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62. 引き受けた痛み

 《聖道暦1112年4月18日朝》



 ようやく空が白み始めてきた頃、ラトは半地下のドアに繋がる階段に腰をかけ、建物の隙間から細く見えるどんよりとした空を見つめていた。


 時々ドアが開き、そこを軍服を着た男達がバタバタと動き回っている。


 「ちょっとラトさん、通路を塞がないでもらえるかしら?」


 後ろから呆れたような声が聞こえて、ラトは階段に背を預けながらぐいっと頭を上に向けた。


 「よう、やっときたか。」

 「…」


 無言のメルナに引っ張られて階段を上がると、別の建物の前まで移動する。


 「事情は聞いたわ。まさかあの神官見習いから薬の原料が判明するとは思ってもみなかった。」

 「まさか俺も、あの薬を飲まされそうになるとは思ってなかったよ。それと、一つ気になることがある。」


 メルナは軽く首を傾げた。


 「気になること?」

 「ああ。サーシャは俺に『精神干渉』の能力を使ってあちら側に引き込もうとしていた。たまたま俺もその能力を持っていた上に、彼女より力が強かったから助かったが、通常ならとっくに彼女の支配下に落ちていたと思う。だが俺がその能力を持っていることを、リリアーヌは知ってるんだ。」


 ラトは、目を大きく開いたメルナにゆっくりと頷いた。


 「な、おかしいだろう?仮にあのジェンナという元神官の女性がリリアーヌだったとして、じゃあどうしてサーシャを使って俺を陥れるなんて杜撰な計画を立てたのかってことだ。」


 先ほどより増えた人員が、地下にあったあの大きな瓶を箱に詰めて次々と運び出しているのが見える。メルナはチラリとそちらに目を向けてから低い声で言った。


 「ねえ、もしかしてあなたがこれに関わっている間に、エステリーナに何か仕掛けるつもりかしら?」


 ラトはその言葉に、すうっと頭が冷えていく感覚を覚え、顔を顰めた。


 「…悪いが、後は任せてもいいか?」

 「もちろんよ。でも急いでちょうだい。嫌な予感しかしないわ。」

 「ああ。」


 だが事態はラトの想像を先回りして、明らかに悪い方へと動き始めていた。




 ラトはその入り組んだ路地を、来た時の微かな記憶を頼りに進んでいく。


 「嫌な道だな。仕方ない、痕跡を辿るか。」


 ラトの『透視』の力は、自分が動いてきた時に周囲に落としていく能力の気配のようなものも探ることができる。自分自身の痕跡なので、さほど強い力を使う必要もない。


 額に軽く指を当てて来た道を調べていくと、予想以上にサーシャが遠回りをしてここまで来たことがわかった。


 (どうしてこんなに意味のわからない道順で進んできたんだ?)


 その行動の意図がわからず首を傾げながら先へと進むと、ふいに強い能力の発動を感じて立ち止まった。


 「誰だ」


 その問いかけに返答は無かった。代わりに、急激な冷気が辺りを包み込み、鋭く尖った氷の刃がラトの頭上から降り注いだ。


 ガシャン!ガシャン!ゴーン!!


