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49. 神殿へ

 《聖道暦1112年4月10日》



 「ここが、帝都の神殿…!」


 雨が降りしきる帝都の中心部、人々は様々な色の傘をさし、その広い通りを足早に歩いている。エステルもまた真っ白な新品の傘を持ち、アランタリアの隣でとある建物を見上げていた。


 目の前に聳える三つの高い塔を持つこの荘厳な建物こそ、エステルが長い旅の目的地としてきた『三柱神教大神殿』だ。


 「ここは三柱神教大神殿、別名帝都中央神殿と言って、大神官ペリドール様がいらっしゃる、いわゆる三柱神教団の総本山だね。毎日多くの人々が祈りと呪いの軽減のためにここにやってくる。今日は休日で混み合っているかもしれないが、中はとても美しいよ。ぜひエステルにも見て欲しい。さあ、行こう。」

 「はい!」


 ここに自分の命を狙う者がいるかもしれない、という恐怖より初めての場所への興味の方が上回ったエステルは、胸の高鳴りを片手で押さえながら、その開かれた大きな両開きのドアをくぐった。


 「わあ…凄いわ!!」


 中に入ると、まずその空間の広さに度肝を抜かれた。


 目の前には巨大な礼拝堂が広がっている。左右の柱の内側には整然と並んだ長椅子が奥までずっと続いており、そこには多くの人々が腰を掛け、祈りを捧げていた。足首まで隠れてしまう長さの白い服を纏った神官達がその間を行き交い、静かに相談に乗ったり、別室での祈りの時間を取ったりしているようだ。


 また、その最奥には天窓から光が燦々と降り注ぎ、そこに飾り気のない巨大で真っ白な祭壇と、その上に大きな燭台らしきものが二つ置かれているのが見えた。


 ちなみに外から見えていたあの高い塔には、各国から集まる多くの神官達が滞在し、ここで神官になるための専門的な知識を学んでいるらしい。つまりここは学校兼寮の役目も果たす建物ということだ。


 再び室内をよく見てみると、左右に十本ずつ並んでいる白く太い柱が支えているのは、天界の様子を描いたと思われる素晴らしい天井画だった。青い空と白く輝く雲、そこに神々、聖獣、精霊と思われる存在が大きく描かれており、その迫力のある美しさに、エステルはただただ目を奪われてしまう。


 「エステル?」


 アランタリアが優しい表情でエステルの顔を覗き込む。


 「…あ、ごめんなさい、つい見惚れてしまって!」

 「いや、初めてこれを見た人はみんなあなたのように上を見上げて動けなくなる。だから気にしないで。この天井画はかなり古いもので、この神殿が建てられた三百年前頃に活躍していた有名な画家が描いた作品だそうだよ。中央大神殿の象徴とも言えるものだね。」

 「へえ!あ、じゃああれは何ですか?」


 エステルはそうして尽きぬ興味を子供のようにアランタリアにぶつけていったが、彼は面倒がることもなく、丁寧にその質問に答えていった。


 「さあ、ではそろそろ中に行こうか。もうペリドール様には話を通してあるから心配はいらない。ただ今日から三日間は毎日この時間にここに通わなければならない。それだけは覚えておいてほしい。」

 「わかりました。」


 アランタリアは笑顔で頷くと、エステルの手を取る。


 「え、あの」

 「一人で歩けます、だったかな?知っているよ。でも俺が、あなたの手に触れていたいから。」


 きゃあああ!?いやーっ!ナイト様ぁ!!…


 という悲鳴がどこかから聞こえてくる。しかもその声はこの広い空間に絶妙な反響を伴って広がっていき、巨大な礼拝堂の中はパニック寸前の雰囲気となっていた。


 エステルは背後の恐ろしい視線と悲鳴に耐えきれず、アランタリアの手を強引に引っ張って礼拝堂内の右奥にあった小さなドアの向こうへと、急いで飛び込んだ。そこはさらに奥の部屋に繋がる広い廊下となっており、いくつもの小窓からの光が差し込む静かな空間だった。


 「はあ、怖かった…」

 「ははっ、あんなのは序の口だよエステル。あなたはこれから三日間毎日、ここに来るたびに俺の信奉者達に睨まれることになるだろうね。」

 「ええっ!?恐ろしい!!…ここは異界ですか!?」


 エステルのその言葉と疲れきった表情が、どうやらアランタリアのツボに入ったらしい。


 「ぷっ、ふふ、あはははは!!本当にエステルは面白いね!こんなに笑ったのは人生で二度目だよ!!」

「…」


 実はエステルはすでに、一回目も自分が原因であるとメルナから聞いて知っている。目の前で腹を抱えて笑う美しい神官。この人は本当に自分に好意を抱いているのかしらと疑いたくなるような姿だ。


