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82. 想うが故に

 《聖道暦1112年7月1日》


 二日間の休みを終えようとしていたエステルの元に、メルナが緊張した面持ちでやってきたのは、その日の夜のことだった。


 「メルナ、どうしたの?何だか、いつもと雰囲気が違うわね。」

 「エステリーナ、大事な話が。いえ、お願いがあるの!」


 鬼気迫る勢いでそう言ったメルナをソファーに無理やり座らせると、エステルは彼女の隣に座ってその華奢な肩に手を置いた。


 「わかったわ。ゆっくり話を聞くから、落ち着いて話して?」

 「ごめんなさい、つい気合いが入ってしまって!じゃあ、お言葉に甘えて。」


 メルナは少しだけ肩の力を抜くと、穏やかな声で話し始めた。


 「実は今、帝国内でとある要職に就いている方の命が狙われているの。それでぜひあなたに『守りの祈り』をかけてもらって、その方の命を守りたいのよ。」

 「え…でも、私の力ではまだそこまでの効果は…」


 自信の無いエステルがそう話すと、メルナは目を大きく見開いてエステルに顔を近付けた。


 「そんなことないわ!マテウスからも、最近は素晴らしい成果が上がってきているって聞いたのよ!」


 目が血走った状態で迫ってくるメルナの勢いを止めようと、エステルは両手を前に突き出した。


 「お、落ち着いてメルナ!わかった、わかったわ!一旦全部話は聞くから!!」


 どうにか冷静になってもらおうと、部屋に届いたお茶をメルナに飲ませ、ソファーに深く腰掛けるように言う。すると徐々にいつもの落ち着きを取り戻したメルナは、今回の依頼内容の詳細について説明し始めた。



 まず、『守りの祈り』をかける対象者は男性であり、帝国の重要な役職に就いているということを聞かされた。そしてその人物こそ、魔人達から帝国全土を守るための要になる人物である、とも説明を受けた。


 「この方はね、『開くもの』達に最も狙われている人物と言っても過言ではないの。だからこそエステリーナ、あなたの力をどうしても借りたい。」


 いつになく懇願するようにそう話すメルナの願いを、エステルは無視することなどできなかった。


 「わかったわ。私でできることはする。でも『守りの祈り』は一回だけではとても弱くて、あまり効果が無いと思う。数日かけて儀式を行うことになるし、周りに他の人がいると効果が分散してしまうって、マテウスさんが…」


 そんな高い地位の方を何日も拘束するのは現実的に厳しいのではないか。エステルがそんな心配を口にすると、なぜかメルナの硬かった表情が和らいだ。


 「ええ、マテウスから報告を受けているし、そのことはもう知っているわ。でも大丈夫。その方も十日ほどなら時間は取れるし、二人で集中して過ごしてもらえるように準備しているから。」


 エステルがその根回しの速さに絶句していると、彼女はふふっと笑って言った。


 「笑ったりしてごめんなさい!男性と二人っきりの生活なんて不安かもしれないけれど、その方は鋼の精神力を持つとても優しい人だし、私もよく知る人だから心配しないで。あ、もちろん二人がお互いに安心して過ごせるような『契約』は結ぶわ!」


 (そう、そうよね、男性と二人っきりで何日も過ごすなんて、よく考えたらお互いに心配よね…)


 エステルは、今になってその事実に気付いた自分を少し恥ずかしく思う。仕事だからと考えていたせいで、その辺りの危機感が薄かったようだ。


 ちなみにエステルにはもう一つ気になることがあった。


 「ねえ、ところでその『契約』というのは、どういうものなの?」


 それはエステルがずっと気になっていた言葉だった。一番初めにそれを耳にしたのは、確かアランタリアからだったような気がする。


 「『契約』というのは、書面で交わした約束を強制的に縛る特殊能力よ。契約を結んだ後は全員の同意がなければ一生解除はできない。ものすごく特殊な能力だし、基本的な能力値が高くないと発動すらできないから、帝国の中でもその力を行使できるのは数人しかいないわね。」

 「そんな力も存在するのね…」


 能力が無いエステルにとって全く想像もできない話だったが、一旦はその事実を受け入れた。メルナは続ける。


 「あなた達がとある場所に籠る間、その人の居場所も『契約』によって隠されている。だから生活に必要なものや食事なんかも『空間移動』で届けはするけれど、誰もその建物には出入りできないわ。だから安全は保証するけれど、あなたには気苦労をかけてしまうかもしれない。それでも、いい?」


