特性をよく思い出すこと。ラト殿にはラト殿の、君には君の強みがある。その剣は君にしか役に立たないことを、よく考えなさい。」

 「…はい。」


 (そうだわ、これは精霊の力が宿る剣。あの日海から来た魔獣に立ち向かった時だって、精霊達に力を借りた。それでも一人では倒せなかった。それならどうしたらいい?もう一度よく考えなきゃ!)


 ジリジリとこちらに迫ってくる黒く巨大な塊を見つめながら、エステルは剣を握り直す。冷たい汗が額を滑り落ちる。


 ラトはあえて何もせず、少し離れた場所で見守ってくれている。


 (心強い。でもそれに甘えていては意味がないわ。私の強み…私にしか使えない剣…)


 「そうだわ!」


 その時ふと頭に浮かんだのは、これまで考えたことも試したこともない方法だった。


 (精霊さん、どうかあの魔獣を倒すために、この剣を最も適した形に変えて欲しい!)


 これまでのエステルなら、自分の力を最大限に引き出すことだけを正解だと考えていただろう。剣に力を貸してもらうことはあっても、そこを限界だと決めつけてあとは自分の力を伸ばすしかないと考えていたはずだ。だが、海で出会った魔獣との戦いでは自分の非力さを嫌というほど味わったし、あの時の動きでは倒せないことも知った。


 (私の強み、それはこの剣に精霊達の力を宿らせられること…)


 「お願いします、どうかこの剣に、あなた達の無限の可能性を見せて!」


 剣に唇を寄せて放ったその小さな叫びは、大量の、だが極小の光を大地に呼び起こした。


 キラキラと輝く小さな小さなその大量の光の粒は徐々にエステルの剣を覆っていき、黒い液体で地面を濡らして歩いてくる巨大な魔獣が目の前に来た瞬間、それは一瞬で三倍ほどの長さに変化した。


 「わっ、何これ!?」


 だが戸惑っている暇はない。巨大になったがむしろいつもより軽く感じるその剣を握りしめ、エステルは覚悟を決めて、光を放つその異常な長さの剣を魔獣に振り翳した。


 シュー……ン


 風を切るような音、それと同時に辺りに飛び散る光の粒子…



 思わず目の前で起きた信じられない光景に見惚れている間に、黒い物体は粉々になって音もなく地面に散っていった。


 「おお!」

 「やったな、エステル!」


 見守っていた二人が、遠くからそれぞれの感嘆の声を上げる。エステルは剣が元の状態に戻っているのを確認すると、振り返って二人に満面の笑みを見せた。


 「倒しました!師匠!!」

 「おう。よくやった、エステリーナ!さあ、二体目にいくぞ!」

 「…え」

 「ははは…頑張れエステルー」

 「…」


 ラトの乾いた笑いが少し憎らしい。だが今はこうして心穏やかに彼の近くにいられる。そう思うと、ここからまだまだ続くであろうカイザーの特訓にも、どうにかついていけそうな気がするのだった。



 ― ― ―



 「陛下、お手紙でございます。」

 「ああ、そこに置いておいてくれ。」


 ルークはこの日、朝から慌ただしく書類に目を通していた。机の上に積み上がった大量の書類。その合間合間にメルナが冗談のように姫君達の釣書のようなものを挟んでいて、それを発見する度にルークはため息をついて頭を押さえた。


 「メルのやつ…これは本気だな。はあ、覚悟を決めるか。」


 二時間ほどで書類を全て確認し終えると、別にしておいた女性達の身上書をまとめて裏返した。そして先ほど届いた手紙の束を手にすると、一通一通開いてざっくりと読み進めていく。


