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71. 聖獣

 イーファ山の中に入りしばらく歩いていくと、徐々にあの薄い霧は晴れていき、山の中の様子がわかるようになっていった。


 この山は標高がそれほど高くないようで、山頂まである程度木々は続いているようだった。また以前は多くの人が出入りし整備されていたからか、登山道は雑草に埋もれることもなく、しっかりとそこに残されていた。


 三人は、野鳥の声や木々の放つ爽やかな香りの中でゆっくりとその道を進んでいく。時々野生の動物らしき姿が木々の向こうで見え隠れしていたが、こちらを警戒しているのか、それ以上近付いてくることはなかった。


 「ここは何だか空気が違うな。それに、本当に荷物が少し軽いような気がする!」


 ユノがそう話すのを聞きながら、エステルも確かに、と頷いていた。


 山を登るなどという経験が無かったため、あれもこれもと勧められるままに詰め込み、背中の荷物はだいぶ重くなっていた。それなのに今は、出発した時に比べるとかなり軽くなっているような気がする。


 「山に入れない人もいるということですから、何か特別な力がこの山には働いているのでしょうね。」


 コウも何かを感じているのか、そう言って不思議そうに辺りを見回していた。



 そこから一時間ほどかけてさらに上へと登っていくと、三人は崩れかけた山小屋のような場所に行き着いた。


 (ここで少し休憩できそうね…)


 ほっとしたのも束の間、そんな気の緩みが、不注意を招いた。


 「いたっ!!」


 小屋に気を取られて足元を見ていなかったせいで、エステルは大きく迫り出していた木の根に躓き、右足を捻ってしまった。


 「エステル!?大丈夫か?」


 ユノが慌てて駆け寄り、その場に座り込んだエステルの足首に手を当てる。しかし彼はすぐに顔を曇らせた。


 「あれ、おかしいな。治癒が発動しない…」

 「ユノ様、ここはイーファ山です。精霊の力が満ちているここでは、能力の発動はほぼ無理ですよ。」

 「ああ!そうだった!困ったな、今から下山するわけにもいかないし…」


 二人が頭を悩ませている様子を下から眺めていたエステルだったが、ふと何かの気配に気付いて後ろを振り返った。


 (あら?何もいない…でも、カサって音がしたような気がしたんだけど…)


 もしや恐ろしい動物が密かにこちらを狙っているのでは、と警戒してみたのだが、しばらく待ってみても何も襲っては来なかった。ちなみにその間、ユノ達はエステルから少し離れ、小屋の安全を確認しているようだった。


 一、二分ほどすると、ユノが大きな声でエステルに呼びかけながら戻ってくる様子が見えた。


 「仕方ない。エステル!一旦この小屋で休んでいこうか?」


 エステルもまた彼に聞こえるようにと、声を上げてそれに答える。


 「ええ!迷惑をかけ…ふおっ、ん!?」


 もふっ…


 だが突然、言いかけたその言葉はふわふわの巨大な何かの中に埋もれてしまい、代わりにおかしな声がそこから漏れた。


 「わあっ!何だ、こいつ!?」


 ユノの驚き、恐怖するような声が聞こえ、エステルは必死で両手を突き出し、顔中を覆っている柔らかな何かから顔を出した。


 「ユノ!?」

 「キュウウ?」

 「え、この声って…」


 聞き覚えのある鳴き声に呆然とするエステル。そしてその目に入ってきたのは、巨大化し、体にうっすらと光を纏わせて佇むペカロの姿だった。


 「ペカロちゃん!?」

 「キュウウウウ!」


 ペカロは、その大きな体を器用にエステルにすり寄せながら、可愛い鳴き声で甘えてくる。どうしていいかわからず、とにかくその体を優しく手で撫でていると、ふわふわした白い毛の向こうからユノが心配そうに声をかけてきた。


