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56. それぞれの謀略

 《聖道暦1112年4月14日》



 「あ!ラト!」


 ラトがその明るい声に気付いて顔を上げると、そこには手を振るサーシャの姿があった。


 この日ラトは、サーシャと待ち合わせをして出かけることになっていた。デートがしたい、という彼女の希望を聞き入れ、ラトの案内で帝都の西側を回ることになっている。


 「サーシャ、待った?」

 「ううん、大丈夫。私帝都の西側なんて滅多に来ないから、すごく楽しみにしてたの!ねえ、今日はどこに連れていってくれるの?」

 「そうだな、まず買い物はどう?」

 「うん!行きたい!」


 そう言うとサーシャはすっとラトの腕に手を掛ける。だがラトはその手をそっと外し、額の汗をゆっくりと拭った。


 「悪い、俺、割と暑がりなんだ。外では、ごめん。」


 だが断られたはずのサーシャの目は、うっとりとラトを見つめている。


 「ううん、私こそごめんなさい。あなたの隣を歩けるだけでも嬉しい。ねえラト、行きましょ?」

 「ああ。」


 二人は付かず離れずの距離を保ちながら、ゆっくりと歩き始めた。



 しばらく歩くと、いくつもの小さな商店が並ぶ通りに行き着いた。ここは通りを挟むようにガラス製のショーウィンドウが何十軒も続く、帝都でも有名な洒落た商店街となっている。


 「わあ!ここにはぜひ来てみたかったの!私はまだ見習いだし、家族のことが第一だから何も買えないと諦めていたんだけど、一緒に通りを歩くだけでも素敵ね!」


 そう言ってにっこりと微笑む彼女の手は、胸の前でぎゅっと握られている。


 ラトはその手に優しく触れて笑みを返すと、少し先に見えていた一際洒落た店を指さして言った。


 「じゃあ二人のデート記念に、あの店に入ってみる?」

 「ええ、ぜひ入ってみたい!」


 サーシャの屈託のない笑顔が、曇り空の下で輝いている。ラトは彼女の手を一旦離すと、背中を軽く手で押して、目的の店へと入っていった。



 その店は貴族向けではなかったが、この辺りではそれなりに高価な宝飾品を扱っている店だった。


 サーシャは緊張した面持ちで店の中に足を踏み入れたが、ラトは彼女を少し奥へと導くと、「まずは見てみたら?」と声をかけた。


 彼女が目をキラキラさせながらショーケースを眺めている間に、ラトはチラッと店主の方に目を向ける。そしてすぐにサーシャに笑顔を見せて問いかけた。


 「そうだ、俺も君に何か一つプレゼントしたいんだけど、いいかな?」


 するとサーシャは自分の両手をギュッと握りしめ、潤んだ瞳で「本当?嬉しい!」と言いながらラトの肩に寄りかかった。だがすぐにハッとして体を離す。


 「ごめんなさい!外だと嫌だったのよね。私ったらつい…」


 ラトは少し落ち込んだ様子のサーシャの肩に手を置くと、彼女の耳元にそっと囁いた。


 「気にするな。…それは二人っきりの時にゆっくり。」


 サーシャの頬が赤く染まり、目はうっとりとラトを見つめている。そんな彼女の様子を確認してから再び店主の方に視線を戻すと、指示を待っていた店主が黙って頷いた。


 「店主、すまないが俺はあまり宝飾品に詳しくないんだ。髪飾りか何かでおすすめのものがあったら、いくつか用意してくれないか?」


 すると奥のカウンターでこちらの様子を伺っていた白髪の女性が、はいよと言うように軽く右手を振って、さっと奥に入っていってしまった。


 「サーシャ、君も何か見てきたらどう?」

 「ええ。今はどれも買えそうにないけど、せっかくだから見てみるわ。ありがとう、ラト!」


 彼女は可愛らしい笑顔を振り撒きながら、ショーケースの中で輝くもの達をじっくりと眺めていった。



 十五分ほど経って、店主が三つほど商品を見せてくれた。サーシャに好きなものを一つ選んでもらうと、ラトはそれを手に取って言った。


 「サーシャ、今日からこれをつけていて欲しいな。」


 彼女が選んだのは、美しい銀細工の中に大きな青い石が埋め込まれた、落ち着いたデザインの髪飾りだった。


 「本当にこんな高価なもの、私が貰っていいの!?」

 「もちろん。」


 驚きと喜びの気持ちがサーシャの表情を明るく変えていく。そして彼女はラトに抱きついた。


 「嬉しい!!ラト、ありがとう!!」


 ラトはサーシャの腕をそっと両手で押さえると、彼女をくるっと後ろに向けて、その髪の一部を軽く掬い上げた。そして手にしていた髪飾りを器用に髪に付けると、後ろから彼女に声をかけた。


 「うん。すごくいいね。似合ってる。」

 「そうかな?うふふ!ラトからの初めてのプレゼント、大事にするね。」


 ラトは再びこちらを向いて笑顔を見せるサーシャに、小さく頷いて笑顔を返した。



 ― ― ―



 ジュリアスはこの日、ようやく会いたかった人物と会うことができた。実は数日前にも一度会う機会が持てそうだったのだが、その時は相手の都合で結局会えずじまいだったのだ。


 「やっとこの日がきたのか。この出会いこそ、我がノイハール家の悲願を叶える第一歩だ!」


 帝都のかなり端の方まで馬車に揺られて辿り着いたのは、鬱蒼とした森の中にある小さな煉瓦造りの家だった。古ぼけた建物とは対照的に、その小さな庭には小さく可愛らしい花々が、色や大きさの違いも考慮に入れたかのように規則正しく植えられている。



 妙な違和感を感じつつ、相手方の従者に案内されて建物の中に入ると、そこは薄暗く湿っぽい独特の空気が流れていた。


 「よくいらしてくださいました。ジュリアス様?」


 すると奥の方からあまり明るさのないランタンを手にした女性が姿を現した。


 (この女がそうなのか?何だか年齢がよくわからない。俺の視界がぼやけているのか…?)


