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80. 悪意の拡散

 《聖道暦1112年6月22日》


 メルナはこの日、久しぶりにアランタリアととある場所で合流し、今後の方針を説明することになっていた。


 彼にはここ一ヶ月ほど皇帝陛下を守護するための人員として特別部隊に参加させ、神官の持つ能力を徹底的に活用してもらっていた。特に彼の『能力減退』の力はかなり強力なもので、周囲に特殊能力で皇帝陛下を狙うものがいたとしても、七、八割はその発動を抑えることができる。


 ヘレナムア帝国現皇帝オーギュスト・ルーカス・ヘレナムアは、その類稀なる能力の強さと他の追随を許さない能力保持数、そして生来持っている人を惹きつける力やその政治手腕が認められ、今や帝国民なら誰もが、彼以外の皇帝は考えられない、と言うほどの存在となっている。


 だがその反面、前皇帝の時代に甘い汁を吸い続けてきた強欲な貴族達や、現皇帝を敵対視し自らが皇帝に成り替わりたいと願うジュリアスなど、不正に対して厳しい姿勢で臨むオーギュストのやり方に反感を持つ者も少なくない。


 だからこそメルナは、彼を支える側近の一人として、そして幼い頃から仲の良かった従兄妹として、あらゆる方法を試しながらその命を守ってきた。


 「メルナ、今日は随分とご機嫌ですね。何か良いことでも?」


 目の前の椅子に腰掛けたアランタリアは、特に疲れた様子もなく相変わらずの美貌を見せつけている。


 「ええ、だってエステリーナが帰ってきたんですもの。」

 「えっ…エステルが…そうですか!」


 アランタリアの美貌に、さらなる輝きと色気が加わる。他の女性がいない場所で本当に良かったと、メルナはしみじみと思う。


 「これまでのあなたの功績はしっかりと報告を受けているわ。何度か城内でも城外でも小さな襲撃はあったようだけれど、あなたの『能力減退』の効果が抜群で、全く問題はなかったと。」


 メルナが手にしていた報告書を見ることもなくそう伝えると、彼は心ここに在らずと言った様子でそれ以来に答えた。


 「はあ。それは良かった。」

 「…」


 (頭の中はエステリーナでいっぱいのようね。これでは話にならないかしら?)


 しばらく彼の様子を見ていたが、まだかなりぼんやりとしているようだったので、メルナは分厚いその報告書を机の上に置き、言った。


 「わかった、じゃあこうしましょう。今から話す内容をきちんと聞いてくれたら、来週はあなたに五日ほどお休みをあげるわ。どう?」

 「メルナ!ぜひお願いします!!」


 変わり身の早い彼に苦笑しつつも、メルナは気を引き締めて報告を始めた。今度こそ仕事に意識が向いた彼に、今後の流れと休みの後の対策について説明し終えると、アランタリアはあっという間に荷物をまとめ、嬉しそうな顔を隠しもせずに帰宅していった。


 「はあ。あの様子では、休みの間ずっとエステリーナを独占しそうね。」


 どうしたものかと思いはしたが、今の自分に彼らの恋愛模様を楽しむ余裕は無い。メルナは仕事に追われる日々に渋々意識を向けると、頭の痛い問題がたっぷり詰まったその報告書の束を脇に抱え、ゆっくりと部屋を出て行った。




 その日以降も、帝国各地で恐ろしい事件が立て続けに起こった。それ自体は今に始まったことではないので驚きはしない。だが帝国内だけでなくその周辺国でも異変が起こっているという報告が相次ぎ、メルナは心を痛めていた。


 一番多く上がってきたのは、普段なら滅多に現れないような場所に魔獣が出現した、という報告だ。


 (これはリリアーヌ以外にも強い能力を持つ魔人がいるということ。冷静な判断ができる魔人はそう多くはいないはずなのだけれど…)


 例の薬によって魔人化しかけた者、あるいはほぼ魔人化してしまった貴族も数人知っているが、彼らの多くは兵士達によって討伐されたか、もしくは正常な思考を保てず発狂したような状態になり、最終的には自らの能力が異常発動を起こして自滅している。