 「エステル?大丈夫だよな?襲われてるわけじゃないよな!?」

 「うん!話せば長くなるけど、この子は知り合い、みたいな?だから、大丈夫!」


 エステルは心配をかけまいと、見えない彼に向かって大きな声で答える。


 そして嬉しそうに体を擦りつけてくるペカロの顔部分が近付いてくると、手でその動きを止めて話しかけた。


 「ペカロちゃん、すごく大きくなったのね!でもどうしてこんなに遠くまで、一体どうやって?……って言っても、きっと言葉なんて通じないわよね……」


 素直に動きを止めてその愛らしい瞳でじっとエステルを見つめていたペカロだったが、ぱちんと一つ瞬きをすると、エステルに何かを囁いた。


 (僕、知っている人のところにならどこだって行けるよ)


 「…え?」


 エステルは頭の中に直接聞こえてくるようなその声に驚き、キョロキョロと辺りを見渡す。だがその動きを否定するように、再び脳内に声が響いた。


 (僕だよ。君にしか僕の声は聞こえないよ。やっと大人になったから、エステルに会いにきたんだよ。ねえエステル、足を怪我してるの?)


 「嘘…まさか今のって、ペカロちゃんの声!?」


 動揺のあまり、エステルはペカロの白く光る毛の束を強く掴んでしまう。


 (そうだよ。ねえエステル、ちょっと痛いな。)


 「あ、ごめんなさい!それにしてもペカロちゃん、あなた一体何者なの!?」


 ペカロは慌てて手を離したエステルの額に鼻先で軽く触れると、目を閉じてこう言った。


 (僕は聖獣なんだ。君が生まれた時、君の助けになるようにって神様が僕を地上に降ろしてくれたんだよ。ねえ、それより今は僕に乗って。この山に来たってことは、何か大事なことをしているんでしょ?)


 「聖獣!?」


 エステルは開いた口が塞がらないまま、ペカロの優しく潤む瞳を見つめていた。すると何か大きな力が働いたのか、エステルは突然宙に浮き上がり、ペカロの背中に柔らかく着地していった。


 「エステル?大丈夫か!?」


 これまでの状況に動揺していた様子のユノは、目の前で起こった驚きの現象に、再び混乱に陥っていた。


 「ユノ様、落ち着いてください!」


 コウが彼の肩を押さえ、今にもペカロに飛びかかろうとするのを必死で止めている。


 エステルは慌てて体勢を立て直すと、思っていたより自分が高い位置にいることにびっくりしつつ、ユノの目を見て叫んだ。


 「ユノ、大丈夫だから冷静になって!この子がね、私が足が痛いことに気付いて、山頂まで乗せていってくれるって言ってるみたいなの!せっかくだから、このまま山頂に行ってみない?」


 エステルの提案に二人は顔を見合わせていたが、ユノが先に決断をしたようだ。


 「わかった。君は大丈夫ってことだよね?よし、仲間も増えたことだし、このまま山頂を目指そう!」

 「ええ!」


 こうして新たな仲間を迎えた三人は、再びこの不思議な山の頂に向かって歩き始めた。



 ペカロと出会ってからさらに一時間以上が経過した頃、辺りに多く生えていた木々が徐々に少なくなっていき、薄暗く感じていた山道に光が多く差し込むようになっていた。


 そしてエステルは、自分の体の周りに小さな光が集まっていることに気付き始めていた。


 (さっきから何かチラチラと目に光が入ると思っていたけれど、気のせいじゃないみたいね。一体この光は何なのかしら?)


 身体中に感じる柔らかく温かなペカロの感触を楽しみながら、エステルは自分の周囲に集まりだしたごく小さな光に夢中になっていた。


 すると再び頭の中にペカロの声が響いてくる。


 (それは精霊達の光だよ。君が戻ってきたことを喜んでいるんだって。山頂に行けば、君のお母さんの何かが残ってるって言ってる!)


