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73. 軟禁

 《聖道暦1112年5月21日》


 エステルが目覚めたのは、イーファ山で気を失ってから数時間経った後だった。


 朝日がエステルの瞼に当たり、そよそよと優しい風がまつ毛を揺らす。


 「眠い……え、えっ?ここはどこ!?」


 あまりの心地良さに二度寝をしかけたが、目に入る光景の異常さに気付き、慌てて体を起こした。


 高い天井、大きく開かれたいくつもの窓、朝の爽やかな風にふわりと揺れる白く薄い布…


 そしてエステルが横になっていたのは、三人でも四人でも寝転がれそうな広さの柔らかなベッドだった。


 部屋の中にはベッドとその横にある小さなサイドテーブル以外の家具はあまり無く、座り心地の良さそうな大きな一人掛けのソファーが一つ、その下にこの国独特の紋様が描かれた丸い絨毯が一枚敷かれているだけだった。


 「ここはどこなのかしら?」


 エステルはベッドを降りると窓辺に近付き、外を眺める。だがそこから見えたのは遠くの山々の山頂部分が少しだけで、後は全て白く高い壁に囲まれ、その内側にある噴水と人工的な池のようなものしか確認できなかった。


 そしてそこでようやく自分自身の服装が変わっていることに気付き、思わず大きな声で叫んでしまう。


 「な、何これ!?」


 片方の肩からもう片方の脇の下へと流れるように、二層になった白い布が体を覆っている。腰回りから下の部分は長くまっすぐな線を描いてその布が足首まで続いていたが、肩を覆っていない方には際どい部分までスリットが入り、動くと左足の大部分が見えてしまうほどだった。


 「そうだわ!あの時コウさんに顔を塞がれて…じゃあ、私また誘拐されたの!?ああ、もう!どうしてこうなるの?私に危機感が無さすぎるってこと!?」


 頭を抱えてその場にしゃがみ込むと、エステルはため息をついて再び周囲を見回した。


 「私の荷物はどこにも無さそうね。どうしよう、窓から逃げる?でも、あの壁の高さを越えるのはさすがに無理よね…」


 念のためドアも確認したが、当然のように鍵がかかっている。窓は出られはするがここは二階。落ちて怪我をすればもっと逃げられなくなってしまう。


 「あれ、もしかしてこれ、今までで一番まずい状況…?」


 青ざめたエステルは、取り乱しそうになる気持ちを必死で抑え、何度も深呼吸を繰り返した。


 「もう、ラトさんはいない。先生もここにはいない。荷物も精霊道具も何も無い。それなら今できることは何?」


 窓の外をじっと見つめながらエステルは考える。そして今度はベッドや自分の服装を見て、再び冷静に対策を検討し始めた。


 (コウさんがここに連れてきたとして、それがユノの意思ではないならまだ助かる可能性は残されている。もし彼が来ないとしても、この部屋や服を準備してくれていたことを考えれば、危害を加えようってわけじゃ無さそうね。それならまた誰かがここに来るはず。逃げるならその時を狙うしかないわ!)


 エステルは心の中で今後の行動計画を立て終えると、動きやすいように服を整えて、いつ誰が来てもいいように準備を始めた。



 ― ― ―



 この王国の正装に着替えたユノは、緊張した面持ちでとあるドアの前に立っていた。明るい茶色に伝統的な紋様が入った見た目だけは気楽で明るい印象のドアだが、その向こうには気楽とも明るいとも縁のない人が達が待ち受けている。そしてこのドアを開けるのはほぼ一年ぶりだ。