 つまり、リリアーヌのように謀略をめぐらしたり魔獣を自由自在に動かしたりするほどの実力を持つ魔人は、おそらくほとんどいないはずなのだ。


 (それなのにこれほど様々な場所で問題が起きているとすると、例の薬がかなり広まっていると見た方がいいわね…)



 さらに悪いことは続いた。


 これまでは皇帝に対して直接的な攻撃をしてくる者の方が圧倒的に多かったのだが、その警護の厳重さとアランタリアの能力により、徐々にそれは間接的な手段へと変わっていった。


 最近ではどうやらオーギュストが使用するであろう物に『呪詛』を仕込む、という方法を取り始めている。


 『呪詛』とは、能力の発動を促す『印』、もしくは二者の間で交わす『契約』と同じく、何かしらの効果を文書や体に刻み込める能力の一つだ。


 (『契約』や『印』の能力を持つ者は全員帝国の管理下にはいるけれど、怪しい人物は見つからなかった。ということは、帝国に登録されていない人物がいるのかしら…)


 『呪詛』が刻まれた物は、それに触れた人物を無差別に攻撃するわけではない。だからつい危険は無いと思い込んで標的とする人物に手渡してしまう可能性がある。


 アランタリアや彼の部下達に必ず全ての物を検査してもらってはいるが、いつどんな形で本人の手に渡ってしまうかわからない。


 「ああ、考えることが多くて頭が痛いわね。今夜はマテウスに愚痴りに行こうかしら?」


 こうしてメルナの苦難が続く中、アランタリアは貴重な休日を心待ちにしていた。



 ― ― ―



 《聖道暦1112年6月29日夜》


 アランタリアは翌日からの休みに備えて、仕事終わりにエステルに会いたいと、早速メルナの屋敷を訪れていた。


 しかし数時間待ってもなかなか彼女は帰ってこない。


 (おかしい、この大雨だ、もしかして何か事故でも…)


 徐々に不安が募り、応接室の中をうろうろと歩き回っていると、玄関ホールの方から何やら人の声がすることに気付き、急いでその部屋を飛び出した。



 「お帰りなさいませ、エステリーナ様。」

 「ただいま、レイクさん。」


 慌てて向かった玄関先には、待ち焦がれていた人の姿があった。少し痩せたのだろうか、元々小さかった顔が、さらに小さく見える。


 「エステル!!」


 思わず大きな声でその名を呼ぶと、彼女は驚いたような笑顔を見せてこちらに顔を向けた。


 「アラン!…ただいま。」

 「うん。おかえり。」


 この家の執事であるレイクは気を遣ってくれたのか、早々に奥に戻っていく。開いたままのドアの前で再会を喜び合っていると、ふと気になってドアの外に目を向けた。雨が止んだばかりなのか、街灯の灯りに照らされてぼんやりと霞む庭の景色が見える。


 (あれは…ラトか?なぜまだここにいるんだ?)


 ラトが再びエステルの護衛になったことを知らされていなかったアランタリアは、眉を顰めてその姿を見ていた。それに気付いたエステルが心配そうに下から顔を覗き込む。


 「どうしたんですか?」


 (仕方ない、今夜は一旦追い払っておくか)


 アランタリアは何でもないよと言いながら、彼女の前で体を少しだけ屈めた。


 「それよりエステル、頬に何か付いてる。取ってもいいかな?」


 きちんと了承を取ったのだ。問題は無いだろう。エステルも頷き、黙って頬を差し出す。


 (なんて愛らしいんだ…でも今は我慢だ!)


 冷静さを装いながら顔を近付けて頬に触れる。エステルの背後からこの光景を見ているラトには、それ以外の行動、つまり口づけを交わしている男女のように見えたことだろう。


 (ああ、成功だな)


 姿勢を戻して顔を上げると、もうラトの姿はどこにもなかった。


 「アラン、取れた?」

 「うん。さあ、一緒にお茶でも飲もうか。」


 可愛く首を傾げるエステルにそう言って微笑みかけると、アランタリアは優しくその背中に触れて中に入るよう促し、玄関のドアを静かに閉めた。


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