 「はあ、はあ。笑った笑った!あれ?何だか変な顔をしてるね?」

 「いえその、アラン先生は…いえ、何でもありません。」


 何かに気付いたアランタリアはふっとあの妖艶な笑みを漏らすと、後ろのドアに閂をかけ、いきなりエステルを壁際に押しやった。


 「ひゃああっ!?な、何ですか!?」

 「あれ?もしかして俺のあなたへの気持ちを疑った?」

 「い、いいえ!」

 「嘘は駄目。こんなに大笑いされる自分が愛されている訳はないと?」


 図星だった。エステルは目を逸らす。だが次の瞬間、その目は強制的に、彼の破壊的な美しさを見せつけられる。


 「あ、あ、あの?」


 アランタリアは壁と自分の腕の中にエステルをそっと閉じ込めると、右手でエステルの顎を前に向ける。そこには、誰もが魅入られてしまうであろうあの銀色の瞳が、ギラギラと輝きエステルを待ち構えていた。


 「むしろ逆だよ。あなたの前ではこれまで抑圧してきたあらゆる感情が溢れ出てしまうんだ。そのくらいあなたを愛しているんだ、エステル…」

 「えっ!?あの、こ、こま、困ります!!」


 その蠱惑的な瞳と甘い愛の言葉に耐えきれなくなったエステルは、掠れる声で必死の抵抗をしながら目を瞑った。だがそれは間違いなく、アランタリアの思う壺だった。


 「馬鹿だなあなたは。俺の前で目なんか瞑ったらどうなるか…」

 「!?」


 しかしアランタリアのその目論見は、激しいノックの音で崩れていく。


 ドンドンドンドン!!


 先ほど彼が閂をかけたドアが強い振動で揺れている。エステルはその音で一瞬緩んだ彼の腕から素早く抜け出すと、急いで距離を取りそのドアを見つめた。


 アランタリアの方は、はあ、と残念そうなため息を一つこぼし、閂を外してノックの主を待ち構える。


 だがドアが開くと、彼の顔色が変わった。


 「なぜ、あなたがここに…」


 その声は低く、横顔には侮蔑の表情が浮かんでいる。そしてドアに隠れて見えなかった人影が、ゆっくりと姿を現した。


 「アランタリア、久しぶりだな。やっと帰ってきたと思ったらまた勝手をしているのか?」


 その人物はアランタリアと同じ髪色の、年配の男性だった。今日のアランタリアは白い服に紺色の長い帯を掛けるという神官服を身につけているが、こちらの男性は白地に銀糸の刺繍が施されている服の上に、アランタリアのものよりも少し幅広い紫色の帯を肩から掛けている。


 「ナイト神官長様、ご無沙汰しております。」


 エステルはハッとして、改めてその男性の顔を眺めてみた。よく見ると多少年配の男性の方が鼻が大きく目は細いが、全体の雰囲気はアランタリアとかなり似通ったものを感じる。


 (じゃあこの方が、アラン先生のお父様…)


 「…まあいい。戻ってきたことは評価する。本鑑定を担当するのだそうだな。ペリドール様の顔に泥を塗るような失態は犯すな。しっかりやりなさい。」

 「承知いたしました。」


 ナイト神官長と呼ばれたその男はエステルには一瞥もくれず、廊下の奥にある階段をゆっくりと登っていった。


 「エステル、すまない。嫌なところを見せてしまったね。」

 「いえ。家族というのは色々ありますから。私はむしろ助かったので!」


 暗くなってしまった雰囲気を打ち消したくて、ふざけた調子でエステルがそう言うと、アランタリアは苦笑して目を逸らした。


 「そうだね。もし父が来なかったら、俺はあなたに何をしていたかわからなかったな。」

 「先生、私」

 「無駄だよエステル。何を言われても俺の気持ちは変わらない。さあ、それより今日の本鑑定を始めよう。形だけでもやっておかないとまずいからね。」


 結局エステルはそれ以上何も反論することはできず、本鑑定を受けるために奥にある特別室へと入っていった。



 ― ― ―



 ラトはこの日珍しく寝坊をした。どうも前日に飲んだ酒が相当強かったか、もしくは質の悪いものだったのだろう。だるさと強烈な眠気、そして頭痛がラトに襲いかかる。


 (酒に弱くは無いはずなんだが…そういえばあの酒、先生が持ってきたものだったな…)


 その事実を思い出した瞬間、ラトは青ざめてベッドから飛び起きた。


 「まさかエステルと二人っきりになるために!?」


 急いで身支度をして部屋を飛び出ると、ラトは昨晩の出来事を思い出しながら大神殿へと向かった。



 ― ― ―



 《聖道暦1112年4月9日》



 それは昨晩、メルナの邸宅で夕食を終えた後のことだった。


 エステルの横に並び話しかけようとしたその時、アランタリアが意味ありげな視線を彼女に送るのが見えた。しかし二人は目を合わせていた訳ではない。彼の方が一方的に彼女の何かを見ていたのだ。


 (どこを見てるんだ?)


