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47. アランタリアの決断

 エステルはメルナ直々に案内してもらい、しばらく滞在するための自分の部屋へと向かった。


 中に入り、再びその広さや置かれているものの品質の素晴らしさに感動する。メルナはそれを楽しそうに眺めると、エステルの腕にそっと触れた。


 「あなたが喜んでくれて良かったわ。もしこういう日があったらぜひこの部屋を使ってもらおうと決めて準備していたの。あっ、そうだわ!ドレスもいくつか用意しておくから、今夜から着てみてちょうだい!あなたも伯爵家の令嬢ですもの、ね?」

 「メルナ…色々とありがとう。」


 メルナはその感謝に笑顔で応えると、静かに部屋を出ていった。



 「はあー。色々あったわね。でもメルナの話を聞けて良かった。このまま何も考えずに大神殿に行っていたら……ああ、考えるだけで恐ろしいわ!」


 エステルはそう呟きながら一つ身震いをすると、部屋に置かれていた自分の荷物を整理し始めた。



 その後しばらくして、メルナが用意してくれた薄いピンク色のゆったりとしたドレスに身を包み、薄く化粧をして階下に降りていくと、階段を降りきったところでアランタリアが待ち構えていた。


 いつもとは全く違う黒いスーツ姿、すっきりとまとめられた後ろ髪は、エステルの目を奪うには十分な美しさだった。


 「エステル、今日は一段と綺麗だ。」


 差し出された手はあくまでも女性への礼儀としてのものなのだろうが、一瞬その手を取ることを躊躇ってしまう。


 「大丈夫、最後の二段の手助けがしたいだけだよ。」

 「ありがとう、ございます。」


 そっと彼の手に自分の手を載せると、彼は微笑んでエステルを導き、下まで降りるとその手を離した。


 「あの、アラン先生」

 「待って。まだ夕食の時間には少し早いよね。すぐそこに談話室があるんだ。そこで話をしないか?」

 「…はい」


 アランタリアはエステルの前を歩き、ダイニングルームのある場所とは反対の方へ移動すると、奥に向かって三つほど並んでいるドアの一つを開けた。


 中に入るとそこはさほど広さはなく、座り心地の良さそうなベージュのソファーセットが並べられているだけのこざっぱりした部屋だった。カーテンはしっかりと閉められ、外の様子は見えない。


 言われるがままにアランタリアの前に腰掛けたエステルは、急に目の前に迫ってきた彼の顔に驚き、ハッとして背もたれに寄りかかった。


 「エステル、あなたはやはりあの男を選ぶんだね。」

 「お…お話って、それですか?」


 仰け反っているエステルの腕を引っ張り元の位置に戻したアランタリアは、一旦距離を置いて目の前に立った。


 「いや。でもせっかくの機会だから先に聞いておきたくて。」

 「そう、ですか。……はい、私はラトさんのことが好きです。だから先生、これ以上は」


 ギシ、と小さな音を立ててアランタリアがエステルの隣に座る。長い足を組み顔を僅かに傾けると、流すように添えられた前髪部分がサラッと横に流れていく。


 (この人、自分がどう動いたら美しく見えるかよく知っているのね。はあ、心臓に悪いわ…)


 エステルがその仕草にドキッとしながら彼の返事を待っていると、アランタリアの声が低く響いた。


 「これ以上は、何?」

 「…」

 「一旦逃げるって言うから逃したけど、捕まえないとは言ってない。」

 「ですから!」

 「彼とは婚約したわけでも、ましてや結婚したわけでもないだろう?」

 「それは、そうですが」

 「じゃあ諦めない。」

 「アラン先生!?」

 「アランだ、エステル」

 「ん!?」


アランタリアの人差し指が、エステルの唇に触れる。エステルが慌ててその指を押し返すと、彼はふふっと笑ってから手を戻した。


 「さてこの話は今は保留。で、本題に入るよ?」

 「は、はあ。」


 傾けていた顔を元に戻し、彼は本題とやらについて話し始めた。


 「まず、メルナから聞いていると思うけど、あなたは今危機に瀕している。このまま大神殿に行って本鑑定を受ければ、今後どうなるかはわからない。」

 「はい。」


 エステルは自分の両手をギュッと握りしめる。アランタリアはチラッとそれを見ると、一呼吸置いてから話を続けた。


 「だから、この機会に俺が教団に戻り、あなたの鑑定を担当しようと思っているんだ。」

 「え!?」


 それはつまり、エステルのせいで彼があの町の医者を辞めることになる、ということで…


 (メルナが「偽の本鑑定ができるように手筈を整えた」って言っていたのは、このことだったのね!)


