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75. 運命の糸

 空が僅かに白み始める頃、ラトは汗を拭いながらエステルを探して走り回っていた。ちなみにエマにはヒューイットに協力を依頼し、エステルがこの国で訪ねる可能性のある場所を調べてもらうことにした。


 「エステル、どこに行ったんだ?」


 悔しい、苦しい。どれだけ後悔してもしきれない。


 彼女が抱えている運命は、自分がいてもいなくても、結局こうやって彼女自身を騒動に巻き込んでいくのか。


 (だったら、命を狙われているからこそ一緒に乗り越えようと言うべきだった。今だって俺が彼女の傍にいれば、こんなことにはならなかったはず…彼女がまた辛い思いをしなくて済んだはずなのに!)


 舗装されているとは言い難い砂だらけの道に足を取られながら、エステルの気配を求めて、ラトは走り続けた。



 日の光が辺りを照らし始め、町が動き出す。ラトは人が隠れていそうな場所を一つ一つ探していったが、それらしい人影すら見つけることはできなかった。


 そして海に近い場所までやってきた時、そこでエマと合流を果たす。


 「ラト様!いました!見つかりましたよ!!」


 駆け足でこちらに向かってくるエマの顔が紅潮している。そしてその後ろにはヒューイットの姿があった。


 ラトは安堵して立ち止まると、自分の膝に両手をついて大きく息を吐いた。砂を踏む足音、そしてヒューイットの高価そうな靴が目の前に現れる。ラトはゆっくりと顔を上げた。


 「どこに…彼女はどこにいたんだ?」

 「ローレン商会と繋がりの深い貿易商が持っている店の一つにいました。おそらく、何か困ったことがあったらそこに行くようにと、ローレンさんに言われていたのでしょう。」


 ヒューイットの声も、ここに来る前より少し明るくなったように感じる。相変わらず睨まれてはいるが、今それは問題ではないだろう。


 「もう彼女に会ったのか?」

 「いいえ。明らかに異国の人間である僕達が下手に姉上に接触すれば、第一王子に気付かれてしまうかもしれませんから。先ほどはエマにだけこっそり様子を見てきてもらったのです。そしてできれば今日のうちに、姉上を連れてこの国を離れたい。…見つかって連れ戻されてしまう前に。」


 (確かにそうだ。きっと彼らは今も血眼になってエステルを探しているに違いない。ここにもすぐに調査が入るはずだ)


 ラトは背筋を伸ばすと、ヒューイットに告げた。


 「ヒューイットさん、船の準備を頼む。その間にエマと俺で、どうにかエステルをうまく船まで連れて行く。」

 「もちろんそのつもりです。でもどうやって…」


 不安そうなヒューイットにざっくりとした計画を伝えると、ラトはエマを連れて行動を開始した。



 ― ― ―



 《聖道暦1112年5月28日》


 エステルはこの日、とある小さな雑貨店の奥で、ひっそりと倉庫の片付けを手伝っていた。


 ここはローレンから「困った時、こちらに戻りたいと思った時には必ず行くように」と言い聞かされていた店だ。この店の店主は生粋のザビナム人だが、西の大陸にも数年住んでいたことがあるらしく、ローレンとは古い友人だと言っていた。


 「昨日の今日であまり無理をするものじゃない。さあ、食事をとって少し休みな。」


 ローレンよりは少し若い感じのこの女性は、言葉はぶっきらぼうだがとても優しい人だった。エステルは微笑むと小さく頷き、礼を言う。


 言われた通りに別の部屋で食事をもらいそのまま休憩をしていると、突然後ろの窓を叩く音が聞こえ、ユノに見つかったのかと焦ったエステルは急いで立ち上がった。だがその窓に顔を近付けていたのは、思いもよらない人物だった。


 「エ、エマ!?」


 エステルは急いで窓を開けると、エマの手を引いて中へと引き入れる。彼女はまるで現地に住む人のように肌を浅黒く塗り、この国の民族衣装を身に纏っていた。


 「良かった!本当にご無事で良かったです!エステリーナ様、事情はある程度把握しております。おそらくユノ殿下はエステリーナ様の行方を探していらっしゃるでしょう。見つかってしまったら大変です。さ、急いでこの服に着替えてください。化粧も私がいたしますから!」

 「え、でもどこに行くつもり?帰りの船がまだ…」


 エステルがそう言いかけると、エマはハッとして大きく何度も首を振った。


 「申し訳ありません!先にお伝えしておくべきでした!実は今こちらにヒューイット様が船でいらしているんです!!」

 「えっ、ヒューが!?」


 (まさかここまで来てくれるなんて…きっと、相当心配をかけてしまったのね。きちんとヒューに謝らなければ!)


