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64. 思わぬ人との再会

 エステルが港に到着すると、そこには船の残骸がまだそこかしこに残されていた。


 初めてこの港を訪れた日にエステルが戦ったあの魔獣は、突然海から現れ、多くの船を破壊していった。この残骸達はおそらくその時の船のものだろう。


 (もう、遠い過去のように感じていたけれど…)


 まざまざと見せつけられるあの日の痕跡に、エステルは目を伏せて現実から心を切り離した。



 少し気持ちを落ち着けてから、エステルは久々にローレンの店に入る。そこでは何人かの従業員達が忙しそうに書類仕事をしていたが、彼らの一人がこちらに気付いて、奥にいるローレンを呼び出してくれた。


 「エステリーナ、よく来たね。」

 「ローレンさん、この度は色々とご迷惑をおかけしました。それと、何度もお見舞いに来てくださってありがとうございます。」


 エステルが丁寧にお礼を言うと、ローレンは手をパタパタと振って照れながら言った。


 「やめてちょうだい。あんたとはもう長い付き合いだろう?そんな当たり前のことで礼なんていいんだよ。それより…本当に一人で行くのかい?」


 ローレンにはラトの素性についても、彼との関係性についても、何一つ詳しい話はしていない。だが彼女はきっとあの時の様子から何かを察していたのだろう。


 「ええ。帝都にいる間は危険も多かったんですけど、もう大丈夫だと思うので。」

 「そうかい。わかった。ああ、そうだ!実は今回のザビナム行きの船にはエステリーナ以外のお客さんもいるから、よろしく頼むよ。」


 ローレンは机の上にある書類を眺めながら、エステルに新しい情報を伝える。


 「そうなんですね。どういった方なのですか?」


 どうも書類の字が読みにくかったようで、ローレンは胸ポケットに挿してあった眼鏡を取り出すと、それを掛けてから再び書類に目を落とした。


 「ザビナムからこっちに来ていた人でね。本来であればエステリーナと同じように、十日ほど前にここを船で出る予定だったんだ。だがあの事件があっただろう?予定していた船が壊れちまったんで、こちらにどうにかならないかと打診があったんだよ。」


 エステルはなるほど、と言いながら頷いた。


 「どこか良いところのお坊ちゃんて感じの青年だったが、お付きの人もしっかりとしたいい方だったし、特に問題は無さそうだから安心していい。」


 微かに感じていた不安を見抜かれていたとわかり、エステルは苦笑する。ローレンはいつもこうして温かい気遣いをしてくれる。もし自分にもこんな母親がいたら…


 エステルはその不毛な想像を早々に打ち消すと、彼女に笑顔を向けて言った。


 「はい。いつもありがとう、ローレンさん!」

 「いいんだよ。さあ、あと一時間ほどで荷は積み終わるはずだ。少しお茶でもして時間を潰そうか!」

 「ええ!」


 新たな旅、新たな出会い。心を失くしかけているエステルにとって、今最も必要なものはそれかもしれない。小さな小さな希望を胸に、ローレンとの貴重な時間を楽しんでいった。



 時間になり、エステルは大きな荷物を抱えて船に乗り込む。


 予想以上に大きなその貨物船の中では、逞しい男達がギシギシと音を立てながら木の甲板の上を歩き回っていた。エステルはできるだけ彼らの邪魔にならないよう、指定された自分の船室へと早々に移動する。


 ただここの船員達は全員ローレンお墨付きの人柄と経歴の持ち主のようで、本来なら場違いの客であるエステルに対しても皆気さくに話しかけ、温かく接してくれた。深く傷付いた心を抱えているエステルにとっては、それが何よりもありがたいことだった。



 そんな穏やかな空気に誘われて出港前に少しだけ甲板に戻ってみると、明らかに船員ではない装いの若い青年達が、ふいにそこに現れた。


 「ユノ様、足元にお気をつけください。」

 「平気だよ。コウは相変わらず過保護だなあ。」


 そんなやり取りが耳に入りエステルがまじまじとその様子を見つめていると、その視線に気付いたのか、ユノと呼ばれた若い青年の方がこちらを見て大きく目を見開いた。


 「あっ!!君はあの時の、運河の町で俺の『ベリ』を拾ってくれた人だよね!!」

 「えっ!」


 そう言われてエステルはようやく、その人がゴレの町で出会ったあの異国の男性だと気付いた。


 「うわあ、驚いたな!まさかこんな場所で再会できるなんて!やっぱり『ベリ』は運命を繋ぐ石なんだな!」


 一人ではしゃぎながら盛り上がっているその青年を、エステルは瞬きを繰り返しながら黙って見つめていた。すると彼の後ろで呆れたような表情を浮かべていた男性が、その肩を強く掴んで言った。