 これまで幾度となく助けてくれた親友のたっての願いなのだ。断る理由などない。


 エステルは大きく頷き、笑顔を見せるとこう言った。


 「もちろんよ。それに……今はラトさんから離れてじっくり考えたいこともあるし。むしろありがたいわ!」

 「エステリーナ…」


 特殊能力を持たない自分がもし誰かの命を守ることができたなら、ラトのあの恐ろしい呪いも『祈り』の力でなんとかできるかもしれない。


 その兆しを少しでも感じられる機会になればと、エステルは前向きにこの依頼を受けとめていた。




 《聖道暦1112年7月2日》


 三日ぶりの研究所はなぜかとても静かだった。いつもは賑やか過ぎるほどのこの場所に、全く人が見当たらない。


 エステルはキョロキョロと辺りを見ながらいつもの部屋へと歩いていったが、この日そこに居たのはシルフィだけだった。


 「あ、シルフィさん、おはようございます。あの、他の皆さんは?」


 シルフィはいつものように僅かに口角を上げただけの笑顔でエステルにおはようございますと返すと、事情を話し始めた。


 「実は今日は半年に一度行われる『大掃除』で、全員ヘレナムア城に出掛けているんです。」

 「え?大掃除?」


 そこでシルフィが珍しく口を開けて笑った


 「ふふっ、びっくりしますよね!私も最初は驚きました。掃除といっても本当の掃除ではないのですよ。城内に怪しいものが無いかとか、能力の乱れがある人物がいないかとか、そうしたことを検査、点検するための一日なのです。」

 「なるほど!」


 (そうなると今日は実験はしないのかしら…)


 そんなことを思っている内に後ろからラトがやってきた。彼もまた研究所内の変化に気付いて戸惑っているようだ。


 シルフィが彼にも事情を説明し、今日は簡単な確認だけして終わりましょうと言って、彼女は一旦その場を離れた。


 エステルはラトと二人っきりになった途端、ふと昨日見たあの光景を思い出し、彼から一歩離れた。だがラトはその行動に今日は何かを言いたくなったらしい。


 「エステル」

 「な、何ですか?」

 「あのさ」

 「お待たせしました。」


 だがそこで、戻ってきたシルフィが二人の話を遮ってしまう。


 「始めましょうか。」

 「ええ」

 「…」


 カタカタ、と何かの機械が動く音がどこかから聞こえてくる。そんな慣れない静けさの中で、三人はシルフィの指示通りに確認作業を進めていった。



 二時間後、全ての確認作業が終わると、シルフィがラトを別室に呼び出した。


 エステルはその様子を何気なく目で追っていたが、ふと気になり、化粧室に向かうふりをして彼らのいる部屋の横を通った。


 (何、あれ)


 ドアは開け放たれていた。そしてその狭い部屋の中には、頬を赤くしたシルフィと、彼女の両手を少し押し返すように握りしめているラトの姿があった。


 「あ、エステル!?」


 (まずい、気付かれちゃった!)


 慌ててその場を離れると、そのまま駆け足で研究所を飛び出す。だが研究所の敷地はかなり広い。エステルはさらに速度を上げ、その簡素な庭園のような場所を走り抜けていこうとしたのだが、足の速いラトにあっさり捕まってしまった。


 「エステル!!」


 ラトの大きな手で掴まれた肩が少し痛い。


 「どうして逃げるんだ!?」

 「知らない!ラトさんには関係ないでしょ!!」

 「関係ないわけないだろ?俺は」

 「二人がどういう関係であろうと私には関係ない。だから見ないように気を遣って外に出ただけです!」


 すると突然ラトは掴んでいた肩をぐっと引き寄せ、後ろからエステルの耳元に優しく囁いた。


 「何もない。シルフィさんとの間には何もないよ。どうしたら信じてくれる?」


 エステルは、ラトのその哀しげな声に絆されそうになる自分を必死に抑えた。


 「どうって…私は別に」

 「なあ、まだ俺のことで嫉妬してくれるのか?」

 「えっ!?」


 彼の甘い問いかけに負けて、エステルは慌てて振り返る。久しぶりに直視してしまった彼の青緑色の瞳は、あの頃と変わらずエステルを想う優しい光を湛えていた。


 (どうしよう、こんなに近くにラトさんの顔が…)


 「嫉妬なんて、そんな…」


 思わず見惚れてしまったのを誤魔化すように、エステルはそう言いながら急いで目を逸らす。だがラトは追求の手を緩めなかった。


 「嫉妬じゃなかったら何?ただプレゼントを断っていただけの場面なのに、逃げる必要ないだろ?」

 「えっ?…ってそうじゃなくて、そうやって私を追い詰めるのはやめて!」

 「やめない!!」

 「ラトさん!?」


 大きな声を上げたラトに驚き、つい彼の顔を見つめてしまう。だがその背後には、絶望の表情を浮かべるシルフィの姿があった。


 「あ…」


 エステルの視線に気付き、ラトが振り返る。しかし彼はシルフィのことなど全く眼中にないのか、すぐにエステルの手を引いてそこを離れた。


 「あっ、ちょっとラトさん、ねえ、どこに行くの!?お迎えの馬車が!」

 「そんなのどうとでもなる!今はきちんと話をしよう!」

 「…」


 逃げられないとわかったエステルは、彼の手を緩く握り返して大人しくついていくことに決めた。そしてその動きに反応しキュッと握り返してくれた彼の手は、相変わらず大きくて、とても温かかった。


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