 エステルは顔を顰めてアランタリアに詰め寄った。


 「アラン先生、それは駄目です!私のために先生のお仕事を犠牲にするなんて」

 「落ち着いてエステル。そうじゃない。そもそも俺があの町で医者をやっていたのは…」


 そこでアランタリアは言葉を詰まらせた。深いため息と眉間に見える苦悩の色が、エステルの胸を締め付ける。


 「アラン先生?」

 「俺はずっと、父が許せなかった。」

 「え?」


 彼はエステルの手を見つめたまま言った。


 「あの男は神官こそ最も尊い仕事だと言い張り、教義から外れたことには一切の容赦がなかった。それによって長い間家族は苦しめられ、母は精神を病み、とうとう三年前に亡くなってしまった。」

 「そんなことが…」


 エステルは彼に手を伸ばしかけたが、どうにか思いとどまった。彼はその動きには全く気付かなかったようで、目を伏せたまま話を続ける。


 「しかもあの男は、俺達家族を心から心配してくれていたあいつの友人すら切り捨てようとしたんだ。そのせいで、あいつのせいでその人は……殺された。」

 「っ!?」


 声にならない声を飲み込み、エステルは口元に手を当てた。アランタリアは顔を上げ、エステルの大きく開いた目に視線を向ける。


 「だから俺は、あの男に反発して神官以外の道を模索したんだ。それが医学だった。学校でも特別クラスに入り本格的に学んだよ。だが病んでしまった母を守るためには結局あの家にいるしか、父の言う通りにするしか道はなかった。それでしばらくの間は神官として神殿で働き、教団の裏の顔もたくさん見て、父の傲慢さも嫌と言うほど味わった。」


 彼の抱えていた苦しみが、徐々にエステルの心に沁み込んでいく。


 「でも長く伏せっていた母が亡くなり、もう我慢する必要はないと。だから帝国…から遠く離れたあの場所で、医学の知識と元々持っていた『治癒』の力を生かして医者として生きていたんだ。」


 そして彼は、エステルが口元を隠すようにしていた手を取って言った。


 「それなりに幸せではあったよ。でも、あなたと出会ってしまったしね。」

 「それは…」

 「勘違いしないでほしいのは、神殿に戻ることはあなたのせいではないってこと。向き合う時が来ただけなんだ。あの男にも、三柱神教団という闇を抱えた場所にも。」


 (先生が長い間家族のことでこんなにも苦しんできたなんて、想像もしていなかったわ。そうか、だから私の家族の話にも同情してくれたのね…)


 「エステル、俺はあなたを守るために神殿に戻ることは、むしろ幸せなことだと思っている。だから心配しなくていいし、自分のせいだなんて思わないでくれ。」

 「でも…わかりました。」

 「うん。良かった。」


 アランタリアの表情がそこでようやく和らいだ。そして彼は、以前はよく見かけていたあの優しい笑顔をエステルに向けて言った。


 「ただねエステル、アランと呼ばなかったことに関しては、お仕置きが必要かな?」

 「え、あっ!?」


 その笑顔に騙されて気を抜いていたエステルは、握られていた手を引っ張られ、一瞬でアランタリアの腕の中に閉じ込められた。この日はあの優しい植物の香りではなく、大人の男性らしい香水の香りがした。


 「相変わらず隙だらけだね、エステル?ああ、あなたは本当に柔らかいな。メルナの言う通りだ。」

 「は、離してください!!」


 エステルはその胸の中で暴れてみたが、アランタリアは意外と力が強く、なかなかそこから抜け出せない。


 「うーん、でももう少しだけこうしていたいな。」

 「ダメです!!あっ!?」


 するとアランタリアは、暴れるエステルの首筋に微かな痛みを残し、さっと体を離した。


 「可愛い俺のエステル。あの独占欲丸出しの男に叱られておいで。」

 「な、何をしたんですか!?」


 アランタリアはそれには答えず、妖艶な微笑みだけを残して先に部屋を出ていった。


 「一体今のは何だったのかしら?もしかして噛み付いたとか!?」


 エステルは、すでに痛みも違和感も感じないその首筋を手で押さえながら、疲弊した頭を振って談話室を離れた。


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