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57. 四人のこれから

 《聖道暦1112年4月15日》



 「おはよう、エステル。」


 その日の朝。着替えを終えて部屋を出たエステルを、ラトが笑顔で待ち受けていた。二人きりで語り合ったあの夜から、既に一日と少しが経過していた。


 前日はお互いに忙しかったせいですっかり忘れていたのだが、ここでエステルはふと、ラトからとんでもない宣言をされていたことを思い出した。


 ラトの柔らかな微笑みが今日はなぜだか少し怖く感じる。そしてその悪い予感は、すぐに現実のものとなった。


 「ラトさん、お、おはようございます?」


 なぜ彼は朝からここにいるのか。何となくわかってはいるが知りたくないエステルは、訝しげに彼の表情を窺う。


 「んー、なんで疑問形?まあいいか。ほら、一緒に朝食を食べよう。」

 「ええと、まさか朝食のお迎えのためだけに待っていてくれたんですか?」

 「そうだけど?ああ、階段降りる時は手を握って。」

 「…」


 まずい、彼は本気だ。


 「ねえラトさん。あの、やっぱりこういうのは…」

 「ああ、ごめん!忘れてた。」


 そう言うと、彼はエステルが何か言いかけたその唇を易々と塞いでしまう。


 「!?」

 「おはようのキス、これからは毎日しよう、な?」

 「な、な、何言って…」

 「好きだよ、エステル。ほら、そんなにずっと目を開いていたら渇いちゃうだろ?」


 彼は苦笑しながらエステルの頬を摘み、今度は両方の瞼に一つずつキスをすると、手を握って廊下を歩き始めた。


 「甘すぎる…甘すぎるわ……」


 真っ赤になったエステルは、以前にも増して甘ったるくなってしまったラトに思わずそう呟いていた。




 朝食時も、メルナが頬を赤らめるほど甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたラトだったが、食事を終えた後にエステルが「他の人がいる時だけはやめて!」と懇願すると、彼は渋々そのお願いを聞き入れてくれた。


 「仕方ないな。てことは今はいいんだな。ほら、手を貸して。」


 階段の前でラトが再びエステルに手を伸ばす。


 (こんなに過保護にされたら、本当に駄目な私になってしまいそう!)


 今後の自分に危機感を抱きつつ、諦めようとしない彼に折れる形で、エステルはそっと彼の手を取った。




 その日の午後、久々に四人揃っての会議が行われた。


 「エステリーナの本鑑定も無事終了したし、今日は四人で今後の対策を立てたいと思っているの。」


 メルナのその言葉から始まった会議は、すぐにアランタリアからの報告へと移る。


 「その前に東神殿での事件についてですが、調べた結果、最後まで暴れていた神官の部屋から例の黒い薬が見つかったそうです。そして彼はどうやら自分の部下にもそれを配っていたらしく、怪しい薬を飲まされそうになったと証言する者達も数人いました。」

 「黒い薬…」


 エステルの呟きに、アランタリアがゆっくりと頷く。


 「ええ。おそらくフィリペ・ランジュが持っていた薬と同じ物ですね。ただ今回は瓶一杯に詰まっていましたが。」

 「結局、その薬は何だったんだ?」


 エステルの隣に寄り添うように座るラトが口を挟む。彼の問いかけに反応したのはメルナだった。


 「まだ調査中よ。ただあの薬にはどうやら異界の力が練り込まれているようね。」

 「異界の力、ですか。やはり魔人化をさせようと?」

 「おそらくね。実験のようなものかしら。もしくは他の意図もあったかもしれないわ。」


 思っていた以上に深刻な状況であることを。ここにいる全員が徐々に納得させられていく。


 「その薬の出所も、まだわからないのですか?」


 沈黙を破ったアランタリアの視線がメルナに向いた。


 「ええ。でもそれについてはいくつか候補があるわ。と言うより、帝国含め各国に怪しい場所が存在するのよ。そのうちのいくつかは私は当たりだと踏んでいるの。今後、軍の犯罪捜査局が、まずは帝国内で目をつけている場所を捜査する予定よ。」


 すると今度はラトが、現時点での状況を報告し始めた。


 「俺の方はサーシャに『呼応石』を付けた。髪飾りにしたから、身につけてしまえばほとんど彼女の目には触れないだろう。どうしても位置確認の際にはうっすらと光るからな。数日彼女の動きを追って、どうにかあのジェンナという女性の正体を掴みたい。」


 その言葉にエステルは敏感に反応する。


 「ラトさん、あまり危ないことはしないでね。ジェンナという人には、私が会わなければいいだけかもしれないし…」


 ラトはエステルの頭に手を載せると、その不安を吹き飛ばすかのようににっこりと笑って言った。


 「わかった。エステルが心配するようなことはしないから。……ほんっと可愛いな、君は。」


 最後にボソッと呟いた言葉は、どうやらエステルにしか聞こえなかったようだ。アランタリアとメルナが二人で呼応石について話している間、ラトに悪戯っぽく見つめられたエステルは真っ赤になっていた。


