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43. 言えない言葉

 《聖道暦1112年4月6日》



 数日遅れとなったが無事予約していた馬車を借りることができた四人は、メルナの調査を元に、できる限り安全を確保できそうなルートで帝都に向かおうということになった。


 ちなみに馭者としてメルナの部下だという男性を紹介されたエステルは、改めてメルナの秘密について追求し始めた。


 成人したばかりの若い女性になぜ部下と呼ばれる存在がいるのか?メルナは一体何を隠しているのか?


 矢継ぎ早に質問をしてみたが、彼女は曖昧に微笑むばかりで何も教えてはくれなかった。


 多少事情を知っていそうなアランタリアにもこっそり事情を尋ねてみたが、彼もまた何も話してはくれることはなかった。


 そうして結局何の情報も得られないまま、馬車は予定通りにドゥビルの町を出発した。



 町を出てからのエステルは、ラトとほとんど会話らしい会話ができなかった。ラトの方は時々話したそうな雰囲気を醸し出してはいたが、エステルはそれにあえて気付かないふりをして、できるだけメルナと話すようにしていた。


 そのせいか、あれほどふざけ合っていた馬車での時間も、以前のような親密な雰囲気など全くなくなってしまった。



 途中、五人は小さな町の宿に宿泊したが、夕食を終えると疲れたからと言って素早く部屋に引き篭もった。


 そうして極力ラトに会わないように過ごしていたエステルだったが、水を貰おうと部屋の外に出た途端、廊下で待ち構えていた彼に捕まってしまった。


 「あ」

 「エステル」


 ラトの表情はいつも通りの穏やかなものだったが、エステルはうまく目を合わせられなかった。


 「なあ、今話せるか?」


 彼は以前のように無闇に近付くことはしなかった。エステルはそれを少し寂しく感じている自分をぐっと抑え込んで、無理やり笑顔を引っ張り出してそれに答えた。


 「少しなら。」


 廊下の一番奥にある少し開けた場所へと二人で移動すると、ラトが静かな声で話し始めた。


 「突然悪い。疲れてないか?」

 「えっ?ああ、ううん、大丈夫です。」

 「そっか。…あのさ、この間のことだけど」


 エステルはビクッと体を揺らすと、ラトから目を逸らした。それを見た彼は小さく息を吐き出し、一歩だけエステルに近付く。


 「な、何ですか?」


 緊張しながらも彼の発言の続きをじっと待っていると、ラトの手が少しだけ上に上がり、すぐに元の位置へと戻るのが見えた。


 「いや、違うな。」


 (違う?違うってどういうこと?)


 要領を得ない言葉が気になり、エステルはそっと彼の顔に目を向けた。何か言いにくそうに唇を噛むその表情が、エステルの胸をぎゅうっと締め付ける。


 (彼の顔を見るだけで、どうしてこんなに胸が苦しくなるのかしら)


 いや、理由などもう十分にわかっている。それでも何とか自分の心に抗おうとして、エステルは再び視線を彼から外し、廊下の壁の小さな凹みに無理やり合わせた。


 「会いたかったんだ、二人きりで。」


 だがせっかく見つけた現実逃避スポットは、ラトの大きな手で隠されてしまう。


 「あ…」


 彼の腕がエステルの目の前を横切り、思ったよりラトが自分に近付いていたことにそこでようやく気付いた。


 「エステル、君に触れたい。」


 すぐ近くで囁く彼の声に、エステルの心が大きく揺れ動く。


 (駄目よ、絶対に駄目!流されてしまえばまた自分が苦しむだけ。東の大陸にも行けなくなってしまうわ!)


 「駄目、です。」


 それ以上の言葉が出てこなかったエステルは、目をギュッと閉じてただ静かに首を振った。


 ラトの気配がスッ、とエステルから離れるのを感じる。


 (ああ、行かないで…ううん違う、これでいいのよエステル!)


 すると彼はエステルから数歩離れた場所に立って、言った。


 「困らせてごめん。おやすみ、エステル。」


 その声にハッとして目を開けたエステルには、その場を去っていくラトの後ろ姿だけが見えていた。


 「私だって…ラトさんのバカ…」


 エステルは先ほどの壁の凹みに額を付けると、誰も居なくなってしまった狭い廊下で一人、苦しい胸の内と向き合っていった。




 《聖道暦1112年4月7日》



 帝都はこの大陸の最も北西側に位置する都市だ。


 帝国そのものが元々四つに分かれていた国を統合してできた国であるため、当然国土自体も広大なのだが、その中でも帝都シェフィーラは特に美しく整備され、最先端の技術が結集した巨大な都市となっているらしい。


 しかし、そこに向かうまでの道は、決して平坦な道のりではなかった。



 実際、宿を出発して二時間もしないうちに早速問題が発生した。馬車が急停止し、魔獣が現れたことを知らせる合図の笛が鳴り響いたのだ。


 町を出て少し馬車を走らせると、そこには美しい草原地帯が広がっている。なだらかな起伏が遠くまで続くそこは、ピクニックでもしたら気持ちが良さそうな素晴らしい景観の場所だった。


 しかし残念ながら魔獣がよく出没する地域でもあるようで、とてもそんな和やかな過ごし方はできそうにない。


 そしてこの場所で、エステルが最初の一体を短剣で倒した姿を目撃したメルナが、「美しすぎる!!」と言って感動し、そこから何度も何度もエステルに魔獣を倒させようとし始めたのだ。



 二時間後。


 ピーッ!


