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65. 新たな地、新たな友

 《聖道暦1112年5月15日》


 精霊に守られていたかのように順調すぎる航海を終えたエステル達は、その日予定より少し早くザビナムの港に着いた。


 『ザビナム王国』は、この東の大陸にある三つの国のうち、最も栄え、対外的にも開かれた国だ。


 ちなみに大陸南部にある国とは多少交流はあるものの、そこは独自の文化と言語が発達しており、あまり深い関係性は築いていないとのことだった。北部の国に至っては、山に閉ざされて完全に他国との交流を絶っているらしい。



 大きな桟橋を辿って地面のある場所まで行き着くと、そこにはエステルが嗅いだことのないような不思議な香りが辺りに広がっていた。


 「独特だけどいい香り…何の香りかしら?」

 「香辛料とかお香の匂いとか、かな。」

 「ユノ!」


 エステルが声に気付いて振り返ると、先ほど別れを告げたばかりのユノとコウの姿があった。


 「エステル、色々考えたんだけどさ、君は初めての国で心配なことも多いと思うんだ。この辺りなら西の大陸の人もよく来るし、言葉は割と通じる。でもどうしても内陸に入るとそれも難しいし、だから、その…」


 ユノが珍しく言い渋っている。エステルが荷物を抱えたままじっと続きを待っていると、コウが促すようにユノの肩に手を掛けた。


 「良ければ、俺にこの国を案内させてもらえないだろうか?」

 「えっ?でも…」


 エステルが真っ先に確認したのはユノではなく、コウの反応だった。案の定彼は難色を示し、こう言った。


 「ユノ様、一年間は自由にしていいと言われたからと言って、何でもしていいということでは…」


 しかしユノはそれをあっさりと否定する。


 「父上の言う自由は本当の自由だよ。もちろん誰かを傷付けるような行為は許されないが、それ以外は俺のやりたいことをやりなさいと言われている。……きっと、いつかそれができなくなる。今しか無いんだ。俺は、やらずに後悔をしたくない。」

 「ユノ様…」


 まっすぐに自分の意思を告げた彼、自分とそう年の変わらない彼が、この時はいつもよりずっと大人びて見えた。エステルは荷物を持ったまま片手を差し出すとユノに微笑みかけて言った。


 「私、この国で探している人がいるの。だから旅行ではなく調査が目的。それでも、協力をお願いしていいのかな?」


 ユノの目が輝き始める。そして差し出された手をしっかりと握って握手を交わした。


 「もちろんだよ!そういうことなら尚のこと協力する!そうだ、エステルは宿とかこれから決めるんだろ?俺、いい所を知ってるんだ。お金のことは気にしなくていいから、とにかく一度一緒に来てくれないか?」


 隣に立つコウはもうすっかり諦めてしまったのだろう。自分の手荷物の中からゴソゴソと何か冊子のようなものを引っ張り出すと、それをめくってからエステルの方を見て言った。


 「ユノ様お薦めの場所とは、彼の別宅です。と言ってもほとんど立ち寄ることも無いため、住所など久しぶりに確認しましたが。おそらく時々人が入って清掃はしているでしょうから、まずは行ってみましょう。ああ、それとエステルさん。」


 頷いて荷物を持ち直したエステルを、再びコウが引き留める。


 「はい、何でしょう?」

 「女性お一人ではご心配でしょうから、よければそちらには家政婦を一人派遣します。いかがですか?」

 「お気遣いありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします。」


 彼はきっちりと撫で付けてある焦茶色の髪を一筋も乱すことなく頷き、先ほどの住所を見ながら先頭を歩き始めた。



 賑わっている港周辺地域を抜けてさらに歩き続けると、次第に小さな店舗や露店などが減っていき、周囲には見たことのない植物や赤茶けた土の色をした地面がよく見えるようになってきた。


 その乾燥した道の両端には、植物だけでなく何軒もの民家が建っている。どの家も白く厚い土壁が基本となっているようで、窓は小さいが可愛らしい形のものがその壁にめり込むように設置されていた。