 長い黒髪の若い女性のようだが、部屋の中が薄暗いせいか、時々老婆のようにも見える。


 苛立ちと恐怖が徐々に募っていく中、先ほど案内をしてくれた従者の男が後ろから音もなく現れ、ジュリアスはビクッと肩を揺らした。


 「さあ奥へどうぞ。ご案内いたします。」

 「あ、ああ。」


 この男もまた、終始不気味な雰囲気を漂わせている。見た目はそれなりに良い三十代近い男性のようだが、その所作はやけに仰々しく、ジュリアスの神経に障る。


 (だがここでことを荒立てるわけにはいかない。彼女の協力を得られなければ、皇帝の座は得られないのだから!)


 大人しく彼の指示に従い、開かれたドアの向こうへと足を踏み入れる。


 中に入っても相変わらず薄暗さは健在だったが、先ほどの廊下部分より空間の広さがある分、多少過ごしやすく感じる。


 レースのカーテンの向こうから差し込む光は弱かったが、その光すらありがたく思いながら、座り心地の良さそうな皮のソファーに腰掛けた。



 「お茶を用意して参ります。」


 先ほどの男性が部屋を出ていくと、後ろからやってきた先ほどの女性が、ジュリアスの前に腰を下ろした。


 (やはり若く美しい女性にしか見えない。さっきのは幻覚だったのだろうか…)


 ジュリアスのそんな思いなど知る由もないであろう目の前の彼女は、優しく微笑むと早速話を切り出した。


 「ジュリアス様、こんな辺鄙なところまでよくお越しくださいました。さて、お互い時間が限られた身です。本題に入りましょう。」


 ジュリアスは黙って頷く。女性は満足げに微笑むと、再び口を開いた。


 「ジュリアス様もご存知の通り、私達はとある目的のために内密に活動しております。ですが決してこの帝国に災いをもたらすような目的ではございません。今の皇帝陛下になってから、帝都以外の場所で様々な問題が起きていることは周知の事実。私共はこの国を内側から変えていきたい、そのためには……あなた様のような素晴らしい指導者が必要なのです。おわかりですね?」


 彼女の声がくぐもったように聞こえるが、なぜかそれも含めて耳に心地よく感じる。廊下にいた時よりもはっきりと見える彼女の顔の美しさにも、目を奪われる。


 「あ、ああ。わかるとも。そして君達は私を皇帝にと、そう考えているのだな?」

 「はい。あなた様の実力は過小評価されております。確かに能力の数で言うなら現皇帝陛下が二十、あなたが十二…僅かに劣っているでしょう。ですが総合的に判断してみれば、どちらがより帝国のためになるかは歴然としております。」


 その時、先ほどの従者とは別の女性がカタカタと小さな音を立てながらお茶を持って現れた。目の前に置かれたそのカップからは、まるで時が遅く流れているかのようにゆっくりと白い湯気が立つ。


 「そうか。君達にそう言ってもらえるとありがたい。こちらも既に動きだしてはいるが、できれば確実な後ろ盾が欲しいところではあった。……協力、してくれるか?」


 女性はその日一番の美しい笑顔を見せて、言った。


 「もちろんでございます。では、早速契約に移りましょうか。」


 ジュリアスはごくりと喉を鳴らす。契約という言葉に、引き返せないところまできてしまったことを改めて感じていた。だがこうまでしてでも得たかった地位なのだ。腹を括るしかない。


 「よろしく、頼む。」


 ギシッ、という音がして驚いて振り向くと、先ほどまで居なかったはずのあの従者が横に立っていた。


 (いつの間に!?)


 だが彼は何事もなかったかのようにテーブルの上に紙とペンを置くと、指示を出した。


 「こちらにサインをお願いいたします。」


 ジュリアスは促されるままにペンを走らせる。サインをすることに迷いはなかったが、ペンを持つ手は震えていた。


 「では、契約成立ですね。」


 女性がそう口にすると、男性がその紙を持って宙に投げた。


 ボウッ


 それは一瞬のことだった。


 サインをしたその紙は空中で突然黒い炎に包まれ、灰一つ残さずに消えていったのだ。


 「ジュリアス様、これで私達は同じ目的を持つ同志。私達は全力であなたのお力になりますわ。」

 「あ、ああ。あなたにお会いできたこと、心から感謝する。……リリアーヌ殿。」


 リリアーヌと呼ばれたその女性は笑顔で立ち上がると、驚くほど白いドレスの裾を引き摺りながら、黙ってその部屋を出ていった。


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