52. 父との決別
「エステリーナ様、お待ちしておりました。」
「え…どうして私の名前をご存知なのですか?」
赤毛をかっちりと後ろで纏めたその女性はにっこりと微笑むと、丁寧な礼をしてから顔を上げた。そのお辞儀の仕方はエステルのよく知ったものだ。
(あら?今のはローゼン王国騎士の礼の仕方では?)
「私は以前、カイザー様直属の部隊で騎士を務めておりました、エマ・ハリスと申します。現在は騎士を辞めており、縁あって別の方にお仕えしております。今回はその方からのご命令で、あなたの護衛としてこちらにやってまいりました。」
「私の護衛?あ、ああ、ラトさんの代わりに…そうなのですね。ありがとうございます!あの、つかぬことをお伺いしますが、あなたが今お仕えになっていらっしゃる方ってもしかして」
「ええ、メルリアン様です。」
「やっぱり!エマさんは元騎士様なんですね。そんな凄い方をお願いするなんて、メルナったら本当に私に甘いんだから…」
エステルはそこでふと、先ほどの彼女の言葉を思い出した。
「そうだわ、カイザー様の部隊にいたということは、エマさんはもしかして以前から私のことを知っていらしたのですか?」
するとエマはキラキラとした瞳でエステルを見つめながら近付き、何度も頷いてから言った。腰に下げた長い剣がエステルの目にチラリと入る。
「もちろんです!実は以前、カイザー様とエステリーナ様お二人だけで特訓されているところをこっそり拝見してしまいまして、その時にエステリーナ様があの大剣を軽々と操っていらっしゃる姿に魅了されてしまって…それ以来、ぜひエステリーナ様と再会したいと切に願っておりました!!」
エマのキラキラと輝く笑顔と圧に負けそうになりながらも、エステルは笑顔でそれに答えた。
「あ、ありがとうございます!でも私なんて騎士様に比べたら全然…」
「いいえ!!私も同じ位の大きさの剣を持ってみましたが、三振りもすれば腕がきついほどでした。それをあんなに楽しそうに、とてつもない威力で振り回すあなたの姿は、今でもしっかりとこの目に焼きついております!あなたは私の憧れの方です!ぜひ、機会があればまたあの剣技を見せていただきたい!!」
馬鹿力と罵られるのも嫌だが、ここまで憧れられてしまうのもかなり気恥ずかしい。
「大剣は極力使うなとカイザー様に言われているので、また機会があれば…」
「はい!楽しみにお待ちしております!!」
一体彼女はいつまで護衛をするつもりなんだろう、と密かに疑問に思いつつ、エステルはエマを伴って帰路についた。
― ― ―
エステルが居なくなってしまった部屋でしばらくぼんやりと宙を見つめていたアランタリアは、机の上に置いた本を手にするとゆっくりと立ち上がった。
片付けを済ませて廊下に出ると、見覚えのある神官が近付いてくるのが見えた。
「ナイト神官、お久しぶりですね。」
「ディオン神官、ご無沙汰しております。」
彼は以前の同僚で、二つほど年齢が上の穏やかな性格の男性だった。
「また神殿に戻ってきてくれて嬉しいですよ。ま、あなたほどの実力があれば、『減呪師』でも『医師』でも務まりそうではありますが。」
彼はそう言って笑顔を見せると、その後すぐに真顔になる。
「そういえば言伝を預かっていましてね。」
「言伝、どなたからですか?」
「…ナイト神官長様から。」
アランタリアの顔は一瞬で感情を失くす。ディオンは何かを納得したような顔で頷き、小さな紙をポケットから取り出し、アランタリアに手渡した。
「今日この後、ここに来なさいとのことですよ。何やら企んでいらっしゃるようにもお見受けしましたが…彼の方も、相変わらずですね。」
アランタリアは受け取った紙を開いて書かれている場所を確認すると、再び笑顔を引っ張り出してディオンに礼を述べた。
「ありがとうございます。親子間のことに付き合わせてしまって申し訳ありません。」
「いえ、いいんですよ。ではまた。」
「はい。」
(エステルのことよりも、先にやらなければいけないことがあるようだな…)
手のひらの上に置いた紙をくしゃっと握りつぶすと、アランタリアは本を小脇に抱えて、神殿の外に出て行った。
徒歩で三十分ほど移動すると、見慣れた建物の前に行き着いた。そこは貴族達が好んで通うレストランの一つで、教団内では力のあるナイト家も、以前はよく通っていた場所だった。
(母が亡くなってからは、ここには全く来なくなってしまったな)
苦々しい思いが胸を過る。だがアランタリアはそれを表情には出さず、レストランの中に入るとウェイターに名を告げて案内をお願いする。
そうして向かったのは、父が気に入ってよく使っている要人専用の個室だった。それを知って早速嫌な予感がしたが、渋々そのドアの先へと入っていく。
「おお、来たか。」
「父上、お待たせしました。」
さほど広くはないその部屋で、大きなテーブルを挟んで父オルステアともう一人、ウェーブした長い金髪を持つ女性が座っていた。席にはもう人数分の前菜が揃っている。
「あの、こちらの方は?」
「いいからそこに座りなさい。」
「…はい。」
相変わらずだなと心の中で思いながら、言われた場所に座ると、オルステアが嬉しそうな顔で同席している女性の紹介を始めた。
「こちらは帝都東神殿に多大なる貢献をしてくださっているゴセック伯爵家の次女、グレース嬢だ。」
するとその女性はゆっくりと、そしてほんの僅かに首を傾げて微笑んだ。向こうから口を開くつもりは無いらしい。