 ユノは大きくため息をつくと、目の前のドアをノックした。


 「入れ。」


 ドアを開け、中に入る。そこにはよく見知った顔が二人、一人は椅子に腰掛け、もう一人はその横に立ってこちらを見ていた。


 ユノは頭を軽く下げて丁寧な礼と挨拶を済ませると、静かに二人からの言葉を待った。


 「ユノ、よく無事に戻ってきた。」

 「お帰りなさい、ユノ。」

 「陛下、母上、はい、戻って参りました。長く自由な時間をいただきありがとうございました。」


 椅子に深く腰掛けている男性の方は父でありこのザビナムの国王、そして女性の方はその第二王妃である自分の母だ。


 「まだ約束の日まで二週間ほど残ってはいるが、今回戻って来させた理由はわかっているな?」


 ユノは目線を下に落としたまま静かにそれに答える。


 「はい、陛下。」

 「そうか。それで、本当にお前は、その女性との婚姻を望んでいるのか?」


 優しさと厳しさが混じり合ったような父の声が、ユノの心を震わせる。


 「陛下、私は」

 「陛下、当然でございます!リナンの巫女と出会うなど奇跡、運命!ユノこそ次期国王となり得る素質を持っていると」

 「マレナ、今お前に発言を許してはいない。」

 「陛下!?」


 母であるマレナは自分の息子を国王に据えるために常に何かを画策している、そんな女性だ。ユノは確かにその資格も覚悟もあるつもりだが、母の強引な手段に乗っかってまで国王という地位を得ようとは、全く考えていなかった。


 「ユノ、お前はどう考えている。」


 王である父は再びユノにそう問いかける。今度はしっかりと顔を上げると、失礼の無い程度に父の目を見て言った。


 「彼女のことは、友人として大切に思っております。巫女であることを理由に彼女の意思を曲げてまで妻にしようとは思っておりません。」

 「ユノ!?何を言うの!!」


 この時ははっきりと意思を告げたつもりだったが、王にはその真意を見抜かれていた。


 「つまりそれは、リナンの巫女が受け入れれば妻にしたい、ということか?」

 「それは…」


 ユノの頬はかあっと熱くなり、再び視線を落とした。見えてはいないが、マレナがほくそ笑んでいるのが気配で伝わってくる。


 「いいかユノ、ザビナムは今各地で様々な問題が起きている。一つ一つは小さなものだが、その綻びを放っておけば国は確実に衰退する。だから私は、本当の意味で力のある者を我が後継としたいのだ。お前は第一王子ではあるが、第一王妃の子であるウルブ第二王子にも次期国王候補としての権利を与えている。」

 「はい、承知しております。」


 ユノに今、選択が迫られている。


 「最終的に誰を次期国王とするかは、お前達二人が一年後に何を手にしているかによる、ということだ。それを踏まえてどうしたいのか、何をすべきなのかを考えるがいい。ここはザビナム、西の大陸のやり方では王にはなれないぞ。」

 「承知いたしました、陛下。」


 二人から感じる無言の圧力を前に、ユノは己の弱さと向き合い始めていた。そして自分の中に生じてしまった『あってはならない迷い』をどうすべきか、そればかりを考えながら、重い足を引き摺るようにその部屋を離れた。



 ― ― ―



 「あー、もう!誰も来ないじゃない!!」


 ドアの近くで待機しながら誰かが来るのをしばらく待っていたエステルだったが、一時間待っても二時間待っても誰もその部屋を訪れることはなかった。


 途中で疲れてしまい、ベッドに腰掛けて聞き耳を立ててみたりもしたが、どうもこの建物の中には全く人がいないようだった。


 「寝て待つしかないか…」


 日が徐々に高くなっていく。暑さはあまり感じなかったが、朝方吹いていた爽やかな風は落ち着き、喉の渇きと前日の疲れがエステルの精神を追い込んでいく。


 そうして諦めの入った気持ちでベッドに横になっていると、遠くの方で何か物音がして飛び起きた。


 「何かしら、誰か来た?」


 大きな何かが軋むような音、そしてしばらくすると階下から小さな足音が聞こえてきた。


 「来たわね。」


 エステルは素早く先ほど控えていた場所へと戻り、逃げ出すための準備を整える。


 コツ、コツ、コツ…


 足音がさらに近付き、ついにこの部屋のドアの前で音が止まった。


 「エステル」


 だが聞こえてきたその声は、エステルの逃げようとする意思を削ぐものだった。


 「ユノ!?」


 ガチャガチャ、と鍵を開ける音がしてドアがゆっくりと開く。そしてそこに居たのは、苦しそうな表情を浮かべて立つユノだった。


 「エステル、こんなことになって本当にすまない。」


 ユノは手にしていたトレーを一旦ベッドの横にある小さなサイドテーブルの上に置くと、エステルの前に立ち頭を下げた。トレーの上には氷入りの水が入ったグラスが置かれている。