 「ユノ様、少し落ち着いてください。全く、いつになったら…」

 「あー、あはは、悪い悪い!コウにはいつも迷惑かけてるなあ、ごめん!あっ、そうだ、俺はユノと言います!君の名前も教えてもらえる?」


 ぽかんとしていたエステルはそこでようやく我に返り、「エステルと申します」と簡単に名乗る。


 「エステル!素敵な名前だね!実はあの日さ、俺、君に名前を聞けなかったことをすっごく後悔してたんだよね。だからまた会えて嬉しいし、名前も聞けて嬉しいよ!ねえ、君もザビナムに行くんでしょ?どんな目的で行くの?」

 「ユノ様、ですから少し落ち着いてください。お嬢さんを質問攻めにしてどうするんです?お困りですよ。」

 「あ、あははは…」


 エステルが乾いた笑いで誤魔化すと、ユノはハッとして困った顔を見せた。


 「すまない…君に再会できてつい興奮しちゃったんだ。ああ、そろそろ出港みたいだ。良かったら食事の時にゆっくり話さないか?」


 コウはそれでいいと言わんばかりに何度も頷いている。エステルはそんな楽しいお誘いについ嬉しくなって、ええ是非、と笑顔で答えた。



 《聖道暦1112年5月10日》


 東の大陸に向けての船旅は、驚くほど順調だった。天候に恵まれ、船員達ともすっかり仲良くなり、エステルは快適な船旅を満喫していた。


 しかししばらくしてやることが何もない日々に飽きてしまったエステルは、何か仕事は無いかと船長に相談を持ちかけたところ、船内で細々とした手伝いを担当する許可を貰うことができた。


 そしてそれを羨ましがったのがユノだ。彼も体を動かしたいと言い始め、気がつけば二人は毎日のように、船内で簡単な仕事を請け負うようになっていた。


 コウは「ユノ様…あなたのお立場で何ということを!?」と嘆いていたが、ユノ自身は船内で手伝いをすることをむしろ楽しんでいるようだった。



 そしてこの日も、朝から二人で食材が入った箱を運んでいると、ユノが後ろから不思議そうにこう尋ねた。


 「エステルは力持ちだよな。こんなに華奢なのに、どこにそんな力を隠しているんだ?」


 エステルは重い箱をしっかりと抱え直すと、振り返って微笑んだ。


 「小さい頃からこうなのよ。特別体を鍛えたりしてはいないのだけれどね。」


 ユノはなぜかそこで立ち止まり、ふむ、と言って何かを考え始めた。


 「もしかしたらエステルには、精霊の加護がついているのかもなあ。」

 「…え?」


 思わぬ発言にエステルは箱を落としそうになり、慌ててそれを床に置いた。


 「どういうこと?」


 ユノもまた箱を一旦下に置くと、悩ましげな表情を浮かべ、腕を組んで考え込む。


 「俺の国…今から向かう『ザビナム』にはさ、精霊が今も多く住むと言われている山があるんだよ。まあ、正確にはザビナム王国の領土じゃなく、今はもう無い『リナン』という国の中にあるんだけどさ。そこの山は今も精霊によって守られていて、異界の力を強く帯びている者は足を踏み入れることすらできないっていう伝説があるんだ。」


 エステルが思わずうんうんと話に聞き入っていると、ユノが面白そうに顔を覗き込む。


 「お、いい反応!でさ、そこの山に入れた人達からの報告によると、なぜかみんな山に入ると全身の力が漲ってきて、体も背負っている荷物さえも軽く感じるらしいんだ。だからエステルもそうなのかなって思ってさ!」