 「…それではメルナの部下達が、あのサーシャという神官見習いの動きを追っているのですか?」

 「ええ。ラトさんに呼応石を仕込んでもらったから、比較的追跡は楽なのよ。今日はまだ神殿にいるようだけれど、夕方以降は動きがありそうね。」


 エステルはラトの視線から逃れるように二人の方を向くと、一つ質問を投げかけた。


 「ねえメルナ、『呼応石』ってどういうものなの?」

 「エステルちゃん、それってまず俺に聞くべきじゃ…」


 少し悲しげな声を出すラトを無視してメルナがその質問に答える。


 「『呼応石』っていうのはね、北の方にある特別な鉱山からしか採れない、ものすごく希少な石なの。青と黄色の二色の石が結合した神秘的な石でね、その石を色が変わるところで割ると、遠く離れた場所に置いてもまるで呼び合うかのようにうっすらと光って、お互いの場所を伝え合う石なのよ。」

 「へえ!じゃあその石をサーシャさんという方に…その石の入った髪飾りを、ラトさんが彼女に贈ったと……」


 どんどん暗くなっていく声と表情に気付いたラトは、ハッとしたようにエステルの手を握ると、青ざめた顔を何度も横に振った。メルナはあらあらと言いながら口元を手で隠し、アランタリアは冷たい視線をラトに向けている。


 「いや、違う!違わないけど、そういう意図はない!ああ、ごめん、エステル……」


 本気で落ち込んだ姿を見せるラトについ絆されてしまい、エステルは彼の手を優しく握り返した。


 「拗ねたりしてごめんなさい、わかっています。そんなつもりで贈ったわけではないんですものね。メルナも、話を途中で止めてしまってごめんなさい!じゃあその石を持っていれば、彼女の居場所がわかるのね?」


 メルナはあたふたしているラトを面白そうに見つめていたが、エステルの問いかけにはすぐに反応した。


 「ええ。近くにいると光るだけではなく、片方が肌に触れているともう片方の石の場所が把握できるのよ。感覚的なものだから、近付くまでは方向性だけになってしまうけれどね。部下達の一人が今はその石を所持しているし、ついでに尾行もしているから、安心して私達に任せておいて。」

 「わかったわ。教えてくれてありがとう!」



 そうして一通り現状についての報告が終わると、ようやく今後についての話が始まった。


 「まずエステリーナ、あなたはこれからどうするつもりなの?」


 エステルはチラッとラトを確認してからそれに答える。


 「私は、東の大陸に行くつもりなの。」

 「えっ、どうして!?」


 その言葉に誰よりも早く反応したのは、アランタリアだった。エステルは驚き、メルナは両眉を上げてアランタリアの顔を覗き込む。


 「それは…私の、本当の両親のことを調べるために、です。」


 エステルがそう言い切って下を向くと、広い応接室にその日一番の静けさが訪れた。すると事情を全て知っているラトが、エステルを励ますようにそっと手を握った。エステルは顔を上げ、話を続ける。


 「二人を驚かせてしまってごめんなさい。私が帝都に来たのは、実はそれが目的だったの。本鑑定は逃げようと思えば逃げられたかもしれない。でも、それでも私はここに来なければならなかった。東の大陸に行くには、帝都にある港を使うしか方法は無かったから。」

 「そう、そうだったの。私ったら、てっきりあなたの家族の中でヒューイットだけが血の繋がりが無いのだと思い込んでいたわ。」


 メルナは困ったような微笑みをエステルに向ける。だがアランタリアはそれとは対照的に、無表情の中に怒りを滲ませた複雑な表情で言った。


 「まさかあなたにそんな事情があったなんて…つまり俺はもう、二度とあなたに会えないと?」


 その発言に反応したのはラトだった。


 「会えないも何もないだろ。ねえ、先生?」


 ピリピリとした空気が漂いかけたところで、エステルが再び話し始めた。


 「とにかく、私の両親が東の大陸にいたことは確かなんです。生きているかどうかもわからないし、行ったからといって情報が掴めるかどうかはもっとわからない。それでも私は行ってみたいんです。だから先生、昨日の話は聞かなかったことにさせてください。」

 「エステル……」

 「昨日の話?」


 男性二人はそれぞれの理由で動揺していたようだが、メルナは容赦無く話を中断した。


 「さあ、この話はもう終わり。エステリーナの事情はわかったわ。ラトさん、帝国はこれから厳しい状況になるだろうし、あなたの力を借りたいところではあるけれど、きっとあなたはエステリーナと一緒に行くのよね?」


 ラトは気持ちを切り替えたのか、「ああ、そのつもりだ」とあっさり答える。


 「そう。ではエステリーナの護衛はあなたにお任せするわ。それと念のため、あなた達が乗る船の調査もお願いしたいの。『開くもの』達が船に紛れ込んでいたら、大変なことになってしまうから。」

 「わかった。」

 「そしてアラン、あなたには明日会わせたい人がいるの。一日空けておいてちょうだい。」


 アランタリアは無表情のまま黙って頷いた。そしてエステルがどれだけ彼を見つめても、それ以降彼はエステルに視線を向けることは無かった。


 (嫌な思いをさせてごめんなさい、先生。でも、はっきり伝えないことの方が失礼だと思うから…)


 エステルもまたアランタリアから視線を外すと、メルナの背中側にある窓の向こうの景色に目を向けた。


 大きな木が静かに揺れている。春らしい光を浴びて輝く新緑の美しさが、目に眩しい。


 (ああ、ついに東の大陸に行けるのね。東の大陸には、きっとこことは全く違う世界が広がっているはず。あの美しい木々も、しっかりと目に焼き付けておかなくては…)


 他の三人が今後のより細かい計画を立てている間、エステルの心はすでに、まだ見ぬ遠い世界へと飛び立とうとしていた。


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