 最後に太く大きな槍状の氷の塊が落ちてきたのを確認すると、投げられてきた方角に向け、能力を使ってそれを投げ返した。


 「あら、もうバレちゃった?」


 するとラトの頭上に、黒くうねりのある髪を揺らした唇の赤い女性が手を振っているのが見えた。どうやらそこは、目の前にある建物の外階段の踊り場のようだ。


 「リリアーヌ…随分な挨拶だな。」


 彼女は美しい笑顔を見せると、振っていた手を下ろし、階段の手すりにもたれかかりながら口を開いた。


 「久しぶりね。会いたかったわ。ねえ、ところであなたのお気に入りのあの子、何者?」


 ラトはピクッと眉間に力が入ってしまったことを後悔しながら、何気ない感じでそれに答える。


 「何者って言われても困る。普通に可愛い女性だろ?」

 「へえ。まあいいわ。ねえ、また私と遊びましょう?私達、昔はあんなに愛し合っていたじゃない。」

 「……俺を裏切り、大事な仲間達を皆殺しにしたあんたと、そんなことを忘れて楽しく遊べと?」


 リリアーヌは何も答えない。


 沸々と湧き上がる憎悪を必死で抑えながら、ラトは彼女の余裕の笑みをグッと睨みつける。すると彼女は静かに答えた。


 「ニコラ、私はあの時も今も、あなただけが欲しいのよ。あなたがいればそれでいいの。だからね、私とあなたの仲を邪魔する者は、誰であっても排除するの。」


 まるで子供が駄々をこねるように話す彼女に、ラトの心は急激に冷えて固まっていく。


 「排除、ね。さすが魔人の言うことは一味違うね。俺といた四十年前は、相当無理してその本性を隠していたんだな。」

 「昔の私?そんなもの思い出しても意味はないわ。それより私達のこれからを考えましょうよ。ほら今日はね、あなたのために私のお友達をたくさん呼んでおいたのよ?」


 その言葉にハッとして辺りを見回すと、小型だが動きが機敏なタイプの魔獣が、建物のあらゆる隙間から顔を出しているのが見えた。


 (この数に囲まれていたとは…そうか、俺が『透視』に意識を集中し過ぎていて気付かなかったのか!)


 サーシャがそこまで見越して行動していたとは考えにくい。むしろここまでの動きの全てが、リリアーヌによって仕組まれていたと考えれば、納得がいく。


 「ニコラ、あなたならこの程度の魔獣達を倒すのは余裕よね。でも、今回呼び寄せておいた数はあなたの想像を超えているわよ?ふふっ、今日は楽しくなりそうね!時間、間に合うかしら?」

 「…間に合わせるさ。」


 ラトの手が額に伸びる。リリアーヌは愛おしい人を見るように目を細めてこちらを見下ろしている。


 「絶対に、間に合わせる。」


 そして彼女が大きく手を振り上げると、建物の隙間に隠れていた猿のような見た目の魔獣達が、一斉にラトに遅いかかっていった。




 《聖道暦1112年4月18日午後》



 「エステル!!」


 リリアーヌからの攻撃、そして操られた大量の魔獣達との激しい戦闘を終えてどうにか港に辿り着くと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。


 巨大な蛇のような形をした魔獣がぼたぼたと黒い液体を地面に落としながら、エステルを覆い尽くすように襲いかかっている。そして彼女はその細身の体に似つかわしくない巨大な剣を目の前の魔獣に突き刺し、今にも地面に崩れ落ちそうになっていた。


 一気に血の気の引いたラトは全力疾走してエステルを下から支えると、空いている方の手で蛇状の魔獣を下から思いっきり吹き飛ばした。


 ボフウッというくぐもった音、その一瞬後にビチャビチャと液体が地面に落ちる音がラトの耳元で響いたかと思うと、宙に浮いたはずのあの魔獣は、塵となって辺りに霧散し消えていった



 黒い液体と海水でぐっしょりと濡れて意識を失ってしまったエステルを抱え上げ、何度もその名を呼んでみる。すると瞼がピクッと震え、少しずつその黒い瞳が姿を現した。


 「エステル!?」

 「ラト、さん…?」

 「良かった…怪我は?どこか痛いところはないか?」

 「うん、大丈夫。それと、また無茶をしてしまってごめんなさい。」


 そのか細い声と不安げな表情に胸が詰まる。涙が込み上げてくるのを必死に抑えると、大きく首を振って言った。


 「いいんだ。無事だったならそれで。よく頑張ったな。」

 「ラトさんが来てくれるって、信じてたの。」

 「エステル…」


 思わず強く抱きしめたその体は、すっかり冷えきって震えていた。


 「ごめん、寒かったよな。急いで体を温めよう。」


 エステルが力無く頷くのを見てラトも頷き返すと、地面に落ちていた剣を彼女に手渡し、急いでローレンの店へと向かっていった。



 ところが店に向かう途中、再び一匹の魔獣がラト達の行く手を阻んだ。犬のような姿の、尾が三つある魔獣。大きさはラトと同じくらいしかない、よく見る中型の魔獣だった。


 唸り声を上げて迫ってくる姿に、いつにない焦りを感じる。


 (まずいな、これ以上能力を使えばどうなるか…エステルを降ろして、物理的に倒すしかないか)


