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53. 破壊された神殿

 帝都の中でも最も静かな地域と言われる東側には、美術館、博物館、図書館など、文化的な学びを重視した建造物が多く存在する。どれも歴史のある建物で、それぞれに過去の匠達の技術や工夫が息づいている。


 そしてその中にあっても重厚な存在感を見せつけているのが、この帝都東神殿だ。中央大神殿のような豪華さはないが、どっしりとした石造りの壁、外側に林立する太い柱が、その場所が神を讃える場所であることをしっかりと示している。


 だが今は、その荘厳な雰囲気も、いつもなら当たり前にある静けさも、アランタリアには一切感じられなかった。


 「何これ、酷い…」


 エステルが思わずそう呟いてしまうほど、外から見た神殿の光景は悲惨な状態だった。


 石造りの壁に嵌め込まれた小さな窓はほとんど破られ、割れたガラスの破片が辺りに飛び散っている。大きな両開きのドアの片方は外側に倒れており、中からは煙と叫び声が溢れてきていた。


 「行こう。」


 低いアランタリアの声でエステルとエマは大きく頷くと、彼の後を追って中へと入る。


 内部は、さらに荒れていた。


 室内にある椅子や棚、教義をまとめた本までもが辺りに散乱しており、その中に数名の信者達らしき人々が倒れている。


 エマが駆け寄って確認すると、全員息はあるが意識を失っている様子だった。


 奥から二人の神官が現れ、一瞬警戒したが彼らの手に救急箱が握られているのを見てアランタリアはほっと胸を撫で下ろす。


 「ナイト神官!いらしてくださったのですね!!今奥は大変なことになっています!どうかお力添えを」


 ドーーーーン!!!


 その瞬間、奥の方から爆発音が響き、建物が大きく揺れる。


 エステルは腰に結えつけていた袋の中から短剣を取り出すと、鞘の部分を握りしめて一歩前に出る。


 その後ろでエマと呼ばれていた赤毛の女性が、剣に手を掛けてエステルを見守っている。


 (女性二人をこのまま奥に連れていくわけにはいかない!)


 アランタリアは神官の一人に声を掛けてとあることをお願いすると、エステルの肩に手を置いて言った。


 「エステル、待ってくれ。まずは俺が対処してくる。どうしても助けが必要なら呼ぶから、頼むから無茶をするのはやめてくれ。」

 「先生、でも!」


 するとエマがすかさずエステルの短剣に手を重ねて言った。


 「こちらの神官様の言う通りです。状況も中の構造もわかっていない私達が無闇に入り込むのは危険です。ここは一旦指示をお待ちしましょう。」


 さすがメルナが準備した護衛だけある。エステルは渋々納得したのか、短剣を持った手の力がすっと抜けていった。


 「わかりました。でも、絶対に困ったら呼んでください。絶対ですよ!」


 念を押す姿が可愛くて、アランタリアはつい微笑んでしまう。無意識に彼女の頭に優しく手を置くと、言った。


 「わかった。エステルの言うことなら何でも聞くよ。だからもう少し大人しくしていて。エマさん、よろしくお願いします。」

 「はい!」


 名残惜しい気持ちを抑えてエステルの頭から手を離すと、アランタリアは素早く奥の部屋へと入っていった。




 アランタリアが奥にあるドアを開けると、そこには礼拝堂よりもさらに酷い状況が広がっていた。


 何かが爆発したことによって吹き飛ばされた壁、その先に見えているのはこの神殿の中庭だが、その青々とした芝生の上には、青い神官服を着た男性数名が、倒れたり血を流して座り込んだりしている姿が見えた。


 そして中庭のさらに先にある執務室の方から、アランタリアを呼ぶ声が聞こえた。


 「ナイト神官!?来てくださったのですか?こっち、こっちです、早く!!」


 埃まみれになった神官の一人が執務室の中から助けを求めている。するとちょうど先ほどとあることをお願いしていた礼拝堂側の神官が、アランタリアの元に駆けつけてきた。


 「お待たせしました!こちらを…」


 その手に握られていたのは、白く硬い素材の大きく長い杖だった。


 「ありがとう。すぐ行きます!」


 その杖を手に取ったアランタリアは、中庭を抜けて執務室のある建物の方へ急いだ。




 細い廊下を抜けて広い執務室の中に入ると、机も椅子も書類も全て床の上で原型を留めておらず、足の踏み場もなくなった床の上には、アランタリアよりも歳が上の神官達や副神官長が六人の男達を囲うように杖を突きつけ、祈りの言葉を呟いている。


 (『拘束』の祈りか…あまり効いていないのか、それとも効きが悪いのか?)