「はじめまして。アランタリア・ナイトと申します。」
「アランタリア様、お会いできて光栄ですわ。」
伸ばされた手はまるでガラス細工のように細く透き通り、あまり生気というものが感じられなかった。
「こちらこそ、レディ。」
席を一旦離れ彼女に近付いてその手を取り、形だけ唇を寄せてからそっと離した。
「さあアランタリア、食事にしよう。今日はお前が神殿に帰ってきたお祝いだ。しかも帰ってきて早々に中央に配属とは、さすが我が息子だ。」
「父上、あの…」
「いいから座りなさい。」
有無を言わさぬ姿勢を崩さない父に嫌気がさしてはいたが、初対面の女性を前に声を荒げることは避けたかった。
渋々席に着くと、上機嫌のオルステアは教団内での自分の立ち位置についてや、いかにグレース嬢が素晴らしい人なのかということを饒舌に話し始めた。
「まあ、私もそれなりの立場となってきて、より教団内での我が家の力を強めていきたいところなのだ。次の大神官選出の儀にも私は当然参加することになるだろうし、そうなればゴセック家との繋がりはぜひ強めておきたい。グレース嬢も以前からお前のことを知っていてかなり気に入っているようだし、このままこの縁談を進めていきたいと考えている。」
アランタリアは食事の手を止めるとオルステアの顔を凝視して、言った。
「私はあなたの言いなりにはもうなりませんよ。ここに来たのもそれを伝えるためです。」
「なっ、なんだと!?」
アランタリアは席を立ち、怒りで顔を真っ赤にしている父を無視してグレースの方に顔を向けた。
「グレース嬢、申し訳ありませんが今回のお話はなかったことにしていただきたい。今日はこの後用事がありますので、これで失礼いたします。」
「…」
グレースはつまらなそうな表情を浮かべると、アランタリアから目を逸らして無言でワインを口にした。
「では。」
「おい!?待ちなさい!!」
父の怒号が追いかけてきていたが、耳を塞いでそれを無視し、素早くその場を離れた。
レストランを出たアランタリアが苛立ちを抱えながら中央神殿に戻ると、先ほど会ったばかりのディオンと再び出会した。だが彼の顔にはなぜか笑顔はなく、むしろその額には汗が浮かび、明らかに慌てている様子が見られた。
「ディオン神官、どうされましたか?」
「ああ、ナイト神官!大変なことが…東神殿で暴力事件が起きていると今こちらに連絡が来まして、あの、ナイト神官長はまだ先ほどの場所に居られますか!?」
「暴力事件!?」
耳を疑うような知らせに驚き、アランタリアは顔を顰めてからすぐに頷いた。するとディオンは後ろに控えていた神官見習いの男性に指示を出し、若いその男は「はい、すぐに」と言って走り去っていった。
「暴力事件とはどういうことですか?まさか信者達が?」
東神殿では以前から時々、過激な信者達による騒ぎが起こっていた。今回もそうした事件の一つかと思ったのだが、ディオンはそれを否定するようにゆっくりと首を振った。
「いえ、それがどうも数人の神官達が突然暴れ出したかと思ったら、それに刺激されるように、彼らが指導中の見習い達も能力を発動させたり物を壊したりなどし始めたようで……どうにも力が強く、できれば能力を抑制できる神官に来てほしいと。」
(まさか神官達が…?一体何が起きているんだ!?)
「そんなことが…わかりました。では私が参りましょう。」
「ありがたい。今日は大神官長がいらっしゃらないので判断に困っていたのです。東神殿のナイト神官長には私が報告しておきます。宜しくお願いします。」
アランタリアは小さく頷くと、すぐにそこを離れて大通りに出た。
東神殿も帝都の中にはあるが、中央大神殿からは徒歩で行けば数十分は掛かってしまう。この通りなら辻馬車がいるだろうと辺りを見回していると、赤毛の背の高い女性を連れて歩いているエステルの姿が目に入った。
「ああ、彼女が例の護衛…」
こんな事件にエステルを巻き込むわけにはいかないと急いで顔を隠したが、それは逆効果だったようだ。
「アラン?どうしたんですか?体調が悪いんですか?」
アランタリアに気付いて急いで駆け寄ってきたエステルは、心配そうに顔を覗き込む。
(俺を警戒しているくせに、結局困っていたら手を差し出す…そういう人だよね、君は)
胸の奥で甘く苦しい想いが渦巻いている。アランタリアは笑顔を浮かべてエステルの手を取った。
「ありがとう、エステル。優しい君を、やはり俺は手放せそうにないらしい。今帝都の東神殿で暴力事件が起きている。ラトのことを言えなくはなるが、エステル、一緒に来てくれないか?」
エステルの護衛の女性がどうしたら良いものかと動揺している様子が目の端に映る。対照的にエステルは、覚悟を決めた表情でアランタリアの顔を見上げた。
「先生の助けになるなら、行きます。」
(ああ、やはり君にとって俺は、いつまでも『優しい先生』なのか…)
それでもいい。二人きりでなくてもいい。
「ありがとう、ほらあそこに辻馬車がいる。あれで行こう。」
「ええ。エマも一緒に行ってくれる?」
「もちろんです!」
アランタリアはエステルにだけその優しい微笑みを見せると、その手を引いて歩き始めた。そして道端に停まっていた辻馬車を一台捕まえると、「東神殿まで、急いで!」と言って馭者の手に相場より高い料金を握らせる。
(今は欲張らないから、ただ傍に居させてくれ、エステル…)
そうして三人は、事件が起きているという東神殿へと急ぎ向かっていった。