 「ユノ、これは一体どういうことなの?今すぐ説明して!」


 エステルがそう詰め寄ると、彼は頭を上げて言いにくそうに話し始めた。


 「君の名前がイーファだと知ったコウが、母上の指示を受けて君をここに無理やり連れてきてしまったんだ。その…俺の、妻にしようとして。」

 「え、どういうこと!?」


 事情を聞いたはずなのに、その話で余計に混乱してしまう。


 「この王国ではかつて『リナンの巫女と結ばれれば国が繁栄する』という迷信があったんだ。当時はリナンの巫女はあの山に多くいたし、イーファの名は巫女の力を受け継ぐ女性全員に与えられていた。その巫女を妃にしたら国が栄えるなんて偶然かもしれない。でも実際、本当にその時この国では様々な恩恵が天から与えられたんだ。だから…」


 そこで彼は口を噤む。目を合わせることもなく落ち込む彼に、エステルは心を鬼にして問いかけた。


 「待ってユノ。その迷信とやらについてはわかったわ。でもあなた自身のことは?あなたは一体何者なの?」


 その時、開いた窓から生暖かい風がスーッと部屋の中を通り抜けた。開いたままのドアの向こうに抜けていくのを感覚的に感じていたが、エステルはまだ逃げなかった。


 (私は知らなければいけない。逃げるのはその後でいい)


 するとユノは怯えたような目を向けてエステルに言った。


 「俺はこの王国の第一王子、ユノ・アリー・イルハルム、今は第二王子と王位継承権を争いあっている。君の存在…『リナンの巫女』を得ることは、その争いに勝利する可能性を最も上げる条件となる。」

 「何それ…まさか、あなたもこの状況を認めているの!?」

 「違う!!」


 突然大きな声で叫んだユノに驚いたエステルは、キュッと口を結んで彼を見つめた。少しの間お互いに無言で見つめ合っていたが、彼の方が先に口を開いた。


 「俺は君を無理やり妻にしてまで王位を欲しいとは思っていない。でも今の君の姿を見て、俺は…」


 ユノはそこで強く唇を噛み、エステルの両腕を掴んで言った。


 「王位継承権のためじゃなく、一人の男として、君が欲しい。」


 現実味の無い話と唐突な告白に鼓動が早まる。そしてユノの強い視線と想いを受け止めきれず、目を泳がせた。


 「無理よ。私にはできない!お願い、私をここから出して!!」


 エステルがユノの手を振り解きドアに近付くと、彼は手を振って能力を発動した。室内に強い風が吹き、ドアがバタンと大きな音を立てて閉まる。


 「ユノ!?」

 「ごめん。最低なのはわかっている。それでも君を俺の傍に繋ぎ止めておけるなら、この状況を利用したいと思っている自分がいる。なあ、エステル…」


 近付いてくるユノに一段と警戒心を強める。だが彼はエステルに触れることはなく、ただその場に跪いて言った。


 「今日の君があまりにも美しすぎて、どうしたらいいかわからないんだ。でも俺は…あの宝石が繋いでくれたこの運命を、君を、もう逃したくない。エステル、いや、エステリカ・イーファ、どうか私の花嫁になってくれないか?」

 「…!」


 衝撃を受けたエステルは返す言葉を見失う。だがそれはどうもユノに肯定と受け取られてしまったらしい。彼はエステルの顔を見上げると、なぜか哀しそうに微笑んだ。


 「すまない。君の無言は肯定とみなすよ。俺は、ずるい男だから。」

 「待っ、ユノ…けほっ」


 だが限界まで喉が渇いていたエステルは、それ以上の言葉がどうしても発せなかった。カラン、と氷が溶ける音が部屋に響く。


 「婚約は一週間後、そこから三ヶ月の婚約期間を経て正式に婚姻を結ぶ。それまでは君に触れることは控えるよ。でもここから出ることはできないから。」

 「ユ…ノ」


 ユノはサイドテーブルを指さして言った。


 「さあ、冷やしておいたからあの水を飲んで。色々と不便をかけてすまなかった。この後すぐにここに何人か女性の使用人をつけるから、衣食住については心配しないで。」


 「待っ…」

 「また来る。君に会いに。」


 喉を押さえながら何とかユノを引き留めようとしてみたが、彼はスッと立ち上がり、振り返りもせずするりと部屋を出ていってしまった。


 一人残されたエステルはサイドテーブルの上に置かれたグラスの水を勢いよく飲み干すと、そのままベッドに倒れこんだ。


 「どうしよう…まさかユノがあんな…」


 次々と起こる不測の事態に、頭はもう考えることを放棄し始めていた。逃げる気力も、叫ぶための声も、もう残ってはいない。


 エステルはこの日は全てを放棄しベッドに突っ伏して、現実から夢の世界へと逃避していった。


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