 囲まれた男達は全員口を大きく開けてあー、とうーという言葉にならない叫び声をあげながらまだ暴れようともがいている。


 しかもその首筋には何やら赤っぽい筋のようなものがいくつか見えている。


 (おかしい、薬か何かによる影響か?それとも…)


 だが今何かを推測している余裕など無い。アランタリアは手にした杖を高く掲げたまま、祈りの言葉を呟いていく。


 正気を失った男達の目が黒々と変わっていくのを確認しながら全ての文言を言い終えると、掲げていた杖を思いっきり床に突き立てた。


 ガーン!!という衝撃音が部屋中に響き渡り、杖の先から銀色の光が飛び散って室内を覆い尽くすように拡散していく。


 そしてその強い光が収まったと同時に、男達の動きも止まり、彼らは示し合わせたかのように同時に床に倒れ込んだ。


 ところがそのうちの一人、六人の中では最も歳が上の神官だけはまだ意識を保っていたようで、苦しみ喘ぎながらもゆっくりと立ち上がると、顔を天井に向けそこで震え始めた。


 すると先ほどまで赤く見えていた筋がさらに長く太く伸び、紫や黒っぽい赤の筋までもが首から顔にかけて広がっていくのが見えた。


 「一体あれは何なんだ?仕方ない、物理的に…うわっ!?」


 アランタリアが立ち上がった男に固く握りしめた杖を突きつけるのとほぼ同時に、男が地の底から湧き上がるような低く悍ましい咆哮を上げ、体中から黒い霧のようなものを噴き出した。


 急いで袖で顔を隠し、その霧を吸い込まないようにして男の様子を確認する。


 すると男の体が霧の中で徐々に大きくなり、首に現れていた筋が手や額の方にまで伸びていく様子が見えた。


 アランタリアはこれまでに感じたことのない恐怖を感じ、一歩後ろへとさがる。


 辺りにどんよりと漂っていた黒い霧が今度はすうっと男の口の中に吸い込まれていき、真っ黒な色に変化した目がアランタリアを鋭く捉えた。


 (まずい!!)


 「先生!?」

 「はっ、エステル?駄目だ!危ないから入るな!!」


 だがアランタリアの制止の言葉はもうエステルの耳には入っていなかった。


 彼女はすでに手に持っていた『拘束の木』なる精霊道具を躊躇いもなく振り翳すと、異様な状態となった目の前の男をがっちりと固めるように包み込んだ。


 太い枝状の何かでぎゅうぎゅうと締め付けられていてもまだその中で暴れている男は、何かを口の中で呟くと、今度はその口の中から黒っぽく澱んだ炎のようなものを噴き出した。


 「大変、木が燃えて…熱っ!!」


 するとエステルの叫び声に反応するかのように後ろから飛び込んできたエマが剣を片手に、もう片方の手を首の後ろに当てて集中を始めた。


 「エステリーナ様、その木から手を離してください!!」


 首筋から手を離したエマがそう叫ぶと、エステルは頷いて拘束の木を手放し、少し後ろにさがった。


 エマはそれを見届けると剣を持っていない方の手を前に突き出し、その手のひらから巨大な水球を生み出していった。その水球は黒々と蠢く炎のようなものを全て包み込み、そしてその場で弾け飛ぶ。


 その水飛沫が部屋全体に飛び散っていくのをアランタリアがぼんやりと見守っていたその時、エステルが再び動いた。


 「エステル!?」


 我に返ったアランタリアの言葉も、もうエステルを止めることはできなかった。拘束の木がシュルシュルと音を立てて元の形に戻っていく。


 「お願い、どうか神様、彼を助けてください…」


 そしてエステルは再び暴れようとしていた男に駆け寄ると、その頬を両手で挟み、今にも泣きそうな声でそう叫んでいた。


 (エステル、あなたは一体何を!?)