 「ここはそうでもないけど、もう少し内陸に行くと砂漠地帯が広がっているんだ。ザビナムは年中日差しが強くて暑い気候の国だし、こうした家が一般的なんだよ。」

 「へえ。でも本当に素敵な家ね!中はどんな感じなのかしら?」

 「この後実際に中も見せるから、楽しみにしていて!」


 ユノの明るい笑顔が眩しい。完全に心の傷が回復していないエステルにとって、事情を何も知らない彼との会話は何よりの癒しの時間だった。



 そこからさらに十分ほど歩くと、今度は同じような壁を持つ大きめの家々が並ぶ地域に辿り着いた。


 「ここは大きい家が多いのね。」

 「そうだね。あ、あの赤い花が咲いている所が目的地だよ。」


 エステルの視界にパッとその赤い色が入り込む。今にも弾けそうな目を惹くその赤い色は、エステルの心の中にも艶やかな色を咲かせていく。


 「綺麗ね…とても綺麗…」


 その言葉を聞いて満足げに頷いたユノは、嬉しそうにエステルの手を掴むと、ぐんぐん速度を上げて門の前まで引っ張っていった。



 その日は彼の別宅だと言うその家で食事をご馳走になり、与えられた部屋に入るとようやく一息ついた。


 外はだいぶ暑かったはずなのに、家の中は驚くほど快適な温度に保たれていた。


 ベッドカバーにはこの国特有の紋様が刺繍されており、落ち着く環境の中でも、異国の空気に触れた時特有の緊張感も感じていた。


 「あまり長期間お世話になるわけにもいかないし、町を案内してもらって急いで情報を集めないと…ふああ…でも、今夜はもう…」


 エステルは着の身着のままベッドカバーの上に倒れ込み、そのまま朝までぐっすりと眠ってしまった。



 《聖道暦1112年5月16日》


 翌朝、ユノの家で朝食をご馳走になると、早速調査を開始する。


 家政婦の女性から貰った地図を片手に外に出ると、既に準備万端な様子のユノが待ち構えていた。


 「お、出てきたな!さて、まずはどこに行く?」


 朝から元気な彼に圧倒されたエステルだったが、それよりも気になることがあった。


 「ねえユノ、もしかしてこの日差しってこの後もっと強くなる?」


 早朝という時間ではないせいか、肌をジリジリと焼くような日の光がもうエステルに降り注いでいる。ユノはああ!と何かを納得したように叫ぶと、エステルの手を引いて歩き始めた。


 「ごめんごめん、気が利かなかったね。君みたいな白い肌だと余計この日差しはきついよね。伝統的な衣服を扱っている店があるから、まずはそこに行こう!」


 エステルは笑顔で頷いたが、ふと気になって引かれている手を見つめた。


 (何も感じない。男性に手を掴まれているのに。これがもし…)


 エステルは考えることを止めて前を向く。ゆったりとした白い服を纏ったユノ。以前見たときのようにその一部には美しい紋様の刺繍が施されている。よく見ると背中には大きなフードのようなものも付いていた。


 (今は違うことを考えていよう。そうすればきっといつか全て忘れられる日が来るわ…)


 振り返って楽しそうに笑うユノの姿が、今のエステルにとっては一番の安らぎとなっている。その笑顔が思い出したくない誰かの笑顔と重ならない日が来ますようにと、前を向いた彼の後ろ姿を見ながら、エステルは小さく祈っていた。



 目的の店に到着すると、目鼻立ちのはっきりとした褐色の肌を持つ女性が何かエステルに話しかけてきた。おそらくザビナムの言葉なのだろうが、エステルにはほとんどわからなかった。一応この大陸に来る前に独学で言語の勉強をしてきていたのだが、聞き取れたのは僅かな単語と挨拶らしき言葉だけだった。


 とりあえず挨拶だけを返して店内を見渡すと、広々とした白い空間の中に様々な色合いのローブが並べられており、その量の多さと美しさはあっという間にエステルの目を奪っていった。よく見るとその多くは白地に例の刺繍がしてある種類のもので、それ以外も薄い色合いのものがほとんどだった。


 「エステル、奥の部屋で試着できるって。行っておいでよ。俺、ここで待ってるから。」


 ユノが店内に置いてある小さな椅子を指さしてそう話す。


 「ありがとう、じゃあ、そうさせてもらうね。」


 そうしてエステルは何着かのローブを試着させてもらい、最終的には店員の女性が一押ししてくれたものを二つ選んだ。


 一着は白地の布で、袖口や裾のところに伝統的な紋様が刺繍されているもの。もう一着は薄い青緑色の布地全体に、光沢のある白っぽい糸で抽象的な柄の刺繍が大きくあしらわれているものだった。


 早速白地の方を着て外に出ると、ユノが勢いよく立ち上がり、目を丸くしている様子が見えた。


 「エステル可愛い!すごくよく似合ってるよ!うん、とても素敵だ!」

 「そんなに褒めても何も出ないわよ?」

 「あはは!この国の男は女性を褒めることをけちったりしないんだ。でも本当に美しいからね?」


 念を押してくる彼が面白くてついクスクスと笑っていると、先ほどの女性店員が先ほどまで着ていた服を包んで持ってきてくれた。


 「わざわざありがとうございます。」


 それを受け取ってお礼を言うと、彼女はポケットから、綺麗な橙色の紐が付いた銀色の丸い何かを取り出し、エステルの前でそれを鳴らした。


 シャリーン、シャリーン…


 たくさんの小さな金属が柔らかくぶつかり合うような、不思議で爽やかな音が耳に心地良い。エステルが不思議そうにそれを見ていると、ユノが説明してくれた。


 「ああ、これはね、初めてのものを身につける時にする我が国のおまじないなんだ。「これを身につけたあなたが幸せな日々を過ごせますように」と願いをかける意味があるんだよ。」

 「素敵な音だったわ!ここは素晴らしい文化がある国なのね。」

 「そうだろう?とても素敵な国なんだ、ザビナムは!」


 誇らしげにそう微笑むユノの瞳には、彼だけにしか見えない『美しい未来のザビナム』が映っていたのかもしれない。エステルはふとそんなことを思って、彼の横顔をそっと見つめていた。


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