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50. 予兆

 形だけの『本鑑定』を終えたエステル達は、ナイト神官の信奉者であるあの騒がしい女性達に囲まれないよう、神官専用の出入り口から外に出た。


 「さてエステル、このあとお茶でもどう…」

 「おいおい、何さらっと彼女を誘ってるんだ?」


 その時、アランタリアからの誘い文句は、低く苛立ちのこもった声によって遮られた。


 「ラトさん!」


 エステルは顔を輝かせて彼に駆け寄る。ラトはエステルを見ると優しい笑顔を見せ、その手をしっかりと握った。


 「エステル、待ってた。」


 アランタリアはそんな二人の様子を無表情で見守っている。ラトはチラッとアランタリアを見ると、釘を刺すように言った。


 「先生、こういうのは無しで頼むよ。なあエステル、この後食事にでも行くか?疲れただろ?」

 「ううん、まだ大丈夫。それより少し帝都を見て回りたいの。ラトさん、あの、一緒に行ってくれますか?」


 エステルが「そんな我儘を言ってもいいのかしら?」と言わんばかりの戸惑いがちな視線を向けると、ラトは相好を崩して、その頭に優しく手を置いた。


 「当たり前だろ。と言っても、帝都は広いからなあ。何が見たい?」


 優しく提案を受け入れてくれたことを嬉しく思いながら、どこがいいかなと少し考えてみる。


 (ううん、場所なんてどこでもいいわ、ラトさんと町を歩けるなら!)


 「特にこれというものは無いけれど、じゃあ、今日はこの近くを一緒に見て回りたいです!」

 「俺も行きます。」


 アランタリアの突然の同行表明に、二人同時にその顔を見つめる。彼は軽く首を傾げて「構いませんよね?」と美しい笑顔で追い討ちをかけた。


 エステルは一瞬悩んだが、どもりがちにそれに答えた。


 「も、もちろんです。」

 「エステル!?」

 「だって、先生にはすごくお世話になってるし…」


 (というよりも、これを断ったらまた何をしでかすかわからないし…)


 明らかに不機嫌な顔になったラトを宥めるようにエステルが彼の腕に手を掛ける。アランタリアはその手をじっと見つめながら、小さくため息をついた。


 「一つ紹介したい場所があるのです。お二人が嫌でなければ、ぜひ。」


 真面目にそう言われてしまったことで断りにくかったのか、結局ラトも渋々彼が同行することに同意した。




 しばらくは大神殿周辺を歩きながら帝都の建物や高級そうな店などを見てまわっていたが、雨が止んできた頃、ようやくアランタリアの案内でとある場所へと移動し始めた。


 そこは元はレストランか何かだったと思われる場所で、相当築年数の経過した木造の建物だった。


 特に看板などは設置されておらず、大きく開かれたドアの向こうにはザワザワと大勢の人の気配がしていた。


 「アラン先生、ここはどんな場所なのですか?」


 エステルが入り口の近くでそう尋ねると、アランタリアは優しく微笑んで言った。


 「ここは小神殿の一つですね。大神殿は中心部にありますが、それ以外にも主要な神殿が帝都内に四つあります。ですがなかなかそこまで通えないという人も多いので、特にこの広い帝都内にはいくつも小神殿が散らばって存在しているのです。ここはその一つ、私が幼い頃よく通っていた場所で、ぜひあなたにはご紹介したくてお連れしました。」

 「先生がここに…じゃあ、思い出の場所なんですね。」


 エステルがそう言って笑顔を返すと、ラトがその顔を遮るように目の前に立ち、代わりにアランタリアに微笑みかけた。


 「先生、俺の笑顔で十分でしょ?で、この後どうする?中に入るのか?」

 「ちょっと、ラトさん!?」


 エステルは相変わらず嫉妬深いラトの背中を軽く叩くと、彼は顔だけエステルの方に向けて渋い表情を見せる。


 アランタリアもまた眉間に皺を寄せてラトを睨むと、中の様子を確認してから「いえ、今日は何やら忙しそうなので、また今度にしましょう」と言って踵を返した。


 だがその時、中から誰かが彼を呼び止める声がして、三人はゆっくりとそちらに顔を向けた。


 「まあまあ、ナイト神官ではありませんか?今日はどうされたんです?」


 入り口に現れたのは年配の、優しそうな笑みを浮かべた白髪の女性だった。背中は少し曲がっているようだったが顔色は良く、声にも張りがある。白いフード付きのゆったりとした服を身に纏い、手には何枚もの皿が重ねられていた。


 「これはジェンナ様、ご無沙汰しております。」


 アランタリアの知り合いなのだろう。彼は入り口に戻り、そこで二人は話し始めた。少ししてアランタリアに手招きで呼ばれた二人も、彼女の近くへと向かう。


 だがその時、エステルに不可解なことが起こった。


 それはジェンナという女性と目が合った時のことだった。


 (な、何この感覚!?この人、すごく怖いわ!!)


 背筋を氷が一気に滑り落ちていくような冷たさが走り、これまで感じたことのない寒気と恐怖がエステルを襲う。


 何とか平静を保ち、ジェンナと呼ばれた女性に笑顔と無難な挨拶を返したのだが、このままここには居られないと思うほど、全身が目の前の女性を拒絶していた。


 (どうしよう、早くここから居なくなりたい!でもアラン先生の知り合いのようだし、いい人に見えるし、ああ、本当にどうしよう!?)