 エステルは指示通りに服を着替え、化粧をお願いし髪型や靴も変えた。そしてエマと共に店主に事情を説明し、別れの挨拶を告げると、港までのできるだけ人目につかない道を教えてもらって早速店を離れた。



 外はまだ朝になったばかりで、人々はそれぞれの商いの準備で忙しくしている。この国独特の刺繍がチラチラと目に入り、エステルの心は痛んだ。


 (ユノとのこと…こんな風に拗れなければ、もっと違う関係が作れていたのかな…)


 彼の優しさも、友を思う気持ちにも嘘は無かったと思う。だが彼自身も何かに追い詰められ、心に迷いが生まれてしまったのかもしれない。


 (でも、今となってはもう…)


 エマの後ろを早足で歩きながら、エステルはそんなことを考えていた。


 そして十分ほど歩き続けると、少しずつあの美しいザビナムの港が見え始めた。不思議な活気と香りに満ちた港、ここに降り立ったあの日が懐かしく心の中に蘇る。


 「エステリーナ様、だいぶ人も増えてきています。あの人達に紛れながら一気に船に乗り込みましょう。」


 エマの忍び声がエステルの耳に届き、大きく頷いた。


 フードで顔を隠しながら人混みの中を素早く移動する。エマはエステルの前に巧みに道を作り、気がつけばあと二十歩ほどで船のタラップに辿り着く、というところまで来ていた。


 だがその瞬間、左腕を誰かに後ろから強く引っ張られて、エステルは後ろに仰け反った。


 「きゃあっ!?」

 「エステリーナ様!!」


 そしてそれがユノだと気付いた時、その手を引き離す別の手が、エステルの視界に入り込んだ。


 「え…」


 その引き締まった筋肉質な腕は、いとも簡単にユノの手を振り払い、エステルを庇うように横に伸びる。


 その背の高い影が自分を覆うように立った時、エステルは一体それが誰なのか、ようやく気付いた。


 「ラト、さん…?」


 薄茶色の見慣れたあの髪が、日に透けてより薄い色に見える。現実味の無いその整った横顔に、心臓が止まりそうなほど驚かされる。


 だがラトはエステルのその声には反応せず、聞きなれない言葉でユノに何かを話しかけた。するとユノもまた、おそらくザビナムの言葉で何かを話し始め、二人の間に緊張が走る。


 「エステリーナ様、今のうちに船へ!」

 「でも!」

 「さあ早く!」


 エマの手がエステルを引っ張り、後ろ髪を引かれながらタラップを通って船に乗り込む。心配になって少し高い位置から二人を見てみると、ユノの周囲には何十人もの兵士達が立っていた。


 「いつの間に兵士達が…どうしよう!?ラトさんが!!」

 「エステリーナ様、あの方なら大丈夫ですから!さあ、今は中へ!!」


 ラトに会えたことへの喜びと驚き、今目の前で起こっている危機的状況への不安、混乱の中でエマの声だけが、呆然と佇むエステルを安全な場所へと導いていく。


 「姉上!!」

 「ヒュー…」


 するとどこからともなく現れたヒューイットが物凄い形相でエステルの手を掴み、エマが離れると同時に船室の方へと引っ張っていった。そして中に入ると彼は「ここで鍵を閉めて待っていてください!」と言ってドアを閉め、遠くに去っていく足音だけがそこに残された。