 ラトの額に汗が滲む。エステルはすぐに状況を把握したのか「降ろして」と小さく呟いているが、今の弱った彼女を戦いに参加させるわけにはいかない。


 (仕方ない、あと一撃なら何とか…)


 しかし次の瞬間、その覚悟を覆すような光景が、二人の前に広がっていった。


 「おいおい、嘘だろ?」

 「ラトさん、すごい数…」


 一匹だと思っていた中型の魔獣は、気がつけば数十匹と言う単位でそこに姿を現していた。


 「エステル、動けるか?」

 「はい。まだ大丈夫。」


 ラトはそっとエステルを立たせると、彼女を後ろに庇うようにしながら額に手を当てた。


 「まとめて倒すしかないか。」

 「待って、ラトさん。目がまた黒くなってる!」


 (わかってる。きっと限界が近いんだ。それでも、俺は…)


 エステルが引き留めようとしたその手をそっと戻すと、ラトは無言で、最後の力を振り絞った。



 ― ― ―



 すっかり辺りが暗くなってしまった頃、その港の外れで、エステルはラトを抱きしめながら地面に座り込んでいた。


 「どうしよう、どうしたらいいの?ラトさん、痛い?」

 「う、ぐ、ううっ…!」


 何十匹もの魔獣を一撃で倒したラトだったが、そこから移動する途中、急に頭を両腕で抱え込むようにして蹲り、その場で強い痛みを訴え始めた。


 エステルは突然のことに驚き、慌てて彼を近くにあった木箱の上に座らせる。だがラトはじっと座っていることもできないほど苦しみ始め、転がり落ちるように再び地面にしゃがみこんだ。


 「そうだわ、私、先生を探してきます!それか神殿に行って誰か」

 「エステルっ…た、のむ、今は、ここに、いてくれ…」


 だらだらと汗を流し、顔は苦痛に歪んでいる。エステルは掴まれた腕に伝わる彼の手の熱さに、思わず涙をこぼした。


 (どうして私には能力が無いんだろう。どうして私はこんなに無力なの?どうして…)


 「神様、叶うなら、どうか彼の痛みを私に引き受けさせてはくれませんか?お願いです、彼は私を守ってくれただけなんです。どうか、どうか私に力が無いなら、せめてこの苦しみを私に移して…」


 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を止めることもできず、エステルはただひたすらにラトを抱きしめながら祈り続けた。


 そしてその涙がラトの頬にぽたん、と落ちた時だった。


 シュウウウウウウ…


 静かに、だが不思議な音が微かに聞こえ始め、エステルの周囲に砂埃が立ち始める。


 (風…?)


 これまで魔人化を防いできたあの風とは違う、もっと強く、そして光を帯びた風が、その不思議な音と共に二人を包み込んだ。


 「ぐっ…あ、あああああああっ!?」


 すると突然エステルの体に強烈な痛みが押し寄せ、刺すような痛みと内側から何かで殴られたような衝撃が、一気に全身を包み込んだ。


 「エステル…エステル!?どうした!!」


 急に痛みが引いたラトが、エステルの異変に気付いた。


 「うううっ…!く、るしい…!!」

 「どうして…俺の痛みが引いてる…?エステル、一体俺に何をしたんだ?大丈夫か、エステル!?」


 そしてそのあまりにも強烈な痛みに耐えきれなくなったエステルは、ラトが自分を呼ぶ声が徐々に遠ざかっていくのを感じながら、深い深い意識の底へと沈んでいった。


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