 「なるほど!」


 唐突に伝えられた考察ではあったが、確かにありえない話ではない。エステルはこれまでのことを思い出しながら、本当にそうかもしれないと考えるようになっていた。


 その後も二人は時々船内で手伝いをしながら、これから向かう新たな地の話で盛り上がった。そうして一日が終わる頃には、以前にも増して二人はすっかり打ち解けあっていた。



 ― ― ―



  《聖道暦1112年5月7日》


 「ラト…お前、何やってるんだ。」

 「…ウェイド?何でここに…」


 再び伸び始めた髭が、グラスに付いた水滴で濡れている。無意識に顔にグラスを当てていたらしい。今ラトがいるこの場所は二十人ほどが余裕で座れるような広さの酒場だが、今日はまばらにしか客はいないようだ。


 「大事な方の護衛だ。直々に依頼があってな。で、お前は仕事を放り出してこんな所で何をやってる。」


 体格の良い男が怒りを纏わせているせいか、周りの人達は喧嘩でも始まるのかと警戒しているようだ。


 「仕事なんか無いさ。契約は終わった。俺は用済みだ。」

 「ふざけたことを!彼女がどういう状況かわかって言ってるんだろうな?」


 静かに、だが確実に怒っているウェイドに、ラトはどう説明しても納得はしてもらえないような気がしていた。


 「ふざけてはない。こうするしかなかった。それ以外の選択肢は、俺にはなかったんだ…」

 「だそうよ、ウェイドさん?」

 「馬鹿な男だ。お前がそんな腰抜けだとは思わなかった。」


 聞き覚えのある声に反応しラトが顔を上げると、ウェイドの大きな体の向こうから、メルナがひょこっと顔を出した。


 「ようやく見つけたと思ったら、こんな所で飲んだくれているなんて、本当に情けないわね。エステリーナはもうとっくに前に進んでいるというのに。」


 メルナの鋭い言葉が、ラトの苦しみに拍車をかける。


 「ラト、エステルは俺の大事な友達だ。彼女をお前に任せたのは、お前なら最後まで守り抜いてくれると信じていたからだ。それなのに…」

 「…」


 ラトはもうほとんど入っていないグラスの中身を飲み干すと、腕で顔を覆い隠した。消えていった言葉の中に、ウェイドの悔しさが滲む。


 「もう諦めましょう、ウェイドさん。リリアーヌに脅された程度でこの体たらく、もう何を言っても無駄よ。大方、エステリーナが自分の痛みまで引き受けようとしたから、これ以上あの子を不幸にしたくない!とか馬鹿なことを考えていたのよ。」


 図星を突かれたラトはそのまま動けなくなる。だがメルナは、容赦なく厳しい言葉で追い討ちをかけた。


 「あの子はあなたに守って貰いたかったんじゃない。一緒に乗り越えていきたかったのよ。リリアーヌに命を狙われようが、魔獣に襲われようが、エステリーナはあなたと共に戦い、生きる覚悟をしていたの。」


 ラトの腕がゆっくりと下に落ちていく。メルナのこちらを見下ろす冷たい目がはっきりと見えた。


 「それなのにあなたときたら、自分の近くにいたら危険だから、不幸になるからと決めつけて、一番あの子が欲しかったものを自分勝手に奪ったのよ?エステリーナを誰よりも傷付けて苦しめたのは……あの子の幸せを奪ったのは、リリアーヌでもこの状況でもない、間違いなくあなたじゃない!!」


 (一番エステルを苦しめたのは、俺……?)


 自分から遠ざければ安全だと思っていた。そうすれば彼女がこれ以上不幸になることはないとも。エステルが自分と居ることで苦しむ姿を、もう二度と見たくなかった。


 (見たくなかった…って、俺は結局、自分の気持ちしか考えていなかったのか?)


 「何その顔?はあ…今さら気付いても遅いわよ。あの子の心はもうあなたから離れてしまった。今から取り戻そうとするなら、相当な覚悟がいるわよ?」


 ラトが黙っていると、再びウェイドが口を開いた。


 「俺が今回誰を帝都に連れてきたかわかるか?」

 「え?」


 その時、ウェイドの後ろから酒場のドアが開き、この場所に最も似つかわしくなさそうな若い男性が入ってきた。


 「お久しぶりです、ラトさん。姉上の件では色々とお世話になったようで。」

 「…」


 そこにいたのは、ウェイドなど比にならない勢いで激怒しているエステルの弟、ヒューイット・レオ・クレイデンだった。


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