 今の合図は四度目の魔獣出現の知らせだった。



 「あら、まただわ!どうしましょう?」

 「…」


 エステルも心の中で「またなの?」と思いつつ、黙って座っている。


 「メルナ、エステルの戦う姿が見たいからといって手を抜きすぎでは?」


 アランタリアはエステルを気遣い、暗に「あなたが行ったらどうです?」と主張してくれているようだ。だがメルナは彼の言葉などどこ吹く風で、「うふふ!」と楽しげに笑うばかりで何もしようとはしない。


 そしてラトはというと、先ほどから合図があろうと魔獣が現れようと知らぬ存ぜぬを貫き、肘をついて窓の外をぼんやりと眺めているばかりいる。



 この辺りの魔獣は比較的力が弱く、見た目も普通の四足歩行の動物に似通った姿をしていてさほど怖さは感じない。魔獣の割には小さい個体ばかりだったこともあり、確かにエステルでも難なく倒せる相手ではあった。


 だがそれも四回連続ともなると、さすがに心身ともに疲れが出てくる。


 (まあ別にいいのだけれど、私が倒すのを見たいって、メルナったら本当に変わっているわね…)


 エステルはこれ以上黙っていても埒があかないわと考え、ハイハイ私が行きますよなどと適当な返事をしながら、再び馬車を降りようとドアに手を掛けた。


 だがその手は、横から突然伸びてきたラトの手によって遮られる。


 (あ、ラトさんの手だ…)


 久しぶりに触れられた彼の温かく男性らしい手の感触が、エステルの胸に小さな痛みを感じさせる。


 「メルナさん、もういいだろ?俺がやる。」


 そう言うと彼はメルナの返事も待たず、額にトンと軽く指を当てただけで、目の前の一体、さらにかなり遠くに見えていた二体も合わせて、一瞬で倒してしまった。


 魔獣が草むらの中に一瞬で消えてしまったせいで、彼がどんな攻撃で倒したのかよくわからなかった。だがその見事な能力と本当に困った時に必ず助けてくれる彼の姿に、エステルの心はじんわりと温かい気持ちに満たされていく。


 「凄い…ラトさん、さすがですね!」

 「あー、そうだ!そろそろ『ゼン』に着くな。あそこはうまい食堂があるんだよ。飯にしよう、飯!」

 

 ラトはエステルの驚きと称賛の言葉など耳に入っていないかのようにそう言うと、再び窓の外をのんびりと眺め始めた。


 その非凡な能力、そしてそれを当たり前のように使いこなす彼に、エステルの心は以前よりも強く惹きつけられている。


 しかし「もう過去のことは聞かない」などと宣言してしまった手前、これ以上ラトに近付くことも、どうしようもなく惹かれてしまうこの気持ちを伝えることも、もう絶対にできない。


 (本当はもっとあなたのことを知りたかった。もっとあなたの近くに居たかった。でも絶対にそんなことは言えない。だってそれを口にしたら、優しいあなたはきっととても困ってしまうだろうから…)


 誰にも聞かれないようについた小さなため息は、馬車の中の静けさにすぐに溶けて消えていった。だがラトに密かに送った切ない視線の方は、ある人にしっかり目撃されてしまったようだ。



 その日の午後、『ゼン』という名の小さな村で食事を終えた一行は出発時間を一時間後に設定すると、時間までは思い思いの時間を過ごそう、という話に落ち着いた。


 エステルは食堂から少し離れた大きな木の下を休憩場所に決めると、その幹に寄りかかって足を休め、ふとドゥビル出発前のヒューイットとのやり取りを思い出していた。



 ― ― ―



 「姉上、僕はどうしても一度ローゼンに戻らなければならなくなってしまいました。ですから大変不本意ですが、今回はここで帰ります。でも!必ず!必ず帝都には行きますから、姉上は絶対に無理せず、そこで僕を待っていてください!」


 エステルは一昨日、必死にそう訴えてくる弟の手を握り、「わかったわ」と何度も宥め、寂しそうに宿を去る彼の後ろ姿を見送っていた。


 もしかしたらヒューイットが帝都に到着する頃には、エステルは既に海を渡っているかもしれない。だがもしそんな計画を暴露しようものなら、彼はきっと梃子でも姉から離れないと言い出すだろう。


 「必ず迎えに来ますから。姉上、一緒にローゼンに戻りましょう。いいですね?」


 念を押すように手を握りしめてそう話す弟に、エステルは曖昧に微笑みを返すことしかできなかった。



 ― ― ―



 木の幹のゴツゴツとした感触を背中に感じながら、エステルは弟に嘘をつく形になってしまったことを、そっと胸の中で謝罪した。


 「いつか全てが明らかになったら必ずあなたに会いに行くわ。これまで本当にありがとう、大好きなヒュー…」


 エステルのその別れの言葉は、木々を揺らす優しい風の中に飲み込まれ、青く広がる美しい午後の空の中へと飛び去っていった。


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