 何かが引っ掛かったラトがそっとエステルを観察してみると、アランタリアが見ていた彼女の首筋にそれを発見した。


 (まさかあの赤み、あいつが付けたのか!?)


 気付かないふりをしながら横目で再度確認してみたが、確証は持てなかった。その時、僅かだがアランタリアの口角が上がったのをラトは見逃さなかった。


 (…いつの間に!!)


 先ほどの疑惑が確信に変わったラトは、一旦それぞれの部屋に戻った後、エステルに事情を聞くために廊下に出た。だがそこで思わぬ妨害が入る。


 「ねえ、今ちょっと話せるかしら?アランタリアも一緒なのだけれど。」


 メルナの声は小さい。どうもエステルには聞かれたくない話のようだ。仕方なくラトは頷く。


 「ではこちらに。」


 その後三人でメルナの部屋に入り、彼女から今後の動きに関しての注意点について説明があった。


 まず神殿を守る『三柱神教団』内部には、教義よりも日々の信仰を大切にする『精霊派』と、教義の実践を何よりも重視し、自らの罪と向き合う姿勢を大事にする『聖獣派』と呼ばれる派閥が存在するということを知らされた。


 これは決して公にされた名称ではないが、アランタリアの父、オルステア・ナイト神官長を筆頭にした派閥である聖獣派は、厳しすぎる教義遵守の姿勢を好意的に受け入れている集団だ。


 だが実はその存在を隠れ蓑として、『開くもの』という裏組織が神殿内外で暗躍しているとのことだった。ただしオルステア自身はその組織との関わりはほぼないらしい。


 メルナはそこまで説明すると、一旦お茶で喉を潤す。


 「『開くもの』というのは、密かにノクトルを信奉する者達のことよ。異界を再び『開く』ことが目的の集団、つまり彼らの頂点にはおそらく『魔人』がいるわ。」

 「まさか…」

 「しかもね、それがリリアーヌである可能性は、かなり高い。」


 ラトが青ざめていくのを、アランタリアは訝しげに見守っている。メルナは一息つくと話を続けた。


 「もちろんはっきりとわかったわけではないわ。でもこの裏組織の目的が『異界を開き、ノクトルをこの世に解放する』というものなのは確かよ。そして彼らは、あの子…エステリーナのような能力を持たない存在に相当な執着を見せている。その明確な理由はまだわからないけれど。」


 男達二人は無言になる。


 「だからこそ彼らに対抗するために作られた組織が『閉じるもの』。『精霊派』に紛れて活動をしているわ。アランタリアにも入ってもらっているけれど、その頂点にいるのが私と、ヘレナムア帝国皇帝陛下、オーギュスト・ルーカス・ヘレナムアなの。」


 ラトは驚きもせず「そうか」と呟く。メルナは、ああこの男はエステルのことしか頭にないのね、と思いながら背もたれに寄りかかった。


 「とにかく、三柱神教団の内情はそんな状況。ラトさん、あなたには内部に入ってもらうつもりはないし、お願いしても無駄でしょうから言わないわ。でも、護衛としてエステルのことを守る、これだけは」

 「言われなくても。」

 「そうね。そしてできるだけ『本鑑定』が終わったら、あの子を神殿には近付けないようにしてちょうだい。もしリリアーヌに気付かれでもしたら…あなたもよく知っての通り、彼女は古くから存在する高位の魔人。人間に擬態しているのは間違いないし、より気を引き締めていかなければ。」


 そこで今度は三人が無言になる。


 すると重苦しい空気を打ち消すように、アランタリアがすっと立ち上がった。そして部屋の奥から細い縄を編んだようなものに包まれた瓶を手に戻ってくる。


 「さあ、ここで私達が怖気付くわけにはいきません。エステルを守り、この帝国を守らなければなりませんからね。今日だけは一杯飲んで、景気をつけましょう。」


 そう言って彼はグラスを三つ持ってくると、そこになみなみと酒を注いで手渡していく。


 「エステルと帝国のために。」

 「乾杯。」

 「…」


 そうして静かな乾杯を終えた三人は、それぞれの思いを胸に部屋へと戻っていった。



 ― ― ―



 「くっそ、あの時の酒か!」


 悪酔いするようなものをたっぷり飲ませやがってと、ラトは毒づきながら歩みを進める。


 そう言えばメルナはあの酒をほとんど口にしていなかった。今更思い出しても仕方のないことだが、ラトは迂闊な自分自身を責めながら小走りで歩いていた。


 メルナの屋敷は帝都の中でもだいぶ郊外にあるため、そこから中心部まで馬車に乗せてもらうことにする。広い通りで馬車を降り、そこから十五分ほど歩いた先にようやく目指していた大きな建物が見えてきた。


 そう、今ラトの目の前には、巨大な神殿が待ちうけている。


 「エステル、無事でいてくれよ。」


 こうして、大きく荘厳な扉の先に、ラトもまた静かに飲み込まれていった。


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