 「母の……そう。そうなの。」


 戻ってきた、という言葉にも喜びを感じていたが、この先に必ず母の痕跡が残されているのだと知り、エステルは大きな期待を感じながら前に進んでいった。



 そこから十分もしないうちに大きく開けた場所へと導かれた三人は、目の前に広がる光景に目を奪われた。


 「すごいな、これは…」

 「本当にここには小さな国が存在していたのですね。」


 最後にそれを目にしたエステルは、山頂に来るまでは予想だにしていなかった素晴らしい景色に、一瞬で魅了されてしまう。


 「まさかこんな風景が広がっていたなんて…」


 そこは山々の間に広がるなだらかな高地となっており、その真ん中には幅は広くないものの、清らかな水の流れる川が通っていた。そしてその川を挟むように、王国があった当時の町の痕跡がそこかしこに残されていた。


 家々は朽ち、すでに自然の中に埋もれつつある。それでも、かつてここにあったはずの自然と共生しながらの穏やかな暮らしが、エステルの心の中にゆるゆると映し出されていくような、そんな不思議で温かな気配が今もここには存在していた。


 「あ、エステル!あそこに建物があるよ!」


 ユノが指差した方向を見ると、石造りの頑丈そうな建物がぽつんと山頂の端の方に残されていた。さほど大きくはなさそうだが崩れている様子もなかったため、早速その中に入ってみることにする。


 (エステル、精霊達が少しずつ君の足を治してくれたみたいだよ。降りてみる?)


 「そうなの?嬉しい!精霊さん達、ありがとう!」


 エステルが小さくそう囁くと、体の周りでチラチラと煌めいていた光が一瞬だけ揃って光った。


 そして、体勢を低くしたペカロから地面に恐る恐る降りてみると、確かにあの足の痛みはなくなっていた。


 足を痛めていたはずのエステルが普通に歩いていることにユノ達はかなり驚いていたようだが、エステルはそれには全く気付かないまま急いでその建物に向かった。


 古びて軋むドアを開けてその建物の中に入ると、正面には大きな十字格子の窓が一つあり、空の青がそこに切り取られていた。


 ベッドであれば十台並べたらいっぱいになってしまうほどの広さしかないそこには、石でできた祭壇らしきものだけがぽつんと、窓の少し手前に設置されていた。


 「わあ!この窓の向こうはすぐ崖だったのね!怖いけれど、美しいわ…」


 窓際に立ったエステルがそう言うと、ユノもそこに近付き目を丸くする。


 「うわっ、これは怖いな。あ!見てエステル、この祭壇、何か仕掛けがありそうだよ!」


 恐怖で窓から目を逸らしたユノが、エステルより先に何かを発見する。その石造りの祭壇にはアーチ型の空間が四つ掘られており、その一つ一つに、膝の高さほどの人型の像が置かれていた。


 「あら、これだけ顔が削られているわ!」

 「本当だ。うーん。なあ、これってもしかして、ノクトルの像じゃないかな?」

 「え?じゃあ、これは全て神々の像…?」


 腰を屈めてそのノクトル像に触れた瞬間、エステルはバランスを崩し、像の上部に誤って体重をかけてしまった。


 するとその像は真下にガコン、という音を立てて沈み込み、その像と対照的な位置にあった像が同時に上に持ち上がった。


 「動いた!?」


 ユノが動いた像を手で持ち上げてみると、その下には両手が何とか入るほどの空洞が広がっており、中には丈夫そうな白っぽい布に包まれた何かが入っていた。ユノはそれを引っ張り出し、祭壇の上に置く。


 「エステル」

 「あ、開けてみるわね?」

 「うん!」


 ユノに呼ばれて祭壇に近付き、震える手でそのきつく結ばれた布をどうにか解く。緊張と期待で、胸が高鳴る。


 そしてエステルはゆっくりと、まるで特別なプレゼントをもらった時のように、丁寧にその布を広げていった。


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