 「……これは!」


 だが最後の一通だけは、送り主の名前を見た段階で手が止まってしまった。


 「エステル、から?」


 ルークは封筒の裏の小さな名前を食い入るように見つめていたが、しばらくすると呼び出しのベルを鳴らした。


 「陛下、お呼びでしょうか。」


 控えめなノックの音、そして先ほど手紙を届けてくれた臣下の一人が顔を出した。


 「ああ。この手紙だが、アランタリアの確認は済んでいるか?」

 「はい。そのように承っております。」

 「…メルリアンを呼んでくれ。」

 「かしこまりました。」


 再び静かに男が出ていくと、ルークは封筒を手にしたまま天井を見上げた。


 「これが偽物だとわかっていても読んでみたいと思うなんて、全くどうかしているな。」


 目を閉じて思い浮かぶエステルの笑顔は、野に咲く花のように、いつまでもルークの心の中で生き生きと鮮やかに咲き続けるだろう。


 「だとしても、もう決めたことだ。こんな手紙如きに振り回されている場合ではないぞ、ルーク。」


 自分に何度もそう言い聞かせると、ルークは手紙を机に置き、先ほど裏返したあの身上書達に目を通し始めた。



 ― ― ―



 「届いたか?」

 「はい、本日間違いなく。」

 「そうか。いよいよだな!」

 「…」


 興奮を隠しきれないジュリアスに対し、ペレスは冷静だ。



 ジュリアスはこれまでも何度か、貴族達からの贈り物という形で皇帝に『呪詛』を送ってきた。だがそれらは全て、本人の手に渡る前に怪しい物として処分されてしまったらしい。


 (だが今度こそ、やつはあれを無視できない!)


 あの男に好いた女がいるという話を聞いた時から、ジュリアスは最後はこの手しかないと決めていた。だがリリアーヌにそれを相談すると、彼女の反応はあまり良くなかった。



 「文章に紛れ込ませる『呪詛』は効果が高い分、最後まで本人がじっくりと目を通さないと発動しにくいわ。それともう一つ…」


 ジュリアスがもう一つとは何だと言うと、彼女は軽く首を傾げながらこう言った。


 「効果が高い代わりに、反動も大きい。この意味、わかるかしら?」


 確かにリリアーヌは美しい。しかし時々こうして「本当に理解しているのか」と問いかけてきて、馬鹿にされているような心持ちになる。


 (綺麗な顔はしているが、中身は相当嫌な女だ。早く目的を遂げて、立場をわからせてやらなければ!)


 自分を馬鹿にしてきた奴らは全員許さない。ジュリアスはこれまでにないほど精力的に動き、自ら例の手紙を代筆してくれそうな女性も探しだした。



 その子爵令嬢は、まだ成人したばかりの垢抜けないおどおどとした女性だった。とある夜会でジュリアスが甘い言葉をかけて近付くと、彼女はあっさりとジュリアスに心酔し、それ以来どんな要望にも簡単に応えてくれるようになった。


 「手紙を代筆してほしい」


 そう言った時も何も聞かずに頷いた。しかもそれは『呪詛』を織り込むための手紙。


 その女性をジュリアスが懇意にしている貴族の家に招待させ、そこでその手紙を書かせることにした。


 リリアーヌや彼女の隠れ家にいたあの従者の男も同席しているという異常な空間の中で、彼女は少し怯えながら言われた通りの文言を書いていく。


 「さあ、これでいいわ。お疲れさま。」


 リリアーヌに優しくそう微笑みかけられ、女性はどこか嬉しそうだった。



 そうして出来上がったあの手紙は、今、あの憎き男、皇帝オーギュスト・ルーカス・ヘレナムアの手元にある。


 「もうすぐだ。もうすぐこの国は俺のものになる。」


 城は俺好みに変え、あのいけすかないメルリアンも顎で使ってやる、そんな妄想を膨らませながらジュリアスはペレスに手渡された上着を手に取った。


 「出かけてくる。夕食はいい。」

 「かしこまりました。」


 優秀なペレスの選んだ上着に満足の笑みを浮かべると、ジュリアスはその日約束していたレストランへと出かけていった。



 数時間後、彼はそのレストランで美しい侯爵令嬢と食事を楽しんでいた。優雅な振る舞い、派手だが整った顔立ち。外で遊ぶには見栄えも家柄も良い、ちょうどいい女…


 ジュリアスは、もうすぐ手にするはずの権力と栄華にすっかり酔いしれていた。


 だが最高の食事を終えた彼を待ち受けていたのは、レストランの入り口を血の海に変える、首元への見えない一撃だった。


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