 ふっと、音が止む。水滴の音もエマの足音も、神官達のざわめきも何もかもが無音となったその瞬間…


 ふわっと、暖かく優しい風が吹き抜けた。


 ドサッ


 男が、床に倒れる。エステルは彼の横に座り込み、その首筋を確かめている。ざっと見えた限りでは、あの気色の悪い筋はもう出ていないようだった。


 「エステル、今のは一体…?」

 「先生、この人を診てあげてください!私、他の方の様子も見てきます!」

 「え、あっ、エステル!?」


 エステルはそれだけ言うと、先ほどアランタリアの術で意識を失ってしまった男達の方へと移動していった。



 アランタリアが意識を失った男性の状態を確認し、特に問題が無さそうだとわかると、急いで神官達に囲まれているエステルの元に駆け寄った。


 「エステル!!」

 「あ、先生!この方達は特に問題無さそうです。顔色も戻っていますし。でも一応診てあげてくださいませんか?」

 「…」


 物が散乱し、大勢の足跡で汚れている床に直に座り込んで倒れた男達を心配するエステル。アランタリアは怒りとも悔しさともつかぬ複雑な気持ちを抱えたまま、エステルの腕を掴み自分の体に引き寄せた。


 「え?せ、先生!?」

 「この人達のことは後でじっくりと診察します。コニス副神官長様、ここはお願いしても構いませんか?」


 コニスと呼ばれた年配の男性は、青ざめた顔をアランタリアに向けると、頷きながら自分を取り戻しつつあるようだった。


 「ああ、ああ、そうだね。内輪のことなのに君には面倒を掛けてしまった。申し訳ない。後はこちらで片付けておく。それと、今目にしたことは、他の者にも言い含めて必ず内密にしておくから、心配しなくていい。」


 コニスはアランタリアの腕にもたれ掛かるようにして立つエステルをチラッと見てそう言うと、厳しい表情で部下達に指示を出し始めた。


 少し安堵したアランタリアは、疲れた表情のエステルを抱きかかえるように歩きながら、広い執務室の外に出ていく。後ろからは剣を鞘にしまったエマもついてきているようだ。


 「どうして、こんな無茶をしたのですか?」


 アランタリアはゆっくりと歩きながら、エステルの耳元で静かに囁く。すると彼女はうっすらと微笑みながら言った。


 「大事な仲間が…友人が困っているのに、何もしないなんて私にはできなかったので。」


 掠れた声で話すその言葉に嘘はないように思えた。だがそれは同時に、アランタリアのことをやはりただの友人としか思っていない、ということなのだろう。


 (それでも、俺のことも大事だとエステルは言ってくれた)


 アランタリアは後ろから黙ってついてくるエマの気配に気付いてはいたが、それでももう自分の気持ちを止めることはできなかった。


 「たとえあなたが私のことを友人としか思っていないとしても、こんなふうに命懸けで助けに来られたら、私はまた誤解してしまうよ、エステル?」


 歩きながら、言っている意味がわからないという顔でこちらを見上げるエステル。その無垢でいて大人の女性らしさも含む潤んだ瞳が美しすぎて、アランタリアの理性はスッと消え去った。


 顔を近付け、唇を寄せる。


 「んっ、やだっ!?」

 「こんな時に護衛の役目を果たしていないあの男になど、あなたは絶対に渡さない。」


 唐突に唇を奪われたエステルが真っ赤になってアランタリアを睨んでいる。何が起こっているのか見えていなかったエマは、声を掛けようかどうか迷っているようだ。


 アランタリアは二人のそんな反応を一旦無視すると、今度はエステルを両手でしっかりと抱え上げてあっという間に神殿の外へと連れ出していった。



 ― ― ―



 (嘘でしょ?またあんなことを許してしまうなんて!)


 神殿の外へと抱えられて出てきたエステルは、すっかり混乱状態に陥っていた。隙だらけの自分に腹も立てていた。


 アランタリアにはもう何度も気持ちを伝えているにも関わらず、彼の態度と行動は一向に変わる気配がない。友人として大事な人であることに変わりはないが、それがこういう結果に結びついてしまうのであれば、もう彼の近くには居られないだろう。


 (本鑑定はあと一日で終わる、そうしたら私は…)


 エステルはアランタリアの腕の中で、一つの決意を固めていた。


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