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41. 白昼夢

 それは、四十年ほど前のことだった。


 ラトは当時帝国の一兵士として、できる限り目立たないようにしながら穏やかで慎ましい生活を送っていた。



 自分が神話の時代から続く『呪われた皇太子』の末裔であることは幼い頃から知っていた。


 聖獣を殺すという禁忌を犯し、ノクトルの怒りを買い、全世界にその呪いを撒き散らすきっかけを作った男、『ホーリス・リー・マリシュ』。


 アシュタールにその責を負えと言われ、誰よりも多くの呪いを背負い、子孫全てにその呪いを引き継がせた男。


 神話ではその後彼は幽閉され、数十年後に苦しみの中で亡くなったとされている。そしてその子孫達もまた王宮を追放され、各地に散っていったそうだ。


 そして彼の子孫達は一人残らず通常の人間よりも重い呪いとその反動を受けなければならず、まるでその苦しみを長引かせるかのように、皆気が遠くなるほど長い生を生きていた。


 それでも長い長い時が流れ、次第に一族の人間達が一人、また一人とその暗く長い旅路を終えていき、この時生き残っていたのはラトとその父母だけとなっていた。



 この呪いは後継ぎを産んだ母親にも影響し、元々はマリシュ家とは何の血縁関係もなかった母ですら、父ほどではなかったにせよ、その寿命を大きく伸ばしていった。


 一族の誰もが普通の人の何倍もの時間をかけて歳をとっていく。さらにこの一族の人間は皆ある一定の見た目年齢を超えると、それ以上老いることがなかった。


 そして皆がそれを『呪われた皇太子』が罪を犯した年齢だったのではないかと考えており、そうやって長い時間を苦しみの中で生きることこそ、ホーリスの罪を贖わせるためにアシュタールが定めた宿命なのだろうと、誰もが諦めと共にその現実を受け入れていた。


 そしてその最後の子孫となった自分もまた、歳を取る速度が人の数倍は遅かった。そのせいで見た目が大人になるまでは決して、社会に出て働くことはできなかった。



 百年ほどの時が経ち、ようやく一般的な二十代の男性に見えるようになった頃、ラトに帝国軍の兵士採用試験を受けてみてはどうか、と知り合いから打診があった。


 その長すぎる寿命を不審に思われぬよう、人々の記憶に残らないように、親しくならないようにと、各地を転々として暮らしてきた自分達家族。


 だが本当はもっと人と深く知り合いたかった。誰かを本気で愛し、深く愛されてみたかった。


 だから採用試験を受け、合格し、新たな居場所の中でかけがえのない仲間ができた。長い人生で初めて、愛する人とも出会えた。



 ただ、そこで少し面倒なことが起こる。


 人とは違う強すぎる特殊能力、長年積み重ね培ってきた経験や戦闘技術、そして知識。どれを取っても周囲の人間に比べ優秀すぎたラトは、気付けば英雄と祭り上げられ、当時徐々に始まっていた魔獣との戦いにも繰り返し駆り出されていくことになってしまったのだ。



 そして次第に状況は悪化していった。


 魔獣の数は年々増加し、出没範囲も広がるばかり。徐々に魔獣達はそれまで目撃情報が無かった地域にまで現れるようになり、ついに魔人までもが各地で目撃されるようになっていった。



 魔人、それはこの世界に呪いをばら撒いていったノクトルの意思を受け継ぐ恐ろしい存在だ。


 怒りや憎しみに心を奪われた人間に異界由来の何らかの存在が深く接触すると、そこから徐々に魔人化が進み、最後は全く人とは異なる異形の存在へと変貌してしまう。


 ただし特殊能力が弱い者や子供などは、一旦魔人化しかけても結局定着はせず、たいていの者が苦しみの中で命を落としていた。


 それでも生き残った一部の者は、人間であることを手放し、善悪という概念を全て忘れ、ただひたすらに暴虐の限りを尽くす恐ろしい存在として生まれ変わってしまう。


 首筋に浮かぶ濃い紫や赤黒い筋は、魔人化する時の最も大きな特徴だ。あの筋が全て黒くなった時、魔人化は完了する。


 しかも彼らの中でも比較的高い能力を持つ者は、魔人化していても普通の人間に擬態できる上、その特殊な能力を使って魔獣達を意のままに操ることすら可能だった。



 何らかの理由で増え始めた魔人達。そしてその影響で、魔獣達による集団での攻撃や人間の裏をかいた戦略的な襲撃も度々行われるようになり、帝国内外に耐え難い恐怖と戦火が一気に広がっていった。