 「みんな…私を助けに来てくれたのね。どうしよう、こんなに、こんなに嬉しいなんて……」


 安堵などと言う言葉では語り尽くせないほど、誰かに守られている実感と喜びに胸が震える。


 感覚がよくわからなくなった手でそっと鍵を閉めると、外の様子を窺うためにドアに耳を当てた。


 「何も聞こえない、みんなは大丈夫かしら?ラトさんは…ラトさん……どうして、どうして来てくれたの?」


 突き放されても忘れられなかった。でも彼が不安になるならば素直に別れようと思っていた。それなのに、会えてしまったらこんなにも嬉しい。どうしようもないほど好きだと気付かされる。


 エステルはドアに耳を当てたままズルズルと床に座り込むと、波に揺れて軋む船の音だけが聞こえるその船室で、ぽろぽろと涙を流しながらラトの帰りを待った。



 ― ― ―



 エステルが船室に入った頃、ラトは兵士達に監視されながらユノと話をしていた。


 「初めてお会いする方にこんなことを言うのもおかしいかもしれませんが、体中から溢れるその力…俺はあなたに力で勝てるとは到底思えない。おそらくここにいる兵士達が束になってかかっても無駄でしょう。」


 ユノの表情は硬い。ラトはじっとその顔を見つめ、相手の出方を待った。兵士達は目の前の怪しい男を捕らえていいのか攻撃を仕掛けていいのかわからず、戸惑っている様子だ。


 少しして、ユノから攻撃を仕掛けてくる様子がないことがわかると、ラトはため息をついて言った。


 「そうか。それなら、エステルのことはもう諦めてくれないか?」


 するとその言葉に反応してユノが俯く。


 「……頼む、俺と一対一で戦って勝ち、俺に諦めさせてくれないか。」

 「なぜ、そんなことをする必要が?」


 純粋に疑問に感じたラトがそう問いかけると、彼は船に目をやって言った。


 「わかっていたんだ。本当は彼女を伴侶にするなど無理なことだと。権力を行使してエステルの意思を無視した婚姻を進めるなんて、どう考えても俺には無理だった。それでも、もしかしたら『運命を繋ぐ石』がまだ俺達を繋ぎ止めていてくれるんじゃないかと、心のどこかで期待していた。」


 するとユノは首元からペンダントを取り出し、ラトに見せた。


 「だけど気付いたんだ。彼女があの部屋を去った瞬間、俺の大切にしていたその『ベリ』という石が割れた。」


 ラトがそこに目を向けると、確かに半分ほど欠けてしまった橙色の宝石が朝日を反射して揺れていた。


 「わかっている。これは俺のせいなんだ。運命はエステルとの縁をせっかく繋げてくれていたのに、俺が彼女の意思を、彼女自身を大切にしなかったから、ベリが運命の糸を断ち切ったんだ。それだけのことを俺はした。だから最後はせめて、この後悔と未練を全て断ち切りたい。」


 嗚咽混じりのその小さな声は、どうやらラトにしか聞こえていないようだった。


 「それで、俺に戦えと?」


 ラトもまた出来るだけ声量を落としてそう聞き返す。


 「ああ。見ず知らずのあなたにこんなことを頼むのは馬鹿げてると思う。でもさっき感じたんだ。あなたはきっと俺に勝つし、エステルは…あなたのことが好きなんだろうと。」

 「…」


 (そう、かつてはそうだったかもしれない。でも俺もまた過ちを犯した。今のエステルにどう思われているかは、俺にはもうわからない…)


 「この国では、正式に申し込んだ戦いに勝った者には、いかなる理由があっても誰も手出ししてはいけない、という法がある。王家の者ですら守らなければならない厳しい法だ。頼む、せめていつかエステルにとって良い友達だったと思ってもらえるように、俺と戦い、そして勝ってくれないか?」


 ラトは少し考えてから頷き、その提案を受け入れた。


 その後ラトは、周囲に能力の影響がなさそうな場所へと移動し、文句なしの勝利を収めると、睨みつけるような鋭い兵士達の視線を感じながらそこを離れた。


 その際ユノは、ラトにエステルの荷物を託していった。おそらく彼の良心が、エステルを逃がしてあげなければ、と無意識にその行動へと導いていったのだろう。


 (運命の糸、か。もしまだ俺とエステルの間にも繋がっているなら、今度こそ、俺はその糸を守っていきたい…)


 ラトはエステルの荷物を両腕でしっかりと抱えると、急いでヒューイットの船へと戻っていった。


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