 焦りが顔に出ないように必死に笑顔を取り繕っていたが、ラトはそんなエステルの変化に気付いたのか、自然な感じで腕を取った。


 「ちょっと失礼します。」


 ジェンナという女性に丁寧に声を掛けたラトは、エステルをエスコートしながら、通りの向かい側にある小さな雑貨店の中へと入っていく。


 そして女性から見えない位置へと移動すると、囁くような小さな声で話しかけた。


 「エステル、どうした?震えてる…」


 心配そうに顔を覗き込むラトに、エステルは笑顔を向けようとしてみるが、うまくいかない。


 「わからないの。でも、あの人、何か怖い。」

 「あの人って、あのジェンナとかいう女性か?」

 「ええ。失礼だとは思ったのだけれど、どうしても体が言うことをきかなくて…」


 ラトはふいにエステルを抱き寄せると、耳元で小さく言った。


 「そうか、わかった。じゃああの女性にはもう会わないようにしよう。怖かったな。」


 エステルは驚きと恥ずかしさで思わず彼の胸を強く押してしまったが、ラトは気にする様子もなく抱きしめ続けていた。


 「て、店員さんが見てるわ!」

 「そうだな。でも俺は君の方が大事だから、今はこうしていたい。」

 「う、うん……ありがとう、ラトさん。」


 ラトがこれほどまでに甘えさせてくれる人だとは思ってもみなかったエステルは、驚きと共に、冷え切ってしまった体と心が徐々に温まっていくのを感じていた。


 (こんな風に誰かに甘やかされたのは初めてかもしれない。しかもそれがラトさんだなんて、ああ!どうしよう?嬉し過ぎる!)


 彼の逞しく引き締まった腕の中で思う存分甘えさせてもらった後、店員達のあからさまな視線を感じたエステルは、慌てて彼から離れた。


 (こんな姿を見られるなんて本当に恥ずかしい!でも…そんなことどうでもよくなるくらい、ラトさんと居ると幸せを感じてしまう…)


 エステルが頬を赤らめてラトを見上げると、彼もまた照れたような視線をこちらに向けて微笑んでくれた。



 その後ラトはエステルに店で待つよう伝えると、一人で神殿に戻っていった。何やら適当な事情を説明してくれたようで、十五分ほどで戻ってきて言った。


 「もう大丈夫。さあ、今日はもう帰るか。」


 そう言って手を伸ばしてきた彼に、エステルは心からの安心感を感じていた。


 差し出された手をぎゅっと握りしめて小神殿の前の通りに出ると、神殿の入り口でこちらをじっと見つめているアランタリアが目に入った。エステルは彼に小さく会釈した後、ラトに連れられてメルナの家へと戻っていった。




 《聖道暦1112年4月11日》



 しかし翌日、エステルは再びあの小神殿に関しての話をラトから聞かされえることになる。


 「えっ?ラトさん、またあの小神殿に行くんですか!?」


 翌朝、エステルの部屋にやってきたラトが困った顔で「そうなんだよねえ」と告げる。


 「でも、どうして?」


 ラトを心配する気持ちが何となく伝わったのだろう。彼は寄りかかっていた壁から離れ、エステルに近付くとそっと抱きしめた。


 「心配掛けて悪いな。でもどうしても行かなきゃいけない用事ができたんだ。もちろん一日中じゃない。日中は居ないが、それ以外の時間はずっと一緒にいるから。……なあ、エステル。」

 「はい?」


 ラトは微笑み、エステルの額にキスをしてから頬に手のひらを当てた。そんな何気ない触れ合いが、今のエステルにとっては大きな喜びだ。だが彼の甘い行動のせいで赤くなっているであろう顔を隠したくて、そっと俯く。


 「これから何が起こっても、俺を信じて待っていてくれるか?」


 エステルはラトの言葉の意味が掴めず、今度は不安な表情で彼の顔を見上げた。


 「何かするつもりなの?」


 ラトの手がエステルの頬をそっとなぞる。


 「嫌なことに巻き込まれそうではある。でも、必ず俺が解決するから。」


 エステルは、彼の手に自分の少し冷えた手を重ねて言った。


 「あなたの傍に居てはだめなの?」


 ラトの表情が悲しげなものに変わる。


 「うーん、今回ばかりは、ごめん。もちろんさっきも言ったように、ずっと離れているわけじゃないから。日中は君にしっかりとした護衛を付けるようにするし、それ以外の時間は俺がずっと一緒にいる。」


 苦しそうにそう話す彼に、エステルは何も言えなくなってしまった。できる限りのことをしてくれようとする彼に、これ以上の我儘は到底言えそうにない。


 エステルは仕方なくふう、と静かにため息をつくと、彼の胸に自分の顔を押し付けて言った。


 「じゃあお願い。今は、今だけはこうしていて。」

 「エステル……」


 ひたひたと迫り来る何かの予兆を感じながら、二人は互いの温もりだけを信じて、しばらくの間強く、強く抱きしめ合っていた。


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