 それからの数年間のことを、後の時代の人々は『魔獣戦争』と呼んだ。


 爆発的に増えた魔獣達と魔人による襲撃は、ついに都市部にまで及び、多くの血が流され、ラトもまた様々なものを失った。


 大切な仲間達も、愛していた人も。



 多くの犠牲者が出た戦争が終わり、心が壊れそうになるほどの裏切りも経験したラトは、兵士を辞めると帝国を離れて旅に出た。


 父と母はこの頃にはもうこの世を去っており、とうとう本当に一人きりになってしまったからだ。


 それならばもう好き勝手に生きよう、そう決めたラトは、犯罪行為のような無闇に誰かを傷つけることだけはしなかったが、それ以外のことは、ただ時間を潰すためだけに何でもやった。


 酒も、賭け事も、能力を使わない喧嘩もした。新たな友人も仕事仲間もできた。時々彼らとの別れに心を痛め、新たな出会いに心を浮き立たせた。美しい女性達との刹那的な関係も楽しんだし、孤独な夜をひたすら味わってもみた。


 だがその先にいつも見えていたのは、ただただ空虚な未来だけだった。



 どんなに流浪の生活を続けていても、長すぎる人生の中で時に愛する者と出会い、新たな家族が生まれては結局苦しみを受け継いでしまうだけの人生。そんな呪いを背負った一族の末裔である自分。


 父によると、この一族の中に生まれる子は必ず男児一人だったと聞く。まるで神話の時代の呪われた皇太子に何度も何度も苦しみを味わわせるかのように……


 (聖獣を殺した罪、背負わなければならなかった重荷、そしてこの異常すぎるほどの能力…)


 自分が犯した罪ではないのに、どうしてこんなにも苦しまなければならないのか。


 なぜ人とは違う時間を苦しみの中で生きていかねばならないのか。


 このまま自分が死ねば、果たしてこの呪いの連鎖は止まるのだろうか。


 どれだけ考えても何一つ答えが出ることはない。


 ただ眼前にはいつも、永久に続くような苦難と孤独だけが横たわっていた。



 だがそんな生活の中にも、たった一つだけ希望があった。


 それは『血の呪いを受けていない者、神の愛し子だけが、この黒く罪深い呪いを消滅させるだろう』という、一族だけに伝わる言い伝えだった。


 しかしこの言い伝えを信じたとしても、それは広大な森の中でたった一粒の小さな小さな種を探すような絶望的な可能性しかない、という現実を突きつけられるだけだった。


 なぜなら『呪われていない者など一人もいない』、それがこの世界の定説だったから。



 (そんな俺が、エステルと出会った)



 奇跡が起きた、と思った。



 ウェイドから彼女の話を聞かされた時、藁にもすがる思いで護衛の話に飛びついた。


 彼女はかなり不審に思っていたようだったが、いい加減な男を演じ、破格の報酬で無理やり彼女の護衛の仕事を勝ち取った。無垢な彼女を利用してでも、どうしてもこの忌まわしい呪いを消滅させたかったのだ。


 それなのに、俺は……


 (惚れてしまったらもう、利用するなんて絶対に無理に決まってる)


 それならばずっと彼女の傍に居たい。たとえ生きる時間が違っても、家族にはなれなくても。


 こんなにも心が満たされ、未来ではなく今を感じられたことは未だかつて一度もなかった。


 くるくると表情が変わり、逆境の中でも真っ直ぐに生きる愛らしいエステルと居る時だけは、自分もまた、今という奇跡の中で生きているのだと実感できた。けれど…


 (彼女をどんな形であれ、この一族の呪いに縛り付ける訳にはいかない)


 だからエステル、俺はせめて君の傍で、ただ君と触れ合って生きていたかったんだ……



 ― ― ―



 ラトの白昼夢はそこで、静かに終わりを告げる。


 「立ったまま寝るなんて器用ね。」


 メルナの声が、ぼんやりと耳に届いた。


 「…ああ。悪夢だったがな。」


 (そう、思い出したくなかった、長く、苦しかったあの日々)


 「そう。じゃあ現実に戻りなさいな。そこには希望があるのだから。」

 「!」


 ラトはその言葉にハッとして顔を上げた。メルナは金色のふんわりとした後ろ髪をラトに見せながら、言った。


 「私はあなたに賭けたのよ?あなたこそあの子の心の拠り所になれると。もしなれるなら、あの子は必ずあなたの最後の希望になる。あなたの一族の呪いも、もしかしたら…」

 「なぜそれを!?」


 動揺するラトに、振り返ったメルナは優しく微笑んだ。


 「言ったでしょ?伝手があるの。いつだってね。」


 そう言って彼女は再び前を向くと、近くで調査を続けていたアランタリアや彼女の部下達数名を引き連れ、埃まみれのその部屋を、正規のルートを通って離れていった。


 「エステル、俺は本当に、君の心の拠り所になれるのか?」


 それは果てしなく遠い道のりのような気がした。


 それでもラトは、自分の呪いを解くためではなく、美しく優しくいつだって前を向いて走り続ける彼女のために、いつかそんな存在になれますようにと、心の底からそう祈っていた。


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